第二話 『元勇者vs.聖女』
戦場にてついに相対した俺達と、聖女——アイラ達。
「……やってくれましたね」
忌々しくアイラが呟く。魔王城の崩壊——ドッペルゲンガーの彼が大量のゆうしゃを道連れにした事で、戦況は大きく動いていた。
「この男は私が駆除致します。勇者様は、ゆうしゃを使い、あの人類の敵——魔王の討伐をお願い致します」
勇者は神輿に座したまま動かない——あれは本当に何者なのか。偽物だという事は間違いないのだが。ともかく、勇者を中心に残りのゆうしゃ達が集い、イブへと攻撃を仕掛ける。俺は彼女のフォローに入ろうとするが、
「今度こそ、確実に滅ぼします」
進行方向の直前に巨大な死を感じ、後ろへ飛び退る。直後、地面がえぐれる程の衝撃——魔法<放て>だった。イブと引き剥がされてしまう。彼女もまた、ゆうしゃに追い立てられ、遠ざかって行ってしまう。
——いや。
俺は首を振り、強引にイブを追いかける考えを止める。これは元々の作戦通りだ。俺がアイラを押さえる——倒す。その間、イブがゆうしゃ達を抑えている。
自分のやるべき事へと——アイラへと俺は向き合った。それに……。
「俺も、お前には色々聞きたい事がある」
「話しかけないで頂けます? 害虫と会話をしていると、気持ち悪くて吐きそうになります」
「……そうかよ」
答えるつもりはない、と。なれば、無理矢理に聞き出すしかない——いや、どちらにせよ俺は彼女等を倒し、この戦いに勝利しなければならないのだ。
偽勇者の正体を暴くのも、アイラを問いただすのも、後でいくらでもやればいい。
俺は腰から、左の手で小太刀を抜く。右半身を前に出し、小太刀の刀身を身体で隠す。金属の右腕はダラリと下げた。俺が作り上げた戦闘スタイル。右腕がキリキリと音を立てる。
アイラは右手で持った錫杖を前に突き出し、その先端部にあてがうように左手もかざす。全身から、穏やかな海の水面の如き、静かな魔力の揺らぎを感じる。だがそれは壮大な海と同じく、底知れぬ程に大量の水が——魔力が、水面下で蠢いている事を感じさせた。
一瞬の、凪。
アイラと俺の視線がかち合い、
「——ッ」
先に動いたのは、俺。
前に飛び出すと同時に右腕を振り上げる。その内手首から数本の杭が射出される。
虚をつかれたアイラだが、流石というべきか、冷静に最も発動の早い<放て>の魔法で迎撃する。弾かれた杭は的を外し、あらぬ場所へと突き刺さってしまう。が、それでいい。
その動作で俺は、アイラへと接近する時間を得ていた。が、まだ足りない。アイラは冷静に自身へも魔法を掛けていた——後ろへと呼び動作無しに飛ぶ。射程の外へと、するりと逃れ——
——いや、まだだ。
俺は右足を踏ん張り、半身を捻るようにして大きく左足を前へ出す。同時に、順手に握る小太刀を突き出す。それはアイラの視点からは、急に攻撃が加速したようにも、射程が何倍にも伸びたようにも感じられただろう。
実際、彼女は目を見開きなりふり構わず首を倒した。
——血が舞った。
頬を掠めるようにして、アイラは小太刀から逃れていた。が、刀剣類の恐ろしさはここからだ。魔法は一度発動してしまえばそこで終わり。だが、刀剣には次の動作が——次の次の動作が、永遠に攻撃が連鎖する。
俺は小太刀を横へと振り抜くようにしながら、引き戻す。掠める程の距離だった小太刀の刃が、今度こそイブの首元を掻き切らんと煌めく。が、その間に割り入る物——錫杖。
——甲高い金属音。
押し込めるッ——が、しかし。押し込むだけの時間が足りなかった。一瞬のラグを得たアイラは、既に魔法を完成させていた。全方位への、回避不可な圧力が襲いかかってくる——<放射>だった。
普通であれば威力が散け、致命傷にはなりえないそれ。だがアイラの魔力量を持ってすれば……それは、必殺の一撃となる。
——身体がバラバラになったかと思う程の、衝撃が襲いかかった。
身体が弾丸のような速度で地面を跳ね、転がる。十メートル以上の距離をぶっ飛び、だが俺は四肢を踏ん張りブレーキを掛けて止まった。ダメージは小さくない、が……まだやれる。
