はじめましてのごあいさつ6
そよそよと頬を撫でていた風が、ふいに止んだ。
同時に、視界の右端、芝生の上に影。あ、と思って顔を上げると。
「食べる?ポッキー」
京子が口に細いそれをくわえて、こちらを見下ろしている。
「はい、あーん」
返事をする前に、にこりと笑いながら差し出されたそれを。条件反射で口を開けて受け入れてしまった。口の中に広がる甘みは、何故だか肩に入った力を解放する。
「おいし?」
「うん」
ぷっ、と彼女が噴出して。その勢いのまま笑い始めた。
「あははっ、河野さん、食べてる顔、なんか小動物みたい!!」
楽しそうだな、と思った。自分が笑われているのだけれど、不思議とそれを嫌だとは感じない。
「・・・」
ひとしきり笑ってから、京子が隣に腰を下ろす。
何となく、そんな気がしていた。彼女がこの場にいるのは、他ならぬ自分に用があるのだと。
「えーと、今日は、来週の課外授業のことが、いくつか決まりました。うちのクラスは、芸術科目の選択が音楽なので、合唱します。なぜか八十年代の歌謡曲です、意味わかんないけど、まあいっか、と思いました」
自分に向かって何かを言われるのだろう、とそう思い込んでいたから。
京子の顔がまっすぐ墓石に向いていることに驚いた。
「日曜に買い物行こうかなぁ、と思ってます。おやつも買わないとだし」
晴れやかな笑顔でそう話し続ける彼女の。
明るい声が止まって、何か文句でもあるのか、とでも言いたげにこちらを見ていた。
「・・・あの、」
「これが本当のお墓参りだよ。河野さんのは、理子お姉さんが心配するだけ」
「だって、あの、」
叔母の名前まで出されて、とにかく何か言わなければ、と思うのに、先が出てこなかった。
「なんか報告することないの?」
「・・・報告?」
「あ~もう」
いきなり聞かれたそれに、ただ同じ言葉を返すだけになってしまって。それに対して彼女が心底呆れたように息を吐いた。ああ、怒っているのだろうな、と少々後ろめたい気持ちになったのだけれど、これでもう、京子は自分に構おうとはしなくなる。
「緋天!!」
「っっ」
呼ばれた自分の名前は、怒り声ではなく、笑みを含んだもの。
「今日のお昼ご飯、なんだった?」
「えっと、鶏のから揚げ」
「うんうん、あれ、美味しそうだったねー、他には?」
「卵焼き、と、ほうれん草の胡麻あえ、トマトと、りんご」
昼休み、隣でお弁当を広げていた彼女に、自分の食べたものが見えていたのだろう。分かっているのに、何故それを今言わせているのか。
「美味しかったでしょ?お母さんが一生懸命作ったんだから」
「うん」
「美味しいもの食べたら、幸せでしょ? ほら」
「うー、うん・・・」
先程差し出されたのと同じように、また口元に一本。これまた同じように口を開けて。
「ねー、理子お姉さん、今日の緋天はいっぱい美味しいものを食べてます。あ、理子お姉さんにもあげるね」
にこりと笑いながら、京子の手が墓石の前に手に持っていた数本を置いた。
「そうだ、日曜一緒に買い物行かない?」
「・・・」
意外にも、というと失礼なのだけれど。
丁寧に両手を合わせて、数秒、何か瞑想でもするように目を閉じたその、横顔。
先日感じたように、きれいだ、とそう思った。
「緋天」
ぱち、と目を開けて、問われたそれに。
沈黙を返してしまったにも関わらず、促すように再度自分の名前が呼ばれる。
行かない、と言うのは簡単だったはず。
「行、く・・・」
「そうこなくっちゃ!!」
輝くばかりの、その笑顔。
「じゃ、今日はこの辺で。さー、帰ろう」
「えっ」
つられてしまったのか、口元が彼女と同じように綻んでいたのに気づいたのは、すっと立ち上がった京子に右腕を引っ張られたからだ。
「もう夕焼けだよ、ほら」
「あ、・・・うん」
重い体は、京子の助けで割と楽に立ち上がることができた。
墓石の向こう側に、確かに赤い空が見える。
「はい、じゃあ挨拶! 理子お姉さん、さよーなら。明日もまた来るね」
ぺこ、と上半身を折り曲げた彼女は、そのままこちらを向いて、同じ事を求めた。
「緋天、ほら、挨拶しないと」
「え、・・・あ、・・・明日もまた来るね」
「・・・うん、まいっか」
一瞬、何か言いたげに、彼女の口が開いたのだけれど。
すぐにその目が優しく笑った。京子に微笑まれると、どうしてか、嬉しい。
「あ、出たな、シスコン兄」
柔らかな手に左手をつながれて、墓地の入り口まで歩いたところで。
「っ、・・・えっと、緋天?」
「お兄ちゃん」
そっと外されたぬくもりは、そのまま背中を、とん、と押した。
ほんの少し、足がもつれて。正面から抱きとめた兄の困惑げな声に答える間もなく、後ろを向くのが恥ずかしいのも手伝って、何となくそこに留まる。
「緋天・・・ああ、ちょっと嬉しすぎるんだけど・・・どうかした?」
「うわ、ほんとにシスコンだよー・・・、あ、今日は特に何も」
「・・・そっか。緋天? 帰るよ。市村さん、ありがとう。気をつけてね」
「あー、もったいない・・・緋天、じゃあね、ばいばい」
ぎゅ、と抱きついていたのに、兄の腕がくるりと体を反転させた。
挨拶をしなさい、と口に出さずとも、そう言われているのは分かっていたから。
「・・・ばいばい」
先程は言えなかった、別れの言葉を音に出す。
「ふふ、可愛いなぁ、もう。じゃねっ」
鮮やかだ、と魅入ってしまうほど。
きれいな笑顔を浮かべてから、長い足で素早く駆けて行った。
「・・・まさかとは思うけど、緋天、狙われてないだろうね?」
「え???」
「いや、いいよ、こっちの話。可愛いのは確かだ」
頭の上で満足そうに頷いた彼の目線は、もう小さくなっている京子の背中に注がれている。
「・・・日曜日、市村さんとお買い物、行く」
そのまま優しい笑みで見下ろされて、先程誘われた事を口にした。
「えっ、どこに? 何買うの?」
「課外授業の、お菓子とか・・・同じ班なの。どこ行くかは分かんない」
軽く見開いた目は、自分の答えに嬉しそうに笑う。
「そっか、良かったね。市村さんが同じ班なら安心だ」
「うん」
喜んでくれると思っていた。友達と遊びに行けるほど、元気が出たとそう思ってくれると。
「市村さん、緋天って呼んでたね」
「うん」
笑顔のまま、確認するようにそう言われて。
頭のてっぺんを、くしゃりと撫でられ、こちらも口元がほころぶ。
「帰ろうか」
「うん」
繰り返し、兄の言葉に頷くだけだったけれど。
体の奥が、どこかぼんやり、温かかった。




