第六話 『魔王』
―Side Other―
ゆうしゃ達は一瞬でユウの束縛から逃れ、姿を消した——現れたニンゲンの側にどうやってか移動していた。いや、どうやったかアタシにはわかっていた。あれは、アタシの右腕と似た、魔法ではない力によって引き起こされたのだ。
だが重要なのはそんな事ではなく、同時に、予兆もなくユウの腹部が消えた事だった。ユウが、血溜まりに倒れた。
「あ、ぁあ……あぁぁあああぁああ……!」
アタシの喉から、嗚咽とも、叫びともつかない声が溢れた。
身体がついに、アタシの意識に反応を返した。埋まっていた壁から抜け出し、ユウの方へとフラフラと駆けた——ようやく、動けるまで回復していた。
”聖女”アイラ——そうユウに呼ばれたニンゲンが、口を開く。
「どうやってあの状況から生き延びたのかはわかりませんが……流石に無傷ではなかったようで。あの厄介な力を失っていたのは、幸いですね」
アイラが手を挙げるに合わせて、数十のゆうしゃ達が一斉に眼帯を外し、腕をユウへと伸ばす。アタシもまた、ユウへと手を伸ばす——届かない。届かない。届かないッ!
「今度こそ確実に、滅ぼしましょう」
アイラがその手をゆっくりと振り下ろしていく。
——嫌だ。
アタシはまた、失うのだろうか。また、助けられるだけなのだろうか。また、守られるだけなのだろうか。悔しい……そしてそれ以上に、憎い。自分の弱さが憎かった。アタシから大切な者を奪おうとするニンゲンが、憎かった。
——もっと、力があれば。
父を助けられたのに。
——もっと、力があれば。
ユウを助けられるのに。
——もっと、力があれば。
ニンゲンを殺せるのに。
——もっと、力があれば。
勇者を、ゆうしゃを殺せるのに。
——激情がアタシを支配した。
憎い。憎い。憎い。怒りが身体のそこから沸き起こっていた。ドロドロと溢れたそれが、自分の心すら焼き尽しそうな程の熱を発していた。でも、そんなのはどうでもよかった。ただ、アタシの身体を、たった一つの感情が突き動かす。
アイラの視線が何かを感じたようにアタシへと向いた。瞬間、表情が焦りに変わる。すぐさま叫ぶ。
「退避し——」
だが言い終わるよりも、先。アタシの怒りは、言葉として口から溢れ出していた。
「——ヒレ伏セ」
アタシの身体が、爆発した——そう錯覚する程の、真っ赤な魔力が、全身から噴き出した。いや、それはもはや赤色と表現するにはあまりにも濃過ぎた。それは、生物として絶対の頂点に立つ存在にのみ扱う事を許された、異常なまでに濃密な魔力。
——紅。
闘技場を一瞬にして、アタシの魔力が埋め尽くした。あまりにも高い濃度の魔力は、アタシの感情に呼応して闘技場に破壊を齎す。闘技場全体に、轟音と共に亀裂が走った。
誰かが言った。
「——魔王、様」
それは連続する。
「魔王様……」「魔王様」「魔王様……!」「魔王様!」「魔王様ッ!」「魔王様ッ!」「魔王様ッ!」「魔王様ッ!」「魔王様ッ!」「魔王様ッ!」「魔王様ッ!」「魔王様ッ!」
魔族の全員が導かれるように、膝をつき、アタシへ頭を垂れていた。
アイラとゆうしゃ達は先の衝撃で崩していたバランスを取り直し、あらためてアタシを見ていた。アタシはその目を、見返した。
魔力が底なしに溢れてくる。怒りが止めどなく湧き続ける。足が、自然と前へと出た。
一歩進む——ただそれだけで、紅の魔力の奔流がアイラを飲み込み、蹈鞴を踏ませた。同時に飲み込まれたゆうしゃ達は、まるで呼吸困難に陥ったかの様に喉から胸にかけてを押さえ、踞る。
アイラは忌々しそうにアタシを見ながら、ゆうしゃ達へ告げた。
「——撤退」
瞬間、彼等はまるで、夢か幻だったかの様に消え去った——青白い光の残滓だけを残して。
それを見届けると、フッとアタシの身体から溢れていた魔力も霧散した。強烈な虚脱感がアタシを襲っていた。だがアタシは、今にも崩れ落ちそうな足に鞭を打ち、駆けた。
「ユウ……ユウっ……ユウぅううっ!」
彼の下へと駆けつけるべく、魔法を使い観客席へと飛び上がる。一刻も早く治療を行わなければ、彼は死んでしまう。そんなアタシの前に、
「……どいて」
「出来ませぬ」
——ノースが、立ち塞がっていた。
いや、ノースだけではない。イーストも、サウスも、ウェストですら気怠げな目の奥に意思を灯して、アタシの行く手を封じていた。
その間にも、ユウの身体からは血が溢れ出している。
「どきなさいッ!」
「出来ませぬッ!」
と、アタシは今更に気付いた。まだ逃げ延びていなかった魔族や、戦闘や避難に力を貸していた魔族——闘技場にまだ残っていた魔族の全員が、アタシに畏敬を向けるのと同時に、ユウへと憎悪や敵意を向けていた。
