~第6話~
病院独特の消毒液の匂いがした。
いつもより固めのベッドの感触と、周りを囲む人々の存在を感じ取り、俺は重いまぶたをゆっくりと開けた。
「・・・・・・うるさい・・・・・・。」
「孝也!」
目の前に親父の顔があった。俺の胸倉を掴み、今まさに平手を食らわそうと左手が大きく振りかざしてあった。
いまいち状況が分からない。なんで目が覚めた途端、親父の暑苦しい顔を見る羽目になるんだ?
吊られていて頭に血が上る。
「孝也!良かった、本当に良かった・・・・・!」
ベッドに乗りかかった親父を押しのけ、母さんが俺に抱きついてくる。その力も尋常じゃなく、俺は思わず喘いでしまう。
「お母さん、落ち着いてください。お気持ちはわかりますが、まだ目を覚ましたばかりで重病なんですよ。骨折もしているし、安静していないと。」
「そうですよ。親方、姐さん。いい加減にベッドから降りてください。」
響さん達が二人を俺から引き剥がす。俺はやっと二人から解放されるが、息をついた瞬間、頬と肋骨に痛みが走る。
肋骨が痛いのは分かる。事故の際折れたのだろう。
が、なぜ頬がこんなにも痛いんだ。それも怪我をして血を出した痛みじゃない。じわりと熱を持ち、空気がゆれるたびにひりひりと痛い。
俺はベッドに寝かされると、頬に手を添えた。
いつもの喧騒がそこにあり安心する一方、あまりの目覚めの悪さに気持ちが悪い。
「痛い・・・。やりやがったな、くそ親父が。」
「口の利き方に気をつけろ、クソガキが。お前が起きないのが悪いんだ。」
「仮にも病人をひっぱたくなんて考えられないね。常識で考えろ。」
「口の利き方に気をつけろと言っただろうが!もう一度ひっぱたいてやろうか!」
「親方!やめてくださいよ。喧嘩なら退院した後にやってください。孝也の体に響きます。」
「禄!お前は子供を心配する親心が分からんのか!」
「気持ちは分かりますがそろそろ孝也を休ませないと。顔色がひどいことになってますよ。」
禄さんの言葉で、医者が俺の顔を覗き込んだ。
「あぁ、本当だ。真っ青だな。起きて無茶したからだね。明日から検査するから今日はもう眠りなさい。まだあちこち痛いだろうから。」
そう言われて俺は自分の姿をまじまじと見つめる。腕のあちこちにチューブが繋いであり、酸素を送り込むマスクをつけていた。頭に手をやると、包帯のザラリとした感触が伝わってくる。
そしてあたりを見ると、うちの従業員全員の見慣れた顔があった。
「うん、心拍も脈も安定してるね。もう大丈夫だ。でも良かったよ。君、さっきまで瀕死の重体だったんだよ?それが目を覚まして普通に話すなんて奇跡に近いよ。きっと生きたいって思いが強かったんだね。」
いや、間違って死んじゃって戻ってきただけなんだけど、それを言ったら頭がおかしくなったと思われそうなのでやめておく。
「当たり前だ。俺の息子だぞ。こんなやわなことで死んでたまるかよ。」
「よく言うよ、親方。さっきまで顔面蒼白だったくせに。」
俊平がそう言うと、親父は鋭い眼光で睨み付けた。おぉ、怖い。さすがは暴走族の頭を張ってただけある。
「さ、そろそろ帰りましょう。もう夜も遅いですし。」
禄さんの言葉に、親父は何か言いたげに口を動かすが、黙って上着を羽織る。
「いいか孝也。また明日母さんが来るからおとなしくしておくんだぞ。俺らは大事な仕事が入ってるから来ないからな。」
「はいはい。」
「なんだその返事の仕方は!」
「まあまあ、親方。」
禄さん達が親父をなだめ、ドアに向かって背中を押す。
「じゃあね孝也。また明日来るからね。適当にお菓子持ってくるから。」
「おっ。ありがとう母さん。」
穏やかに手を振り親父の後を追う母さんに、俺は小さく手を振った。
「あ、親父。母さん。」
俺は思い出したように二人を呼び止める。
「あ?なんだ?」
怪訝そうに振り向く親父と、首をかしげる母さん。
これは言っとかないとな。すっごい心配させただろうし。
二人とも普通に話してるけど、目が真っ赤なんだもんなあ。親父に至っては、涙が通った跡が乾いてすっごい目立つし。
「心配させてごめん。あと、ありがとう。」
照れくさそうに顔を背ける親父と、優しく笑う母さんと従業員達を、俺は扉が閉まるまで見送った。
「いやはや、君の両親はなんというか・・・、すごいねえ。」
皆が帰った後、医者がそう話してきた。
「あぁいう不器用な人間なんです。親父は。」
「でも驚いたよ。電話をしたらすごい人数で来たからね。君が起きないからって手を上げようとするし、びっくりしたよ。」
「常識がないやつなんです。」
「でも、君は幸せ者だね。」
医者の言葉に、俺は瞬間返す言葉を考えてしまった。他人からそう言われることがこんなにも気恥ずかしいとは。
「・・・えぇ。感謝してますよ。皆には。」
医者は満足そうに微笑んだ。
ん?何か忘れてないかって?
あぁ、ペンダントだろ。覚えてたさ。
起きた瞬間に気付いたよ。皆の前では言えないだろ?
病室に一人になったとき、胸元に手をやると、ひし形の何かを見つけた。
あぁ、夢じゃなかった。そう思いたかったが、夢じゃなかった。
何せ知らないペンダントが知らぬ間にあったんだからな。しかもあの天使が差し出したものと瓜二つとくればなぁ。
でも俺ってすごくない?あんな出来事を話さなかったんだぜ。普通だったら「天使に会った!!」って大騒ぎするだろ。
これでも真面目だからね。言われたことは守りますよ、はい。
「感謝しろよ、テンボー。」
俺はペンダントを眺め、あのオッサン顔の天使が現れることを期待したが、ペンダントは闇の中で鈍く光るだけだった。