第一話 『初依頼』
『緊急・配達依頼』
ナイトロ鉱山村、”ゴーレム職人”クッドへ商品を納入する。期限は3日。報酬は——
本来であれば馬車に積んで大量輸送するのだが、最近起きた大雨の所為で雪崩が起き、道が駄目になってしまった。だが緊急に必要としている素材がある。だから、冒険者に運んで欲しい。
俺はそんな内容の依頼書を眺める。また手には、それに重ねて、周辺の地図と、コンパスを握っていた。
イブと二人、森中の道を進む。獣道と言っていいような、人のために作られたとは思えない細い道——普段はほとんど使われていない道だ。
ただでさえ歩きにくい上に、ジメジメとした空気が身体に纏わり付き、ますます俺達の歩みを遅らせようとしてきていた。
「なんでこんな依頼……もっと楽なの一杯あったかもしれないじゃない」
「仕方ないだろ。あのまま断ってたら……どうなってたかわからない」
「あーもうッ! ムカつく! あの”バート”とかいうクソ試験官め……!」
試験官は自身を”バート・コーラン”と名乗った。彼は意味深な笑みを浮かべながら依頼を押し付けて来たのだ——俺達は渋々、頷く他なかった。
もし彼に俺達の会話が——カツラ云々、というくだりを聞かれていたなら、逆らえばマズい事になっただろう。
時刻は日が傾き始めたばかり。以前までならまだ歩みを進め——日が暮れてから慌てて休める場所や飲み水を探しにいっただろうが、今は違う。
俺達は街で、一度目の旅で散々、痛い目を見ると共に学んだ経験を活かし、必要な物を買い揃えてからこの依頼へと出て来ていた。中でも魔力を通す事で空気中の水分を集め、また結露させる事で飲み水を確保する——事を補助する形状の魔杖には、非常に助けられていた。
「……そろそろ野営の準備を始めるか」
「そうね」
俺達は見つけた空き地で準備を始める——というよりも、この空き地を見つけたから早めに野営する事を決めたのだが。
「今でどれくらい?」
「大体、3分の2ってトコだな……明日には着くはずだ」
軽く今後の予定を確かめながら準備を終えると、イブが手をかざして「<熱せよ>」と唱えた。腕の先にあった鍋に熱が灯り、湯が湧く。
「ふふんっ。魔法もかなり安定して来たわね。このペースならもう、アンタなんかいらないんじゃないかしら?」
「へいへい。じゃー今日は訓練、厳しくしてやるよ」
「じゃあアンタは、温かいスープはいらないっていうのね?」
ジィーっと互いに睨み合う。折れたのは俺が先だった。
「はいはい、すいませんでした。でも訓練は必要だろ?」
「わかってるわよ」
食事を終えた俺達は、いつもの訓練を始める。”刻字の右腕”の力を上手くコントロールするためのものだ。確かに彼女は魔力の扱いこそ上達しているが(彼女曰く、取り戻した、だそうだが)、右腕の操作はまだまだ甘い——以前の俺には出来て、今の彼女に出来ない事が多くあった。
立ち上がったイブは、右腕を前へと突き出した。
「——アタシは、<魔王になる>……!」
イブの”力”のイメージは『魔王』だという。そのためか、彼女が右腕を発動させる時のキーは俺とは違うものとなっていた。
彼女の右腕に青白い紋様が——魔法陣が浮かぶ。俺はタイミングを見計らい、彼女へと小石を左の親指で弾き飛ばした。ただ親指の筋力だけで飛ばされたとは思えぬ速度で小石は彼女の顔面へと一直線に向かう。
いや、実際それは魔力を運動エネルギーに近い性質へと変化させ、それによって弾き出している。当たれば間違いなく、大怪我を負う——弾丸並みの速度は出ていた。
「——ちょッ!?」
イブは飛んで来た小石に目を見開いた。が、それはあまりにも遅い。既に眼前だ。躱せる距離ではない——普通なら。
「……っぶないでしょアンタッ!」
イブは一瞬にして弾丸の射線からズレた位置へと移動していた。あまりにも速過ぎる動き。弾丸よりも速い——俺では目で追う事も出来ぬ程。
「そうだね、危ないね。でも出来たじゃないか」
「おかげさまでねッ! ……あー、もうッ」
俺がイブに対して行う訓練は非常に特殊だ。それこそ、大怪我は負って当たり前といったレベル——死にさえしなければ右腕がその力で治癒力を異常なまでに向上させ、傷を癒してくれるとわかっているからこそ出来る訓練だ。
だがイブも本当は、俺にしかこの訓練の指導は出来ないと理解している。何せ俺が行っている訓練とは——俺が能力を発現した、あるいは強化されたと実感した時の状況を再現する事なのだから。
