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第三話 『魔王死す』

「……はは、やってしまった」


 魔王が力なく笑う。俺の握る刀の切っ先は、その胸の中央を貫いていた——生体を構成する最も重要な器官である魔結晶を砕いていた。


「あ……貴方……いや……いやぁあああああああッ!」


 妃が絶叫する。

 だが、血は止まらない。魔王がもつはずの、不死身にも近い治癒能力がほとんど働いていなかった——それもまた、<刻字の右腕>の力によるものだった。


「勇者……お前の勝ちだ」


 魔王が告げた。その身体からは紅い魔力が垂れ流れ、霧散していく。死が、始まりつつあった。


 だが俺には、魔王の言葉を受け入れる事ができなかった。だって、魔族は悪逆なのだ。このような、まるで人間みたいな——心のある生物みたいな行動を、取るわけがない。他者を守る為に——愛する物の為に自分の命を引き換えにするなど、ありえない。

 ならば、俺は、一体——



 ——俺は今まで、”何”を殺してきたんだ……?



 魔王は、剣の撮れた表情で、身体に突き立った刀もそのままに、ゆっくりと立ち上がる。そして、数十の階段を一歩一歩登っていくと、王座に座った。まるでそこを、自分の死に場所と決めたかの様に、身体を預けた。


 妃は彼に寄り添う。涙を流しながら、まるで祈りか謝罪でもするようにその手を握りしめていた。

 魔王が俺達を感慨深そうに見下ろしてくる。その視線が俺と交錯した。彼はゆっくりと口を開いた。


「勇者よ……頼みがある」


「……頼、み?」


 魔王からそんな言葉が出るとは思わず、聞き返す。


「ああ、頼みだ」


 それは、とても魔王が口にしたとは、到底思えぬものだった。


「……此奴こやつには今後一生、人族に攻撃をせぬよう誓わせる。だからどうか、見逃してやってはくれまいか」


 魔王は、妃を見逃す事を望んだのだ。

 妃が目を剥き、「貴方!? い、一体何を——!」と凄い剣幕で怒鳴る。が、魔王はその穏やかな笑みを崩さなかった。


「これは、王としての命令ではない——夫としての、頼みだ」


 その言葉の重みに、込められた愛の強さに、俺は何も言えなくなった。

 妃も何かを言おうとして、だが堪え、静かに涙を流した。

 魔王と、妃の視線が絡んだ。妃は何かを託されるかのように頷き、二人は口づけを交わした。


 ほんの、二、三秒の後。

 妃が床を蹴った。背に生えていた蝙蝠の翼が巨大化し、外へと続く大扉から抜け出そうとする。が、それを許さない者が居た。


 ——聖女だ。


「逃がしませんッ! わたしは、一体たりとも魔族を見逃すつもりは——」


 が、その動きが止まる。


 ——凄まじい、威圧。


 動けば、死ぬ。それをはっきりと感じた。魔王の威圧が——いや、命をかけて愛する者を守ろうとする一人の男の意思が、俺達を縫い止めていた。


「御主達が我の頼みを聞いてくれるならば、我は素直に死を受け入れよう。だが……もし妻を害するつもりであるならば、肉片一つに成り果てようとも、貴様等を殺すために戦い続けようぞォ……」


 聖女は、ゆっくりと錫杖を下ろした。

 魔王の威圧が止む。


「願い、聞き入れてくれた事を感謝する」


 俺はようやく息を吐いた。魔王はそんな俺の様子を眺めた。それから、ちらりと聖女に一度だけ視線を移した後、俺へと尋ねた。それはまるで、揺るがぬ聖女の瞳と、揺らいでしまった俺の瞳を見比べているかのようでもあった。


「勇者よ——」



「——其方は、何の為に戦っている?」



 その問いに、俺の心臓が跳ねた。


 ——俺は……なんの為に……?


 人族が不当に傷つけられるのを見ていられなかったから。だから俺が勇者に、英雄になろうと思った。戦おうと思った。

 でも、どうだこの状況は。今にも消えようとしている目の前の男は、殺すべき存在だったか? 妻を愛する、ただの男ではなかったか?

 ……いや、そもそも。


 ——俺は本当に、誰かを守る為に、救う為に戦っていたのか?