アイラがまだ生きている俺へ、訝しげな視線を向けていた。身体の骨が砕け、臓物をまき散らしていないのが不思議で溜まらないのだろう。俺はあえてそんな彼女へ、
「はっ……お前、弱くなったんじゃねえのか。歳の所為か?」
「……先程も言いましたが、ニンゲンの言葉を使わないでください。それに26というのは十分、魔法を扱うに適した年齢です」
アイラは平然としているが、見下している人外から——俺からの挑発は不快だったのだろう。今度は彼女の方から歩みを進めてくる。
「今度こそ確実に、塵も残さず消し去ります」
——くるか。
俺はアイラの言葉に警戒を強める。俺が最も危険視しているのは当然、チートによる——勇者の力による、知覚不能な攻撃だ。
アイラとは勇者時代に長い間、行動を共にしていた——それゆえに仕草や僅かな魔力の動きから、かなりの精密さで動きを読む事ができる。チートを使う瞬間も、勇者の時に一度とは言え、見ている。
きちんと警戒さえしていれば、攻撃自体はいなす事や知覚する事が出来なくとも、躱す事は可能なのだ。
だが逆に言えばただそれだけ。チートによる攻撃は、普通の魔法より圧倒的に躱しにくく、即死性も高い。その事実は変わらない——最も危険な事に変わりはない。
——だが。
「……?」
彼女が発動したのは普通の魔法だった。いや、数種類の、全く異なる性質の魔法を複合的に発動する事を『普通』と表現してしまう事には語弊があるのだが、しかしあくまでも、彼女が使ってきたのは、この世界のルールに則った攻撃だった。
——なんだ、手を抜いているのか……?
僅かな疑問が生まれる。が、答えを考える時間はない。死が迫っている事実は変わらないのだから。俺は、必死にそれらの魔法を躱すべく動いた。
地面が<隆起>し、俺へと迫る。攻撃と、逃げ道の封鎖、そして足場を崩すという三つを同時に行う効果的な魔法だった。
俺は迫るそれらの隙間を縫うように、走る。だが、それは誘導だった。躱した先で、アイラと俺の間に射線が通る。アイラから<放て>の魔法が叩き付けられた。身体がくの字に折れ曲がり、ぶっ飛ぶ。
<隆起>した地面を砕き、遠方まで転がる……が、途中で受け身を取り、すぐに立ち上がった。いや、立ち上がろうとして、ふらついて膝を着いてしまう。先程よりも数段、大きなダメージを負っていた。
アイラは「なるほど」と僅かに感心した声を漏らす。
「魔法を非常に細かく発動させ、衝撃の矛先をズラしているのですか……小賢しいですね」
その視線は、俺が攻撃を受けた場所——その地面へと向けられていた。そこには、クレーターが出来ていた。
「ですが精密な操作が必要な魔法故、脆い。……<隆起>にぶつかった時のダメージ、受け流せていませんでしたよ? 随分と使える状況に限りがあるみたいですね」
「余計な、お世話だ……」
荒い息を吐きながら言い返す。が、確かに彼女の言った通りだった。
衝撃を受け流すには両脚で地面に踏ん張っている必要がある。また、受け流せるのは衝撃だけだ。鋭い刃物や、一点突破の攻撃には弱いし、放射で身体を持ち上げられてしまえばそこまでだ。
それに、これは……マズい状況だ。俺には<治癒>が使えない——受けたダメージは蓄積され続ける。負ってしまった傷——このままでは不利になる一方だ。
それに……。
「ふふ……強がりを」
アイラが俺を休ませまいと、<放て>を連射してくる。俺は避けるしかない——食らっても完全に受け流せるわけではない、というのもバレてしまっていた。こうして牽制を続けられるだけで、俺は負けてしまう。
体力が尽きるのも、被弾してしまうのも、時間の問題だった。
——仕掛ける、必要がある。
俺は魔法の連打の合間を縫い、一気に前へ躍り出た。
「無謀ですね」
その評価は正しい。俺の眼前の景色が歪む。圧縮された空気が、衝撃が俺を真正面から殴りつけようと迫る。いや、正面だけではない。その左右からも迫っていた。このままでは、押し潰される。一直線に駆けていた俺には、急に後ろへ飛び退く事も不可能。
俺は自ら、その死の顎門へと飛び込み——
「ッ——!?」
——アイラが、唐突にバランスを崩した。
魔法が霧散する。突破口が、開ける。
