第四話 『人と非人』
「——だってアレ、人間じゃありませんよ?」
それはまるで、幼い子供に『これは林檎だよ』と教えるような、そんな声音だった。
彼女は眼下の光景へと視線を下ろした。
「——勇者様のお陰です」
嬉しそうな笑みで、そう俺へ告げてくる。
「——ッ! ……ぁ、……ぁ、……ぁッ……!」
頭の中がぐるぐると回る。視界がぐにゃりと歪む。
俺が瞬きをする間に百、二百という命が消えていく。『勇者様のお陰です』——俺は、自覚してしまう。この光景を引き起こしたのは、俺だと。
彼等を殺しているのは他でもない——俺自身だった。
「——〜〜〜〜〜〜ッ……!」
激しく吐瀉した。
「ゲボォっ……ゴホッ……ち……違、う。俺は、俺がやりたかったのはこんな事じゃない。俺が成りたかったのは、こんな殺戮の主導者じゃないッ……! 勇者だッ……勇者なんだ……!」
アイラの足下に縋り付いて、懇願する。
「た、頼む……やめさせてくれッ! 皆を止めてくれ……なぁッ! アイラの言葉なら皆聞いてくれる! それくらい出来るだろ!?」
俺には魔法が使えない。彼等に『やめろ!』という声を届ける事もできない。アイラしか、この状況を止められる者はいない。
彼女は静かに目を閉じ、俺の頭を抱いた。優しく、頭を撫でられた。
——わかって、くれた。
俺の身体から強ばりが取れていく。彼女は優しい声で言った。
「——できませんよ?」
アイラは、拒絶した。
俺は、彼女を反射的に突き飛ばした。
「なんでッ!? なんで、なんでなんでなんで……! なんでなんだよ! わかってくれよ! わかれよ! 頼むよ……頼むから、だから、もう、殺さないでくれ……殺させないでくれよ……!」
俺は頭を抱えて踞る。耳を塞いでも人間達の狂声が、魔族達の絶叫が、聞こえてくる。聞こえてきてしまう。
と、その時。俺の耳に絶叫に混じり、複数足音が聞こえた——誰かがここへ来る。それは今の俺にとって、地獄に下ろされた蜘蛛の糸のようだった。
俺はテラスの入り口を振り向いた。誰でもいい。現れた者に、魔法で俺の声を皆へと届けてもらうのだ。
だが、そこに立っていたのは、
「——魔王の、きさ、き……」
その——”首”を持った少年少女だった。
絶望に染まったままの妃の顔が、そこにはあった。真っ赤な血が、ポタリポタリ断面から零れ、床に赤い水溜まりを作っていた。
その少年少女は皆が一様に、白い拘束衣を纏い、左目を眼帯で覆っていた。そして、満面の笑みを浮かべていた。
「「せいじょさまぁー! ころしましたぁーっ!」」
彼等はまるで上手く書けた母親の似顔絵を自慢するかのように、掲げた首をアイラへ見せびらかす。彼女は、安堵するように微笑んだ。
「よかった……皆、間に合ったのですね。よく殺してくれました」
「……な……なん、」
俺の口が、震えた。
「なん、で……」
魔王との約束は? 妃にも、もはや戦意はなかっただろ? なぜ殺す必要があった? この子供達は一体何だ? ——いくつもの問いが頭の中で絡まり、こんがらがり、口からその『なんで』の続きが出てこない。
だが、その意図は聖女に伝わっていた。
「——やっぱり、ダメですね」
聖女の俺を見る眼から、感情が消えた。表情は微笑んだまま。だが、俺を見るその眼には、なんの感情も浮かんでいなかった。いや、寧ろ嫌悪や憎悪、敵意にもほど近いものが、そこにはあった。
全身の肌が泡立つ。
「……アイ、ラ……?」
「勇者様。どうやらやはり、わたしは間違っていたようです」
アイラはゆっくりと俺に歩み寄る。
俺は気付くと後ずさっていた。なぜか、俺の顔は笑ってしまっていた。口から言葉が次々と溢れた。
「な、なぁ……アイラ。ボクさ、この戦いが終わったら、君に伝えたい言葉があったんだ……」
アイラがさらに一歩、近づく。俺は一歩、下がる。
「前にアイラは、ボクが君の事をどう思ってるかって、聞いたよな……?」
アイラが迫る。俺の下げた足——踵が、壁に当たった。
「ボクは……アイラの事が、好きだ。この好きは、皆に対する好きとは違う——特別な、好きだ」
アイラが迫る。俺の背が壁に張り付く。もう下がれない。
いつの間にか少年少女が、俺を囲んでいた。
彼女は笑った。俺も笑った。
アイラの言葉が、妙にはっきりと、俺へ届いた。
「——穢らわしい」
喪失感を、俺が襲った。急に身体が支えられなくなり、崩れ落ちた。
「……ぁ」
ショックで? ——違う、物理的に。
俺の足が、なくなっていた。まるでそこだけを空間ごと切り取ったみたいに、唐突に足が消え失せていた。斬られたわけでも、抉られたわけでもない。痛みすら感じなかった。
血が噴き出してからようやく痛覚が現実に追いついた——俺を、痛みが襲った。
だが絶叫するよりも先。今度は左腕が消え失せた。続いて脇腹、腰、肩。次々と身体が消えていく。何が起きているのか、全くわからなかった。
——魔法、ではない。
そこには魔力独特の緑色の光は一切なかった。だが代わりに、俺の視界に、青白い燐光が映り込んでいた。
これは、俺の……勇者の、力の、はずだ。俺だけの、神の力の光……なのに、なんで。
顔を上げたそこには、少年少女の姿。
——彼等の左目が一様に、青白い光を放っていた。
眼帯を取り払い、見開いた左目。魔法陣の浮き出た眼が俺の身体を向く。と同時、その部位が消し飛んでいく。
「……ぁ、……ぁ、……〜〜〜〜〜〜〜ァああハはあははハ……ッ!」
辺りに内蔵がぶちまけられ、糞尿の臭いが立ち上る。口や鼻から吐瀉物や血が溢れ出す。双眸からは何が原因かももはやわからぬ涙があふれ、だがそれでも表情筋は笑いの形を作り続けた。
絶叫と嗤い声か、自分の口からごっちゃになって吐き出されていた。
「本当に、穢らわしい——」
「——人非人が、わたしの名を呼ばないでください」
俺はその時、全てを理解した。
——なぜ、彼女が俺が異世界人だと知っているのか。
その答えは一つしかない。俺は頭の中でいくつものピースが噛み合うのを感じた。
俺に、右腕に関する資料を渡したのは誰だ。いや、そもそも——この世界に俺を引き込んだのは、誰だ。
「やはり、人族を守るのに、人族以外の存在を用いるなど、間違っていたのです……」
アイラが、錫杖を打ち鳴らした。膨大な緑色の光が溢れる。だが俺は、全身がその渦に飲み込まれた瞬間、光の奥にあるものを見た。それは、青白く輝く魔法陣。そこに刻まれた文字は、『刻字の右腕』に刻まれている物と瓜二つ。
彼女が心から嬉しそうに笑みを浮かべた。
「——ああ、これでまた人族の脅威が一つ減ります」
視界が、緑から青白、そして——黒へと変わった。
俺の意識は、そこで完全に途切れた——……




