緋天の日記帳:ミルクティー
気象予報士3.5部、空を仰げばの後。
風邪ひきシンにめろめろ緋天。
パタン、というドアを閉じる音に。
ぺたぺた、と何だか可愛い音が続いた。
「どうしたの?」
「・・・いっぱい寝たから眠れない」
廊下につながる扉の向こうから、裸足がのぞいてそのままソファに彼が座る。夕方、ここで倒れていたのを目にしたから、薄いパジャマのままのシンは寒そうにしか見えない。
「熱下がったからいいけど・・・そんな薄着ダメだよ、ちょっと待ってて」
カウンターから出て、改めて彼の顔を観察する。
夕飯をとって一眠りしたから、調子は良さそうだ。少なくとも、熱にうなされていた昼間より、大分良くなっている。つまらなそうに、眠れない、と言うその表情も、可愛くて仕方なかった。
廊下に出て、本人が何も言わないのをいいことに、彼の部屋に勝手に入る。
椅子の背にかけてあった、ダークブラウンのニットカーディガン。それから、ベッドの近くにあった、柔らかなオリーブ色の起毛のスリッパ。ふたつを手にとって、急いで彼の元に戻った。
「はい」
「・・・あー、別にいいのに」
「ダメ~、あったかくしなきゃ」
スリッパは足元に、カーディガンはその手に渡して。
素直に受け取る様子に、ああ、こんな小さなことでも嬉しいんだな、と自分の浮かれ具合を知った。
「あ、そうだ、シン君、お茶飲む?」
「うん」
よし、と心中で喜ぶ。
洗い物はそっちのけで、今までで一番美味しいミルクティーを淹れよう、と張り切って茶葉を棚から取り出した。弱った体には、あたたかくて甘いミルクティーがいい。砂糖じゃなくて、蜂蜜で甘さを出したら、味がもっと柔らかくなる。甘いものが好きな彼なら、絶対飲んでくれるはず。
彼の大好きなテレビがあるのに、何故かそのリモコンを手に取らないのは、まだ本調子じゃないからだろうか。
ミルクパンでじわじわと茶葉を躍らせて。
静かな夜の空気が流れていく。蒼羽がこの場にいないことを、ちょっとだけ嬉しく思った。シンと二人で、こんな穏やかな空間を共有するなんて、少し前までは思ってもみなかったから。現在入浴中の蒼羽が、いつもより時間をかけてくれないかとさえ期待する。
真っ白なミルクと、ベリルの髪と同じ、黄金色のハチミツを入れて、ゆっくりと混ぜて。鍋の壁面で、ふつふつと小さな気泡が立ち始めたところで火を止めた。温めたカップに注いだ、完璧なミルクティー。味見をしなくても、期待通りの美味しさになっていると、香りが教えてくれる気がする。
シンの分と。自分の。
ふたつのカップを持って、ソファーへ。
「・・・はい。熱いよ」
「うん」
両手でカップを包んだ彼が、慎重に口をつけたのを見届けてから、自分のカップを傾けた。体の中に入っていく、優しい液体。
「・・・マシュマロがあれば良かったね」
「何それ? うまいの?」
「うん、バニラの甘さで美味しいよ。今度飲む?」
そういえば、と少しだけ特別な飲み方を思い出して。それを今日は用意できなかた事を悔やんだ。蜂蜜もいいが、マシュマロが半分とけた、あの甘さも捨てがたい。独り言のような呟きに、シンが反応したので、嬉しくなって続ける。
「オレ、こういう甘いの好きだ。なんかほっとする」
「ふふ。あたしも~」
すごく、嬉しい。
無心に自分の淹れたお茶を飲む彼も。素直に返事をしてくれる彼も。それから、その気持ちを教えてくれる彼も。
「・・・緋天」
「うん?」
「オレ、この前、緋天のお母さんに、遊びに来てもいい、って言われたんだ」
「あ、うん、知ってるよ。お母さん、楽しみにしてるもん」
また自分の知らないところで、といつもなら怒るけれど、母の誘いは大歓迎だった。なんだか困ったようなその表情は、もしかして、本当は来たくないのに、断り難いのだろうか。
そうだとしたら、とても残念。
「・・・行ってもいいの?」
「もちろん、」
「駄目だ」
「・・・だよね」
上目遣いでこちらを伺うシンに、是非、と答えようとしたのに。
それに低い声が被って。
「っ蒼羽さん! だめじゃないよ」
背中に蒼羽の腕の感触。ソファの座面が彼の体重で沈んで。お風呂上りの温かい空気をまとった蒼羽が横に腰掛けていた。
急いで否定した言葉は、何故だか彼の眉間に皺を刻む。
「・・・一人で行くなよ」
「え? いいってこと?」
「ああ。俺がいる時だけだからな」
二本の腕に体を閉じ込められて、頭の上で蒼羽の嘆息混じりの声が響く。何が何だか分からないが、駄目だと言った蒼羽の許可が下りた。
「良かった。絶対来てね、お母さん、そわそわしてるからね?」
「うん」
にこ、と思いがけずシンが微笑んだ。
ああ、この瞬間は宝物にしよう、と一人幸せに浸る。
「・・・もうオレ怖いから寝る」
「え!? なに、どうしたの?」
「緋天、動くな」
唐突に立ち上がったシンは、その勢いのまま背中を見せた。
何が怖いのだ、と聞こうとしたら、蒼羽に体を抑えられて。
「んっ、っ、」
温かい蒼羽の唇に気をとられている間に、シンの姿はあっという間に消えていた。
甘いと囁きながらキスを落とす蒼羽に、そのまま身を預ける。
今日は、これでいい。
廊下に向かう彼の手には。
ミルクティーの入ったカップがおさまっていたから。




