1. スライムドラゴンのステーキ
外出自重中の皆様の、暇な時の手慰みになれば幸いです。
……公爵令嬢物を書こうとして、どうしてこうなったんだ……。
暗い室内は、蝋燭の明かりでうっすらと明るい。静謐の空間で、ドレスを着た女性が一人、木のテーブルに座っている。彼女の傍に控えるのは、鎧のパーツを伴う執事服を着た男性が一人、清潔そうな白い服の男性が一人。
しかして、この空間は決して静かではなかった。
目の前には、むわりと熱気を放つ鉄板。その上には、じゅうじゅう、と音を立てて湯気を出す肉があった。その肉は、彼女が今まで見たことのない姿をしていた。
青い。
まるで幼児が書きなぐった青空のような青さに、玉虫色の脂の筋が幾層にも輝いている。その表面は、岩の表面のような焼き目をしているのに、その岩の隙間から滝のように肉汁が、零れ落ちては鉄板に当たる。そして、煌めく湯気を生み出しているのだ。
色に目をつぶれば、その姿は重厚なステーキだった。
しかし、獣肉じみた見た目とは一転して、香りは爽やかだ。ハーブや香り付けのソースは見当たらないのに、鼻孔に飛び込む湯気はミントのような酸味を伴う爽やかな香り。
「本当に食べるんですか、これ……」
不躾な従者が、若干引いたような口ぶりで確認してくる。しかし彼女の視線は、もはやその肉に釘付けである。従者に堪えることなく、ナイフとフォークを手に取った。
「それでは、いただきます……」
これは。彼女は、肉を固定する為にフォークを刺したが、まず、その手ごたえに目を見開く。表面は固そうに見えるものの、皮の付いた葡萄に針を刺したような手ごたえ。一瞬の抵抗の後、ぷつり、とフォークの先が肉を貫く。
続けてナイフを入刀する。思った通り、すっ、と刃が肉を切断し、簡単に一口大に切り取られた。期待を込めて、肉をフォークで持ち上げる。
――ぼたり、じゅぅじゅう。
「うっ、これは」
そこで、彼女の手が止まる。肉を持ち上げると、その身から滝のような水分が滴り落ちているのだ。見目麗しいその姿も、いざ食べるとなると邪魔でしかない。
従者がため息をついた。これで、彼女のわがままも終わりだ。彼の知るマナーには、肉を口元に持っていくことこそあれど肉に口を持っていく礼などない。
しかし、次の瞬間。従者は目を見張る。
彼女は、片手のナイフを置くと、スープ用のスプーンを手に取ったのだ。従者は、彼女の意図を理解した。
これを、ステーキだと思うからいけなかったのだ。これは、スープだ。
従者は聞いたことがあった。遥か東方には、食べるスープ、というものがある。固形の形をしているので持ち上げることができるものの、器のない液体はこぼれるだけだ。そんな謎の食べ方は、何のことはない。普通のスープのように、その固形をスプーンですくって食べるのだという。
瞬時にその逸話を思い出したのか、はたまた彼女の食欲のなせる業か。従者の主は、即座に令嬢としての正答を導き出したのだ。
彼女は、肉の下にスプーンを添え、その肉汁を零すことなく一口大の塊を口元へと運んだ。
「ん……ほふ、ほふっ」
公爵令嬢らしからぬ声が出てしまって、思わず恥ずかしくなったのか頬を紅く染める。
それはともかく、口の中のアツアツを一つ噛みしめると、グミのようにくんにゃり、とした歯ごたえ。しかし決して柔らかくはなく、力を加えても容易く噛み切れない。フォークの感触、ナイフの手ごたえから、ゼリーのような触感を期待していたが、それは良い意味で裏切られたのだ。
口の中に溢れる熱い肉汁に、思わず口を小さく開け、熱気を外に出そうとしてしまった。その瞬間、口の中から、鼻から爽やかな香りとともにしっかりとした獣の風味が、肉の味となって口の中に広がる。味は牛肉に近い、赤身の味だ。
熱を逃がすように、肉汁がこぼれないように。ゆっくりと咀嚼し、飲み込む。不思議なことに、熱も残らず口の中がスッキリする。ほのかに残る後味を堪能し、ほぅ、とため息をついた。
「美味しい……素晴らしい出来です。シェフ」
「もったいないお言葉」
従者ともう一人、彼女の傍に控えていた白衣の男が、頭を下げて答えた。彼は、このステーキを焼いたシェフであった。そして、彼女の得難い友人の一人。
傍に控える従者と共に、彼女の夢を叶えるべく長年付き添っていた側近の一人であった。
その名は『シェフ=グラツェ』。王国随一の貴族であるボーショック公爵家の一人娘である『コートナ・クゥ=ボーショック』から、一流の料理人になるべくして生まれたと豪語される専属料理人である。
彼は、できる男である。傍に控えている従者を肘でつつき、部屋からの退室を促す。従者としては承諾しがたい行為ではあるが、しかして目の前の令嬢はそれを求めているのも事実。
「お嬢様。この後は旦那様とのお食事が控えております。ご自愛くださいませ」
ダメ元である、と言わんばかりにため息交じりでそう言えば、コートナ嬢は片眉を上げて抗議の意を示す。
その様子に、やはりダメだ、と従者は肩を落とし、シェフに引きずられるようにして部屋を追い出された。
しばし、待つ。気配が無くなったところで、コートナ嬢は目を見開いた。その口は、先ほどまでの上品な姿からは想像できないほどだらしなく三日月状に開き、口の端からは涎が溢れそうだ。零れていないのは、令嬢たる最後の砦か。
