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第二話 『エニウェイ』

 角の生えたウサギの魔物——エニウェイ。俺達は森の中で、1000匹を超える彼等に囲まれていた。森のあちこちからガソゴソと草木の擦れる音や、歯ぎしりの音、キィという鳴き声が四方から聞こえてくる。


「せ、1000匹って……アンタ、適当言ってるんじゃないでしょうね……?」


 イブが嘘であってくれ、と願うかのように俺に言う。

 俺の勘が鋭いのは、長年、戦場に——死地に身を置き続けた経験から導き出される反射故。大まかに言った数も、直感に頼ったものだ。しかし、俺には確信があった——その以上はあれど、それ以下はない、と。


「なんでもっと早く気付かなかったの!?」


「エニウェイなんてどこにでもいる魔物だから……油断してた」


 配達先であるナイトロ鉱山村——その道程にある森に棲息する魔物については、事前に調べてきていた。だがそれが逆に、気をつけなければならないのは、狼系の魔物に不意を突かれる事だけ——と高を括ってしまう事に繋がっていた。


 寧ろ俺は気付くべきだったのだ——ここに来るまでに、エニウェイ以外の魔物が襲いかかって来るのが、あまりにも少なかった事に。


「いやでも、これは予想できねぇだろ……!?」


 なんでこんなにもエニウェイがいやがる!? 巨大な巣が壊されたり、餌場を急に失ったりでもしない限りこんな事には……、っ!

 俺の頭には一つだけ、思い当たる原因が浮かんでいた。


「この前の、大雨……!」


 俺達は魔王城のある街から冒険者登録を行ったイナダワカシハ・シティに行くまでに大雨に降られた上、川の氾濫にも巻き込まれている。今行っている依頼も、大雨による土砂崩れで道が駄目になってしまったが故。

 そのどちらかに、エニウェイの巣や餌場が巻き込まれたのかもしれない――いや、確定だろう。日数的なラグも、空腹で暴走するまでと考えればドンピシャだ。

 俺達は——



「——撤退ィいいいッ!」



 全速力で来た道を引き返す。幸いにもまだ、後方はそこまでエニウェイの数が多くない。俺達は草木の間から飛び出してくるエニウェイを切り捨てながら必死に駆ける。

 だが、間違いなく周囲のエニウェイとの距離は詰まっていた。まるで迫り来る津波を避けようとしているような気分になる——そんなもの、個人の力ではどうしようもない。


「……イブ」


 決断する必要があった。


「——俺が時間を稼ぐ」


 どうせイブが生きていなければ価値のないこの命だ——そう思っての判断だったのだが。


「——んがッ!?」


 イブは急ブレーキを掛け、振りかぶった右拳を思い切り俺へと叩き付けていた。俺は蹈鞴を踏み、二、三歩後ずさってしまう。


「……ふん」


 イブはそっぽを向くと、また走り始めた。俺はぽかんとしてしまう。だが、彼女が付いてこない俺に対してキッと視線を向けて来る——俺はよくわからないままに彼女の後を追い、再び足を動かし始めた。

 彼女はぽつり、と苛立たし気に零した。


「アンタは、アタシのものなんだから……勝手に死ぬなんて許さないわよ……」


「……」


 そういえば……そうだった——俺はイブの置かれた状況を思い出す。このまま一人で彼女が逃げ出した所で、その”先”がない。それでは意味がないのだ。


「……軽率だった」


「……ふんっ、わかればいいのよ!」


 なんにせよ、今のやり取りでさらにエニウェイとの距離は詰まってしまった。このままでは逃げ切る事は確実に不可能。ならば、仕掛けるしかない。


「イブ……力を貸してくれ」


 俺はそう言い、武器とする為に加工を加え、強度が増した糸を取り出した。


   *  *  *


 エニウェイから逃げるためには、ただ木に登るだけでは不足だ。何せあいつらと来たら、食料が木の上にあると知れば木を削り倒してでも捕食しようとするからだ。僅かな時間や、数匹程度の目なら誤摩化す事も出来るが……この状況では不可能だ。

 だから俺達は、


「さぁ、やるぞ……イブっ!」


 掛け声と同時に、待ち伏せていた木の上から地面へと舞い降りた。周囲の何十何百という目が、一斉にこちらを向き、動きを止めた。その瞬間。


「——<閃光>ッ!」


 腕で目元を隠した直後、辺りを光が包み込んだ。いや、それは光だなんて生温いものじゃない——イブの膨大な魔力で放たれた<閃光>の魔法は、網膜を焼く程の威力を有していた。


『ッキィイイイイイイイイッ!』


 エニウェイが悲鳴を上げる。腕を除ければ、そこには身悶えするエニウェイの山。

 だが奴らはすぐに鼻を震わせると、こちらに顔を向けた。怒濤の如く迫り来る。俺達は、その波に飲み込まれる——その瞬間。


 ——エニウェイが肉片へと化した。


 俺の左手から、何十という糸が伸びていた。その糸は木々の幹を経由し、円を描くように張り巡らされていた。そこからは、緑と、赤と、青白い光——その全てが纏わり付いていた。俺の手を抱くように、イブの両手が重ねられていた。

