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第後話 『冒険者の日 後編』

 本日は2話投稿しています。

「ねーえぇ……ユウぅ……。なんか、ユウって……良い匂いするわよね」


「へ!? いや、気のせいだ。気のせいだからちょっと落ち着け。なっ?」


 頭からラブゼリーの粘液を被ったイブ。

 彼女がジリジリとすり寄ってくる。俺もまたジリジリと後ずさっていく。彼女の浮かれたような声が、妙に耳に残る。ヤバい……俺も頭がどうにかなりそうだ——って、8歳の子供相手に何を考えてるんだ俺は!?


「ユーウぅ……ユーウっ、ユーウー……うふふ。呼んでみただけぇー」


 ——なんか恐い!?


 普段のイブとのギャップがありすぎて、恐怖さえ感じてしまう。だが、いつの間にか俺の背中は木の幹へとぶつかり、追いつめられ、イブがすぐ前まで迫っていた。


「ユウぅ……」


 俺の胸に、イブが寄りかかる。指先が肌を這い、くすぐるように撫で回される。ねっとりとした液体が、俺にも絡み付いていく。

 彼女が呟く。


「ユウぅ……アタシね、なんか、熱いの……。すごく、身体が熱いのぉ……」


 熱っぽい吐息。その音さえ聞こえるそんな距離。彼女は、俺に一センチでも、一ミリでも近づかんとするように、背伸びをしていた。

 耳元で、囁くように紡がれた彼女の声に、まるで脳の奥を直接指で弄くられているような……そんな、苦痛とも快楽ともいえない感覚が俺を襲う。


「ユウぅ……」


「イ、イブ……」


 お互いの顔が、近づいていく。もうダメだ。何も考えられない。イブの匂いが、声が、体温が、俺を撫で回す手の感触が、俺に思考という行為を許さない。

 イブの唇が僅かに開く。隙間から可愛らしい八重歯が顔を覗かせる。俺もまた僅かに口を開き、彼女の口へ——



 ——エニウェイ。



 エニウェイが、いた。イブの肩越しに、角の生えたウサギの存在が、俺の視界に入っていた。



「——死に晒せボケェエエエエエエエエエエッ!」



 俺はイブを引き剥がし、左手でナイフを抜くと同時に投擲。エニウェイは、ラゼブリーを——粘液を失いもぞもぞと逃げ出そうとしていたソイツを喰らわんとしていた。その首に、ナイフが吸い込まれるように飛び、突き刺さった。

 「キュウゥ」という声を発して、エニウェイが絶命する。


 ウサギ一匹を仕留めるだけの作業。だがしかし——


 ——俺にとっては命の危機だったのだ。


 俺は以前、エニウェイの大群との戦いで死にかけた所為か、エニウェイは見た瞬間に、絶対に殺すよう身体と精神にインプットされてしまっていた。


「ふぅううううッ、ふうううううッ……死んだか? 死んだな? 他にもいたら出てきやがれッ! 一匹残らず駆逐してやるッ!」


 と。


「ユウぅ……どうかしたのぉ? それよりも、アタシにぃ——」


 イブの声で、俺は我に返った。そして、この現状を冷静に見つめ直して、再び自分に寄りかかろうとしてくる彼女をお姫様抱っこして、歩き出した。


「……えぇー? ちょっとぉー? どこいくのぉ? ユーウぅー?」


「あーはいはい……とても良い所だぞー」


「うふふ……どーこぉー?」


 なんかもう俺は、平常時よりも冷静になっているくらいだった。今の俺なら賢者にだってなれると思った。そして、首に手を回してきたり、頬ずりしてくるイブを完全無視で歩き続け、ある時——


