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気象予報士 【番外編】  作者: 235
はじめましてのごあいさつ
29/41

はじめましてのごあいさつ1

緋天と京子の高校時代の話。

 珍しく、ひとりだった帰り道。

 今でもはっきりと思い出せるのは、どんよりと曇った空。

 それから、ぽつりぽつりと降り始めた雨に濡れた、彼女の頬。





 そろそろクラスメイトの顔をゆっくりと見渡せる余裕が出てきたかという、四月の半ば。

 入学式から一週間が経過していて、高校生となってから初めての週末だった。週初めに学校に提出した、数種類の書類の内ひとつに不備があり、ややこしいから説明をするという事務職員に呼び出されたので、下校時間を大幅に過ぎて一人で帰る破目になった。

 待っていると言う、新しくできたばかりの友達には、やはり遠慮が走ったので。先に帰ってと言ったのは正解だったと思う。一時間以上も待たせてしまうことになっていたのだから。

 誰もいない教室で帰り支度をし、一人で校門を抜ける時の気持ちたるや、なんと寂しいことか。

 しかも、いつもは自転車で来ているのだが、生憎の曇り空、夕方から雨が降ることは確定していたので、今朝は徒歩で来たものだから、とぼとぼと歩くことが尚更寂しい。つまらないと思いながら家路を急ぐ。四月にしては肌寒い空気、すり抜ける風も冷たくて。家まで然程、距離はないが、とにかく早く帰りたい気分だった。


 普段ならば緑地公園のような趣を見せる墓地の横を通り過ぎる。

 桜が多く植わっていて、季節柄、ピンクの花も咲いていた。割と好きな場所なのに、天気のせいか薄気味が悪いとしか思えなかった。速足でやり過ごそうとして、立ち並ぶ墓石の間に濃紺の布地が見えた。

 何故それに気付いたかと言えば、自分が纏っているものと全く同じだったから。

 入学したばかりの同じ高校の制服。しかも、真新しく見えるから、自分と同じ新入生のようで。

「・・・あ」

 横顔には見覚えがあった。

 自慢ではないが、割と人の顔を覚えるのは得意だ。それがなくとも、彼女の事はどこか脳裏にひっかかっていた。自己紹介の時、その珍しい名前がしっかりと耳に入っていた事もあるが。誰もが明るい笑顔を浮かべて、新しい生活に意気揚々としているクラスメイトの中で、彼女だけはいつも何か泣き出しそうな顔をしていたから。

「河野さん」

 口の中で彼女の苗字を反芻してみる。

 完全に止まった足で、墓石の中の彼女を眺めた。制服が汚れることすら頓着しない様子で、ひとつの墓の前でぺたりと座り込んでいる。その目は真っ直ぐに名前の刻まれた、―――自分のいる角度からはそれが読めなかったが、墓石を見ていた。

 碁盤の目状に区画された、そのシンプルな色合いの墓たちと。地面を覆う萌える芝生。それから、何もかも投げ出したように座り込む制服姿の彼女。

 随分とキッチュなその映像は、しばらく体を硬直させた。

 

 何故、彼女がこの一週間、少しも楽しくなさそうだったか。

 何故、にこりとも笑わなかったか。


 その理由が一瞬で判った。誰か大事な人を亡くしてしまったのだ。

 それも、ごく最近。

「・・・っ、・・・」

 彼女の名前を呼ぼうとして、唇を噛んでそれを止めた。

 今、自分が話しかけて、それが彼女にとって何になるだろう。きっと、邪魔以外の何でもないはず。知り合ったばかりのクラスメイトに自分が誰かの喪に服しているところを見られ、下手な言葉をかけられるなら。それはとても面倒で無駄な憎悪すら呼ぶのだろう、と。それくらいは想像できた。

 けれど。

 とても、気になる。

 もうすぐ雨が降り出しそうで、それなのに彼女はそんな事は気にもとめていなくて。寒いとか、制服が汚れるとか、風邪をひいてしまうとか、新しい友達が欲しいとか、小腹が空いたとか。きっと、彼女の脳内に今はそういった事が少しも入っていないから。

 動けなかった。

 じっと墓石を見続ける彼女を見続けた。

 こんな天気、しかも夕刻に墓参りをする人は見当たらない。

 

 彼女はいつまでこの場所にいるつもりだろう。

 夕方に墓参りだなんてしてはいけないことだと、父方の祖母に幾度か聞いていた。もちろん、参るだけでなく、立ち寄ることも。いくらこの場所が開けた公園のようであっても、墓地であることに変わりはなかった。


「・・・よし」


 とにかく、彼女を家に帰そうと思った。

 傘を持っていなければ、送ってあげる。彼女が拒むなら、傘だけでも差し出す。

 この時間に独りでこんなところにいるのは良くない。

 それに、自分がそんな彼女を見ていたくなかった。

 

 あまりにも、寂しくて、哀しくて、ひどいと思った。

 嘆き悲しんで、笑顔もなくして。花の女子高生の青春を奪うのは、とても非情だ。誰に対してか判らないけれど、怒りのようなものすら感じた。


「こう、」

「緋天っ」


 あと10メートル、というところまで近付いて、彼女の苗字を口にしかけた時。

 自分がいるのとは反対側の道から男性が走ってきた。大声で彼女の名前を呼んで。誰もいないと思っていたからこちらは驚いて足が止まる。あっという間に座り込む彼女の元まで男が辿り着いた。

「やっぱりここにいた。こんな時間まで一人でいたら危ないじゃないか」

 ゆっくりと。

 ものすごくゆっくりと、墓石から彼女の顔が彼へと向いて。

「帰ろう。風邪をひくよ・・・っ、こんなに冷たくなってるのに・・・」

 それでも返事をしない彼女の横に、彼も膝をついた。何かを確かめるように頬に触れた瞬間、痛みを堪えた表情になり両手で彼女のそこを包み込む。

 とても静かだったから。彼らの会話は充分に聞こえた。会話、というより彼が一人で話しているだけだが。

 その様子から、事情を知るその彼が、傷心の彼女を心配していることは明らか。恋人なのかな、と思う。


「・・・緋天。いつまでもそんな風じゃ駄目なんだよ」


 溜息を吐いた彼が。座ったままの彼女の腕を引っ張り上げて、無理やり立たせた。

 引き摺られるように立ち上がった彼女は、今にも崩れ落ちてしまいそう。


「・・・だめで、いい・・・・・・すぐに忘れるなんてできないもんっ」


 ぽつり、と。

 彼女が悲痛な声を上げたのと同じ瞬間に。頭のてっぺんに雨粒を感じた。

 静かだった墓地に、彼女の鳴き声が響く。

 こんな声は、聞いてられない。ものすごく哀しくて、切なくて。やりきれなかった。



 このままこっそりと帰ろう、そう思った時、涙を流す彼女の頭越しに彼と目が合った。いたわるように彼女を抱え込みながら驚いた顔で自分を見る彼に、急いで頭を下げ踵を返す。

 傘を広げるのも面倒だった。出来うる限り、足を速めて走り出して。

 頬を濡らすのが、雨なのか、それとも彼女と同じ様に涙なのか。痛みを訴える心臓は、走り続けるせいで苦しいのか、彼女があまりに可哀想だからなのか。それすら判断できないほどに、混乱していた。


 ひどいと思う。

 こうやって、何の罪もなさそうな彼女を悲しませるのは、とてもひどいと思う。


 先程、ひとりの彼女を見ていた時にも思ったこと。

 あまりにも理不尽で。

 人間を見守るはずの神様は、悪趣味だ。

 

 彼女の泣き声と一緒に、頭からそれが離れなかった。


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