 寧ろそれは魔王の……。


「……ぅあ、……っ」


 口を開こうとし、だが何も言葉が出せなかった。

 魔王はそんな俺の様子を見ると、まるで我が子を見る父の如く、優しく微笑んだ。その全身が弛緩し、魔王の瞼がゆっくりと下りていく。彼の身体から、最後の紅い魔力が零れていく。


「そうか……なら、最後に一つだけ……先代もしたという質問をしてみようか」


 彼はそう言って、掠れた声で、辞世の言葉を口にした。


「勇者よ、世界の半分を其方にやろう。その代わりに——」


 その質問は、前世で何度も目にした、耳にしたもの。だが続く言葉はまるで違った。



「——その半分の世界を、御主が守ってはくれまいか」



 その言葉を最後に、魔王の動きが止まった。最後の紅い一雫が、宙に消えていた。


 ——魔王は、死んでいた。


 魔王は王座で微笑んだまま、まるでそれが一枚の絵画のように、静かに息を引き取っていた。だが同時に、そこにははっきりと大切な物を守ろうとした男の意思も存在していた。

 彼に触れようとしたのであれば、今にでもその眼が開き、こちらを害して来るのではないか。そう思える程の威圧感が、死んでなお、そこにはあった。


「勇者様、貴方様のお陰でこの世界は救われました。戦いは、終わったのです」


 ——終わっ、た。


 そうだ、俺達の目的は魔王を倒す事。今、十年来のその悲願が果たされたのだ。


 ——なのに、全く俺の心は晴れなかった。


 何かを、決定的に間違えてしまったような感覚。


「皆に伝えにいきましょう。人族の勝利を」


「あ、ああ……」


 聖女の後に続いて、歩き出す。王座の間の外では、既に戦闘が止まっていた。両陣営が共に、俺達へと視線を注いでいた。

 魔王城を歩き、巡る。辿り着いた先は、魔王城の中程の高さに設けられたテラス。そこからは、城下を——戦場の全てを見下ろす事が出来た。


『——聞きなさいッ!』


 聖女の<拡声>の魔法が働き、声をこの場にいる全員へと届ける。人族の魔族もなく、全員が剣を止め、こちらを向いていた。歓喜か、あるいは絶望の表情で。

 そして、宣言がなされる。


『——人族われわれの勝利ですッ!』


 爆発のように歓声が湧いた。人族達が武器を高く掲げ、己等の勝利を喜ぶ。

 同時に、絶望に満ちた慟哭が響いていた。魔族達が武器を取り落とし、地面に踞って敗北に悲痛の涙を流す。


 ——そうだ、戦争は終わったのだ……。


 例え、何かを間違えていたとしても、それでも、戦争を終わらせた事は事実なのだ。それ以上の事があるだろうか? 俺は間違いなく、平和を生み出したのだ


 ——俺は、本物の”勇き”を為したのだ。


 そう、思ったその時。

 声が聞こえた。



『——では、残党を処刑しましょう』



「……ぇ?」


 俺は一瞬、その言葉を認識出来なかった。


「……アイ、ラ?」


 彼女は誰よりも優しい心の持ち主だった。見知らぬ他人の為にすら命を掛けてしまう程に健気で、愛に溢れた人間——その、はずだ。そんな彼女が、あんな言葉を言うなど、ありえない。

 だが、聞き間違いなどではなかった。


 ——絶叫が、木霊した。


 ハッと眼下を見下ろした。だが俺はその事を心から後悔した。こんなもの、見たくなかった。そこに広がっていたのは——地獄だった。


「ぃや……殺さないでくれ、お願いだ……誰かた、」


「死にたくない……死にた、」


「娘がいるんだ。俺はあの子のもとに、」


 言葉は全て、途中で断末魔へと変わった。いや——彼等だけじゃない。殺されているのは、魔族の兵士だけではなかった。


 人族の兵士は、民家の扉を破ると、続々とその中へと侵入を果たしていく。あちこちから、甲高い悲鳴や絶叫が聞こえてくる。

 家屋の中から外へと強引に女子供を引きずり出す兵士の姿がそこにはあった。彼等はその首を、刎ねた。あるいは、服を剥き、身体を切り刻み、痛みで動けなくなっている女共を強引に犯していた。


「あ、アイラッ……!」


 俺はようやく我に返り、アイラの名を叫んだ。


「勝負はもう、着いただろ!? だったら、もう殺す必要なんてないだろッ……!? こんな事をする必要なんて、ないだろッ!? 俺達は共存だって——」


「……えっ?」


 アイラが不思議そうな顔で答えた。



「——だってアレ、人間じゃありませんよ?」



 瞬間、俺の全身を強烈な寒気が襲った。


 それはまるで、幼い子供に『これは林檎だよ』と教えるような、そんな声音だった。俺はようやく、初めて、自覚した。彼女は……彼女達は、自分とは根本が違う存在なのだと。

 俺とは、異なる価値観の中で生きている——


 ——異世界人なのだ、と。

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