 エニウェイは、その糸に触れる度に分断されていく。


 血の臭いに誘われて、遠方にいたエニウェイも一斉にこちらへと押し寄せ始める。

 始めのエニウェイは糸に気付く事が出来ず自ら死へ飛び込んだ。だが残りのエニウェイは気付いた上で突っ込んでくる——いや、濃密な血の臭いに興奮した、背後のエニウェイに押しこまれてしまっているのだ。

 このまま耐え続ければ、エニウェイは自滅する——と、口にするのは簡単なのだが。


「くそッ、耐えてくれよッ……!」


「うるさいッ! 集中が乱れるでしょッ……!」


 糸で作られた円の中に大量のエニウェイの肉片が散らばっていく。だがその量が増えるに比例して、あちこちから糸の弾ける音が連続した。


 俺達が張り巡らされた糸には今、二つの魔法と一つのチートが掛かっている。


 一つはイブの魔法——糸を覆うように<切断>の魔法が掛かっている。その魔力は物の強度を下げる——反結合力とでも言うべき性質へとなっている。


 もう一つは俺の魔法——糸自体に<操作>の魔法が掛かっている。俺は指に伝わってくる僅かな感覚から魔力を運動エネルギーへと似た性質へと変化させる事で糸を引き締め、あるいは弛ませる事で、掛かる負担を軽減していた。


 最後は<刻字の右腕ザ・ライト>による糸自体の強度の増加。本来であれば一カ所に異なる性質を持った魔力が存在すれば反発するはずだが——この力は魔法ではない。それゆえにこのような重ね掛けとも言うべき所行が出来る。


 周囲に散らばるエニウェイの肉片、肉片、肉片の山。一見すればそれは、無敵のようにも思える……が、断ち切れるのはあくまで肉の部分のみなのだ。強固な角や牙を振るい突進して来たエニウェイを切断する事は出来ない。

 そして恐れていた自体が起こり始める。


「——くそォッ!」


 糸が切れ、開いてしまった穴——そこからエニウェイが侵入し始めたのだ。エニウェイは真っ先にイブへと向かい、その角を頂点にした弾丸の如く、跳んだ。

 その切っ先が、イブへと突き立——たなかった。


「……こ、このバカッ! アンタ、なんで……!」


「……大丈、夫、だ……このくらい。魔力の操作も、問題、な……」


 口から、ゴポリと血が溢れた。エニウェイの角は、俺の腹部に突き刺さっていた。


「アタシなら、右腕の力で傷なんて……!」


「今、一番恐いのはお前の魔法が途切れる事だ」


 右腕の力は、痛みまでは消してくれない——もし彼女の<切断>の魔法が途切れたならば、その瞬間に全ての糸が押し負けて引き千切れてしまうだろう。彼女の魔法がなければ、そもそもエニウェイが殺せない。

 対して俺の魔法が途切れた程度で、起きるのは糸の強度が僅かに下がる事くらいだ。


「戦いが終わった後に、<治癒>すればいい……ほら、集中しろッ!」


 俺は出来てしまった穴を、周辺の糸を操作して埋めながら叫ぶ。


「っ……! わ、わかってるわよォッ!」


 やけくそ気味にイブが叫ぶ。

 俺の腹部に角を突き立てたエニウェイが、腸の咀嚼を始めていた。だが、それを振り払う余裕はなかった。足にも数体のエニウェイが食らいついていた。

 痛みは——なかった。


 ——いや、痛みを感じる段階などとうに過ぎていたのだ。


 魔力が底をついていた。俺がイブに迫った攻撃を庇ったのは、そのためだった。


 ——見込みが甘過ぎた。


 いや、最初から勝てる見込みなど極々僅かしかなかったのだ。選択肢がこれしかないから、そうしただけ。


『アンタは、アタシのものなんだから……勝手に死ぬなんて許さないわよ……』


 先程言われたばかりの言葉が脳内で再生されていた。

 薄れていく身体の感覚。だが不思議と、これだけ追い込まれた状況にも関わらず心は落ち着いていた。


「なあ、イブ……」


 ——もし、俺が勇者だって言ったら、どうする?


 そんな言葉は、続かなかった。代わりに出たのは、



「——二人で生き残るぞ」



 だった。

 俺が攻撃を庇ったのは、二人で生き残るためだ。先程やろうとした自己犠牲の足止めとは、違った。


「……当然よッ!」


 少しだけ、イブが嬉しそうな表情をしたのは、俺の気の所為だろうか。

 だがそれを確かめる時間はなかった。俺に出来るのはただ一つだけ。イブを信じる事だけだった。

 俺の身体は、ゆっくりと傾いでいった——……

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