6. クビナシのハツのココット ~森山羊のチーズと共に~
外部の人間が、森の民でもその繊細な魔力コントロールの難易度から、食べられる者が極めて限られているクビナシのフォアグラソテーを堪能していることで、広場の祭りの興奮は最高潮に達していた。
ましてコートナの食欲は底なしのようなものだ。フォアグラを食べつつも、他の料理も絶え間なく食していく。フォアグラの使い方も、そのまま食べたりするだけではなく、パテのように他の料理につけたりと様々に試しては平らげていく。同じクビナシの素材を使っているからか、合わないものなどなかった。むしろ、様々な部位の肉に合わせるたびに千変万化の味をもたらしてくれる。
前足のモモと合わせれば、肉自体がとろけるかのような甘み。肉自体の柔らかさもさることながら、後味がフォアグラ単体で食べた時より濃く残る。その風味だけでも追加で500gもの肉が無くなっていた。
ハラミの部分だと、不思議とピリ、と刺激が引き立つ。痛いことも辛いこともなく、違和感のように感じる刺激をフォアグラの甘みが洗い流す。その快感がさらに後を引いてたまらない。
気が付けば、フォアグラも残り半分だ。ニマニューの言葉通り、添え付けのベリーをつぶしてソースに絡める。
まずは単体で一口。
「んぅっ!……はぁ」
酸っぱい。思わず顔をすぼめるほどにソースが酸っぱい。しかし、どうだ。次に来るのは舌が焼けるほどに増幅された甘味。それをしょっぱさがあっという間に抑えて、新鮮な旨味が口いっぱいに広がったと思えば、気が付けば口の中には何もない。
「なんですの、今のは……」
一瞬の出来事過ぎて、何も覚えていないような感覚だ。ただ、美味しかったことだけは覚えている。
思い出すためにもう一口。
「んっ……あ」
またもや、衝撃的な味の流れ。ジェットコースターのように変わる味が、コートナの舌を楽しませた。
「あんた、すごいな!色人なのに、クビナシのレバーが食べれるなんて!」
コートナがクビナシのフォアグラを堪能していると、脇から森の民が一人話しかけてきた。顔を向ければ、それは一緒に狩りに行った森の民の一人であった。
「俺はデカリゥマ。あんたの剣捌きに惚れた一人だ」
「はぁ……それはどうも」
コートナの冷めた反応も気にせず、へへ、と鼻を擦って笑うデカリゥマ。なにせコートナは、今念願のクビナシのフルコースを堪能するのに忙しいのだ。
「どうだい。俺と一緒にならねぇか?毎日美味い獲物を取ってくるぜ?」
「――は?」
そこへ、まさかいきなりプロポーズされるとは思わず、コートナはポカンと口を開く。少々デカリゥマの頬が赤いのは、酔っていのではなく照れているのか。どうも酔った勢いではないらしいことを見て取って、コートナは申し訳なさそうに答えようとする。
が、その言葉は彼には届かなかった。恰幅のいい森の民の女性に吹き飛ばされたのだ。
想定外の展開に目を丸くしていると、その女性が憤慨して口を開いた。
「なぁに言ってんだい!あんたよりこの人の方が強いんじゃないの!
ねぇお嬢ちゃん、食べるの好きみたいだし、うちの息子はどうだい?そんなのより賢いし、料理も上手いんだよ!」
「おいおい、聞き捨てならねぇな!俺の息子の方が賢いぞ!」
「いやいや、今の時期強い弱いで比べる方がおかしいぞ。俺は、異種族でも優しく扱うぞ!どうだ!?」
なし崩し的に、コートナへのプロポーズ合戦が始まってしまう。主役にも関わらず蚊帳の外へ追いやられたコートナは、彼女をさておいてやいのやいの騒がしい面々を見て、どうしたものかと顎に指をあてて首をひねる。
「お嬢様。背中の肉のローストでございます」
「あら、ありがとう」
そうしているうちに傍にゲッティーモが新しい皿を持ってきた。とりあえず食べようか、と持ってきた肉を一口。
少し硬めの表面をした肉は、ジャーキーのように噛みしめる必要はあった。しかし、噛むごとにぶちぶちと繊維を引き裂く音が、心地よい。また、唾液に交じって口の中に広がる味は、強めの塩気で喉の渇きが加速する。その欲求の赴くままに森の民の酒を流し込むと、芳醇な果実の甘い香りの中に、一切れの濃い獣の香り。
一瞬の快感に酔いしれるが、想像以上にスッ、と消える後味に名残惜しさを感じる。
