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「ふー、無事に生まれて良かったぁ」
「ほんとにねー、見てるこっちが幸せになれる」
若い二人の後輩が嬉しそうに発するその会話に、思わず苦笑が漏れた。今日、二日遅れで無事に生まれた女の子の、その家族の事を話題にしているのだ。
「五年前より落ち着いてくれていて良かったわぁ。お兄ちゃんの時は大変だったんだから」
「えっ!?なんですか、それ」
隣でお茶をすすっていた、この病院での勤務が二十年になる頼子が口を開いた。自分と全く同じ事を思い出していたのだろう、何も知らない二人を見やって、彼女もこちらに苦笑を見せた。
「すごかったのよ。お兄ちゃんの時はね、ほら、初産だから。奥さんの方を気にしちゃいすぎて、それはもう大変だったのよ」
「へー。でも、初産のママの旦那さんって、大体そんな感じですよね」
「そうね、でも度を越してるっていうかねぇ。だって、陣痛の間隔が早くなってきた奥さんに、先生、どうにかならないんですかって言ってねー。それで必死で頑張ってる奥さんに、もう頑張らなくていいの一言よ」
頼子が笑ってさらに続ける。
「そしたら奥さんに怒られてるのよ。それで、なんでこんなに苦しんでるんだ!とか言っちゃって、私達に八つ当たりよー。あなたが仕込んだんでしょ、って言いたいのをぐっと我慢したわー、ねぇ」
「あはは。そんなに大変だったんですか。そういえば、今日も真っ先に奥さんの方に駆け寄ってましたよねー。お兄ちゃん、放りっぱなしで」
「あ、そうそうー。でもね、しーちゃんが言ってたんですけど。いつもあんな感じらしいですよ? いいですよねー、ラブラブで」
「あー、そうなんだぁ。いいなぁ、大事にされてて」
彼女達は羨ましそうにそう言ってため息をつく。四十代も半ばを過ぎた自分からすれば、何より五年前の、お産を邪魔した彼の迷惑行為の方が先に頭に浮かんで、そうそう羨ましいとは思えないのだが。
「あの頃を知らなければ、こんなものなのねー」
頼子がそっと目くばせをして、自分に笑いかけた。それにつられて笑みがこぼれた。
窓の外には真っ赤な夕焼け。
生まれたばかりの女の子の名前は、そろそろ決まっただろうか。
「綺麗ね」
「え?」
数時間の痛みを苦しみ続けた彼女の、そう小さく呟いて微笑んだ顔はとても輝いて、そして美しく見えた。
「空。綺麗な夕焼け」
「ああ・・・そうだね」
寝ている彼女の頭の上の窓を通して、外を見た。確かにその言葉通り、冬の冷たい空気の中、赤く燃える空。
膝の上でそわそわと身動きする司月に視線を移した彼女は優しく笑う。
「しーちゃん。どうしたの?」
「もういっかい、あかちゃんみてきていい?」
「ふふ。ちゃんと看護婦さんに見せてください、って言うのよ」
「はーいっ」
勢い良く飛び降りた彼は部屋をあっという間に出て行った。ぱたぱたと響く足音が小さくなっていく。
「・・・名前、考えてくれた?」
「あ、いや。まだ・・・」
「もう。今度は裕一さん決めてね、って言ったのに・・・」
眉をしかめた彼女が。司月に対して注意する時のような目をしてこちらを見上げる。
「・・・女の子、だよな・・・」
男か女か、その性別は生まれる時の楽しみにしよう、と。そう決めていて。そして情けない事に、司月が生まれた時は祥子の体が心配で、名前などとても考えられるような状況ではなかった。
いつまで経っても決められなくて焦っていた夜、ベランダに出てきた彼女が空を見上げて満月だと言って笑って。そこで司月という名前はどうかと提案してきたのだ。
あの頃よりは幾分自分も落ち着いてはいた。五年前の事を思い出して、そしてもう一度窓の外を見た。静かに燃えるその色は、鳥肌が立つほど美しい。夏の夜に輝いていた満月と同じように。
「・・・太陽の名前はどうかな。司月が満月だったから」
生まれる前から新しい命に夢中だった司月と名前を揃いにするのも悪くない。
「司る、に太陽の陽で、司陽、とか。あ、でも響きが変だな」
