はじめましてのごあいさつ13
「・・・何これ、かわいい」
京子の整ったその唇から、するすると出てきた言葉に助けられて、なんだか気持ちが軽くなった、と思った。彼女に礼を述べたら、京子が一歩近づいて、赤くなってしまった頬をあたたかい両手で挟んでくる。
「緋天、ほっぺた赤いね、可愛い。今のちょっと、キュンとした」
ものすごく近い位置に、美しい、本当に美人としか言いようのない京子の顔がある。きらきらと光るその目に引き寄せられそうだった。
「・・・何してんの。ちょっと、市村さん?」
後ろから聞きなれた声がかかり、振り返ると、兄が困ったような笑みでこちらを見ていた。
「あー、・・・シスコン登場だったか」
「っ、はは、君おもしろいね」
京子の手が離れ、からかうように兄を見て笑う。それを見て、先ほどまで黙っていた男が、思わずというように笑い声をあげた。
「・・・小林さん、明日、いらっしゃいますよね?」
彼の笑い声を聞いたのは、久しぶりだな、とぼんやり思っていると、兄が彼に声をかける。兄の目線は、彼が供えたブーケに向けられている。
「いや、遠慮するよ」
「お仕事ですか?」
彼が明日の法要に行かないと決めたのは、先ほど、自分が来ないでと言ったからだ。そう言われると分かって、今日来たのだ、とそう言っていたようだった。今ここにあるブーケが、明日の月命日の代わりだと、兄は察して、あえて質問したのだろう。
「・・・本当にお仕事なら、仕方がないんですが。できれば来て頂きたいです」
彼が答える前に、兄は言葉を重ねる。
どうしよう、と。
彼のことが嫌いだったのは、本当だ。叔母が亡くなって、苦手だった気持ちに拍車がかかってしまった。彼を恨むような気持になっていたのに、京子の言葉で、今はそれが薄れてしまっている。
彼を排除してはいけない、と。
仲が悪いさまを見て、叔母が悲しむだろう、とそう思い至ったのは、京子のおかげなのに。
指先に、そっと京子の手が触れる。
それはまるで、慰めているようでもあり、励ましているようでもあった。
「・・・あの」
きゅ、と指先に力を入れて、彼女と手をつないだ。口を開く勇気は、これまでも彼女から与えられてきた。
「来てください。・・・理子お姉ちゃんも、その方が嬉しい」
「・・・ああ、それなら行くよ」
にこりと微笑んだ彼と。
隣で手をつないでくれる京子と、頭を撫でてくる兄を見て。
久しぶりに。
体の奥が、あたたかくなった気がした。
「ってことで、お前ら気をつけろよ。スピード出しすぎんな。以上」
自転車を使用する生徒に、近隣から苦情が出ていることを、教卓の前で担任の教師が伝えて。今週の当番が号令をかけ、それに皆がだらりと立ち上がり、おざなりな挨拶をし、学校から解放される合図となった。
「おーい、市村と河野、お前らちょっと来い」
「え?」
さあ帰るか、と鞄を取り出したら、担任が付け加えるように、緋天と自分を大声で呼んだ。ちょいちょいと手招きをされて、彼が立つ教卓まで緋天と二人で向かう。
「・・・あのな、お前らのんびりするのもここまでだ。早く部活決めろや」
「うわぁ・・・忘れてた」
心の声が漏れたところで、担任の眉がぴくりと跳ね上がった。周囲の生徒たちは、我先にと教室を出ていく。それこそ、部活に向かう者が大半で、残りは活動の少ない部活に属する生徒が、まっすぐ家に帰るだけだ。
「今日決めろ、待っててやるから、今決めろ。締め切りとっくに過ぎてんだぞ」
「えぇ~横暴~。今日決めないとダメ?見学はいっぱい行ったんだけど、なんかピンとくるのがないんですよ」
「お前、引く手あまただろう。どっか適当に運動部入っとけ」
「やだっ、そんな適当に決めたくないし、もうスポコン飽きた」
担任教師とやり取りしていたら、隣の緋天の顔から血の気が引いていた。
「・・・ちょっと、緋天。大丈夫?そんなに深刻にならなくても」
「どうしよう・・・見学行ってない」
「いや、緋天はしょうがないでしょ。大変だったんだからさ」
「決めろ決めろ。河野は文化部のどっかに入っとけ。明日から必修クラブの単位カウントされるぞ」
「先生、適当すぎでしょ、学年主任に言いつけますよ」
「文化部・・・文化部・・・うーん」
担任の差し出した部活一覧の用紙、文化部の項目を見て、緋天が知恵熱を出しそうな勢いでブツブツとつぶやき始めている。
「吹奏楽・・・は、毎日ある、・・・手芸部・・・パソコン部と、英語部」
「えー、パソコン部とか囲碁将棋部はやめなよ、なんか緋天がオタクに汚されそう」
「こらこら、河野を誘導するな」
緋天も毎日の活動は避けているようだ。彼女の呟きで、その考えが漏れてくる。
「あ、これにしよう」
「え!?」
自分と同じように悩んでいると思っていたのに、緋天は一覧を見るだけであっさりと決めてしまった。
「どれ? どこにしたの?」
「調理部にする」
