最終話 『二人で』
―Side Other―
「——二人で生き残るぞ」
その言葉を最後に、ユウは倒れた。だがここまでの全てが――作戦通りだった。あとはアタシの頑張り次第。
彼が倒れてから、一気に糸の切れる音が増えていた——アタシにはとても維持出来るような代物ではなかった。
「……ほんっと、アホみたいに繊細な魔力操作してるわ、アンタッ……!」
ユウは毎晩、アタシが眠った(と思った)後、鬼気迫る表情で魔力を操作する特訓を行っていた。彼は異常な速度で魔力の操作を身につけていった――元々の出力が少ないが故、繊細な操作の練習を誰よりもしやすい環境にあった、というのはあるだろう。
――だがそれ以上に、彼は必死に特訓を重ねていた。
それこそ、命を削っているように見えるほど。
一体何があれば、あれだけ他人のために――アタシのために、必死になれるのだろうか。
アタシはユウの過去を知らない。でもアタシの右腕——左よりも少しだけ長く大きな右腕が、彼のものである事ははっきりとわかっていた。
その掌には、再生能力を上回るだけの素振りを行ったのだろう、同じ傷が――努力の跡が残っていたのだから。
彼はアタシを助けるために、この特殊な右腕を切り落とし、アタシに移植した。彼は何も言わないが、その事は間違いなかった。
なぜ彼はアタシを助けたのだろう。人間にも関わらず、魔族である――それも魔王の娘であるアタシを。そして、なぜアタシに力を貸すのだろう。
彼の構えを見れば――そして豊富な戦闘技術や戦闘知識を見れば嫌でもわかる。彼はそれこそ歴戦と言うべき兵士だったのだろう。それらを投げ出す程の理由とは――それも、普通であれば憎いはずの他種族に捧げる程の理由とは、一体なんなのだろうか。
アタシは彼の事を何も知らないのだ。
……でも、たった一つだけ紛れもない事実があった。
「アタシね……ユウの事が……」
一体どこで、そんな気持ちが芽生えたのだろうか。三ヶ月間、どんなに冷たい態度をとってもアタシを支え続けてくれた――助けようとし続けてくれた、あの日のいつか? それとも、襲われ、穢されようとした時に駆けつけてくれたあの時? あるいは……あの暗い部屋から助け出された、あの瞬間にはもう……。
「……なんてね」
アタシは両手で握りしめ続けていたユウの手を離すと、立ち上がった。糸に纏わりついていた赤と青白い光が消える。張り巡らされていた全ての糸が一気に弾け、エニウェイがなだれ込んでくる――いや、既にユウが倒れたその瞬間から、決壊は始まっていた。
「いつまでも……”アタシの”ユウに触れるなァあああああッ!」
ユウの腹や足に噛み付いていたエニウェイを切り飛ばした。両手で構えたのは、ユウの腰に下げられていた二刀の内の一本だ。イブには長過ぎる刀——だが、今の多くの敵を同時に薙ぎ払うには丁度よかった。
「はぁあああああああッ!」
――人間が、憎い。
刀を振るう。迫り来るエニウェイを数匹纏めて切り飛ばす。
――人間は、敵だ。
右腕から青白い光が溢れた次の瞬間には別の場所でアタシは刀を構えていた。
――人間は、殺さなければならない。
刀を振るう。ユウへと襲いかかろうとしていたエニウェイが一斉に断末魔を上げる。
――なのに、
――なんでこんなにも、ユウの事が……。
きっとこれは、種族としておかしい事だ。
でも……それでも、気持ちを抑えきれない。
もしかしたら、という思いがあった。ユウが力を失ってでもアタシを助けたのは、それだけ人間に対して強い憎しみがあるからではないのか、と。人間に裏切られたからではないのか、と。強い後悔があるのではないか、と。
だから、アタシには心に決めた事があった。
――もしもアタシが魔王に成れたその時は、この気持ちをユウに伝えよう。
そのためにもアタシは生き残らなければならない。生き残って、魔王となるのだ――魔族へ平和を齎すのだ。そして、魔族へ平和を齎す為に――
――必ず、勇者を殺すのだ。
「だから……こんな所で、死ぬわけにはいかないのよぉおおおおおッ!」
身体の奥から、魔力とは違う力が――思いが沸き起こる。赤と青白の光があたりを埋め尽くす。
「――<撃ち抜け>ぇええええッ!」
