第二話 『赤ん坊の生態』
さて、赤ん坊の生態を、俺の実体験と合わせて述べてみよう。
生後0ヶ月〜生後1ヶ月。
赤ん坊は、1〜3時間おきに食事と睡眠を繰り返す。1日の睡眠時間は16時間以上だ。排便も10回以上。また、視力は30センチ先の物すら薄ぼんやりとしか見えない。
つまり、何が言いたいのかと言うと。
——何も出来ねえっ!!
ただ少しだけ状況把握が出来なくもなかった。とはいえ、わかったのは、どうやらここが日本ではないらしい、という事——異なる言語で話している事だけだった。
次は、生後2ヶ月〜生後3ヶ月。
この頃になると、ようやく30センチ先の物が見えるようになる。また、ゆっくりとであれば、動くものを目で追いかけられるようになる。
この時期になると俺は、少しずつではあるが、この外国語を理解出来るようになっていた。のだが、赤ん坊の脳に『理解』という作業はあまりに重労働だったのか、あっという間に熱を出してしまった。
――脳がオーバーヒートを起こしたらしい。
俺にはまだ、思考すら自由にはいかなかった。
そして、生後4ヶ月〜生後5ヶ月
俺はようやく、まとまって自由に思考する時間を確保出来るようになっていた。知恵熱?を出さなくなり、また会話を聞き取る程度に言語への理解も進んでいた。
視力も上がってきており、色々な物が見えるようになってきた……のだが、どうにもおかしい。
率直に、何がおかしいのかと述べれば——
——電子機器が、ない。
まるで中世ヨーロッパにでも訪れてしまったかのようだった。
あっという間に月日は流れ、生後6ヶ月〜生後7ヶ月。
「ぅー……」
少しの間なら出来るようになった『おすわり』をし、顎に手を当てて思案する。
「うふふっ……アークおぼっちゃま、何かすごく神妙な顔してますね」
「わぁー、本当ですっ……ふふっ」
世話役のメイド達が俺を見てくすくすと笑う。
最近になって判明した事だが、どうにも俺は、かなり裕福な家に生まれたらしい。つまりは、両親が赤ん坊に電磁波の影響を与えるのが嫌だとかで、こんな部屋に住まわされている。のかと思ったが、そういうわけでもなかった。
それが発覚したのは、メイドの何気ない行動によってだった。
「にしても、そろそろ暑くなってきましたね」
「ですですぅー。このままじゃアーク様、熱中症になっちゃいますよぅ」
「そうね……そろそろ空調を行いましょうか」
「やったぁーっ!」
——クーラーがあるのか!?
久々に見られるだろう電子機器にノスタルジィを覚えた。
のもつかの間、メイドは掌を伸ばし、言った。
「——<冷気>よ」
ひやり、と心地よいものに身体が包まれる。と、同時に、理解した。
——ま、まま、ままままままま魔法ぉおおおおおおおおッ!?
その日、俺は自分が魔法のある世界に転生した事を、知った。
生後8ヶ月〜生後9ヶ月。
この頃になるとハイハイや、つかまり立ちも出来るようになっていた。
自由に行動出来るようになると、やりたい事——いや、やらなければならない事が出てくる。
——魔法の勉強。
魔法の存在を知ってから、俺は毎日、自分の体内にある魔力を意識して生活を行うようになっていた。
というか、胸の中央になんかずっと違和感があるなぁー、と思っていたそれが、魔力と呼ばれるもの——正確には、魔力を溜めている臓器、であった事に、魔法を実際に見てようやく気付いたのだった。
メイドは最低でも一人、俺の部屋に待機している。彼女に魔法の教本でも読んでもらえれば、それが最高なのだけれど……生後間もない赤子にそんな希望を伝える術はなく、俺は独自に魔力の操作法を模索し続けるのであった。
生後10ヶ月〜生後11ヶ月。
——いやいやいやいや、無理だから!?
