物語の始まり XIII
「に、逃げないと…」
「好きにしな?ただそれはいらねぇだろ?」
とある病院で意識を取り戻した獣、その背中を刀が切り裂く。
「ぎゃっ」
背中を深く切り裂かれた獣…クロが踵落としを決めた彼は短く悲鳴を上げその場に倒れた。
「これで全部か?」
「ああ。使われたものも含めてすべてのオリジナルの薬を収集したはずだ。それ以外はな」
倒れた中年男性を抱えて、病院の近くの昼でも人気のない路地裏にクロ、田中、アクルス、ヒカドラが身を潜めている。
中年男性だけではなく、その場には紗希ともともとマンモスの姿であった男性が横たわっている。
「……渡さなきゃダメなのか?」
「渡したくないのなら俺を殺せ。それ以外の選択肢はない」
田中は紗希の持っていた、今はヒカドラが持つバッグに視線を向けながら冷酷に告げる。
「理由次第だ」
クロはカバンをかばうように間に立ち、田中をにらむ。
「中身はどうあれこいつは神奈川紗希という人間からすれば親の形見だ。少なくとも使わなければ無害なものをわざわざ壊す…無力化する理由は何だ?使われたとして貴様なら対処に困る代物でもあるまい」
「……もはや隠す意味はなし、か」
田中……metamoniumは目を閉じ、しばらく考えた後にあきらめたように空を見上げる。
「俺が話さない限り貴様らはそれを渡さない」
「そんでお前一人じゃ俺たちを突破できない」
アクルスが田中の言葉を継ぐ。田中は否定せずに続けた。
「……それの名前は研究素体No.02/include beast、使用者に動物の特性を与える薬……のはずだったものだ」
「ハイビーストじゃなくてか?」
「その通称はそれが完成してしまったときに完成予定の在り方から逸脱したものという意味で明夫が……そこに眠る小娘の父親が名付けたものだ」
「…完成してしまった、か」
ヒカドラは田中の言葉から何かを察する。
「ああ。その薬は本来完成するはずはなかったし、完成したとしてもあんなふうに獣の姿に変わるものでもない。少しだけ使用者の遺伝子情報を書き換えて体を健康にする程度の……その程度の薬だった」
「完成するはずがない?」
「ああ。遺伝子を書き換える薬としてこれは作ったんだよ。ただ、結果としては外れもいいところだった」
明夫は話す。
明夫の研究は細胞の変化に関してだった。変化、といっても成長してどうなるとかそういうものではない。
癌……生物の細胞の悪性変異、それが一番近い例らしい。癌細胞は遺伝子が傷ついた細胞だ。遺伝子が傷ついて変異したもの……それが人体に影響を及ぼすなら。
『それなら、人為的に遺伝子情報を傷つければ体を健康にすることもできるんじゃないかってね』
明夫はそう考えていたらしい。
そして生まれたインクルードビースト。
遺伝子情報を人為的に操作し、獣のような特性を得て体を少しだけ強くする薬。
「遺伝子を人為的に傷つけることはできる。そのやり方を調整して獣の特性も得られる。でも一瞬だけだ。癌抑制細胞が働くから傷ついた細胞はすぐに淘汰される。むしろ淘汰される細胞が多い分悪影響が体に残る。こんなふうにね」
明夫はそういうと腕をまくり肌を晒す。その肌は壊死したような見た目になっていた。
「現状で作ったものにがん抑制細胞を操作できるものはない。だからこれは失敗だったはずなんだよ。なのに」
今度は反対の腕をまくる。それはまるでクマの腕のように太く、茶色の毛が生えていた。
「事故で別の薬が腕についた。その結果がこれだ。細胞が書き換えられてる。なぜか再生機能までついて、より獣らしい姿で」
「それはよかったじゃないか。大成功だ」
「私がそう作ったならな。でもそうじゃない」
明夫は苦い顔をする。その顔は想定外というよりも、想定できたうえで何かまずいことがある、そう語っているようだった。




