第二話 『勇者vs.魔王』
なんというプレッシャー、なんという魔力。これが……魔王か。
大柄な人型。銀の髪。黒いマント。被った王冠。そして、魔族の誰よりも濃密な赤——いや、紅の瞳。髪と目の色、そして青過ぎる肌の色に目を瞑れば、ただの人と言われても通用してしまいそうだ。
「我が名は”魔王”デイビッド・モーニングスター。ここにいるのは我が伴侶、リリィ・モーニングスターだ」
と、彼の声でようやく隣に控え立つ女性の存在に気付く。あまりの魔王の魔力に覆い隠されて気付かなかったが、彼女もまた恐ろしいまでの魔力を孕んでいるのがわかった。
赤い瞳、銀の髪、美しき容貌と肢体。その背からは蝙蝠のような小さな羽が覗いていた。こちらを見て微笑んだ口の隙間から、尖った八重歯と艶かしい舌が見えた。
「其方達の名を述べよ」
名を問われただけ。にも関わらず腕が震えそうになる。カチャカチャと今にも、刀が音を鳴らしてしまいそうだった。
だが、アイラは違った。彼女ははっきりとその紅い瞳を見返すと、一歩進み出て、はっきりと告げた。
「わたしは、”聖女”アイラ・V・ヒューマン。わたしはあなた達の悪行を決して許しません。あなたをここで討ち、必ずや人族に平穏と幸福を取り返します!」
その言葉に俺は自身の冷静を取り戻す。いつも、彼女の言葉には助けられる。彼女の言葉を聞くと、力が湧いてくる。まるでその言葉自体に魔力のような、何か力が宿っているようにさえ感じる。
俺は続くように一歩前へ進み、名乗ろうとした。
その時。
「——くハッ」
ギョッとするような声で、魔王が嗤った。
「……はッ、はは、ハハはハハはハハハはハハはッ!」
それは、まるで蟻が人間に『お前を倒す』などと言うのを聞いたような——これ以上ないくらい滑稽な洒落を聞いたような嗤いだった。
だが真に恐ろしいのは、その嗤いが突然に止んだ時だった。
「——貴様かァ……小娘ェぇッ……貴様が仕組んだのかァ……!」
「仕組んだ? なんの事かわかりませんが」
魔力の、噴出。魔王の身体から、紅の魔力が噴き出し、一瞬でこの広い王座の間を満たした。彼はその全身で、憎悪にも近い怒りを現していた。彼ははっきりと、アイラへとそれを向けていた。
「なんにせよ、魔族に——それも最も底辺たる魔王などに、貴様呼ばわれする謂れはありません。……いい加減にくだらない会話などやめさせて頂きます。わたしはただ、あなたを殺すためだけにここにいるのですから」
聖女が錫杖を地面へと打ち下ろし、清らかな金属音を鳴らした。辺りに緑色の魔力が広がる。それは魔王の魔力を押し返し、拮抗する。
「……! これほどの魔力……貴様ァ……」
「話す事など何もありません」
もう一度強く、アイラは錫杖を打ち鳴らした。魔力がうねり、巨大な蛇が喰らっているかの如く、魔王が放出した紅い魔力を押し返し始める。
俺はそのあまりにも多い魔力に目を見開く。俺はこれまでの戦いで、アイラの魔力が尽きる、という場面を見た事がなかった。彼女の本気がこれ程までとは——魔王に迫る程だとは、思いもしなかった。
だが、これなら——勝てるかもしれない。
「違いますよ、勇者様。わたし達は——”絶対に”勝つのです」
「……ああ、そうだったな」
俺は両の手に握った長短二本の刀を、今一度強く握りしめる。包帯は既に解かれ、青白い光が身体を覆い始めていた。
「……いいだろうッ! 貴様等のその思想、全て我が打ち砕いてくれようぞォッ!」
魔王が立ち上がり、一飛びに数十の段差を飛び降りてくる。放出される魔力の量がさらに増える、と同時にそれらは形を変えていく。魔法の発現だ。だが今までに見たどんな魔法よりその変質までの流れに無駄がなく、素早く、また巨大だった。
「——<暴威>」
暴風の如く破壊が吹き荒れ、アイラへと殺到する。アイラはそれを迎撃する構えを見せた。かのように思われたその時、
「勇者様ッ!」
「ああッ!」
彼女は攻撃を無視し、魔王の妃へと自身もまた攻撃の魔法を発現させ、放っていた。全ては段取り通り、だった。
「ぬッ……貴様ッ!」
「大丈夫です。私とて魔王たる貴方様の伴侶……この程度ッ!」