突き出した掌。そこに凝縮された魔力が、一気に解き放たれる。熱にも似た性質へと変化させられた魔力は、直線上にあったもの全てを焼き尽くす。
それは、同時に他方向へと何本も伸びていた。まるで分身でもしたかのように、自身の姿がいくつも存在していた。それはすぐに掻き消えていたが、伸びた熱線は間違いなく現実のもの――大量のエニウェイが焼き殺されていた。
「アタシをッ、舐めるなぁあああああッ!」
討ち漏らしたエニウェイが迫り来る。それらを必死に切り払う。
魔法と右腕の力を両方を使い、一匹でも多く彼等を屠っていく——だが、とても追いつかなかった。徐々に、アタシ達の元まで到達する者が現れ始める。
ついに、アタシの身体にエニウェイの角が突き立った。
「ぐっ……!」
肘を打ち下ろし、たたき落として、刀で息の根を止める。だが同時に、足へと痛み——足首の肉が食い千切られていた。身体のバランスが崩れ膝を着く。青白い光を纏わせた抜き手を振り抜き、噛み付いていたエニウェイの首をなんとか切り落とす。
その隙に、他のエニウェイがユウへと殺到していた。
「だ、駄目ッ……!」
アタシはユウへと覆い被さった。必死に刀を振るいエニウェイを切り裂くが、それはまるで水を切っているかのようだった。次から次へと彼等は襲いかかってくる。
身体の端から、彼等に浸食され始める。
「ぎぃぁああアぁあアアぅぐぃぎぁアあああグぅッ……!?」
身体中を痛みが襲う。肉が喰いちぎられる。青白い光が身体を覆う。再生が行われる。だが次の瞬間にはそれ以上の肉が喰いちぎられる。再生など、とても追いつかない。
「……ぁ」
脳内にある光景が浮かんでいた。
——生きたまま喰い殺される、自身とユウの姿。
「ぃ、や……」
その恐怖は身体を強ばらせ、剣尖を鈍らせた。
「あッ……!?」
固い手応え。切っ先がエニウェイの角とかち合っていた。腕に反動——手から刀が溢れた。くるくると刀が宙を舞っていた。これを好機と見た彼等が、一斉に覆い被さってくる。
——死ぬ?
アタシが? ……ユウが?
瞬間、世界が静寂に包まれていた。
身体が焼けそうな程に熱い——それは痛みによるものではなく、内部から沸き起こったものが原因だった。それでいて、凍えそうな程に寒かった。世界が止まってしまったかに見える程、アタシは冷静に迫るエニウェイを見ていた。
アタシは、自身の底から沸き起こっていたそれがなんであるかに気付く。
——これは、怒りだ。
赤よりもなお濃い……”紅”く燃える怒りだった。
アタシの口は、怒りに任せるまま、しかし淡々と告げていた。
「——失せろ、畜生」
視界の中でエニウェイが身体を硬直させた。突進の勢いを急速が失せ、目から輝き失った。輝きが失われる直前、そこに映っていたのは——紅に目を輝かせたアタシの姿だった。
地面に転がった幾十もの魔物。それはどれもが口から泡を吹き、白目を剥き、死んでいた。
まだ飛び出していなかったエニウェイもアタシの視界に入った瞬間、ビクゥッと身体を振るわせた。……だが、そこまでだった。
身体から、力が抜けていく。
「ユ、ウ……」
一度は怯んだエニウェイだが、食欲に後押しされるように、再びじわりじわりとこちらへ近づき、取り囲んでいく。
これ以上、何もなかった。できることは、本当にもう何もなかった。
「ねぇ……アタシ、ね……、ユウ、が……」
アタシはユウへと寄り添った。涙が流れた。最後まで一緒にいる、くらいのワガママは許されてもいいだろう——そう思った。
エニウェイが、飛び上がった。アタシはゆっくりと目を閉じ、全てを諦めかけた——その時。
——襲いかかって来たエニウェイを、空から降った剣が貫いた。
「ぇ……?」
それは連続する。降ってくる武器は剣だけではない。斧や槍、矢、銃弾、石。大凡、武器と呼ばれる——いや、呼べるありとあらゆるものが次々と降ってくる。
呆然とするアタシの前へと、付近のエニウェイをひとまず片付けたその存在が舞い降りてくる。それは——
「……バー、ト?」
バート・コーラン——アタシ達の試験官をしていた、あの冒険者だった。
彼はアタシに跪き、そして歓喜の涙を流しながら言った。
「ようやく……ようやく、お会い出来ました——」
「——魔王様」
その姿はぐにゃりと歪み、目も鼻もない、黒い人型へと変化していた——……




