ハッピーエンドにはさせない。
久し振りの投稿です。
ちょっとした息抜きに思い付いたものを書きました。
アウラローラ・フィルリアナファス公爵令嬢には幼馴染であり、婚約者でもあるグレオイン王太子殿下との未来が約束されていた。
次期王妃としての教育から始まり、外交などの政務にも手を出すほど、アウラローラの未来は確立されていた。
しかし、それらのことは全て、過去形で語られる。
理由は明らか。ある一人の子爵令嬢が現れてから、アウラローラの地位は揺らぐようになったのだ。
まず一つに、グレオイン王太子殿下の寵愛がかの子爵令嬢へと移った、という噂がまことしやかに社交界で囁かられ始めたことだ。ただの噂、と一蹴できれば良かったのだが、あちらこちらで王太子殿下と子爵令嬢の密会が目撃されるようになり、あまつさえ、子爵令嬢が舞踏会などでアウラローラを軽視するようになったのだ。どう考えても身分が上のアウラローラを、だ。そこで僅かにも存在していたグレオインへの愛想はすっかり尽きた。
そして二つ目はグレオインの態度だ。そんなアウラローラの心情の変化を無視して、徐々に目立つようになるグレオインの王太子に相応しくない言動。若気の至り、と笑い飛ばせば良かったのか、生憎とアウラローラにそんな甘えはなかった。
初めからアウラローラとグレオインの間には愛はなかった。政略的な思惑しかない結婚、婚約だった。子爵令嬢が現れる前は互いに仲良くしていこう、と恋愛感情なくとも、互いに支え合おう、と言っていた。
にも拘らず、この仕打ち。
情状酌量の余地はない。
表向きは以前と変わらぬ態度で、しかし確実に距離を置いて、アウラローラはグレオインと関わるようになった。
そして、今、アウラローラの内心は相変わらず冷めていた。
周りの唖然とし、動揺にざわめく雰囲気の中、アウラローラだけが冷静であった。
眼前には絶望に顔を染めたピンク髪の可愛らしい子爵令嬢。物語の登場人物であったならば、彼女こそがヒロインであろう。
対して彼女の前に立ち塞がるアウラローラは悪役。
しかし、この場においての名前も知らぬ子爵令嬢とアウラローラの立場は全くの逆である。
アウラローラの腰を抱えるのは愛も冷めたグレオイン。
どういうわけか、グレオインが子爵令嬢を糾弾したのだ。
その糾弾内容は――――
「ハクラク子爵令嬢――いや、ハクラク子爵家はさぞかし、俺達、王族に処刑されたいようだな。横領、人身売買、敵国に対する我が国の情報流出……よくやってくれたものだな。ここまでいくと反逆罪だろう。……ああ、いや、お前に関しては既に不敬罪だったな」
グレオインから冷たい言葉を投げられた子爵令嬢とその家族は一気に顔色を悪くさせた。その反応だけで、グレオインの発言が正しいのだ、と余すことなく伝えていた。
とは言え、子爵令嬢だけはそれら罪のことを知らなかったらしく、家族とグレオインの変貌に狼狽えていた。
「ぐ……グレン様! 違うのです! これは……!!」
「…………何が違うんだ」
「告白します! 決して私達はそんなことをしていません! 濡れ衣です! ――――……もしかして……っ、アウラローラ様! 貴女なのですね?! 私達に罪をなすり付けたのは! なんて酷い!」
謝罪ではない、呆れた言葉にもはや、誰もが冷ややかな視線を子爵令嬢に送る。
当の本人はそのことに全く気付いていないのか、一人、悲劇のヒロインを演じる。
「うぅ……どうして…………私達が何をしたと言うの……私を虐めることは許せましたが……私の家族を苦しめるのだけは許しません! この、悪魔!!」
キッ、と涙目で睨み付ける。相変わらず、ちゃんと悲劇のヒロインらしく庇護欲をそそらせながら、目の憎しみを伝える。
ここが小説の物語であれば、彼女をこれ以上糾弾するのは躊躇われ、罪は全てアウラローラに被せられるか、有耶無耶になってしまうことだろう。
さすがに浮気心なグレオインもそこまでは堕ちていなかった。眉を顰め、ヒロインの誘惑を跳ね返した。
「何を言う。アウラはお前にも、お前達にも何もしていない。この俺が直々にお前を監視し、明らかとなったものを、お前如きが否定すると言うのか。何たる無礼か」
「っ……」
アウラローラから少し離れて、彼女へと一歩、近付いた。
それは決して、彼女を慰めようだとか、話を聞く、などといった甘いものではなく、敵だと認識した上での脅迫に近い。
口を噤む子爵令嬢を置いて、グレオインは更に言い募る。
「加えて、お前ら子爵家の裏側は既に陛下も知っている。証拠もある。これでもアウラに罪をなすり付けられた、と言うのか? それとも、お前の自作自演の虐めの証拠でもここで提示しようか? ああ……その方が楽だな、そうしよう」
