鬼の居ぬ間のお泊り会
『気象予報士』第3部で蒼羽がイギリスに行っている間の話。
(33話で緋天が蒼羽と話している次の日の出来事)
京子の家に泊まりに行った緋天は京子にお酒を飲まされて・・・。
彼女に振り回される男たちをお楽しみください。
「さて、と。お菓子もお酒も準備万端。更けゆく秋の夜、澄み渡る空、って感じですか」
にまにまと、自分でも知らない内に笑みがこぼれ落ちていた。チョコやらスナックやら大量のお菓子がこれでもかと並べられたテーブルの向こう、緋天が困ったように眉根を寄せていて。ちなみにテーブルの下には各種カクテルの缶が出番を待っている。
「・・・。なんでお酒なの?」
「私が飲みたいからに決まってるじゃん。他に飲み物ないからね、緋天も飲むべし」
「うーん・・・あんまり飲めないけど」
「まあまあ。いいじゃないの。今日はこのまま泊まるんだから。緋天がべろべろに酔って醜態晒してもオールオッケー」
「う、そんな事しないもん。なんか京ちゃん嬉しそうだね。あ、ありがとう」
透明なグラスにピンクの液体を注ぐ。それを緋天に渡すと、案の定彼女はにっこりと笑顔を浮かべて、そちらに気を取られた。
今日は週末。いつもならば亮祐の家に泊まりに行くのだが、生憎彼は出張中。同じように蒼羽もイギリスへと長期出張へと出掛けているという事で、少し元気のない緋天を家に泊めて、久しぶりにゆっくり話をしようと彼女を呼んだ。本当は、一方的に聞きたい事がたくさんあるので、それが一番の目的なのだけれど。
「んじゃ、乾杯」
カチン、と音を立てて、緋天のグラスと自分のそれを軽くぶつける。こくりと一口嚥下した彼女の頬に笑みが浮かんだ。
「ねぇねぇ、緋天。ぶっちゃけさ、蒼羽さんってどうよ?」
「え? どうって、何が???」
ほわーっとした空気を漂わせて、幸せそうにチョコレートを頬張る彼女。こちらの質問の意図を全く理解していないその様子に、もどかしさも全開。
「まあ、ある程度は予想してたけどね。って私が聞きたいのはね、蒼羽さんてずっと優しいまま?」
自然に下がった音量とトーン。それに不思議そうに首を傾ける緋天。
「うん、優しいよ?」
「ちっ、分かってないわね、これは。そうじゃなくて、夜も優しいか聞いてんの」
亮祐は蒼羽も同じ男なのだから変わらないと言い張るのだが。どうにもこうにも、あの王様のイメージが強くて想像できないのだ。今までは緋天と会うのが昼間であったり人目があったり、となかなか聞く機会がなかったのだけれど。今日こそがチャンスだと思う。
「ずっと優しいよ。なんでそんな事聞くの?」
当然、とばかりに嬉しそうに答える緋天を見る限り、まだ分かっていないらしい。緋天相手にオブラートに包めば話が進まないと判断して、はっきり言う事にした。
「あー、緋天さん? そうでなくてさ、つまり、ベッドの中でも優しいかって事」
口にするこちらも一応恥ずかしいのだが。目の前の緋天は、一瞬の内に真っ赤になった。
「や、えっ、何、そんな事聞かないでよー・・・」
ふしゅー、と音がしそうなくらいに熱を発する緋天の頬。それでもやはり、目的を果たしたくて口を開く。
「うーん、でも大事な事だよ? 私はね、緋天が嫌な思いしてるかもしれない、と思ったら気が気じゃないわけ」
少し真面目な顔を作って聞けば。彼女はすっかり下を向いて。
「だからさ、私を安心させてよ」
追い討ちの言葉。うつむいた緋天の顔が上げられて、ちらりとこちらを窺っていた。
「で? 実際はどうなの?」
「・・・や、優しい、です」
捕獲完了、と。密かに胸の内でガッツポーズ。
半分程減った、緋天のグラスにアルコールを足した。
「入るよー?」
ドアをノックする音に続いて、そんな声。それが上擦ったような響きを伴っていて、弟のテンションの高さを物語っていた。
「うっす。緋天ちゃん、久しぶりー」
「あ。匠君だー。どこ行ってたの?」
小さな飲み会開始から二時間後。きっと緋天本人は気付いていないだろうが、そこそこの量のアルコール摂取を経て、しっかりと聞きたい事を引き出した。今の彼女はとろんとした目をしていて、すぐにでも眠りに入ってしまいそうなそんな状態。
