3. カウボーアのローストビーフ
次の日の昼食。テーブルには、昨日の夕食と同じ面々に加え、料理長もシェフの要望で末席についていた。
世界的な料理人であるシェフが腕を振るう、というこの事態。本来であれば、テンションも高く口を開きっぱなしのドコマ公爵も、沈痛な面持ちで席についていた。
その原因が自分にあると思っているコートナは、項垂れたまま表情をこわばらせていた。
ばれないと思っていた。隠し通せると思っていた。よりにもよって、一家団欒のタイミングで言わなくても。
コートナは、もはやシェフに憎しみすら抱いていた。
「お待たせしました」
シェフが、銀のクロッシュを手にやってきた。
にこやかな表情でやってきた彼に対して、テーブルに付いた一同は、コートナの放つ並々ならぬ雰囲気に、自然と自らの身体にも緊張しきりであった。
「は、はは。有名なシェフ殿の料理となると、き、緊張しますなぁ!」
場の空気に耐え難かったのか、ドコマ公爵が軽く愚痴を叩く。それは、どこからどう見ても空元気である。
しかし、シェフはそんな彼ににっこりと笑いかけると、クロッシュの中身を持ち上げた。その中身を見て、全員の首が傾げられる。
テーブルの上で開かれたクロッシュの中には、ステーキのような焼いた肉が鎮座していた。
「こちらで切り分けますので、足りなければ御要望下さい」
そう言って切り開いた断面を見て、料理長がぎょっ、と目を見開いた。
「な、生じゃないか!?」
昨日の料理長のステーキは、切れば熱で溶けた脂が肉汁となって流れていた。
しかし、今目の前にあるステーキは、切っても何も零れない。その身は柔らかく深紅に輝き、サシとして白い筋が走っている。料理長はその光景を見て、シェフの持ってきたステーキが生肉、あるいは生焼け肉だと判断したのだ。
その言葉を聞いて、ドコマ公爵が慌てる。
「し、シェフ殿!?それは余りに危険では!?」
カウボーアの肉は、生で食べてはいけない。
それは、世界共通の認識である。というのも、カウボーアには寄生虫が存在し、それらは赤身肉の部分に潜んでいるのである。極端に熱に弱い体質のため、国によってはレアステーキですら禁止されている区域もある。
シェフは、泡を食っておびえるドコマ公爵に、にっこりと笑いかけた。
「いえ、熱は通っております。この通り」
執事すら毒見をためらっているような、怯える家族の姿を見て取ったシェフは、その一切れを己の口に放り込んだ。「あっ」という驚きの声を無視して、二、三回の咀嚼で嚥下してしまう
「この通り。安全です」
タブーの塊のような見た目では、本当に安全かは判断できなかった。しかし、食べた前例が目の前にいるなら別だ。よもや、その身もろとも公爵家を破滅しに来たわけではあるまい。
そう判断すると、途端に目の前の料理が気になる。まるで生肉のように見えるそれは、料理長の目からしても奇妙かつ好奇心をそそられる物体だ。
優雅にスイスイ切り分けると、シェフは薬味を添えて全員に配膳した。
「ローストビーフ、と言います。
非常に気長かつ気を遣う調理法ですが、生ではありません。調理法については、後で料理長殿にはお伝えしますが、素人知識で作られたものではないことを宣誓いたします。
まずは、どうぞ」
いざ、目の前に出されれば、やはり禁忌の食べ物にも見える生のカウボーア。
本来は最初に口をつけられる当主のドコマ公爵が、緊張の面持ちで一向に睨んだまま動かない。気になる料理に手が伸びない家族の姿に業を煮やしたのか、はたまた別の理由か。
最初に口に入れたのは、コートナであった。
料理に気圧されフォークも手に取らない父親に対して、コートナは器用にフォークだけで一切れを巻いて口に放り込む。
「ああっ、コートナ!」
驚きに目が飛び出そうなほどのドコマ公爵に、悲痛な声を漏らすエラ夫人。
しかし。
意を決してか、思い切りの一噛みをして、コートナは大きく目を見開いた。
「……おいしい!」
コートナの、おそらく初めて聞いた感嘆の声に、再び目を見開くボーショック公爵家の面々。そんな彼らの様子をさておき、コートナは初めて食べた目の前の料理に目を輝かせていた。
料理の中身を見通すように、皿の上を凝視する。その口は、咀嚼して味の一片も逃さぬように、顎がもにゅもにゅと器用に動く。その口からは、はしたなくないようにボソボソと、しかしはっきりと感想が零れ落ちていた。
「生じゃない、生じゃないのに生肉のような不思議な風味……柔らかいのに、粘りがあって、なんて噛み応えなの!?