 ——彼女を、ぶん投げた。


「ほぇ——ちょッ、ぅわブクブクブクブクッ……!?」


 川の底へと沈んでいくイブを真顔で見つめ……。



「——な、何するのよアンタぁああああああ!? ぶっ殺すわよッ!?」



 俺達は、ようやくラブゼリーの呪縛から解放されたのであった——……


   *  *  *


「……」


「……」


「……な、なによ」


「い、いや。なんでもない」


 俺達は二人して、気まずげに視線を逸らしながら、寄り添い、毛布にくるまっていた。

 時刻は夜。火は焚いているが、それでも裸では寒すぎる。しかし、毛布は一枚しかない——俺達は一枚ずつ持ち歩いていたのだが、イブのはビショビショだ。


 俺達の服は明日まで乾きそうにない。彼女の服は洗わざるを得なかったのはさておき、なぜ俺まで裸なのかと言うと……川に投げ込まれた事にぶち切れたイブが、俺に魔法で水をぶつけてきたからだった。

 まあ、一人分とはいえ、荷物は無事だったのだから……不幸中の幸いか。


 と、そのとき。


 ——クぅ〜……。


 と、腹の虫が鳴いた。視線を向けると、バッとイブが顔を背ける。


「……食事にするか」


「いらない」


 イブが拒否をする。


「いやでも、腹減ってるだろ」


「いらない、っつってんでしょ!」


 ——意地っ張り。


 内心でそう溜め息を吐きながらも、彼女の説得に入る。


「お前、言ってなかったか? 出来る事は、依頼を適当にこなすか、しっかりこなすかだけ——ここで食事を取らないのは、適当に依頼をこなしてる事にならないのか?」


 流石に自分で言った言葉には、従わざるを得ないようで、イブは「うっ」と言葉を詰まらせる。


「……それは、そうだけど」


「大体、今ここで我慢しても、明日や明後日、明々後日も我慢し続けられるわけじゃないだろ。早めに諦めろ」


 それでもイブの中では相当な葛藤があったようで、顔を百面相させ……ようやく、苦しげに「わかったわ」という言葉を捻り出したのだった。


 もぞもぞと毛布の中でイブが身じろぎする。俺もまた彼女に合わせて体勢を少し変えた。


「絶対に、見んじゃないわよ」


 うっかり毛布がはだけてしまわないように注意しながらイブは俺に向き合い、跨がった。素足同士が触れた場所が、どこかくすぐったい。

 肌が直接触れ合っている所為か、あるいはさっきの余韻か、互いの鼓動がいつもより早いのを感じる。彼女はどこか緊張した様子で毛布を少し緩め、俺の胸元を夜風に晒した。


「ユウ……」


 イブが俺の名を呼んだ。それは無意識だったのかもしれない——彼女は俺が反応して視線を向けた事に、気付いていなかった。

 彼女は——綺麗だった。白い肌が焚き火の火に照らされて、どこか幻想的にも見えた。


 俺の身体に添えられた手の感触。少しひんやりとして、でもきめ細かい肌がすべすべと気持ちいい。

 彼女は俺へと身を沈めていき、密着した時——ちくり、と俺の首元に痛みが生まれた。彼女は、俺に抱かれるようにして、首元へ顔を埋めていた。

 その喉が、こくり、と可愛らしい音を鳴らす。


 ——これが、彼女の食事だった。


 イブは、吸血鬼だった。

 彼女が鳴らす、こくり、こくりという音に耳を傾ける。時折、薪の割れる音が重なる。風に揺れた枝葉の擦れる音が連なる。


 ……初め、イブはこのような飲み方をしてはいなかった。食事は俺が事前に血液を流し、それをグラスに注いで渡していた。三ヶ月間、小屋で生活していた時と同じように、俺はそれを行っていた。


 変わったのは、彼女に俺の傷口を見られてしまった時からだ。なるべく、彼女に食事の用意をする所を見られないように気を使っていたのだが、流石に長い間、一緒に活動を続けていれば隠し続ける事はできなかった。

