第一話 昆虫惑星(後編)
フェネクは一直線に現場へと向かっている。幸い人の気配はなさそうである。しかし、だからこそネクチサイドにとっては邪魔になるだけだろう。
「マエダか? 貴様、現場に?」
ミチの電話から少しばかり驚いたような男の声が聞こえる。
「そうです。越権かとは思いますが状況をお教え願えますか? 知人がおります」
「私事を出すなんて珍しいな。切迫しているのか?」
「いえ、『考えなし』の世話のためです」
「ツイてないな。まあいい、どうやら『外』の撃ち漏らしらしい」
「虫卵ですか? 『外』のネクチサイドが入り込んでいるのは事故ですか?」
「そう思うよな。ところがなんと標的は虫体だったらしい。観測によほどの間抜けがいたかな……とにかくレジデンスの損傷は大したことない。そこにいる虫を潰して一件落着だな。こっちでわかるのはそれぐらいだ」
「了解しました。ありがとうございます」
「また頼れよ。お前にモノを教えるのは気分がいいからな」
「趣味悪いですよ。では」
フェネクは建物に一直線に向かっている。小さなビルのような建物だ。
「冗談きついです!」
ミチは思わず叫んだ。ビルの外壁の奥に始祖虫が張り付いているのが見えたからだ。体長は3メートルはあろうかという成虫だった。
これを撃ち漏らしたこと。これを見落としたこと。焦ったからだろうが、事故に近い形で『外』から追ってきたこと。そして、それに近づこうとするフェネク。二次被害のリスクファクターで満ちている。
「……正気じゃない」
銃を構える『外』のネクチサイドを見てミチはこぼした。同時に防げない流れが起きていると思った。
危険が見えていながら避けられずに被害が出る。時にそういうこともある。状況に固められてしまうのだ。
「撃つな!」
フェネクがネクチサイドの足元を抜けながら叫ぶ。
「待て!」
ネクチサイドのスピーカーから声が聞こえた時には遅かった。フェネクは中に飛び込んでいってしまったのだ。
「危険です! 出てください!」
「危険なのはそちらです! 迎撃用ライフルを『内』で使うつもりですか!」
ミチが叫びながらネクチサイドに駆け寄る。
「第9の学生です! 白兵で十分制圧できるでしょう!」
「退避しろ! 実戦は違うんだ!」
「では教員として説明を求めます!」
「なに……!?」
「私はミチ・マエダ、学生ですがターミナスの教練を兼務しています!」
実際のところ時間稼ぎでしかない。何を名乗ろうと、現場の判断というものが優先されるからだ。もちろん、その後のことはその後のことであるのだが、この場合に重要なのは、今、撃たせないことなのだ。
ミチがビルの窓を見る。フェネクが部屋で何かをしているのが見え、また見えなくなった。用を済ませたのか気がすんだのか、出てくる可能性がある。
ビルに張り付いていた始祖虫は、動きを止めたまま触角を動かし、方向を細かに変えている。
――まずい……――
ビル内にいるフェネクに気づいている。
「マエダ! こっちに!」
ターミナスの隊員がミチに駆け寄り、手にした通信機を押し付けるように渡すとミチを誘導しはじめた。ミチを自分たちのネクチサイドに乗せようというらしい。
「オレだ。その機体、使っていいそうだ。必要な状況になってるんじゃないか? 細かいことはこっちで誤魔化す。貴様と入れ違いで封鎖もすんでいる、好きにやれ」
通信機から聞こえてきたのは、先ほどミチが電話していた男の声である。
「あの、どうしてわかったんです?」
計器を確認しながら質問する。
「そっちの状況なんてわかっちゃいないよ。ただ、貴様にとっては『外』の隊員なんてもんは『考えなし』と変わらんだろうからな、気をまわしてやったんだよ」
「……感謝します」
「貴様は『内』のホープだ。唾を付けておいて損はない。唾どころか、望むならいくらでも舐め回させて頂きますよ。どこか愛撫ほしいところがあったら言ってくれ」
「下品!」
ネクチサイドを起動する。どこかみっともなくも見える機体は、銃を地面に置き、マニピュレーターを確認するように動いた。
「対象はあの一体だけです!」
隊員がミチに叫ぶ。ごつい鋼の手を確認しながら、ミチはネクチサイドを歩かせる。
「……どんなもんだ?」
「『内』で、『外』用を使って、成虫と一対一なんですよ? 不利です。万全を期し、ここに来るまでに隔離して、ガスを噴霧した有利な環境で戦うべきでした。対象には全くダメージがなく、しかも空腹ときています。積極的な攻撃が予想されます」
「おお、不利だな。銃に頼りを置いた三流の尻拭い、頑張ってくれ」
ミチは近づきすぎず、離れすぎずの距離をとる。始祖虫はフェネクの姿を見せる寸前に行動を起こすはずである。今刺激して走り回らせるより、軌道を呼んだほうが良いと判断したのだ。
ミチは始祖虫の触角を読む。そこから何を感じているかを予想し、自分の動きの起こりを一歩先に置き、先制をとることができるのだ。それは、ミチが収める菩提活殺術と呼ばれる武術の応用であった。
だが、菩提活殺術が使えることがミチの強みなのではない。培われた素養を応用できることが強みなのだ。
ネクチサイドが倒れこむように動いた。バランスをわざと崩したのだ。動きを読ませずに速度を出す方法である。
始祖虫が動き出すと、ビルの入口からフェネクが出てくるのがミチの視界の隅で見えた。
自分の動きに確信を持ったミチは、ネクチサイドの動きを機械に委ねる。
鋼の拳が握りこまれ、攻撃に入る。速度が乗ったまま制御を返したことで、機体がバランスをとろうと強い制動をかける。それが強い反動をうみ、その力に乗せてマニピュレーターが繰り出された。