「友達とカラオケー。緋天ちゃん来るから早く抜けたかったのに、なかなか帰らせてもらえなくてさー」
満面の笑顔で座り込んで、テーブルの横から持ち上げた缶のプルトップを開け、一気に煽る彼。
「あー、それお酒だよ。未成年は飲んじゃダメですー」
「この程度ならウチは飲酒オッケーだからいいの。ってかさ、緋天ちゃん、なんか朦朧としてない?」
全く叱責にならない可愛らしい声で匠に注意する緋天を見て。彼は自分を仰ぐ。
「うーん、私のペースで飲ませたからかな。でも缶で言ったら二本、ってとこだよ」
「それでこんな?・・・まあ、弱い奴に比べれば、結構しっかりしてる方か」
苦笑する弟につられて笑っていると、緋天もくすくすと笑い出す。
「緋天ちゃん平気?」
「平気だよー。ポッキー食べる?」
眠いのだろうか、甘い声で返事をする緋天は脈絡なくポッキーを取り出して。匠の顔の前に持っていく。
「うわ・・・やっぱ酔ってるじゃん」
「酔ってないもんー」
「緋天・・・そういう事すると誤解する男が出るよー?」
彼女の手から直接ポッキーをくわえる匠はたじたじと言ったところ。とろんとした目で見上げられて甘い声で迫れば、酔っていると分かっている弟でも、妙な衝動を抱いてしまうだろうに。
「むぅ・・・」
「そんな目で見てもダメでーす。っていうか緋天、眠いなら寝る?」
「うん寝るー。京ちゃんも寝よ?」
これは男でなくてもやばいのでは、と思うほど。上目遣いの緋天は可愛くて。
「ちょっと・・・緋天って飲ませると危険かも」
ふらふらと立ち上がってベッドの上にぽん、とその身を投げ出す。そしてこちらの方をさらにじっと見てから。
「一緒に寝ないの???」
と言い出す始末。隣で匠の喉がごくりと鳴るのが聞こえた。
「・・・もうっ。いいから寝なさい!」
上掛けをめくって緋天をベッドの中に埋める。もとからパジャマだったので問題はなし、と頷いてから弟を見やる。
「ふー、面倒だから惚れないでよ?」
「っな!!惚れないって」
大人しく目を閉じて、既に眠りに落ちかけている緋天から彼は目を逸らす。年頃なので、厄介な事にならなければいいが、と気を回したけれど、匠も蒼羽の存在を知っているのでそんな道は選ばないだろう。
「・・・そういえばさ。緋天ちゃん、上手くいってんの?」
しばらく沈黙が流れ、完全に寝息を立て始めた緋天に気付いて弟は口を開く。
「うん、ばっちり。蒼羽さんってベタ惚れだよ」
「そっか。それならいいんだけど」
緋天は蒼羽が初めての彼氏で。それもこんな風に素直なら、いい様に扱われてしまっていないかと、初めは父も弟もかなり心配していたのだ。自分がしっかり見てきたと報告したから、彼らは大人しくしていたものの、それがなければ今でも蒼羽の事を悪者だと思い込んでいたかもしれない。
「やっぱ寂しいわけ? あんたとしては」
「まあね。なんかさ、大事にしてた姉ちゃんが取られた感じ」
「って、あんたのお姉ちゃんは私でしょうが」
「んー、そうなんだけど。緋天ちゃんって見てて心配になる。姉ちゃんはしっかりしてるじゃん?」
はぁ、と息を吐きながらそんな事を言い出す弟。確かに彼の言うことはその通りだったりするけれど。
「なんか腹立つなー・・・ってあれ? 緋天の携帯鳴ってる」
テーブルの上に放置された携帯電話が、可愛らしいオルゴール音を奏でていた。もしかしたら、と思い、外のディスプレイを覗くと予想通り。
「えっ、勝手に取るなって。緋天ちゃんのだろー」
「いいの。緋天のものは私のもの」
「おい」
緋天を起こす前に是非とも言いたい事があったので、彼女の携帯を開いて通話ボタンを押す。焦った顔を見せる匠を横目に、それを耳にあてた。
「緋天」
「あはは、ハズレでーす。残念でしたー」
ものすごく柔らかで甘い声が耳元をくすぐって。こんな声で話しているのか、と気恥ずかしくなりながら答えた。
「・・・誰だお前は」
反転。絶対零度の鋭い声が。右耳から左耳を貫いて、背筋が凍った。