「そんな……!! な、何かの間違いです! グレン様ぁ!!」
「くどい! おい!! こいつを連行しろ!」
グレオインの言った通り、この茶番劇――いや、事件は予め予定されていたものらしく、グレオインの掛け声を合図に、外で待機していたであろう騎士達が一斉に駆け込んだ。
そうして、奇声を発する子爵令嬢達を有無を言わさず連れて行った。
突然の、予期していなかった事態にこの場にいた貴族達は騒然として、要領を得ない。ただ一人、アウラローラを除いて。
「騒がせてすまない。気にせず続けてくれ」
グレオインはそれだけ言うと、アウラローラに甘い微笑みを向けた。
「遅くなってすまない。アウラも混乱しているだろう、落ち着ける場所で全て説明しよう」
いつぶりかのグレオインの砕けた笑み。
かつてと同じ、もしくはそれ以上の砂糖が入った視線と空気がアウラローラの変に落ち着いた頭を覚醒させる。余所行きの、慈愛がこもった微笑を剥がしていく。
人通りの少ない、王族専用の部屋へと案内されたアウラローラは促されるまま、二人がけの椅子のグレオインの隣に座った。
本来であれば、机を跨いだ正面に座るのだが、今回はどういうわけか違うようだ。その理由は凡そであるが、予想できる。
未だ辛うじて張り付いた微笑を浮かべ、アウラローラはグレオインの望む通りに動く。
「……それで、どういうことか、説明をお願い致しますわ」
そこにアウラローラの意思はほとんどない。
「ああ。まず、アウラには迷惑をかけた、謝罪する」
「はい」
「それで……今回の、いや、この一連に関して、ずっと前からかの子爵家が国を売っている疑惑があったんだ。それを突き止めようとも、かの子爵家当主は実に悪知恵が働く奴でな、証拠も何もなかったんだ。しかし、かの子爵家の令嬢が俺に好意を向けていることが分かった。これを使わない手はない、と陛下と宰相殿が俺にアウラを手に入れるための条件として王命を下したんだ」
グレオインは今にも舌打ちをしそうなほど苦痛な表情を浮かべた。
彼からしてもこれは不本意だったのだろう。
国王陛下のみならず、『宰相殿』――つまり、アウラローラの父に命じられてしまっては、娘を奪い取っていくグレオインは従うしか道がなかったのだ。当然、国王陛下に命じられただけでも効力は発揮するが、気の持ちようだ。義父となる宰相の方がより身が入るというもの。
「すまない。思いの外、手間取ってしまって、長い間アウラに苦しい思いを強いてしまった。だが! 俺はどうしてもアウラを妃……いや、俺の妻にしたかったんだ! アウラ――アウラローラ・フィルリアナファス。どうか、俺の妻に、国母になってくれないか」
なるほど、これをしたかったからこの位置なのね。
アウラローラの目を真っ直ぐ見つめ、右手を取るグレオインを見つめ返しながらも、アウラローラはそんなことをふと考えた。
王子然としたグレオインはおそらく、今時の令嬢ならば全員が見惚れることだろう。
生憎とアウラローラがときめくことはなかったが。
「――――……それで?」
「……え?」
「それで、殿下は私にどうしてほしいと仰るのですか。王命だったから。宰相殿、私の父からの条件だったから。私を愛しているから。だから、何です?」
「えっ……いや…………だから」
「だから、許してほしい、と?」
グレオインの目が泳ぐ。狼狽える。戸惑う。
まさか、アウラローラがこんなことを言う、もしくは自分がそんなことを言われる、とは思ってもみていなかったのだ。
事実、先までのグレオインの瞳からは達成感に似た感情が感じられた。
アウラローラからすれば、何の達成感ですか、と問わずにはいられないのだが。
人前よりも幾分か剥がれた女神の微笑がアウラローラから完全に取り外される。残ったのは、恐ろしいほど無表情に形作られた顔。
パンッ、と乾いた手を叩く音が部屋に短く響いた。
「許してほしい……? 許して、何になると言うのですか」
唖然としたグレオインの顔。
理解不能とありありと伝える瞳。
変に落ち着いていたからか、アウラローラは次に湧き上がってくる高揚感、グレオインに対する嫌悪感をいつもより顕著に感じ取ってしまう。
「王命だったから。私と結婚する条件だったから。だから? そう言えば許されるとでも本気で思っているのですか?」
「そ、それは……」
「仕方なかった、ですか?」
「っ……!」
耐えれず漏れるため息が部屋にこもる。
「殿下はそれでいいでしょうね。それで終わるでしょうね。では、私は? 捨てられたと、無能な婚約者と、一人の思いも繋ぎ止めることができなかった女と、つまらない女と。そう謂れのない誹謗中傷を受けた私はどうなるのですか」
