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A・f  作者: 足立 和哉
8/12

8.ベラル

 私は再び慎重に岩場を登り始めた。ほどなく緩やかな場所にたどり着き、しばらく岩場の尾根上を歩くと北薬師岳の山頂に着く。ここは薬師岳の本峰より二十六メートル低い標高二九〇〇メートルである。手前には五色ヶ原へ続く越中沢岳などの山々とその向こうに五色ヶ原、さらに奥には剱岳と立山がまるで間の開いた双耳峰のように見えていた。人は誰もおらず静かだった。山頂より少し薬師岳寄りの岩場の方が今来た登山道がよく見えたので、そちらに移動して持ってきたペットボトルのお茶で喉を潤す。夏山と違い汗を大量にかく事も無いのでこの季節はほとんど水分を取らなくて済む。しかし、自然に汗は蒸発しているので、定期的に飲むべきだという話もある。だから、ある程度無理して水分を摂る場合もある。

 北薬師岳から見る薬師岳は独立峰のように見えて、南側から見るのと趣が変わって面白い。これまで歩いてきた登山道がカールを中心にして湾曲を描いて見えている。一見すると長いコースに見える。90度右に目を移すと燕岳の山頂付近の花崗岩でできた白い斑模様も良く見える。近くの平たい岩を見つけてごろりと横になるような形で休憩をとる。

「静かだ~」と思わず私は叫んでいた。

『静かだ~。静かだ~』という小さな声が黒部川源流の方から聞こえてくる。明らかに山彦ではない。

『静かだ~、静かだ~、静かだ~』繰り返す言葉が次第に大きくなって近づいてきた。

「また、来たな」と私は思った。

「今度はどこに穴が開くのだろうか」今いる場所は山頂付近の比較的平らな場所なので例え揺れたとしても安全そうであった。逆にいうと、こんな安全そうな場所に私がいるのに何故地面を揺らそうとするのだろうかが不思議だった。

Naの小男がまず顔を見せた。今日は何回彼らの顔を見ただろうか。

「やあ、また会いましたね。1日に何回も登らされるので私達も疲労困憊です。おまけにいつも薬師如来の息がかかった連中に邪魔をされる。でも、こんな場所で地震を起こしても、あなたは転落しそうにない気がします」その小男は私を陥れようしている事実を、もはや隠そうとはしなかった。

 その時、私の目の前で穴が開いた。最初のNaの小男は後ろを振り向き「さあ、飛び込むよ」と言いながら暗い穴の中に消えて行った。今の彼らには、なんとなく惰性的な感情が見てとれた。それでも、あっという間にNa達は穴の中に消えて行き、直ぐに二重蓋の内側の蓋が閉じた。

引き続き、やや大柄なCaの小男達が『静かだ~、静かだ~』と掛け声を上げながら黒部川源流の方向から登ってきた。彼らが私に近づく直前に彼ら専用の穴がぽっかりと開いた。

「こんにちは。またお会いしましたね」と先頭にいたCaの小男が声をかけてきた。Ca達とはこれまであまり話す機会は無かった。何故なら彼らはいつも邪魔されずに穴の中に飛び込めたからだ。

「では、また」と言いながらCa達は穴に向かって飛び込んだ。その時、スーと静かにストックの先が横から飛び出してCa達の入る穴の蓋を閉じてしまった。

今まで邪魔されずに穴に入っていた経験しかないものだから何人かのCaの小男達は飛び込んだ際に頭を打ち突け、勢い余って血だらけになりながら黒部川源流の崖に向かって転がり落ちていった。私に話しかけていたCaは既に転がり落ちて行ったので別の小男が私に向かって「何をするのですか?」と叫んだ。

「いやいや私じゃないよ」と弁解しながらストックの持ち主を見ると、そこにはすらりとした細身の若者が立っていた。全身を黄色の色調の服装で統一させていた。ストックの柄まで黄色い柄だった。ともかく薬師如来軍団の一人であるのは間違いなさそうであった。薬師岳山頂で撮った写真に写っていた見知らぬ男性の残る一人だったからだ。

「僕の名前はベラル。性格は温和で、もっぱらCaの小男ちゃん達の相手をしています」にやりと笑う笑顔はやはり悪戯好きの表情であった。

「Caの小男ちゃん達は、穴の中に入ると直接地震を引き起こす役割を担っているだけに性質が悪いのですよ。直接の原因を絶つのが僕の役割かな」とも付け加えた。

 Caの小男達は、例によってベラルの姿が見えないので盛んに私の周りに来ては、一体今度は誰がきているのだと質問してくる。ベラルは別に言っても構わないという仕草をしていたので「君達の前には今ベラルという若者が立っているよ」と教えてやった。

Caの小男達は集まってあれやこれやと話し合いを始めた。いくら待っても結論が出ない会議のような雰囲気で誰かが「もう帰るか?」と言った時に、ベラルがストックの先を上げた。

ようやくCa達の入る穴が開くと、それまで躊躇していた連中が一斉にその穴に集中して、それでも整然と穴の中に飛び込んで行った。こうやって彼らが穴に入って行くのを遅らせるだけでも、大した地震は起きないようだ。

「神霊にも薬師如来の本気度が分かったと思うから、これから薬師岳山荘に戻る迄は何も起こらないと思うよ」すらりとした体型のベラルはくるりと体を回転させるとバイバイと後ろ手を振りながら五色ケ原方面にあるスゴの頭に向かって北薬師岳を下りて行った。

 私は再び一人取り残された形となったが、一応の薬師如来の加護を受けているという事実を知っただけでも気持ち的には楽になった。腕時計を見ると既に二時半を過ぎていた。これから薬師岳山荘に戻ると順調に行っても大体四時半ごろになるだろう。この季節の夕食は確か午後五時からだろうから、まあ良い時間に着くだろう。ともかく暗くなる前に着きたいと帰りを急ぐ事にした。


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