身体を強化させ、瞬間的にではあるが弾丸を視認し躱せる程の速度を得る——そんな風な能力の使い方が出来るようになったのは、俺も敵から不意打ちを受けた事がきっかけだった。
「どうだ、自発的にも発動——、ッ!?」
尋ねようとした直後、視界からイブが消えた。そして、ぽんと背後から肩を叩かれる。
「余裕よ。なんたってアタシは、魔王になるんだから」
イブは発動の文言を見つけてからは——安定して力を発動出来るようになってからは、教えた事は、一度出来たならすぐさま実践できるようになっていた。右腕の力の原理を、理解し始めているのかもしれない。
「恐れ入ったよ。……じゃあ、俺もちょっと訓練するから警戒は任せるぞ」
「了解よ。つってもアンタ、どーせ自分で気付くでしょ?」
俺達は先程から平然と森の中で訓練を行っている——もし普通の冒険者にこんな風景を見られたら、頭がおかしいのかと思われるだろう。なぜ危険地帯でわざわざ体力を消費するのか、と。街に戻ってからやるべきではないのか、と。
彼等の意見は正しい——が、俺達には当てはまらない。
まず、俺達は急いで力を付ける必要がある——こうしている今も、魔族は殺されていっているのだから。
次に、俺達の特訓は誰かに見られるわけにはいかない——赤や青白い魔力なんて、見られれば一発アウトだ。
また、俺の特訓もまた特殊で、誰かにその様子を見られたくはなかった。
「……器用なものね」
「どうも」
俺の左手からは、一本の糸が伸びていた。中指に巻き付けられたそれはまるで、生きているかのように自在に掌の上を舞い踊っている。気を抜けば絡まってしまいそうになる、気を抜けばヘタりそうになるそれを、動かす。
それが終われば、今度は手を少し離れた小枝へと向けて振るった。左手中指から伸びた糸が空中をすぅーっと走り、小枝に巻き付く。と同時に俺は腕を引いた。小枝が勢いにつられて俺の方へと飛んでくる。
それを左手でキャッチし、一息を吐く。糸はただの糸へと戻った。
額の汗を拭った俺を見たイブが、「ふふんっ」と不敵に笑う。
「小枝を取るくらい、アタシなら余裕だけどね」
俺に見せつけるようにイブは指を鳴らした。直後、小枝がくるくると回転しながら彼女の手へと引き寄せられ、収まった。魔力の性質を、引力に似たものへと変えたのだ。
「大変ね、魔力ビンボーは」
「うっせーよ」
イブがそう上から目線で居られるのも当然。彼女は火起こしから何から全て自前の魔力だけで行っている——彼女程の魔力量になると、下手な魔結晶ならあってもなくても変わらないのだ。
対する俺は、糸を結んでいるのと同じ中指に、魔結晶を冠した、安物の指輪を嵌めていた——それを使って、消費を軽減している。
——才能の差、か。
ともかくそんな風にして、なんの問題もなく俺達の初依頼は進んでいった。確かにこの依頼は異色ではあったが、きちんと冒険者組合を通して作られたものらしく、窓口から正式に依頼を受領する形となった。
ならば、初依頼らしく、そんなに難しいものでもないのだろう。
——なんて考えは、あまりにも甘すぎた。
* * *
目的地たるナイトロ鉱山村まで、あと半日といった所。
「——ッ!」
俺は足を止めて小太刀を引き抜いた。全身から嫌な汗が流れる。動悸が激しくなる。死がすぐ側まで迫っている事を感じた。
すぐさまイブも続いて腕を上げる。魔力を体内で循環させ始める。
これまでも何度か戦闘はこなしていた。魔力操作の感を取り戻したイブが居れば、大概の魔物は相手にならない。だが……。
「状況を説明しなさい」
イブは俺の様子に、異常事態が起きている事を察していた。
「悪い。やられた……完全に囲まれた」
「相手は? 数は?」
「”エニウェイ”だ」
エニウェイとは、どこにでもいるような——街の側でさえ良く見かけられる、弱い魔物だ。外見は、ウサギに角が生えたような外見。大きさも地球にいるウサギより一回り、二回り大きい程度の、小型な魔物だ。
「エニウェイ? ならそんなに……」
俺達がこの森で戦闘をこなした敵は、そのほとんどがエニウェイだ。かすり傷さえ負う事なくあっさりと撃退して来ている。
だが、その魔物はある限定条件下で最恐の魔物となり得る。
「数は——」
俺はその事実を突きつけた。
「——1000匹、以上」
「なっ……!?」
イブも俺からの情報に顔色が変わった。
エニウェイの恐ろしさは、その繁殖力と——それに伴う食欲にある。1匹見れば10匹いる。10匹見れば100匹いる。100匹見れば……。
だから誰もが言うのだ。
——エニウェイを見つけたら、”兎に角”殺せ。
と。