グレオインが子爵令嬢に足げく通い、舞踏会、夜会などでアウラローラよりも優先していたことによって、アウラローラは社交界などでそんなことを言われていた。クスクスと嘲笑われたことも、わざとワインをかけられたこともあった。次期王妃、王太子妃に対するものではない。婚約者に捨てられた憐れな無能で傷物の令嬢として、アウラローラは行く先々で扱われていた。
血税からの貴重なドレス、装飾品などがそれによってダメになった。それも無駄遣いだ、と考えたアウラローラが最終的に自力で稼ぐようにならなければ、嵩むばかりだったはずだ。
稼ぐことも何も簡単なことではなく、アウラローラは貴族であるが故に、ただの新人になるわけにもいかず、無能な商人、お嬢様のままごと店長としてやっていかなければならなかった。その世界でアウラローラは慣れないことにおいても常人と同じ結果では評価されず、常に人より数段上を意識しなくてはならなかった。正直、苦しかったし、何度も挫けそうになった。貴族の世界でも、平民の世界でも、アウラローラの居場所はなかった。人よりも上の結果を意識し、到達することは王太子妃になるための教育で慣れていたとしても、平民の世界では貴族という身分がアウラローラに重くのしかかった。先入観に染まった客、相手の目。それを覆すだけの何かを思い付いても、忌避され、触れられもしないこともあった。
あの時の苦しみは決して忘れない。
「『すまなかった』、『王命で』、『愛している』。たったそれだけでチャラになると? 本気でそう思っているのですか? ええ。ええ。『愛している』という言葉は便利でしょう。愛しているが故に行動してしまった、と言えば恋人や婚約者などからの印象が悪くなることはないでしょうね」
――私には当てはまりませんが。
見開かれたグレオインの両目にアウラローラの内心は飽き飽きしていた。
そんなに意外か、と。馬鹿なのか、と。考えられなかったのか、と。そう問いかけそうになって、アウラローラは言い留まった。
言うだけ無駄なのだ。言ったところで、もはやアウラローラには関係のことなのだ。
「ですが、愛で全てを許されるとは思わないでくださいませ。愛さえあれば、と時に言いますが、愛があって何になると言うのです。そもそも、愛とは何ですか。都合のいいものですか。そう簡単に口に出せるものなのですか」
そこまで言って、アウラローラは口を噤んだ。
これはアウラローラの好奇心をくすぐり、止まることを知らないのだ。
今、この好奇心を表に出すべきではない。
アウラローラの目的はそこではない。
「……何か、勘違いしているようですね。殿下、貴方様への愛想はとうの昔に尽きております。今更そのようなことを仰っても、私の心に刺さるものはありませんわ」
ピシャリ、とアウラローラが言い放つと、グレオインの表情が悲しげに歪んだ。
アウラローラの拒否が故か、はたまた自分の言葉に従わなかったが故か。やはり、アウラローラには関係のないことである。
「……どうしてだ?」
「何が、でしょうか」
「〜〜〜〜〜〜っっ!! 何故! 王命なのだからああするしかなかったんだ! 本当なら俺だってやりたくなかった。アウラに迷惑をかけたことも謝る。アウラを不安にさせるようなことはこれからはしない。だから……!」
「信用なりませんわ」
「なっ……!」
懇願するグレオインの手をもう一度叩き落とす。
アウラローラが思っていた以上に、冷徹な声と口調が自然と発せられた。
「例え王命だとしても、あのようなやり方、作戦、態度は決して許されるべきものではありませんわ。あの方が殿下に惚れていた。だから子爵家の裏を暴くのに使える。それは理解しております。しかし、利用するために殿下があれほどの熱を上げる必要性を全く感じません。恋心を利用する方法はいくらでもあります。わざわざ舞踏会で私を蔑ろにする意味は果たしてあったのでしょうか。殿下自ら浮名を流す意味は? 何のために王家専属の暗部が存在しているとお思いですか。そうでなくとも、殿下は王命が下される度に私の評判を、プライドを傷付けるおつもりですか。『これからはしない』? そんな言葉だけで失った信頼を取り戻せると本気でお思いですか」
問いかけているはずなのに、アウラローラの口調は断定的であった。
無表情の奥で、アウラローラはここ最近のことだけでなく、遠い昔のことも並行して思い出していた。
