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A・f  作者: 足立 和哉
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5.ピルカイ

 テント場のある薬師峠からは沢沿いの急な岩場を登る。大きな岩が結構ゴロゴロとしている場所である。その沢は上流のどこからか地下水が湧き出ているのだろう水の流れが一年を通して途切れる事はない。これまでの登りの疲れも手伝い、この急な登りで一気に体力を消耗し始める。ゆっくりペースで来ていて順調だと思っていても、何かをきっかけにどこがどう悪くなるという訳ではないが急に体全体がだるくなり、歩くペースが極端に落ち込んでくる場合がある。今の私の状態がそれだ。

樹木で囲まれた細い岩場を登っていると上から複数の人間の話し声が聞こえてきだした。昨日、薬師岳山荘に泊まっていた連中か、今朝、太郎平小屋を出て薬師岳を往復してきた連中かであろう。

 狭い道なので登り優先ではあるが、疲労感も強くなってきたので先に下らせてやろうと少し立ち止まっていると、眼の前の岩の表面に突然ぽっかりと穴が開いた。例のイニシャルNaの小男達が入っていくあの二重蓋の付いた穴だった。

「よしてくれよ。こんな急登の場所での地震は困る」私は思わず恐怖を感じて叫んでいた。

岩場での転落は重傷になる可能性もあるし、打ち所が悪ければ死んでしまうかもしれない。一見にこやかに私に話しかけている森の精や山の精達の目的は私を遭難させる事だと改めて思い知らされた気分だ。上からの声はますます数を増して急速に近づいていた。そしてNaのマークを付けた帽子の小男が一人ひょっこりと顔を見せた。

「また会いましたね。これも神霊の思召すままなので、決して私達が悪いという訳ではないのですよ」とその小男は自己弁護しながら、これから起こる私にしか感じない大地震への注意を促した。

「皆、行くぞ」その小男は後に控えている大勢のNaの小男達に呼びかけた。

最初の小男が飛び込んだ時、又しても横合いからストックの先が飛び出してきて二重蓋の表面側の蓋をしっかりと閉じ固定した。いつの間に登ってきたのだろう。そこには、さっきのテント場でテントを設営していた若い女性が立っていた。最初の小男は蓋が閉まった直後に飛び込んだので、閉まった蓋にもろに頭をぶつけて、悲鳴を上げて急な岩場を転がり落ちて行った。急な岩場だったので後から続いた者達も直ぐには止まれず、数人が同じように悲鳴を上げながら岩場を転がり落ちて行った。

穴の蓋が開かず地震の心配も無くなったので、数人の小男達が転がり落ちる姿を見ても、彼らは森の精だから死なないのだろうなあと思う心の余裕が私にはでていた。異変に気が付いた残りの小男達は私を見て言った。

「私達には見えませんが、蓋を閉めた者がいますね」

「いるにはいるけれど、若い女性だ」と私はぼそりと答えた。

私自身、かなり疲れが来ているようだ。血糖値も下がってきているのか急激に腹が減って、力も抜けた感じがする。こういう場合は甘い物を取った方がよいのだが、今はその余裕もない。

「私の名前はピルカイ。既に私の兄のラミドやメキレーンにはお会いになったはずですわね」とその女性はストックに込めた力を少しも緩める事なく自己紹介をした。

そして、ストックを持つ反対の手で後ろ手にリュックのサイドポケットを探り、包装されたチョコレートを私に差し出した。

「甘いから食べてください。今のあなたの状態には丁度いいわ」

私の状態はお見通しらしいが、ともかく私は礼を言ってそれを食した。それは結構に甘く、直ぐに血糖値を上げてくれそうな味わいであった。

ピルカイと名乗ったその若い女性はピンク色のハットにピンク色地に大柄な花柄模様のジャケット、黒のタイツの上に黒の半ズボン姿で、いかにも今時の山ガールの姿であった。サングラスを掛けていたので目の表情は分からなかったが、可愛さを漂わせる口元は二人の兄と同様に悪戯っぽさで溢れていた。

「若い女性というとピルカイかな?」Naの小男の一人が言った。

別の一人が「あのじゃじゃ馬なら何をしでかすか分からんぞ。Ⅰ群兄弟きっての乱暴者だ」とも言った。

「何を失礼な事を言っているのかしら」と言いざま、ピルカイはもう一本あったストックで自分の悪口を言った小男の胸を勢い良く突いた。

ピルカイの姿が見えないその小男は不意打ちを喰らった形となり足元を滑らせてやはり悲鳴を上げながら岩場を転がり落ちて行った。

 彼女の可愛い顔つきとは裏腹な凶暴性を感じた私は、Naの小男達に向かって「もう引き上げた方が良さそうですよ」と忠告した。

何人かの小男達が集まって、例の古代言葉でああでもないこうでもないと話をしていたが、結局、元来た登山道を登って樹林の中へと消えて行った。

「もう彼らはいなくなりましたよ」と私はいつまでもピッケルで蓋を押えているピルカイに言った。

「私は結構、しつこい性質なのよ。兄弟の中では一番この蓋への執着心が強いの。兄達はKの小男達用の穴の蓋を閉じようとしたり、逆に早く開けようとしたりしているけれど、私はこのNAの蓋へのこだわりが強いの。もう、しばらくここで閉じてますから、あなたは先に行ってくださいな」

私は悪戯っぽい笑顔をしながら、サドっぽさを漂わせるピルカイを後に残して歩き始めた。いずれにせよ急な沢の岩場で大きな地震に遭わずに済んだのだから良しとしなければならない。

それにしても、何故、私だけが山の精や森の精に出会い、地震に遭ったり、おまけに人間か何か分からない連中に助けられたりするのだろう。彼らの姿が見える人間は山で遭難する可能性があると言った小男の言葉が再び蘇ってきた。

沢を登り切ると明るく浅い谷に出る。谷と言っても夏から秋には水は流れていない。初夏の頃、残雪のある頃に流れる程度だ。雨の降った日は別だが・・・。浅い谷の右側につけられた登山道をしばらく進むと右手に樹林帯を刈り開けたような道が出現して、その中を少し進むと広い平らな場所に出て視界が開ける。そこには木道が付けられており、更に歩くと大ケルンと呼ばれる石を積み上げた場所に出る。大ケルンの傍にはテーブルもあって座って休息がとれる。更に、ここからは今まで見られなかった日本で五番目に高い槍ヶ岳を遠くに見られる。私は大ケルンの裏手から槍ヶ岳方面の風景写真を撮りながら、ピルカイが来ないかと後を振り返った。しかし、五分程度待ったが、どうやら彼女は来ないようなので先に進む事にした。


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