~第3話~
「そうかそうか、引き受けてくれるか。」
満面の笑みを浮かべて天使は言った。俺は何も言えずに天使をそっと離す。
解放された天使は大きく息を吐き、丁寧に身なりを整えた。
「…約束したからにはちゃんとやる。で、俺はどうやってそいつを見つければいいんだ?」
「その前に確認したいことがある。」
天使は俺の目の前にやって来ると言った。
「お前、名前は何という。」
「清水孝也。」
「歳は。」
「17。高校2年生だ。」
「性別は。」
「・・・俺が女に見えるか?」
「家族構成は。」
「両親と兄一人。」
「彼女は。」
「それ必要か?」
「ふむふむ成程、では最後にもう一つ。」
天使は俺の顔を真っ直ぐに見て言った。
「自分がどうやって死んだか思い出せるか?」
「んなこと当たり前・・・、ってあれ?」
俺は腕を組んで記憶を辿る。自分が誰なのか、友達や家族、昔の記憶等ははっきり覚えているのだ。
だがここにやって来た以前の事がまるっきり思い出せない。まるでそこの記憶だけ抜け落ちているみたいだ。
「なんでだ・・・?」
俺がうなっている様子を見て天使は言った。
「あちゃー、やっぱりなあ。覚えてないか。」
「やっぱりってどういうことだ。」
「人間は死ぬと直前の記憶を一時的に忘れるんだよ。ほら、あまり良くない死に方する人とかいるから。天界にいるうちに思い出すものなんだ。たまに覚えている人間もいるが、それは稀だからな。」
俺は自身の手をぼんやりと見つめる。
「ま、まずは自分の死んだ日の足取りを思い出すところからだな。俺が間違ったってことは、本来死ぬべきだった人間とお前は直前、近くにいたってことだからな。思い出せれば話は早くなる。一番新しい記憶はいつだ?」
懸命に過去をさかのぼる。一番新しい記憶は、放課後本屋に立ち寄った事だった。
「本の発売日だったんだ。確か・・・、12月6日だ。」
天使は首に下げていた時計を見る。そして細い目を少しだけ開いた。
「今日は12月10日だ。つまり4日間の記憶がないのか。」
「しっかし不思議だなあ。本当に何も思い出せないぞ。」
首を傾げ、心底不思議そうな表情をする俺に、天使は言った。
「その4日間の記憶を思い出すんだ。そうすれば突破口は開ける。あまり急かさないが見つけるのは早い方がいい。運命が変わらないうちに。」
「運命?なんだそのドラマチックな感じは。」
俺は笑うが、天使の顔は本気だった。その間抜けな姿をしているのでどうしても吹き出してしまいそうになるが、俺は懸命に堪える。
「人間っていうのはな、最初から決められた運命の道を歩んでいるんだ。そうまるで、決められたレールの上を走る電車のように。」
単純な上になかなかのポエマーかもしれない、この天使。
うまいことを言ったといわんばかりのどや顔が鼻につく。だがその例えはよく使われているぞ。
電車ではなく蒸気機関車と言ったら少しは感心したかもしれないが。
「運命はほんの小さな出来事で形成されていく。その日の晩御飯や見たテレビ。友達と話した内容。カラオケで歌った曲や購入した品。歩いている途中で誰とすれ違ったかでさえも大きく関わってくる。生きている上で関わる全ての事象が己の運命を作っているんだ。ところがだ。本来死ぬ運命だった奴がまだ生きていて、これからも人生を全うすることになったらどうなると思う?」
「どうって・・・。死ななくてラッキーだな、そいつは。」
「そんな単純な話じゃないんだなあ、これが。」
手の平を空に向け、肩を上げてみせる天使は言った。
「本来死ぬはずだった人間が生きていたら、そいつがそれから先関わる人間達の運命も変えてしまいかねないんだ。そいつが死んだ上で他の人間達の運命が形作られているからな。」
なんだか話がややこしくなってきた。俺は思考を巡らせる。
「ええと、つまりこういうことか?本来Aさんは死ぬ運命だった。だがあることがきっかけで死ななくて済んで、本来全く関係なかったBさんと出会い、Bさんの運命を変えてしまった。」
「そういうことだ。そのBさんの運命にはAさんは関係なかったのに、また新たな運命を形作ってしまったんだ。そしてさらに他の人へと広がっていく。感染力の強い病気のようにね。」
もう少しましな例えはないのか。仮にも天使という立場で。
「まあ、大体は分かった。一人の運命が変わってしまうと他の人の運命にまで影響が出るわけだな。」
「そうだ。まだそれだけならいいが、死亡する流れが変わってしまうくらいに影響が出ると大変まずい。天界は大騒ぎだ。」
「俺には関係ないんだがな。」
「何を言ってるんだ。お前は既に立派な関係者だ。」
「俺は巻き込まれたんだがな。好きで首を突っ込んだわけじゃない。」
「冷たい人間だなあ、お前は。」
「冷静で判断力があると言ってくれ。」
天使は細い目でじっとりとした視線を送ってくるが、俺は堂々と無視した。
「やれやれ、先が思いやられる。」
それはこっちのセリフだ。
俺は心の中で呟いた。