王太子妃に選ばれたことでアウラローラは嫌いな勉強も、ダンスも、社交も、外交も昼夜問わずやっていた。血反吐吐いて、涙も数え切れないほど流し、何度も倒れ、それでもやり遂げたのだ。終わった時には達成感よりも先に仮面が先行して本来の感情を表に出すことすらできなかった。それを、この一件で全て壊されたのだ。今までの功績も、何もかもが心ない言葉に傷付けられた。ここまでやったのだ、という自負があった。唯一高くそびえ立っていたプライドだった。それももはや、ズタボロに切り裂かれて雑巾と化していた。
『迷惑をかけた』なんてものじゃない。
『不安にさせない』なんて言葉じゃ昔には戻れない。
不安ではなかった、迷惑ではなかった、とは言えないが、それらよりももっと、アウラローラの感情は複雑で、言い表せない。
これはもはや、いくら謝られようとも許すことはできないものとなっていた。
「殿下は謝ればハッピーエンドでしょうね。ですが、私は? 傷付けられたプライド、評価はそうそう元には戻りませんわ。殿下だけのハッピーエンド。そんな茶番に私、付き合ってはいられませんわ」
話は終わりだ、と言外に伝え、アウラローラは静かに立ち上がり、礼を欠かないようにグレオインに一礼をして身を翻した。
その際にグレオインからアウラローラを呼ぶ声がしたが、知らぬ存ぜぬを突き通し、扉の前まで来ると、漸くグレオインに振り返る。
グレオインの声に反応したのではない。
言わなくてはならないことを思い出したのだ。
「本日をもって、殿下と私の婚約は全てなかったことになりました」
「……何? ――どういうことだ!」
バァンッ、とテーブルを叩く音が虚しく響く。
「安心してくださいまし。殿下の空席となった婚約者は婚約者候補に挙げられ、私に決まる前には第一候補であった御方でございます。既にその御方は王妃教育を受け終え、私が担当していた外交も引き継ぎが終わっております。私がいなくとも問題はございません」
そう。アウラローラは愛想が尽きたその時からずっと、自分に成り代わる人材を教育してきた。自分が婚約者の座から下りるために。
言ってしまえば、アウラローラはこの時を待っていたのだ。
あまりのことにグレオインの身体が打ち震える。
信じられないものを見る目をして、アウラローラを凝視する。
その瞳にアウラローラの氷のような目が極寒に変わるとも思わないで。
「何故、殿下がそのような目をするのです? 私は殿下に誇りも何も壊され、自らの手で私のこれまでの地位を他人に明け渡しました。今の私には何も――ああ、いや、自ら築いたものはありますが、貴族の中では何も残っておりません。しかしそれは、壊される前に自ら終止符を打っただけです。満足でしょう? 殿下が私に招いた害がこのように終わると」
「害……」
「ああ、それと。殿下は本日より王太子改め第一王子となりました」
「なっ……?! 何故?!」
「何故? 当たり前でしょう。どのような手段であろうとも殿下には今回の功績がある……しかし、殿下の言動が国に害を成すと判断されたのです。国を害する者が王になれるはずもありません」
うんざりしながら、アウラローラは懇切丁寧に説明する。
内心ではどれほど毒を吐いていようと、アウラローラの無表情には出ない。元々、感情に表情が着いて行かないのだ。
無表情に伴って、声もまた淡々としている。
だからなのか、仮面を外したアウラローラがデフォルトな人にとってアウラローラは人形のようなものであり、実際にそう呼んでいる。
一方、アウラローラの仮面姿しか知らなかったグレオインはより一層、より過剰にアウラローラの冷徹さに身体が竦んだ。「残念です」とあくまでも本心から感想を言っても、グレオインは表面的なものにしか感じられなくなっていた。
尚も縋る瞳でアウラローラを見つめ、話しかけようとするグレオインには感心する。今回は失敗したが、やはりグレオインには王の素質――まだまだ未熟なものでしかないが――がある。
まあ、そう感じられても、アウラローラの決心は揺らがないのだが。
「――…………これからの殿下のご活躍を、心から願っております。しかし、ゆめゆめ今回の失態をお忘れなきよう……失礼致します」
今度こそ項垂れるグレオインを置いて、部屋を出て行く。
胸の奥でグレオインとの決別を悲しむアウラローラを共にその部屋に捨て置き、ぽっかりと空いた胸中を見て見ぬ振りをして、アウラローラはコツコツ、と乾いた靴音を響かせ、自分一人しかいない、どこまでも続く廊下を歩いた。
この先に果たして光があるのか、誰にも分からない。
遠くから聞こえてくる人の声がどこまでも、今のアウラローラには何もないのだ、と否応なく伝えた。
疲れた……
ざまあ!でスッキリすればよかった……