それに、焼いてあるだけじゃない。表面だけじゃなくて、肉自体に風味、味……?これは、ハーブで臭みだけを消してるのね。いえ、消しているわけじゃない。ニオイが消されないどころか、邪魔になっていないだけだわ。むしろ、より香りとして際立っている感じだわ。
それに……この薬味!」
一切れ目を嚥下してしまえば、次の一口は何とも軽い。今度は添えられた薬味を巻いて口に放り込む。
まずは、緑。筒状をしており、一見マカロニのようにも見える。肉ごと噛みしめると、ぐにゃり、と柔らかかった歯ごたえに新しい快感が追加される。
「ああ、この柔らかな肉質と違うシャキシャキ感!これは生の葉なのね」
さらに乗せられた薬味を次々と試しては、その度に笑みを浮かべ、感想を述べる。白いアーチ状の薬味は仄かにピリリと辛く、冷たい肉汁に慣れて鈍くなってきた舌を刺激し、リフレッシュしてくれた。紫の細い棒状の野菜は甘い。パリパリとした触感は緑の薬味と違って、口の中に残るものは何もないが、その音は小気味良く気持ちよい。
その感嘆に唾を飲み込んで、他の面々も意気揚々とコートナを真似る。
「むぉっ!?」
「まぁ!」
「うわ、おいしい!」
「むぅ、これは……!」
肉の一切れは薄く、飲み込むのも容易い。咀嚼してはその味に舌鼓を打ち、しかし、すぐに嚥下してしまっては残念そうに眉を下げ。そして次の一切れへと手を伸ばす。
気が付けば、シェフの用意した肉の塊は、跡形もなく消え去ってしまっていた。
ドコマ公爵は、ふぅ、と一息ついてシェフにきらきらとした視線を向けた。
「いやぁ、堪能しました!流石は名だたる料理人ですな!」
そう言って、料理長の方に視線を向ければ、まるで夢から覚めたかのようにハッ、としては照れくさそうに頭を掻いた。
「はは、完敗です。これは確かに王宮向けの料理だ。
まさか、火を通してなお、冷めても美味い調理法があるとは」
「でも、王宮で出すには難しいじゃないかしら。下手な調理法をすれば危険だわ」
料理長の感想に横やりを入れたのはコートナだ。
確かに、まるで生のように見えたその断面を、生と熱が通ったものと見分けるには熟練の経験が必要になるだろう。それを、調理者全員にいきわたらせるには時間がかかるし、そもそも万が一もある。万が一がある危険な料理を、王家に口にさせるわけには行かない。
しかし、シェフの顔は自信に満ち溢れていた。その顔を見て、コートナは一つの確信が浮かぶ。
「あるのね。どうにかする方法が」
「ええ、コートナ嬢。それが、あの薬味です」
シェフが取り出したのは、二つ。一つは、ローストビーフの下に敷き詰められていた薬味の葉。濃い緑色は瑞々しくもあり、毒々しい。筒状になっており、その直径は細く、コートナの小指ほどもない。
そして、もう一つは球状の何か。コートナは、それがもう一つの白い薬味のタネであることは知っていた。用意されたものは、あの球状の野菜の皮をはぎ、薄くスライスしたものだ。
「緑色のこちらは『ケンバー』といいます。殺菌の効能が高い野菜です。こちらの球は『カワハギナキダマ』。虫下しの効能があります。どちらも、カウボーアの寄生虫を殺す際に飲む虫下しにも使われている成分です。
もちろん、食べるための薬味として選んだものですが、これらには万が一を避けるための保険としても用意しております」
「あの紫の薬味は何かしら。あれは見たことないのだけど」
疑問を呈したコートナに回答したのは、シェフではなく料理長だった。
「お嬢様。あれはお嬢様見たことがあるものですぞ。というか、目の前にあります。
あれは、あのカワハギナキダマの皮です」