——ニンゲンだから。
理由はただそれだけで、十分だった。アタシは彼等の視線に、恐怖を覚えた。彼等は本気でユウをこのまま見殺しにしようとしている——そして何より、アタシは彼等のそんな感情を、痛い程に理解出来てしまっていた。
——アタシ自身が、そうだったのだから。
ユウが命の恩人だろうと関係ない。皆を殺したニンゲン、というだけで殺そうとした。
「……殺せ」
誰かが言った。それが呼び水になったように、彼等の憎悪が溢れ出す。
「ニンゲンを許すな!」「殺せッ! 殺せッ!」「妻の敵だッ!」「ゆうしゃの襲撃も、こいつが手引きしたんじゃないのかッ!」
途方もない憎悪に、アタシは恐怖を覚えた。でも……それでも、
「——黙りなさいッ!」
アタシは彼等の叫びを止めさせ、
「……魔王様ッ!」
進んだ。間を通り抜けようとしたアタシを、四天王達が止めようとして——だが、ビクリと動きを止めた。アタシの全身から立ち上った紅い魔力に、怯んでいた。
ユウの元へと歩み寄り、そして傷口に手を当てた。ありったけの魔力を込めて<治癒>の魔法を行使する。瀕死に思われたユウの傷は、異様な程の速度で癒されていく。アタシの魔力が尽きるその寸前で、彼はついに一命を取り留めた。
「……よかった」
アタシはユウを抱きしめる。涙が溢れた。そんなアタシへ、
「……魔王様。命を助けてしまった事は、もう、仕方がありませんわ。ですがせめて、そのニンゲンは、この地から追放させて下さいませ」
イーストは、そうアタシからユウを引き剥がそうとする——どうすればいい。どうすればユウを守れる? どうしたら、皆を納得させられる1?
そんな思いは——アタシに天啓を齎していた。
「例え誰であろうとも、彼に手を出す事は許さない」
「……ほぅ。それは、どういう意味で?」
狐の面の奥から、鋭く目を細め、サウスが問うた。
「どうもこうもないわ。彼は、アタシの——」
その時の全員の驚愕の顔を、アタシは多分ずっと、覚えているだろう。これは一種の反逆といっても良かった。もしこれが魔王ではなければ、排斥にあっていただろう。でも、それでも、アタシはユウを手放したくなかった。
もしかしたらこれは、ユウにとっても不幸な事なのかもしれない。それでも、アタシは……ユウが、欲しい。ユウの事が……。
「「なッ……!?」」
皆の驚愕の表情に囲まれる中、アタシは、ユウを抱き起こし、そして彼の頬にそっと手を添え——……
* * *
—Side Yuu—
目を覚ますと、天井を見上げていた。あたりへ視線を巡らせる——どこかの医務室のベッドらしい。
「——っ!」
戦いはどうなったッ!?——気を失う直前の事を思い出し、飛び起きる。脇腹に引き攣るような痛み。だがそれを無視して動こうとして、ベッド脇で眠る、イブの姿に気が付いた。
——静寂。
「……戦いはもう、終わったのか」
その時、風がこの部屋に吹き込んだ。彼女の銀の髪が靡き、その僅かに頬を撫でた。
——どくん、と胸が鳴った。
俺は自然と、イブの髪へ手を伸ばしていた。
長いまつげ。真っ白な肌。奇麗な、でも刀を握り続けた所為で少し固くなっている指。細い肩。俺は吸い寄せられる様にその姿を見ていた。
「ん……」
頭を撫でると、微かにイブが身じろぎする。瞼がぴくりと動き、ゆっくりと持ち上げられた。その目は以前よりも深い色合いへと変わっていた——赤よりも深い、紅へと。
その目がぱちくりと俺を見、そして驚愕に染まる。
「ゆ……ユ、ユウッ!? 目が覚めたの!? 大丈夫!? 痛い所は!? アタシの事、わかる!?」
予想外な程に強く心配してくれるイブに、俺は驚き、笑ってしまう。
「だ、ぃ、じょうぶ、だ……ゴホっ、ゴホっ」
「あ、水っ……!」
答えようとして、カラカラに乾き過ぎた口から答えが出ず、咽せてしまう。結構な時間、眠ってしまっていたようだ。
イブが水差しから水を入れ、渡してくれる。お礼を述べる代わりに笑みを返し、口を付ける——と、痛み。
「っ……」
唇に触れた。どうやらここも切っていたらしい。
身体の調子を見るに、どうやら大怪我については可能な限り<治癒>を掛けてくれたようだが、完治や、細かい傷が治るまではまだかかりそうだった。
と、イブの視線に気付く。
「どうした?」
「……な、なんでもない」
イブは「それよりも!」と話を切り、真剣な表情を作った。
「アンタが倒れてからの事を伝えておくわ」
イブは、俺が倒れたあの後、何が起きたのかを語った——……