それにしても、合間に飲むこの果実酒が美味しい。これは、森の民が祝いの席で飲む特別な果実酒と言うことを聞いている。ロゼワインのような見た目をしているが、かつて見た真っ黄色の南国の果実のような、強烈な酸味と仄かな甘みが意外に飲みやすい。しかもクビナシのクセの強い肉の甘みと相性がいいのか、ついつい盃が進んでしまう。
ついでに、ゲッティーモが持ってきた背中肉にもフォアグラのパテをつけてみる。塩気がフォアグラの甘みで抑えられたものの、唾液に交じった肉汁の中の、獣の風味が増した。これは、レバー好きにはたまらないだろう。
かく言うコートナも大好きだ。
それに加えて濃厚な肉の風味が、ただレバーを食している感覚に留まらない。口の中に残っているのがわずかな繊維だったとしても、余すところなく噛みしめて、その味を一滴も無駄にしたくない欲求がこみ上げる。
「あらまぁ、騒がしいことで。なんか懐かしいね」
そこにやって来たのは、新しい皿を持ってきたニマニューだった。
「学園の二学期でよく見た光景だねぇ。まぁ、あんたにはこっちの方が優先だろう」
そう言って、コートナの目の前に置いた皿には、ココットが乗っていた。その中には、ぐつぐつと泡を発てるチーズ。その乳臭い香りの中に、香ばしい血の匂いがした。
常軌を逸したその風体に、デッティーモが恐る恐る口を挟む。
「こ、これは?」
「グラタン風に仕上げたクビナシの心臓さ。こいつには魔法の食器は必要ないよ」
ごくり、とつばを飲み込んで食器を手に取る。ナイフを入れてみれば、フォアグラの時と違って確かな弾力を感じた。確かにこれなら霞の様にフォークが潜り抜けることもあるまい。
手早く一口大に切り分ける。フォークで持ち上げたそれは、表面の油が光を反射して、まるで虹色に輝いているようだった。
「お、お嬢様。なんか、毒々しくないですか」
傍でコートナの様子を見ていたゲッティーモが、若干引き気味にそう言った。クビナシのハツは、なんとクビナシの体毛と同じエメラルドの色をしていたのだ。それは、チーズの黄色と相まって、より毒々しさを醸し出していた。
しかし、コートナにはそのような見た目は気にしていない。むしろ、その心臓の色は生きているときのクビナシを連想して、否応なくアピールしてくる素材の新鮮さに、コートナの食欲が増す結果となった。
「いただきます」
はむり、とためらうことなくハツを口内に収める。アッ、と声を漏らすゲッティーモなど気にしていない。
口の中に入れただけでも感じる、濃厚な獣の血。むせかえるようなその臭みの中に、ハッキリとした甘みがある。ともすれば吐き出しかねない血の"臭い"も、周りに絡まる濃厚なチーズが"匂い"へと昇華させていた。
気になるのは、触感だ。火を通したハツは、筋肉の塊であることも相まって弾力のある肉の様相を呈すはずだ。しかし、このくにゅくにゅとした触感は。
「これは……なんという……なんという濃厚さ。――グラタンではなくグラタン風……まさか、ニマニュー様、これは」
は、と気づいたコートナは、ニマニューの方を向く。ニマニューは、にんまりを笑顔を作っていた。
「ふ、ふふ……学園では気づきませんでしたが、とんだ悪戯好きだったのですね。
このような物を出してこられるとは思いませんでしたわ」
悪態こそついているようだが、コートナの顔は笑顔だ。そのちぐはぐさに、ゲッティーモは訳も分からず首をひねる。
「はっは。そりゃあ、教師として猫かぶっていたからね」
「この"心臓の刺身"は、普通の食べ方ですの?」
コートナの言葉に驚くゲッティーモ。彼は、魔物の心臓の刺身など聞いたことがなかった。
これには理由がある。魔物の心臓は、ただ体に血を送るだけの器官ではないないのだ。血を通して、魔力を全身に送る器官。それが魔物の心臓なのだ。
当然、魔物の魔力に"汚染"されている。人間にとって、魔物の魔力はすなわち毒に等しいのである。であれば、魔物の心臓を生で食べるなどありえないのだ。
もちろん、解毒さえすればいいのだが、解毒の魔法は熱を伴う。魔物の魔力は魔法に強く反応を示すので、出来上がった料理に解毒の魔法をかけるのとはわけが違うのである。結果、どうやっても瞬間的に火が通ってしまうのは、料理をしないゲッティーモであってもコートナと旅をして嫌と言うほど理解していた。
「とんでもない。外道も外道。邪道の食い方だね」
「普通なら、こんなものを出した時点で殺されてもしょうがないことですのよ?」