「おー、んじゃ、この申請用紙に名前書け」
緋天の答えを聞いた担任が、いそいそと別のプリントを出してきて、教卓の上に置き、胸ポケットからボールペンを取り出して緋天に差し出している。
「え、・・・えー、なんで調理部?」
緋天がていねいに名前を綴り、部活名称を記載する欄にペンを移動させようとしたところで、焦りながら理由を聞いた。
「んー、お菓子作るの好きだし、学校のオーブン大きそうだから、色々挑戦できそう」
「おー!お菓子か!!それは楽しそうだ」
そういえば、先日の課外授業で緋天がゼリーを作り出したのだった。あまり、というか、ほぼお菓子作りなどという行為をしたことがなかったので、新鮮で楽しかったことは記憶に新しい。
「じゃあ、私も調理部にしようっと」
「おい、お前それでいいのか」
「いや、何でですか。早く決めろって言ったくせに」
横から口を挟む担任に言い返していたら、緋天が驚いた顔でこちらを見ていた。
「私、緋天と楽しくお菓子作って、美味しく食べたい」
「・・・うん」
ふわりと笑って、照れたように下を向く緋天の頬が、少し染まっている。
「てなわけで、先生、私にもそれ下さい」
「おー・・・まあいいか」
差し出された用紙に、緋天からペンを引継ぎ、素早く名前と部活名を書き込み、緋天の分とあわせて担任に差し出す。それに目を走らせた教師は、ふ、と短い息を吐き、こちらを眺めた。
「この前言ってたのは、収まったか?」
「あ、あー、アレね。男子の方は完全に大丈夫みたいですね。女子の方は、たまに睨まれたり、ヒソヒソされるけど」
課外授業でちょっかいを出してきた女子達のことを、担任に告げ口したのは、帰ってきた日の翌日だった。細川も交え、女子に操られそうにある男子の名前も含め、起こったことをそっくりそのまま話したのだった。
目の前の彼は、面倒そうな表情を浮かべはしたが、教えた生徒の名前をメモにとり、とりあえず任せておけ、と言ったが、その後、彼が何をしたのかは知らない。
「ヒソヒソね、その辺はどうしようもねえや。これ以上説教しても悪化するだけだろ。すまんが耐えてくれ」
「了解でーす。ま、あんなの今年だけでしょ。来年はクラス離れるだろうし。特に緋天は」
「おう、そうだな。河野、期待してるぞ。次の中間、頑張ってくれ」
「え、あ、はい・・・」
来年は、成績順と進学希望を加味したクラス編成が行われる。進級すれば、あの女子達の頭の出来では、緋天と同じクラスになれないだろう、と推測していた。担任もそれを思ったのか、次の定期テストの話を付け加えた。
「男子は部活ルートでシメたから、もう何もしないだろ」
部活ルートというのは、男子生徒の所属する部活の顧問か先輩から説教させたのだろう。細川が示した男子生徒は、確か厳しめのサッカー部の連中だったはず。練習に参加させない、レギュラーにしない、などの脅しを入れれば、大人しくなりそうだ。
「さすが先生、頭いい~」
担任を大げさに褒めると、彼はにやりと笑って、手にしたプリント類を持ち、教室の扉へと向かう。
「まあ、何かあったら、また言えよ。あと、河野、ほんと頑張ってくれ。中間の順位、隣の吉田先生と賭けてんだ」
「えー!!」
扉前で、半身をこちらに向けて、教師らしいことと、そうでないことを同時に言い放って、彼は廊下に出ていく。
「・・・いや、賭けはダメでしょ。ね、緋天」
「うん、びっくりした・・・」
担任が完全にいなくなったのを見て、口を開いた。緋天が放心したような顔をして、こちらを見つめてくる。
「京ちゃんたち、先生に言ってくれてたんだね」
「あ、うん。ああいうのは最初に潰しとかないとね。調子乗っちゃうし」
ふにゃ、としか形容できない笑みを緋天が浮かべて。
「ありがとう。・・・部活、楽しみ」
少し前より、口数が増えた緋天。
柔らかな彼女の声が、耳をくすぐる。
「美味しいの、いっぱい作って、一緒に食べよう。テストも、頑張ろうかな」
「いや、勉強はまあ、しとくに越したことはないか・・・あのさ、今更だけど、私、初心者だから、覚悟してね?」
「うん、大丈夫。部活、明日からだね」
笑みを浮かべたまま、緋天が一度口を閉じ、そして、小さな息を吐いてから、再度口を開く。
「よろしくね」
「うん、よろしく!」
にこりと笑った、この時の緋天は、最高に可愛かったと覚えている。
部活初日に、見学すらしていなかったせいで、エプロンも持たずに入室し、先輩や顧問に苦笑いされたことや、緋天が不良に惚れられたこと。中間テストで学年2位をマークし、担任を小躍りさせたことや、その時1位だった男もまた緋天に惚れて、それをあしらうのが面倒だったのは、また別の話。
これで緋天と京子の友達話はおしまい。
誰得だよ、という友情物語を長年にわたり引っ張ってしまった(笑)
その後のあれこれは、「神様の通り道」ご参照ください。