彼女の視線が足下へと向く。そこには微かに煌めきを見て取れた。それは、糸だった。彼女の側に突き刺さっていた杭の尻から伸びていた。それは、彼女自身が起こした<隆起>を経由し、俺の右腕の先まで伸びていた。
「小細工をッ!」
アイラが受け身を取ろうとする自身の身体を戒め、腕を突き出す。その寸前、俺は小太刀を放棄すると同時、脇へと手を差し入れていた。取り出したのは——銃。この時のために、この右腕と同じくドワーフのジーニースに作り上げてもらった、特別製だ。
アイラの目が見開かれる。
早かったのは——
——アイラの方だった。
引かれたトリガー。破裂音と共に放たれていた弾丸が、彼女の身体へ到達する——その寸前、彼女の周囲にある空気の密度が変わっていた。
「残念でしたね」
アイラの表情は笑みへと変わる。勝利の笑み。対して俺の表情は歪んでいた。いや——俺の表情”も”、歪んでいた。
——笑みへと。
「まだだ」
瞬間、アイラの<放て>とぶつかった弾丸が——炸裂した。白煙を周囲へ、爆発の如くまき散らした。
「なッ——!?」
俺は地面を蹴った。まだ地面まで落ち切っていなかった小太刀を空中で掴み、煙の中へと突っ込む。彼女がどこにいるかは、戦闘の経験が教えてくれる。俺は小太刀を突き出す。これで、トドメ——
「——舐めるなよ、害虫風情がァ……」
ゾッとする程の恐ろしい声。そして、青白い燐光。俺のすぐ前方の”空間が削り取られていた”。白煙の中に一瞬、空白が生まれる。その先にはアイラの姿。俺は煙を棚引かせながら、その空白へと、自ら身を乗り出してしまっていた。姿を、晒していた。
「見ィつけた」
アイラの小さな呟き——しかしまるですぐ耳元から冷気を流し込まれたような声が、聞こえた。生まれていた真空に、周囲の煙がなだれ込んでいく。俺達の姿を飲み込まんとする。
彼我の距離はそうない。相手がチートを発動させるよりもはやく、小太刀の切っ先が彼女へと届く範囲——射程内。だが、アイラの攻撃の方が早い——いや、違う。俺が、遅いのだ。俺が、届かないのだ。
俺の左手に握られた小太刀。そこには——
——刀身がなかった。
間に合わない——俺は瞬間的に悟っていた。
——失敗した。
彼女は俺を、空間ごと消し去るだろう。今度こそ、確実に。
何故気付かなかったのか。彼女はあくまで聖女としてこの戦場に立っていた——思ってみれば、彼女は確実に殺す、と決めていたあの、勇者であった頃の俺を殺そうとした時にしか、その力を見せる事はなかった。あるいは、彼女の従順な僕たるゆうしゃの前でしか。
要するに、他のニンゲンには知られたくなかったのだ。それを、俺が煙幕など使い、相手に場を与えてしまった。
俺は後悔に包まれたまま——その最後は訪れた。
「ほぇ?」
アイラの口から、間抜けな声が漏れた。その横っ面へ——
——俺の右拳が、叩き込まれた。
「……必殺、ロケットパンチ」
俺達を飲み込まんとする煙に紛れ、飛来した金属の右腕が、彼女の顔を打ち抜いていた。
「……そん、な、の」
ガクン、と彼女の膝が落ちる。錫杖が地面を転がり、澄んだ金属音が響き渡った。アイラは前のめりに、ぶっ倒れた。
「……危なかった」
チートを使わせた瞬間、ほとんど俺の負けが確定していた。煙を切り取ったあのチート攻撃の発動が、あと一瞬遅ければ、あと少し範囲が広ければ、俺は死んでいた——生き残ったのは幸運以外の何ものでもなかった。
「……」
彼女には色々と聞かなければならない。が、それよりもまずは……。
煙が晴れて行く。俺はその切れ間にイブの姿を見つける。彼女もまだ戦っている。彼女の方が戦闘は過酷だ。なにせ、残っていたほぼ全て——百人以上のゆうしゃを相手取っているのだから。
俺はすぐさま彼女の方へと駆けた。アイラは放置する——どうせ縛っても、目を覚ましさえすればチートで簡単に逃れられてしまう。ならば今は、一刻も早くイブに助力する事が最善。
煙から抜け出す。同時に、視界が一気に開け——俺はその光景を見た。
「……イ、ブ」
そこにあったのは——
——複数の剣で串刺しにされた、彼女の姿だった。




