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03

 タンジール宮廷の朝儀は極めてきらびやかだった。

 族長の好む鈍い赤で装飾された室内には、精緻な文様の絹の絨毯がしきつめられ、灯火を透かして輝く色とりどりの宝石、あたりの空気にたちこめる高価な香の煙のさわやかに甘い香り、何にもまして、広間に集められた宮廷人たちの、判で押したように整った美しい顔の群れ。

 美貌はこの部族にありふれた特徴で、それについて言及してはならないと、大使のための指南書には書かれてあった。この宮廷では、容姿の美しさについて相手に伝えることは、非礼なことなのだ。

 なぜそのような文化が生まれたのか、イルスには理解しがたかったが、今改めてこの場に立たされると、なんとなく呑み込めるような気がした。

 日々こうして、お互いの際だった美貌を目にしていると、それに倦んでくる。

 歴史を紐解くと、黒エルフ族の源流は他の民族の奴隷で、その容色は薔薇や馬の交配を繰り返すようにして生み出されたものだという。彼らにとって、自らの麗しさは恥なのかもしれない。

 それでも、猫のように鋭く細い瞳を備えた彼らの目で、いっせいにじっと見つめられると、それに圧倒され、なんという綺麗な連中だと思わずにいられない。その中に立っている自分は、多少身なりを整えてみたところで、まるで絢爛な花園になぜか野菜が生えているようなものだ。

 イルスはいっそ居直って、族長のまえで、丸暗記してきた挨拶の口上を述べた。

 玉座にくつろいでいる族長リューズ・スィノニムは、たしか父と大差ない年齢のはずだが、一見しただけでは、そんな年とは思えず、まだ若者のようにさえ見えた。

「そなたの父上とは長年の盟友だ。まして息子の友でもある。堅い儀礼は抜きにして、のんびりと長旅の疲れを癒すがいい」

 気さくに微笑んで、族長リューズ・スィノニムは、イルスの長口上を労った。こういったことは苦手で、いくら経験を積もうが、どうも身が入っていないらしく、自分で聞いていても白々しい挨拶だった。族長はそれを、面白そうに苦笑しながら聞いていた。

「ありがとうございます」

「ヘンリックは息災か」

 父の名を親しげに呼ぶ族長は、異民族から「砂漠の黒い悪魔」の異名をとる、残酷な戦上手だと聞いているが、いざ目の前にして口をきいてみると、そんな人物には思えない。顔には人懐こい笑みがあり、自分の父親よりも、よほど話しやすいくらいだった。

 世間話に答えながら、イルスはこの族長が、妻の死を息子に隠されていることを思った。今ここで自分が暴露するような事ではないが、宮廷が服喪していない様子を見ると、スィグルは確かに母エゼキエラの死を誰にも伝えていないらしい。

「スィグル、息子よ」

 玉座の両翼に並ぶ血族の席に、族長は目を向けた。

 スィグルが恭しい儀礼をもって立ち上がった。

「そなたの友をもてなすがいい。大使は眠いに違いない」

 薄く微笑んで深い一礼をすると、スィグルは自分の席を離れた。

 どうやら今すぐ退がって寝ていいらしい。イルスは破格の扱いに内心驚いた。自分の株はずいぶん高く買われているようだ。

 そんなことで通商大使がつとまるのかと思ったが、公の場は苦手だった。さっさと退散して休めるのなら、おとなしくその好意に甘えることにしたい。

 朝儀の広間を抜ける大扉の前で、スィグルが退出してくるイルスを待っていた。その脇に、スィグルと口をきいている、もう一人の黒エルフがいる。

 イルスがやってきたのを迎えると、もう一人の男は宮廷人らしい優雅な一礼をした。見知った顔に、イルスは思わず微笑みかけていた。

「エル・ジェレフ」

 一礼を返しながら、イルスは相手の名を呼んだ。

 スィグルより頭ひとつ背の高い黒エルフの青年は、やはり長い黒髪をしており、それを簡素に結い上げている。その頭の片側を華やかに覆うように、淡い紫色の宝石が飾られている。まるで紫水晶の原石を断ち割って、その中に隠された結晶を見ているように、その石はエル・ジェレフの頭部を固く覆っていた。

 それは装飾ではなく、竜の涙だ。彼の頭部に巣くっている病魔だった。

 その石のために、彼はこの宮廷で、英雄(エル)・ジェレフと呼ばれている。命を吸い上げ、脳を押しひしぎながら育つ代わりに、強大な魔力を宿主に約束する石だ。その力のゆえに、彼は魔法戦士として部族に仕えている。

「やあ、殿下。いまにも死にそうかい」

 竜の涙は、石と同じ淡い紫の目でイルスを見つめ、軽快に挨拶した。

「あいにく元気だよ」

 苦笑して、イルスは答えた。ジェレフは治癒の力を授かった術医で、スィグルに依頼され、何度かイルスの診察をしていた。この魔法戦士を冒しているのと同じ竜の涙が、イルスの額にも眠っているからだ。

「それはよかった。そちらまで診にいく機会がしばらくなかったんで、気になっていたのさ」

「俺の石はおとなしい」

 イルスは自分の額冠に隠れている青い石のことを、なるべく意識しないようにして生活していた。考えれば恐怖にとりつかれる。いずれはこの石に殺される己のことを、忘れられる限りは忘れていたい。

「そう安心しなさんな。透視のできる者に診させよう。ちっこい石でも、当たり所が悪ければ、ころっと逝くこともある。分かったところでどうしようもないが、自分があとどれくらいで死ぬかは知りたいのが人情だろう」

「知りたくないね、俺は」

 笑って、イルスは正直に答えた。

 黒エルフ宮廷には、竜の涙、と、その病魔と同じ名で呼ばれる魔法戦士たちがいる。彼らは母親に産み落とされた瞬間から、いずれは部族を守って戦う英雄であり、強大な兵器として、丁重に宮廷に迎えられ、王族と対等に口をきける身分として育てられる。

 竜の涙たちは、死を恐れないと言われている。その死が実際に凄惨でも。彼らは宮廷詩人たちの詠い上げる英雄譚(ダージ)によっておくられ、華麗な英雄として死に際を飾る。自らの美化された死を、彼らは何よりの誇りとしているのだ。

 それゆえ彼らは気軽に己の死を口にする。同じ境遇にある相手の死についてもだ。日常のなかに死を置き、ダージの実現を待ち望むことで、彼らは恐怖を帳消しにしようとする。

「心構えがなってないね、青い殿下は」

「イルスはダージよりも、じたばたして一日でも長く生きているほうが好きなのさ」

 スィグルが面白そうに、エル・ジェレフに解説した。ジェレフは片眉をあげて、感心しないなというような表情をイルスに向けた。

「それじゃあ、さぞかし自分の石が怖いだろう」

「怖いよ」

 イルスはうなずいた。

「そんな話はこの場にふさわしくない。臆病者はさっさと連れて出よう」

 扉の向こうを指して、エル・ジェレフがおどけたふうに顔をしかめて見せた。

 確かに彼の言うとおりだった。この宮廷には、ダージのために命を捧げた者がいくらでもいる。今日か、または明日に死ぬ者に対して、怖くないのかと問うのは、あまりに残酷すぎる。

 イルスは二人に続いて部屋を辞しながら、ふと気付いた。

 エル・ジェレフの黒髪に映える紫色の石が、以前会ったときより、ひどく大きくなっていた。

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