「えぇ!?でも、カワハギナキダマの皮は茶色の筈よ?」
料理長の言葉に驚くコートナ。コートナの知識では、カワハギナキダマに限らず、ナキダマ種は茶色の皮に白い身と言うのが常識のはずだ。
驚くコートナに、シェフが笑みを浮かべながらもう一つナキダマを取り出す。その姿は。
「紫のカワハギナキダマ!?」
「『ドクヨミナキダマ』と言います。同じナキダマの種類ですが、こちらは甘みが強い。火山の近くで取れるものでして、この見た目から中々使われることは少ないですね。
これはカワハギナキダマ特有の虫下しの効能が本来のものより薄いですが、消化を助ける効果が追加であります。加えて今回の料理では、ケンバーとカワハギナキダマの強めの成分から体を守るために用意しました」
コートナは、その言葉に驚いた。この料理の全てがシェフの思慮の元で構成されているという事実に。
「すごいわ……!貴方こそ、料理人になるために生まれたような逸材ですわ!」
忌憚のない感嘆の称賛に、シェフは恭しく頭を下げた。
「恐悦至極です。
……ところでコートナ嬢」
シェフが頭を上げて、もったいぶって口を開く。その様子に、首をかしげるコートナ。
「私の料理は、楽しかったでしょうか?」
その言葉に、ハッ、とするコートナ。
コートナにとって、食事は栄養補給でしかなかった。薬味も、出された料理で不足した栄養素の追加か、舌が慣れきった味を変えるためだけに用意された、本来料理には無駄なものだ、という認識だった。
それがどうだ。シェフの料理は味、触感、そして効能と全てが複雑に絡み合って作られている。更には、見たこともない調理、見たこともない野菜で見目も麗しい。
そう。楽しかったのだ。食事でこんなに饒舌になったこともいつ以来か。
ドコマ公爵も、エラ夫人も同じ感想だ。
いつしか、コートナは食事の際に口数が少なくなっていった。二人はそれを、淑女教育の賜物だと思い込んでいた。しかし、昨日のシェフの言葉を思い出せば、それが早とちりであったことを悟る。
彼女は、食を至高とするボーショックの家に生まれながら、食事を苦痛に感じてしまっていたのだと。
「貴方は、昨日メインディッシュのステーキのみを食べて、つまらなそうにしていた。その脇にある薬味に手を伸ばさなかった。
最初は、単に野菜嫌いかと思ったが、オードブルのサラダは完食していた。そこに、疑問が湧いたのです。
何故、そんな顔で食事をしているのか、と」
家族仲が悪いわけでもない。味が悪いわけでもない。そして、シェフにはそんな表情をする他の要因に、思い当たる節があったのだ。
「思うに、飽きてしまったのだろう、と当たりをつけました。
知識を蓄え、予測ができるようになって、貴方の想定の範囲内に収まることしか周りにないと思ってしまったのだと思います。
コートナ嬢に必要だったのは、比較です。挑戦が必要のない一流のものと、挑戦が必要な予想外のもの。良いも悪いも、判断するための基準というものは、ただ高いものだけでは駄目なのです。下も、斜め上も必要です。挑戦がなければ達成感もなく、楽しみもない。
だから一般的に危険だと思われるような見た目を装って、挑戦してほしかった。
私は貴方に思い出してほしかったのです。食事とは、楽しいものだと」
コートナは、賢しい子供であった。しかし、悲しいことに彼女の周りでは、彼女を想像を超える人材がいなかったのだ。ドコマ公爵が、金に飽かせて一流のみを揃えたことによる弊害だった。
「私……楽しかった!本当に、今日の食事が楽しかった!」
コートナの言葉に、ドコマ公爵ら両親の目が潤む。最近のコートナに時折見られた、暗い影が払拭されたのが判ったのである。