当然だ。毒殺するための料理と言っても過言ではない。顔を真っ青にするゲッティーモであったが、その様子を見てため息をついて呆れた表情を見せるのは、誰であろうコートナ=ボーショックである。
「ほら、先生。私の執事が今にも倒れそうですわ。解毒をした上で生で出せたカラクリを教えてくださいな」
「……えっ?」
解毒されている?しかし、コートナは先ほど心臓を刺身で出されたと言い、調理したニマニューも否定しなかった。
「しっかりなさいなゲッティーモ。私をご覧なさい。どこからも出血しておりませんでしょう?」
魔物の魔力を取り込んだ者は、須らく全身の血管という血管がはじけ、血まみれのまま苦痛に倒れ、息を引き取る。しかし、確かにコートナは平然としている。それはつまり、生の魔物の心臓から魔物の魔力が抜けているということだ。
「クビナシの魔力は、森の民の森の恵みによるものだ。つまり、私くらいの魔力操作技術があれば、クビナシの魔力だったら誘導することもできるのさ。
私としては、ハツ刺しが一番美味い食い方だと思ってるんだが、誰も賛同してくれなくてね。酒との相性もいい。一番合うのは熱を通したチーズだ。遺書に食うなら最初から一緒にしてもいいと思ったんだがね。なにせ、こいつに本当に熱を通そうと思うなら、火山岩に当てるくらいの熱量が必要だから、こんな形にしても刺身で楽しめるってわけさ。
それにしても。コートナ嬢ならあるいは、と思って出してみたんだが――やっぱり気に入ってくれて、うれしいよ」
「いやいやいやいや、普通にダメでしょう!?」
目論見通り、と満足するニマニューに、半ば怒りも込めてゲッティーモが口を挟む。自分の主のゲテモノ食いにも大食いにも若干引いてはいるものの、執事騎士たる自覚があるので、主への危害や不快には人一倍拒否感を持つのである。
それはさておき、コートナの手は止まらない。
軟骨とゼリーの愛の子のような触感だ。心臓ならではのコリコリした触感、しかしいざ歯が入ると、まるでゼリーのような、つるんとした触感が口の中を踊る快感が楽しませてくれる。
濃い血の味も、チーズの甘みが香ばしさと苦みを、後を引く旨味に変える。ゲッティーモがニマニューに詰め寄り、声を荒げていた10分の間に、ぺろりと平らげてしまった。
「お嬢様も、何か……え?」
ゲッティーモがそれに気づいたのは、暖簾に腕押しで話を聞かないニマニューの様子に腹を立て、コートナからも意見を聞こうと振り返ったところだった。
「堪能させていただきました。ごちそうさまでした、ニマニュー様」
「お粗末様でした」
他にも周りに積みあがっていたステーキも、骨付き肉も、先ほど持ってきた熱々のココットですらきれいに食べ終えて、ナプキンで口を吹くコートナの姿があったのである。
主人が満足を口にしてしまったら、もはや従僕に口を出す権利はなかった。ゲッティーモは、しぶしぶニマニューの元からコートナの傍に移動することにした。
コートナは、果実酒で口を潤しながらニマニューと歓談を始めた。
「明日の朝にはここを発ちますわ。依頼も私の目的も達成しましたし」
「ああ、それがいい。長居しても周りがうるさいだけだろうしね」
ニマニューが指す方向を見れば、未だにコートナの婿を争って森の民たちが言葉で、拳で争っていた。その様子を見て、コートナは困ったように眉尻を下げた。その様子を見て、ニマニューが頬杖をついて思い出すように語った。
「ああいうの見てると、あんたも、あんたの周りも何も変わらないんだなって思うよ。森の民も色人も、何も変わらない。
違うのは、寿命と場所だけなんだってね」
「そうですわね。私はまだ、一角に落ち着く気はないのですけど」
「あんたがそうでも、他の人はほっとかないってことだよ。あんたが学園で、婚約者とひと悶着あった時も」
「ああ……」
それは、コートナにとって忘れたい過去――というわけでもない。単に、興味がなくて今の今まで忘れていただけの出来事だ。
約一年前、ニマニューがまだ学園に居た頃。
そして、コートナが新入生として学園に入って半年過ぎた頃の出来事であった。
毎度、ご拝読・評価ありがとうございます。
実は、ココットが料理名ではなくて皿の名前だと知って驚いたのはごく最近だったりします。ココット更に乗ってればココット料理なのだと。