「うわ、怒らないで下さいよー・・・あ、いや、ごめんね? 緋天寝ちゃったから・・・えっと前にお会いしたんですけど、覚えてます? 市村京子ですけど」
「・・・ああ。泊まりに行ってるんだろう? 聞いてる」
相手が誰だか察したのか、匠が固唾を飲んで自分を見ていた。普通の声に戻った彼にほっとして、弟には親指を立ててみせた。
「あー、ちょっと蒼羽さんにお伝えしたい事がありまして・・・」
「何だ?」
「えっと、緋天にお酒飲ませた事ありますか?」
「無いな。・・・飲んでるのか?」
静かに応答していた蒼羽の声に微妙な変化。彼は今、どんな顔をしているのだろう。
「あ、そんな飲ませてないですよ、念の為言っときますが。なんかこの子、すぐ眠くなる体質みたい」
「それで?」
何が言いたい、と言うように自分を促す蒼羽。そもそも緋天が出るはずの電話に他人が出た事で、既に不機嫌なのかもしれない。
「で、いつもよりも甘えるって言うか。こう、顔つきが甘えてるって言うか・・・とにかく全体的に甘えてます」
「っ・・・そこにいるのは?」
電話の向こうで蒼羽が息を呑んだのを感じた。やはり、ここは焦ってもらうポイントだ。
「私だけです。あ、今は弟がいるんですけど、やっぱりぐっとくるものがあるみたいですよ?」
「今すぐ追い出せ」
「大丈夫ですって。ウチの弟は昔から緋天の事知ってるし。姉弟みたいなものですから」
蒼羽の形振り構わずなその言葉がおかしくて、どうしても声に笑いが混じってしまう。
「・・・寝顔を見られるだけでも嫌だ」
「ふふ。だから、ちょっと忠告なんですけど。外では緋天にあんまりお酒飲ませない方がいいと思います」
今日の様子では、緋天はその場にいる人間が誰であっても甘えが生じるらしい。だからこそ、蒼羽には気をつけてもらいたかった。
「分かった・・・」
静かに返された彼の声には、自分の言いたい事を理解しているという響きも込められていた。
「あ、緋天に代わりますね。ちょっと待ってて下さい」
「いや、寝てるなら起こさなくても・・・」
「ダメですって。緋天が明日起きた時に後悔するだけですから。待ってて下さいよー?」
蒼羽の言葉を遮って、携帯を持ちながらベッドの緋天をのぞく。小さな寝息を立てる彼女は確かに無防備で可愛かったが、ここは起こさなければならない。
「緋天。ひーてーん。起きて!」
肩を少し揺すってみるが、緋天は眉をしかめて壁の方を向いてしまう。
「緋天ってば」
「やぁ。眠いもん・・・」
高校生の時から、あまり寝起きの良くない彼女だけれど、それは今も変わらないらしい。可愛い声で抵抗されても、と思って。蒼羽はこんな風に寝起きの緋天を見ているはずだ、ともぼんやり思う。
「蒼羽さんから電話。出なくてもいいの?」
「・・・っ。蒼羽さん・・・」
びくん、と蒼羽の名前に反応した緋天が目を開ける。
「はい。早く出てあげて」
耳元に携帯をあててやると、完全に覚醒したのか、手をついて体を起こす。
「・・・蒼羽さん」
とろけそうな笑顔を浮かべた緋天がそっと彼の名前を呼んで。
「う・・・おはよう」
意地悪でおはようと言われたのか、恥ずかしそうに頬を染めていた。
この場にいるのはどう考えても邪魔な気がする。緋天が自分達のいる前で遠慮して、もうずっと離れている彼と思う存分話せないという事は充分ありえるから。
「匠クン。ちょっと一階までお付き合い下さい」
「・・・え、ああ、うん」
ぼんやりとしていた匠に声をかけると。さすがは我が弟で、言いたい事に素早く気付いて立ち上がった。
「ごゆっくりー」
嬉しそうな緋天にそれだけ言って、ついでにウィンクを投げてから扉を閉める。
「えー。普通のパジャマだよ?」
扉の向こうで、緋天の不思議そうな、そんな言葉が聞こえて。蒼羽が何を心配してどんな質問を彼女にしたのか、手に取るように分かって、くすりと笑みがこぼれた。
「おれがいる事、心配してたんだ?」
階段を下りながら匠が口を開いた。
「うん。すっごい嫌そうだった。今すぐ追い出せって。寝顔見せたくないって」
「ふーん・・・なんか本当に大事にしてくれてるんだな・・・嬉しいけどやっぱ寂しい」