しかし、先ほどの味。もはや我慢ができなかった。
「戴きますわ!」
腕まくりまでして、コートナ嬢はそのステーキ、そのサイズたるや軽く5ポンドサイズに挑む。
サイズはもちろん、その色も匂いからも分かることだが、このステーキは牛肉を加工したようなものではない。彼女が探した希少生物『スライムドラゴン』の肉を使ったステーキである。
スライムドラゴンとは、竜種の名を冠しておきながら竜種ではない。竜の死骸を取り込んで成長したスライムである。詳しく話すには、スライム、そしてドラゴンについて話さねばなるまい。
スライムとは、コアと呼ばれる鉱石機関を中心に、粘液で体を構成した魔法生物――通称、魔物と呼ばれる種族である。その特徴は、他の魔物と比べても随一の雑食性にある。あらゆるものを取り込み、消化し、拡大する。
発生原因は様々で、極端な話、石ころ一つでもあれば、魔力が飽和することですぐに生まれる。更に、そのサイズによって危険性が大きく変わる、ある意味最も世界的にメジャーな魔物である。
一方、竜種――ドラゴンは逆の意味でメジャーな魔物である。特筆すべきはその強大さもあるが、何より希少であることが挙げられる。ドラゴンはドラゴンとして世の中に生まれることはほとんどない。そのほとんどは、遥か下位の爬虫類種――リザード系として生まれるのである。
それらが年月をかけ強大になっていくと、ある一定の力を得たタイミングで大きく変化する。新化と呼ばれるその現象を以って、ドラゴンは生まれるのだ。新化の前後で、その能力は大きく変わる。膂力も、知能も、内包する魔力ですら一変する。一説でなくても災害と揶揄されるほどである。
さて、スライムドラゴンとは如何なるものか。
強大なドラゴンとはいえど、自然の摂理には逆らえない。いずれは寿命で死ぬか、討伐されて死ぬか、より強大な魔物の手にかかって死ぬ。その死骸は、末路で大きく変わる。
討伐されれば、その死骸はすべてが人の手に渡る。豊富な魔力を含んだ死骸は、時として新たな災害の火種となり、時として一つの国を大国まで押し上げる。
別の魔物の手にかかれば、ドラゴンを喰らった魔物がさらに強大になる。ともすれば、それをドラゴンの代替わりとして論文も発表された。
では、自然死は?もし、ドラゴンが番であれば、その死体は供養されることだろう。しかし、一匹であればその死骸は人知れず野ざらしとなる。骨は化石となり、その化石に含まれる魔力は、周囲の水分を肉として核を作る。
そう、スライムドラゴンとはまぎれもなくドラゴンの一種であり、竜種ではなく、その骨を核とした珍しいスライムなのである。その発生プロセスは既に解明されており、人工的にスライムドラゴンを作った国もある。何をしようとしたのかは不明だが、その結末は推して知るべし、であった。
そして、その珍しさから希少生物として特定される一方、まぎれもなく天災の一つである。
スライムドラゴンを語るにあたって、魔物が何かということも語らねばなるまい。
神に等しき精霊種から生み出される魔力。生き物の身には消費しきれぬそれは、自然界でやがて物質化し、魔物が生まれる。魔物は、魔力を持たない者を取り込もうとする性質があり、元来、色人種は魔力を持たない。それゆえ、色人種は自然界の食物連鎖において下位に属すると言って過言ではない。
一方で、色人種は戦い以外の技術力に秀でていた。それ所以に、戦う力のない色人種のために魔物を駆除する必要が他の種族の共通認識となっている。
そんな天敵の最上位のようなものを、嬉々として貪り食う色人種が一人、コートナ=ボーショック。
人は彼女を『肉欲の令嬢』と呼ぶ。
コートナ=ボーショック。貴人の女性であるミドルネームに加え、聖職の資格を持つので、その正式名称は『アマス・コートナ・クゥ=ボーショック』と言う。
ボーショック公爵家の一人娘であり、当代のボーショック公爵である『ドコマ・ディ=ボーショック』の末子である。次男の『イツマ・ディ=ボーショック』とは、10歳ほどの年齢差があり、待望の女子だということから家族全員から非常に可愛がられている。
彼女は、現在18歳。来年には王立学園の卒業生となる。
本来であれば既に結婚しているか、さもなくば然るべき男性と婚約にあるはずの年齢ではあるが、生憎、そのような類の男性の影はおろか、噂すら立たない。それは、彼女の字に由来する。
『肉欲の令嬢』。
彼女は、家族の反対を押し切って探索者――世界をその腕一本で回る探検家の資格を取り、未知の世界を開拓しているのだ。学園に在籍しながらも。
それが可能となるのは、王立学園が単位制であったことに由来する。しかし、卒業生が最後に手に入れる自由な期間は、本来、卒業後に備えた婚活の期間だ。早2年前から卒業に足る単位を前もって取得したコートナ嬢は、一年を自己研鑽と探索者資格に費やした。
その奇行は、それまでの彼女にアプローチしていた男性陣の足を遠ざけるには、充分であったのだ。
初めましての方は初めまして。そうでない方々は、いつもありがとうございます。
本当は悪役令嬢とか乙女ゲーム的なプロットだったんですけど、いつの間にかファンタジーなご飯の描写したくなってこんな事になってしまいました。
まったり毎週水曜の更新予定です。
短い話の予定ですが、今後とも宜しくお願いいたします。