だが魔王の妃も、人並みではない魔力の持ち主——同時にそれは、それだけ強力な魔法の使い手である事を示す。アイラの魔法を全て、対抗的に放った魔法で迎撃してしまう。
だがアイラへと迫っていた魔法もまた、全て迎撃される——俺が全て刀で切り裂き、”掻き消して”いた。
「ッ……! 忌々しい勇者めが……!」
勇者にしか魔王は倒せない。それはこの世界で周知の事実であるが、当然そこには理由がある。
魔王とは、魔族の中で突然変異的に生まれる異常なまでの強大な魔力の持ち主の事——ひいては、その力を用いて魔族達を統括する存在の事を言う。それはすなわち、どういう事か。
魔族とはそもそもが、人族よりもずっと巨大な魔力を有している。個々の力で比べれば、人族の兵士が1であるならば、魔族は10か、あるいはそれ以上だ。
つまり、魔王はこの世界で最も魔力の巨大な存在である。
魔力が多いとどういう事が起きるか。端的に言えば——
——不老不死。
その治癒力——再生力は他の生物の追随を許さない。例え首が立たれようとも、身体を刻まれようとも、その魔結晶が砕かれない限りは蘇る。
そして、その魔結晶こそが再生力の根源たる魔力の塊である。常時掛けられた<硬質化>——結合力などの増加は、魔王以上の強力な魔法でなければ、魔結晶を砕く事を、傷つける事を、許さない。
すなわち、人族の力では、魔法の力では、絶対に殺せない。
——だからこそ、勇者なのだ。
勇者の——この『刻字の右腕』の力は、”魔法ではない”。魔法とは異なる原理によって動いている。それはすなわち、魔法というこの世界の法則を無視して、事象を起こす事が出来る、という事だ。
魔法ではない——言うなれば、”外法”。いや、その言葉さえ正しくないだろう。俺は既に、この力がなんと呼ぶべき物なのかを知っている。知っているからこそ、その力を引き出せる。
これは——
——神の力だ。
この力は、この世界で事象を起こすのではない。外の世界からこの世界へと干渉し、まるでゲームデータの改竄を行うように、この世界では起こりえない現象を引き起こすのだ。
もちろんその範囲にも限度があるが、重要なのは、疑いようのないただ一つの事実。
——この力を用いれば魔王を倒せるという事。
俺達はそれぞれ、魔王と俺、妃とアイラとでの分断に成功した。戦闘の流れを掴んだのは、俺達だった。
魔王の魔法が縦横無尽に俺へと迫る。俺は暴風のような魔法に飲み込まれた——かと思いきや、そのすぐ隣を駆け、魔王へと接近している。
だが魔王は即座に攻撃を切り替えて対処してくる。
大きな一撃がダメならば、無数の連撃で——そんな意図の下か放たれてくる全方位からの火炎。
俺はその火炎を両の刀でそれを両断した。同時に放たれてきた数十の火炎が、俺に同時に切り伏せられ、掻き消える。
通常、魔法で生まれた炎を切る事などできない——それは、普通の炎が剣で切れないのと同じ理屈だ。だが、俺の刀はその理外に位置している。だからこそできる芸当だった。
魔法と魔法の途切れ目——俺は、一際強く、踏み込んだ。一瞬も掛からぬ内に魔王の眼前にて、刀を構え終えていた。
「——断ッ!」
気合いの声と同時に、刀を振り抜く。手応えは、
「——ッ!?」
なかった。
そこにいたのは無数の蝙蝠。それらをいくら切っても、まるで影に切り込みを入れようとしているかのように手応えがない——いや、それはまさしく影だった。俺は僅かに空間が揺らいでいる事に気付いた。
背後からゾッとした気配。咄嗟に飛び退く。が、遅かった。
「貰うたぞ……左腕」
身体のバランスが唐突に崩れた。遅れて、視界の端を飛んでいく短刀に気付く。手からすっぽ抜けた、のではなかった。その柄には、今なおしっかりと刀を握り続ける俺の左手があった。
俺の左腕が半ばから失われて——
——俺は”左腕”を振るい、短刀で魔王の胸元を斬りつけた。
「ぐぬぅッ——!?」
俺は”全身満足”の身体でさらに魔王へと突進する。右手に携えた長刀を追撃すべく振り抜く——が、流石にこれは躱される。
「……勇者め。なんとも馬鹿げた能力をしている」
魔王が額から汗を一雫、垂らした。
——押してる!