苦笑する声が耳に届いて。彼も自分もそんな気持ちは同じなのだと実感する。
「そうだねぇ・・・匠も早く彼女作れば?」
「欲しいのはやまやまだけどさ、学校の中は女子少ないし」
「合コン行くとかー、って電話だ」
情けない顔をした彼に答えていると、部屋を出る時に手にしてきた携帯が高らかに鳴り響く。
確かめるまでもなく着信音が亮祐だと訴えているので、隣を歩く匠を追い払った。リビングの隅に移動する。
「何だよー・・・独り身っておれだけじゃん」
ぼやく彼を横目に携帯を耳にあてる。
「もしもし? どちら様でしょう?」
「・・・。俺様」
わざとそっけない声を作ってそう言うと。溜息の後に、そんな不遜な答え。
「・・・どちらの俺様ですか?」
「市村京子の佐山亮祐様です」
「っっ・・・。聞いてるの恥ずかしいんですが」
思わぬ不意打ちを喰らい、不覚にも声が小さくなる。
「言ってる方が恥ずかしいっつの。言わせんな」
低く笑う声が耳に響いて、少し頬が熱くなる。緋天をからかうどころではないかも、と思わず天井を見上げた。
「お疲れ様。そっち寒いよね?」
「まあな。お前も薄着して風邪ひくなよ」
穏やかな声でいきなり優しい事を言うのは反則だと思う。どう返せばいいか分からなくなって、黙ってしまった。
「・・・なんだよ。元気ないな」
「そんな事ないよ? 緋天が泊まりに来てて楽しいし」
「・・・楽しいならいいけど」
微妙に憮然としたような調子で返されて、くすりと笑みがこぼれる。きっと亮祐は、また緋天の事かと思っているに違いない。
「そうだ!!カニ買ってきて、カニ!!」
「お前・・・唐突だし、なんか釈然としない」
「いいじゃん。帰ってきたら鍋にして食べようよー!!絶対美味しいって!」
彼の出張先がカニの名産地だと思い出して、勢い込んで言ったら。あまり乗り気でない様子なので、必死で説得を試みる。
「そこまで行ってカニを買わないなんてバカのする事だよ? それを楽しみに、亮祐さんが帰るまで生きる事にする」
「ってあと二日だろーが。つーか、カニより俺が帰るのを楽しみに生きろ」
「うん、分かった。カニを持った亮祐さんが帰るのを楽しみにしてるから」
「カニが先かよ・・・ったく」
わざとらしい嘆息の音を聞いていると、電話を終えたらしく、二階から緋天が降りてきた。携帯を耳にした自分を目に入れた彼女が、嬉しそうに笑ったのが見えて。
「あ、緋天の用が終わったから切るねー」
「こら待て、俺との電話は緋天ちゃんが来るまでのヒマ潰しか!?」
「そんな事ないよー? カニをおねだりするのに話したかったもん」
「・・・もういい、カニはおろか土産なんて買わないから」
「うそうそ。亮祐さんの声聞きたかったのは本当だし」
「・・・っ」
嘆く彼の声を確認して、ちょっと真面目な声で言ってみると。意外と効き目があったのか、亮祐の息を呑む音が聞こえた。笑い声が聞こえないように気をつけて、とどめの一言を言ってみる。
「じゃあねー。・・・大好きな人が帰ってくるの、ちゃんと待ってるから」
真面目な声のまま言い切って、急いで通話を切る。視界に緋天が頬を染めている様子が映った。彼女に親指を立てて、にっこり笑ってみせる。
「緋天!やった!!美味しいカニをゲットした!!」
「・・・姉ちゃんって・・・女優だな」
ソファの上で尊敬の眼差しを向けてくる弟。彼の言葉から、何があったのか推察したのだろう、緋天が苦笑する。
「・・・でもね、さっきの言葉は本当なんでしょ? 大好き、ってところ。あと、声が聞きたかった、ってところ」
これ以上はないという程の満面の笑みで。緋天が突然そう言ってくる。
「おっと。そう来るか、緋天ちゃん」
「な、何をいきなり・・・」
嬉しそうな彼女の笑顔に、思わず慌ててしまい。
「・・・それに、京ちゃんのほっぺた赤いし」
くすりと笑われ、それにも動揺してしまう。自然と手が頬へ伸びる。
「うー、緋天のくせに、生意気っ」
照れ隠しに。
彼女のきれいな髪をくしゃくしゃに乱してやった。
たまには。こうやって。
彼氏抜きの週末も、いいかもしれない。