回転する拳は始祖虫にカウンターを浴びせる形で衝突し、壁面から始祖虫を引き剥がし、落下させた。
一撃だった。始祖虫はまだ生きてはいるものの、勝負はあったも同然である。手足をばたつかせて体勢を整えたが、あらぬ方向へのろのろと向かうばかりであった。
前面投影面積の大きい乗用人型ロボットであるネクチサイドが対始祖虫に選ばれた理由がこれである。巧みに扱えばどんな火器より重機より周囲の被害なく始祖虫を効果的に駆除できる。背が高いこと自体もこの場合は有効だ。そう、ネクチサイドは対人間文化用の兵器ではないのである。
「無事ですか?」
ミチは横目でフェネクを気にしているが、始祖虫にも気を払っている。ターミナス職員が遠巻きに始祖虫を追跡している。
「大丈夫だ! 奴を!」
フェネクの返事を聞き、ミチはネクチサイドを走らせる。
始祖虫は地下に通じる蓋に取り付き逃げようとしていた。しかし、それもそこまでで、もう逃げるだけの体力もないらしかった。
ネクチサイドの腕から針が飛び出る。巨大な注射針のようで、先端部は切断力も備えている。杭のような針である。
針が始祖虫の外骨格を貫く。針の周囲が膨張し、始祖虫の形が歪に変わると、始祖虫は沈黙した。針を通して圧縮された空気が撃ちだされたのだ。
「……済んだか」
通信機の向こうの男は、音だけで状況を把握したらしい。
「回収と、回収が来るまでの監視をお願いします」
それだけ伝え、ネクチサイドを降りた。
ターミナスの隊員は直立でミチを見送った。ほんの数分だったが、ミチの動きは実力を認めさせるに十分だったからだ。
「あ……」
フェネクを改めて見たミチは、フェネクの行動がようやく理解できた。フェネクは小さな女の子をその腕に抱えていたのだ。
「さすがだ、すげえよ」
「どうして気づいたんですか? いえ、いつ気づいたんですか?」
「あー、声が聞こえたんだ」
「その子の?」
「うん。怯えて、助けを呼ぶ声」
「それは……」
どう捉えればいいのかわからない発言である。冗談を言っているわけでもないらしい。
女の子はフェネクにしがみついて不安そうにしている。
「もう大丈夫。心配いらないよ。あんな悪いのはもうバラバラにしてフリカケにして食っちゃったからね」
フェネクが冗談めかして笑いかけると、女の子はフェネクの胸に顔を埋めた。
「仕方ありませんが、完全に遅刻です。そろそろ行きましょう。さあ、その子はターミナスに任せましょう」
「うーん……」
「ほら、早く」
「駄目、待つ」
女の子がフェネクの顔を見る。驚いた表情をしていた。
「何をです?」
「お父さんだ」
「その子の? わざわざそんなことする必要ないでしょう。時間が……」
「しーらない」
フェネクは女の子をあやすようにしながらターミナスの職員に近づき、何かを話すと、車の方へと向かっていった。
「なんだって言うんです……」
ミチは電話を取り出し、学校へ電話した。
* * *
ミチはフェネクに呆れていた。本当に女の子の保護者が現れるまで待っていたのだ。
ミチは多くの方面で融通がきく立場にあったが、それを行使することを嫌っていた。それを行うことになったのも腹立たしかった。
駅に向かう間、ミチはフェネクの話を聞くことにした。納得できる理由があることを期待したのだ。
「あそこはあの子のお父さんの事務所でな、あの子は届け物をしに来ていたらしいんだ。お父さんが用事で出かけていて、待っている間にああなった。戻ろうにもお父さんはターミナスに強制的に避難させられていたんだ」
「どうして待っていたんです?」
「あの子、震えていたからな」
「それだけですか?」
「それ以上に理由はいらない」
ミチは苛立った。フェネクの言うことは間違ってはいない。ただし、理想論だ。
「全員に対してああするつもりですか?」
「全員にだよ」
「それは適切な対応ですか?」
「知らないのか? ヒロユキ先生はそうしていたんだぞ」
「知らないのですか? 岩野田先生は誰よりも出動数が多いんですよ?」
「そう、両立するんだ」
「滅私奉公ですか? 感心しません。秩序が乱れるだけです」
「俺はな、組織じゃなく、人に対して滅私奉公するつもりなんだ」
ミチはフェネクを幼稚だと思った。立派な志ではあるが、それで組織の輪を乱すようなことがあっては意味がないのだ。
「おじさん!」
駅に入ったところで、後ろから声が響いた。
さきほどの女の子の声だった。
振り返ると、父親に抱きかかえられて一生懸命に手を振る女の子が見えた。急いで追いかけてきたらしく、父親は肩で息をしている。
「ありがとう!」
元気で可愛らしいその声に、フェネクはにんまりと笑って手を振り返した。
保護者が頭を下げ、フェネクとミチも頭を下げた。
「おじさんだって」
階段を下りたところでフェネクはミチにそう言った。だらしなく笑うフェネクをミチは好きになれそうにないと思った。
「仕方ありませんね、老けてますから」
ただ、ミチは、いやらしくも見えるフェネクの笑顔がどこか懐かしく思えた。フェネクの笑顔を小さい頃に何度も見たことがあったかもしれない。ミチはぼんやりとそう思った。
走りだした電車から、さっきよりもさらに数を増やしたターミナスの職員が見えた。状況から考えれば多すぎたが、『外』との折り合いがあるのだろう。
ミチはその中に自分を映す。学生でいるのもそう長くはない。遠くない未来にミチは間違いなくあの中にいるはずなのだ。
女の子のあの笑顔が自分に向けられたときのことをミチは思い描いた。