俺は勝利へとさらに近づくため、魔王へと足を踏み出し——
「——だが……まだまだ若いな」
「ッ——勇者様ッ!」
気付いたのは、俺よりもアイラの方が先だった。
「もう遅い」
ガクン、と急に俺の膝が落ちた。いや、落ちたのは膝というよりも——地面だった。
魔法ではない、カラクリの類い。異世界から来たからこそ、俺はこの世界には魔法しか攻撃手段がないと思い込んでしまっていた。
まさかこんな所で、しかも世界で最も巨大な魔力を持つ魔王が、魔力の余波を感じさせないそんなトリックを用いてくるとは、全くの予想外だった。
魔王は一歩下がると同時、床の一部を踏み、押し込んでいた。それが落とし穴のスイッチになっていたのだ。
身体が宙に浮く。魔王がその隙を見逃すはずもない。確実に殺す——そんな本気の魔法が、全方位から俺へと殺到してくる。
——”躱せない”ッ!
なんとか魔法を迎撃するために動く。左右の刀を不安定な空中で振るい、魔法を掻き消していく。が、とても追いつかない。
——そう、二本じゃ。
「——ッらぁあああアアアアアアァッ!」
俺の腕がその時、ブレた。二本が四本に、四本が六本に、腕と刀の数が増加した。先程まで使っていた、分身にも似た技の応用——俺の、魔王を倒す為の切り札、だった。
阿修羅の如く、刀を振るい迎撃を行っていた。
だが魔王も、この好機を決して逃さぬ、とさらに魔法を放ってくる。徐々に迎撃が追いつかなくなってく。僅か数秒。いや、コンマ数秒の攻防。だがここが、勝敗の境目だった。
そしてついに——魔法が俺へと、被弾した。その衝撃で手元が狂う。魔法を、切り損ねる。さらにその何十倍もの魔法が俺へと殺到する。俺には躱す術がなかった。
「がぁアアアあああぁアアアああアッ!?」
全身が破壊されていく。魔法の当たった場所の肉が弾け、骨が砕け、内蔵が飛び散る。身体が上下左右に殴り飛ばされ、その先ではさらに魔法が待っている。
宙を踊るかのように打ちのめされている自身を自覚する。
——死。
ほんの僅かな油断が、この状況を作ったのだ——勝利を確信した瞬間に生まれた隙が。しかし、ギリギリで俺は持ちこたえる。
足が地面に着いた。と同時に飛び退り、魔法の連打を回避した。
「……よくぞここまで耐え抜いた。賞賛しよう。だが、ここまでだ」
魔王が告げる。その事実は俺もよくわかっていた。足がふらつき、膝を着いてしまう。回復が追いついていなかった。この隙はあまりにも致命的。逃げ延びはした。が、今これ以上の魔法を受けて、躱しきる——あるいは掻き消しきる事など、不可能だった。
「……安らかに眠るがいい」
魔王が告げ、魔法を発現せんと腕を伸ばし——だが。
「……ははっ」
——ギリギリで間に合った。
俺は飛んだ。だがそれは魔王へ、ではない。真横へ、だった。
その飛んだ先にあったのは——妃の背中。
「——アイラぁああああアアアッ!」
「——勇者様ぁッ!」
アイラは戦いが開始してからずっと——いや始まる前から、タイミングを計り続けていた。妃を、俺の方へと誘導するタイミングを。
俺の、残った力を振り絞った跳躍。それはまるで、地を滑るかのよう——弾丸のよう。その勢いを乗せた刀の切っ先を突き出した。
妃が躱そうと身を傾ける。だが聖女の魔法が既にそこで待機していた。
爆発。妃の身体が弾かれ、刀の切っ先へと押し戻される。
「ッ——。ごめん、なさい……貴方——」
彼女はそう静かに目を閉じた。
——鮮血が、舞った。
俺の手に、はっきりと手応えが返ってくる。打倒した、という事実が伝わってくる。
しかし、頭の中には疑問が満ちていた。
「なん、で……」
「……はは、やってしまった」
刀に貫かれていたのは——魔王だった。
彼は、刀と妃の間にギリギリで割り込み、そして自身の身体でもって切っ先を受け止めていた——……