 彼女は、言った。


『……ごめん、なさい』


 それから、イブは血を飲まなくなってしまった。

 俺はそれまでずっと、上腕の中程までしかない右腕に切り傷をつけて、そこから血を抜いていた——怪我をしていても構わない場所、というのがそこしかなかったのだ。

 その結果、その場所には傷が治るより早く新しい傷が上から付けられ続け、悲惨な状態になってしまっていた。


 だがそれでも、彼女には飲んでもらわなければ困る。そうしなければ餓死してしまうのだから。


『アンタの血なんてもういらない。マズいし。今後は、他の人から——』


 そんな提案は絶対に受け入れられなかった。そんな事をすれば他者に、イブが魔族であると露見してしまう。彼女は、俺から血液を得るしかないのだ。


『でも……アンタ、それ痛いんじゃないの?』


 確かに、痛みはあった——だが、慣れてしまえばどうという事はない。我慢の仕方ならもう覚えた。しかしそれを彼女は容認しなかった。そして提案されたのが、


『……吸血鬼の唾液には、麻酔や傷薬、媚薬にも近い効果がある、らしいわ』


 だった。


 イブの喉が鳴らしていた音が、止んだ。ぷはっと牙と唇が離れていく。彼女はしばしの間、俯いていた。俺もまた、余韻に少し浸っていた。

 ふと、彼女が顔をあげないまま——寧ろ俺の胸元に頭を押し付けて顔を隠し、問うた。


「アンタは……吸血鬼の契り方って、知ってる?」


「……いや、知らないな」


 そこまで詳しく、吸血鬼の事は知らない。そもそもの絶対数が少ないため、この世界にも資料が多くないのだ。


 ——いつの間にか。


 イブが俺を見上げていた。ドクン、と心臓が跳ねる。彼女の指先が俺の唇に触れていた。

 一秒か、一分か。俺達は時が止まってしまったかの様に、視線を絡み合わせ——


「……な、なんてねっ」


 イブは顔を背けて、先程のは冗談だと笑った。俺は、「そうか」とだけ答えた。もしかしたら、ここでお互いのどちらかが動けば、何かが、変わっていたのかもしれない。

 だとしても焦る必要はないだろう。俺達はまだ5年、あるのだから。


 夜は更け、俺達は交代で睡眠を取り——……


   *  *  *


 ——朝を迎えた。


 やっと乾いた衣類と装備を身につけ、再び森の中を行く。今度は問題なく目的のラブゼリーを討伐した。俺達も二度目という事もあって耐性が出来たのか、なんなく粘液を回収できた——持って来ていたタルへと注ぎ、背負って街へと帰った。


 ……これが、俺達のとある一日。冒険者としての活動の一ページ。単なる、日常の一コマ。


 余談だが、この時期にはもう、俺の右腕の傷は消え始めており、代わりに首元に二つ小さな後が残るようになっていた。俺は意外と、その傷跡が嫌いじゃなかった。

 首元に手を当てながら、思う。


 この傷跡だけは、死ぬその時まで、残っていてもいいかな、と——……


 以上、閑話——冒険者時代のイブとユウの物語でした。


 以下、本編の流れ上、入りきらなかった一幕。


   *  *  *



 俺達はラブゼリーの体液を回収を終え、歩みを進めていた。と、ついに街が見えてくる。その時、呟くようにイブが言った。


「……ラブゼリーの体液って、いくらで買えるのかしら」


「え」


「あ、いや、違うわよ!? 勘違いしないで! ただ、アタシ達の報酬とのマージンがどれくらいあるのか知りたかっただけで!?」


 俺はこの記憶は、残ってなくてもいいかな、と思った——……



   *  *  *


 ……さて、昨日の投稿でも既に宣言しておりましたが、今度こそ次話から、物語は佳境へと入ります。

 このあたりで一度、評価を入れてくださってもいいんですよ?(チラっ


 それはともかく、繰り返しになりますが、最後まで頑張って走りきりたいと思いますので、お付き合い、よろしくお願いします! では、また明日ノシ



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