かれこれ一ヶ月以上。俺は黙々と魔力の操作について練習し続けていたが、どうしようもならない。いや一応、手応えらしき物はあるのだ。やり方は、そう間違ってないような気がする。
身体の中央に意識を向け、強くイメージする事で、魔力を身体の中央にある臓器から引っぱり出……せそうになる事があるのだ。が、そこからがてんでダメ。まるで強力な電磁石を無理矢理引き剥がそうとしているかの如く、離れない。
この期間、俺は鬱憤を募らせながら毎日を過ごす事になった。
生後12ヶ月〜1歳1ヶ月。
一度目の誕生日を迎え、小さな乳歯が生えて言葉も少しだが発音出来るようになっていた俺は、ついに耐えきれなくてわがままを言った。すなわち、
「ぉーぁうーんぅー! ぉーんぅーえぇー!」
ご本、読んで。
泣いて喚いて必死にアピールした。近くにあった本を叩き、振り回し、抱きしめ——その結果、俺は! ついに! 『読み聞かせ』の時間を手にした! 毎日決まった時間に、メイドに絵本を一冊読んでもらうのだ。
既に発音を理解していた俺が、文字を読めるようになるのはあっという間だった。単純に語句を照らし合わせるだけの作業。そして何より、溜まりに溜まった欲求が爆発した力ゆえ、だった。
1歳2ヶ月〜1歳3ヶ月。
俺は、よたよたとではあるが、あんよができるようになった。それを利用して、かくれんぼと称してこの屋敷の探索に取りかかった。そうして俺はある場所を探していた。
ある場所、とは他でもない——
——書庫だ。
既に文字は覚えた。あとは魔法の教本を探し出し、勝手に読み込めばいいのだ。
俺は期待と意欲で胸を膨らませながら、毎日を過ごし、そして……その場所をついに発見する。俺の計画は着実に進行していた。
1歳4ヶ月〜1歳5ヶ月。
この頃になると、メイドが常に一緒にいるわけではなくなった。そしてメイドがいなくなると、ようやくしっかりとした足取りでできるようになったあんよで、発見していた書庫へと一直線。
書庫を探すのと平行して発見していた、扉を開けるテクニック、最短のルート、脱出に適した時間に従い書庫へと辿り着くと、これまでの欲求を発散させた。
黙々と魔法関連の本を探しては読み、探しては読み、を繰り返した。
この期間こそ、俺は最高に異世界を満喫していたと言えよう。
1歳6ヶ月〜。
——希望は、絶望に変わっていた。
「どうしたのですか、アークおぼっちゃま? 元気がないですねぇ」
「だよねぇー。どしたのぉー、アーク様ぁー?」
「なぁーでも、なぁーい……」
この頃になると俺は二語くらいの文章で、メイド達と言葉を交わす事も多くなっていた。だが、そんな事はどうでもいい。
問題は、
——俺には、魔法が使えない。
と判明してしまった事だった。
本から得た知識に寄ると、この世界には、前世にはなかった”魔力”という存在がある。それは空気中を漂うエネルギー体で、魔法の発動などにも用いられる。……というのは予想通りの内容なのだが、ここからが問題だった。
魔力はそのままでは濃度が薄く、濃縮しなければ魔法の発動などには使えないらしい。そこで活躍するのが、”魔結晶”だ。
魔結晶とは、おおよそ全ての生命体に存在する器官の事だ。例えば俺などの人間であれば、胸の中央、心臓に寄り添うようにして存在しているらしい。
呼吸や食事など、日々の生活の中で魔結晶に魔力が蓄積され、それを引き出す事で魔法を発現させられるのだ。
——充電池。
に似ている、というのが俺の感想だった。
で、本題に戻る。なぜ、俺に魔法が使えないのか。その理由はシンプルな一つの答えに帰結された。
すなわち——
——魔結晶の容量が、あまりにも小さいから。
この世界ではただ生活を送るだけでも、すこしずつ魔力を消費していく。そして俺の魔結晶は、その最低限の魔力を溜められる程度の大きさしかなかったのだ。
その最低限の魔力を無理に使おうとすれば、生体反射が起き、魔力の引き出しを止めてしまうのだ。
——だったら。
と。そこで次に考えたのは、体外の魔結晶を用いて魔法を使う事だった。
魔結晶は、他の動物から剥ぎ取られた物が通貨に使われる程、世の中にありふれた物のようだった。ならば、そこから魔法を使う方法を確立できれば、俺は前世の知識を利用して新たな魔法を生み出すなど、チート的な活躍が——
——出来なかった。
原因は、魔法を発現する際の手順にあった。
例えば俺が魔法を(使えないが)使うとしよう。そうした場合、まず俺は胸の中心にある魔結晶から魔力を引き出し、体内を循環させる事でその性質を変化させる。そして、伸ばした腕の先などから変質した魔力を一気に放出する。
そうする事で、魔法は発現するのだ。
——が。
魔結晶から魔力を取り出した場合、それは単に魔力でしかない。変換、という過程を経させる事ができないのだ。
……となると、一つの疑問が浮かぶ。
——じゃあそもそも、剥ぎ取った魔結晶には価値がないのではないか?
何せ、無意味な、何にも使えない、そのままの魔力しか引き出せないのだから。
だがそれは、否だ。
魔力にはもう一つ、ある性質がある。それは——
——周囲の指向性ある魔力に、同調する。
というものだ。
つまりは、魔法を発動する際、魔結晶を携えて放つ事で、少ない魔力で大きな魔法を発現できる、という事になるのだ。
……さて、ここで改めて考えてみる。
——0にどんな数字を掛ければ、0以外の数字になるだろうか。
俺には魔力をそもそも引き出す事が出来ないのだから。
さらに言うと、もっと根本的な話。魔結晶から魔力を引き出す際にも、この性質が用いられているらしい。
つまり、俺は魔法どころか通貨のやり取りすら困難なのだ。
「アーク様ぁーほらっ、アーク様の大好きな魔法ですよぉー? 面白いですよぉー」
メイドの一人が俺の前で魔法<冷気>を使い、冷たい風を俺に送ってくる。
ずぅぅぅぅぅぅぅん……。
「わわぁ!? な、なんかさらに落ち込んじゃったよぉー!?」
俺はそんな風に、齢たったの一歳半にして、俺TUEEEEという夢をはかなく散らせた——……
次話の投稿は1時間後です。