「そうね・・・なんだか音に元気がないかも」
「うーん・・・」
考え方としては悪くないと思うがどうにも難しい。
しばらく二人で沈黙していると、足音を響かせて司月が部屋へ飛び込んでくる。
「おかーさん、あかちゃんちっちゃかった!」
「どんどん大きくなるのよ。しーちゃんなんか追い越されちゃうかも」
「そんなことないよー」
無邪気に笑う彼がふいに自分を仰ぎ見る。腕を伸ばして膝に乗せると不満そうな顔をした。
「あかちゃんのなまえ、きめた? ぼく、なんてよべばいいかわかんないよ」
「あー・・・そうだなぁ。おひさまの名前にしようと思ったんだけどね、難しいんだよ」
「ふーん」
同じ事を思ったのか、彼もそれきり黙って窓の外の夕焼けに目をやる。
「・・・ゆうやけだから、ゆうちゃん」
ぼそりと呟いた司月の言葉に頭の中で、司夕、という字を思い浮かべる。
「司夕、ね・・・うん、さっきよりはいい」
「ゆうちゃん、っていってるのに!なんでシユウになるの!?」
「司月とおそろいの方がいいだろう?」
怒り出した彼をなだめると。さらに声を上げた。
「やだ!!だってよびにくいもん!!」
「そうかな・・・?」
やたらと怒る彼の心が分からず、黙って聞いていた祥子に助けを求めて目をやると、彼女は苦笑して首を振る。
「そうじゃないのよ。司夕だったら同じしーちゃんになっちゃうから。音を同じにしなくてもいいんじゃないかしら」
「ああ、なるほど」
そっぽを向く彼を見下ろして納得する。どんなにはしゃいでいても、やはり妹に自分の名前を取られたくないらしい。母親の愛情全てが持っていかれた気になるから。
「・・・あかちゃん、だといっしょだ・・・へんなの」
「は・・・?」
またも独り言を呟いた司月の言葉に首をひねる。真面目に考えているのだろうが、彼の言う事が分からない。
「ふふ。相変わらずコミュニケーションが取れてない親子ね」
「え?」
「あのね、夕焼けは赤いでしょ。だから。赤ちゃんはどうかな、って思ったの。だけどそうしたら、逆戻り、でしょ?」
笑みをこぼしながら司月の通訳をした彼女にこちらも笑顔になる。
「司月は面白いこと言うなぁ・・・赤色ってのを言い換えて緋色の緋はどう? 字はきれいだ」
「うん、きれいだわ」
「だとしたら、緋陽、とか緋夕、かな。・・・うーん」
自分で思いつく名前が気に入らない。
「ひ、ひー・・・おそらからきたよー、とりさん、ありがとうー」
膝の上でいきなり歌い出した司月に思わず噴出してしまう。
「もう、笑わないでよ・・・だって、まだ早いと思って・・・」
おそらく彼女は司月に赤ん坊はコウノトリが運んできたと教えたのだろう。確かにまだ本当の事を教える気にはなれない。
笑いながら司月の歌を頭の中で反芻する。この美しい空を表せる名前がいいのに、どうにも頭が働かなかった。
「空から来たのなら・・・さしずめ天使、ってところか・・・」
「えー? とりさんがはこんできてくれたんでしょ?」
「あ、そうそう。鳥さんが運んできてくれたんだった」
首を傾げる司月に適当に相槌を打ちながら、ふいに文字が頭に浮かぶ。
「・・・緋天、はどう? 音もいいし、何より今の夕焼けそのもの」
それを口にしてから、もうこれしかない、と妙な確信を得て。祥子を見下ろせば嬉しそうに頷いてくれた。
「しーちゃんは? 赤ちゃんの名前は緋天ちゃんでいい?」
「ひてん??? うん、それでいいよ」
彼女に意見を求められた事が嬉しいらしく、彼もにこにこしながら頷く。
「よし、じゃあ赤ちゃんの名前は緋天に決定。これにて河野家の家族会議終了」
「しゅーりょーう」
復唱した司月を抱えながら立ち上がって。彼を椅子の上に置きなおす。
「・・・さっき、ちゃんと見てなかったから。名前決定の報告がてら見てくるよ」
「うん、行ってらっしゃい」
「はい。行ってきます」
微笑んだ彼女の頬にキスを落として。部屋を出る。
同室の女性と、その見舞いに来ていた母親らしき二人が。
優しく笑ってこちらを見ているのが目に入った。
間違いなく、今の自分はとても幸せだ。