「シェフ様。どうか、我が家に滞在していただけないでしょうか」
コートナの変化に、エラ夫人はシェフにそう提案した。しかし、シェフは残念そうに首を横に振る。
「申し訳ありませんが、それは私の一存では。それに、私は貴族の血を引いておりませんし、公爵家に滞在するには荷が勝ちすぎる」
たとえ高位の探索者と言えど、所詮は民草の一人であり、青い血の流れる一族足りえない。貴族の中には、どうしても差別的な人間が存在するのだ。いくら食に関して寛容な公爵家からの申し出と言えども、たとえシェフが気にしなくても、他の貴族からの誹りがないわけはあるまい。雇い主の顔に泥を塗る可能性があるのであれば、その申し出は受け入れられなかった。
とはいえ、シェフ自身としてはコートナの存在は気にかかった。と、いうのも最近、シェフもまた、その腕を振るうのに飽きが来ていたのだ。
相手は高位の貴族や王族、金持ちの商人ばかりになってきた。称賛を受ければ勿論うれしいが、褒め方が一辺倒なのだ。そして、彼らは既にシェフの料理を旨いとかかっている。
シェフも腕を振るう度に、相手に合わせた制限や禁止事項をクリアするべく知恵を絞ってはいるものの、本当に相手を考えて料理をしてきたか、怪しいと考えてきた。
傲慢になっていないか?美味くて当然だと思われているからと言って、手を抜いていないか?
疑心暗鬼になってしまえば、不安は徐々にしこりとなって、胸の内に重さを主張しだしていた。
そんな中、ふと立ち寄ったこの地でコートナに振る舞った料理は、正しくシェフの初心に帰るものだったのだ。
楽しい食卓を作りたい。だから。
「ですが、この地に留まることは誰にも異を唱えられないでしょう」
シェフは、先ほどの答えにしょんぼりとしたコートナを見て、にっこりと笑みを浮かべた。
「この地で、店を構えたいと考えております。そろそろ、私も腰を落ち着けたいと考えていたところです。
この名だたるボーショックの血であれば、世界中の食材がそろうことでしょう。もし宜しければ、時折足を運んでいただければ」
その言葉に、きょとんとするコートナ。だんだんと言っていることの意味が頭に染み渡ってくると同時に、その顔にパァ、と笑顔が咲いた。
その様子についていけなかったのが一人。次男のイツマである。「どういうこと?」と困惑の表情を長男の『アークマ=ボーショック』に向けると、アークマは弟の察しが悪いことに気付いて、こう言った。
「つまり、シェフ殿のお店に行けばいつでもこんなおいしい料理が食べれるようになった、ということさ。
近くにシェフ殿のお店が建つからね」
その言葉に、コートナと同じような笑顔をしたイツマは、その表情をドコマ公爵に向けて、こう言った。
「行く!絶対行く!
お父様!毎日行きましょう!」
「坊ちゃん、それは困る。俺の仕事が無くなっちまう」
料理長が困ったような笑顔でそう言うと、その場が笑いに包まれた。
それから、ボーショック家の料理人の研修先として、ボーショック公爵領の名物として。シェフ=グラツェ――料理長の下に養子に入ったことでグラツェの苗字を持った――の店が経ったのは、それからわずか半月後のことであった。
コートナは、シェフと出会ってから様々な料理を試すようになった。一流と呼ばれるものから、庶民ですら触れないようなものまで。
もっとも、シェフの誤算もあった。コートナの変化のきっかけになった料理がローストビーフであったおかげで、彼女の興味が"肉"一辺倒になってしまったことだった。
毎度、ご拝読ありがとうございます。
要は、ナキダマは玉ネギ、ケンバーは小ネギです。