第四話 『解読完了』
強い日差しが差し込む窓。聞こえてくる喧噪。
それとは隔離された図書館で俺はたった一人。
「……でき、た」
眼前に積み上げられた、紙の束を前に息を呑む。ここまで3ヶ月かかった。入学から考えれば半年だ。
だが、
「はは……ははッ、あはははははッ! そうか……そういう事かッ! この力は……!」
俺はようやく、右腕の正体を掴んでいた。これが本当だとしたら、俺はこの力を1%も引き出せていない。俺は、本物の勇者になれる……!
笑みが溢れて仕方がない。もはや学校に通い続ける意味もない。あと俺は、ただ一心に、この資料に従って右腕の使い方を特訓すればいい。
と、その時。人の声が俺の思考を打ち切った。
「あっ……やっと見つけた……」
「ん……?」
「え、えと……私の事、覚えてくれてる、かな」
そこに立っていたのは、あのとき貴族の男子生徒に絡まれていた、気弱そうな女子生徒だった。確か、中等部1年生だと言っていた。名前は——
「フィオナ先輩?」
「うん……フィオナ・ウルティモです。えへへ……」
彼女は短めの茶色い髪のもみあげを指先で摘むと、照れを隠すようにこねこねと弄った。
タレた眦、薄い体付き、細い指先。彼女は今にも消えてしまいそうな儚い魅力を——目を離しがたくなるような魅力を持っていた。
その魅力に引き込まれそうになったのを誤摩化すように口を開く。
「えーっと、どうしてここに……?」
「アークライト君こそ……なんで、こんな所にいるの?」
「いや、ボクは元から、よくここに来て勉強してるんです」
「知ってるよぉ。だから、まさかと思って私、ここに来たんだよ。私が言いたいのはそういう事じゃなくって、今日は——」
「——学園祭、だよ?」
* * *
あちこちで、様々な催しが行われている。出店が並び、平民の生徒が家族や友人達と一緒に食べ歩きをしている。貴族の数は少ない——彼等は彼等で、大きなホールを貸し切ったビュッフェやダンスを嗜んでいる所だろう。
「……やっぱり、アークライト君みたいな貴族の子は……こういうの、嫌だった、かな」
「いえ、そんな事ないです。寧ろすごく、感謝してます」
俺はフィオナと並んで歩きながら、前世の事を思い出していた。当時、俺はこういった祭りなどにはほとんど参加した事がなかった。特に参加しなかった事に、理由はなかったと思う。ただ、参加する理由も無かったのだ。
一緒に過ごしたい相手などいなかった。
「フィオナ先輩、少し、はしゃいじゃいましょうかっ」
俺は彼女の手を取り、引いて歩き出した。
* * *
食べ物や、魔法を用いたミニゲーム、魔法に関する研究発表、魔法を使った展示品。俺達はあちこちを巡り、それらを堪能した。俺は、前世では全くと言っていい程に関わらなかった青春を、今になって取り戻していっているような気がした。
最後は、大ホールで行われるメインイベント——魔法による演舞。俺達もまた観客席に並んで座り、それを観賞していた。
魔法の燐光が絵を描く。炎の竜が空を舞う。剣戟が空中で繰り広げられ、氷の彫像が一瞬の間に生まれる。その中でも別格の煌めきを放っているのが、聖女アイラだった。
「きれい……」
「そうですね……」
フィオナの言葉に頷く。
彼女は袖を一振りするに合わせ、その金の髪が揺れ、魔力の光が迸る。オーロラのように揺蕩う魔力の光がホール全体へと広がり、光を屈折させて幻想的な景色を生み出す。
それらの光は千差万別に姿を変え、まるでこの世ではないかのような世界を生み出す。ペガサスが空を駆け、人魚が湖を泳ぎ、美しい花をつけた草木が揺れ、そしてその中心で人間の男女が寄り添う。
圧倒的な魔力量と、そしてそれらを操り制御するだけの技術が——意思の強さがなければ、到底なし得ない偉業。
「……」
俺はちらりと隣に寄り添うフィオナの姿を見る。きっとこれらの景色が美しく感じるのは、隣で一緒に見てくれる相手がいるからだ。
……これからはもっと、研究や勉強だけじゃなく、同級生達と交流を取ろうか。研究も一段落付いた所だし、丁度いいだろう。今までは少し、勇者、勇者、勇者と思考が凝り固まってしまっていたかもしれない。
ふと、壇上で舞うアイラの視線が俺を向いた気がした。そんな事はあり得ないのだが、なぜか彼女が、俺を見て笑んだように見えた。
「こらっ……アークライト君、隣に女の子がいるのに——」
そんな風にフィオナが頬を膨らまして俺を見た、その瞬間。
——世界が崩壊した。
* * *
俺はその瞬間の事がよく見えていなかった。ただ、俺には見えていなかった何かがフィオナには見えていたらしい。彼女は唐突に俺を突き飛ばしていた。
直後、視界は暴風と砂塵で塞がれ、轟音に全てがかき消され、身体が衝撃に打ちのめされた。
砂塵が晴れ、耳鳴りが収まり、ようやく身体を起こす事が叶った時、俺の目に飛び込んで来たのは地獄だった。
ホールの天井は崩落し、あちこちに、差し込んだ日の光に照らされた赤が散らばっていた。
——死、死、死。
「……ァ、ッぁ……!?」
ぴちゃり、と手に生暖かい物が触れる。その先には、半壊したフィオナの身体があった。散らばった臓物が、すえた臭いと、鉄臭さを放っていた。
周囲から呻きや悲鳴、苦悶が聞こえてくる。それらが頭の中で反響し、反響し、反響し、思考をぐちゃぐちゃにかき乱す。
「ア、はァハ、ハ、ハ、ハはハハハはハハハハハッ!」
金切り声のようにも聞こえる、耳障りな嗤い声。
差し込む日差しの中に浮かぶ巨大な影。空を覆い尽くそうかという翼と、煌々と光る赤い目。全身は黒い毛に覆われ、然してその姿は直立する山羊のようにも見える。何より異彩を放つのは、その頭部に生えた拗じくれた2本の角。
——悪魔。
それを連想させる外見。
誰かが言った。
「……魔、族」
——なんで、こんな所に魔族が。
魔法学園は世界最高峰の研究機関であり、世界最高位の魔法使いが多く在籍している場所だ。それはすなわち、それだけ堅牢な要塞である、という事を示している。容易に侵入などできるわけがない。
当然、魔族がこんな所にいきなり現れるなど、誰もが予想していなかった。
恐慌が、起きた。
悲鳴と怒号が飛び交い、二次災害が起ころうとした、その時。
『——静まりなさいッ!』
直接、すぐ耳元から放たれた声が、俺達を我に返させた。音波を増幅させ、声を術者の意図した場所まで届ける魔法——<拡声>によるものだった。
声の主は聖女アイラ。その声自体にまるで魔力が宿っていたかのように、それは一瞬にして俺達に正常な思考を取り戻させていた。
『無事な方は怪我人を抱えてッ! すぐに警備兵も来ます! ここから急いで避難してくださいッ!』
彼女は<拡声>で俺達全員に指示を飛ばしながら、同時に複数の魔法でもって魔族への攻撃も行っていた。彼女はまだ12といった年の頃。
だが、その眼差しは、この場に居る誰よりも強い輝きを放っていた——……
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