① はじめての あいさつは おたけびましょう
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1話目だけシリアスです。
透き通った青空の下、心地の良い風が草原をやわらかに撫でる。耳を澄ませると、さざめく海の声が耳をくすぐる。ふわふわした雲が風にゆらめくと、とろけそうな暖かさの日射しがそっと差し込んできていた。
旅人の服装をした男が絶海の孤島にいた。無精ひげこそ生えているが、端正な若い男の顔つきだ。高い背丈で引き締まった肉体。膝まである濃緑の外套は、長い旅をうかがわせるように薄汚れている。うっすらと輝く呪言が縫いつけられた真っ黒な帯を頭に巻きつけているのは、帽子代わりに日射しからの熱を避けるためだ。
この旅人の男は並々ならぬ執念で動いていた。
男が歩むたびに、動物達の声が消えていく。野生の勘からこの男には近づくべきではないと、息を殺しているのだ。男からにじみでている覇気は、竜にも似た畏怖を感じさせた。
男が海の近くにやってきた。
海鳥が晴れわたる青空を羽ばたき、海が心地よい波の音を静かに演奏している。太陽のぽかぽかした光が波の中で反射して、光の粒が幻想的にゆらめいている。荒んだ心が 思わず綻んでしまいそうな絶景が広がっていた。
誰もが ここは楽園なのかと錯覚してしまうほどに心が落ち着く世界が、大陸から少し離れたこの孤島に存在していた。
「――ったく。めんどくせぇなあ……。はやく人類、滅亡しねぇかな……」
そんな地上の楽園に男は興味が無く、物騒な事を呟きながら砂浜の上で空を見上げた。
「契約の時……。ついにやってきたか、っと」
男は頂点に昇った太陽を確認すると、背負っていた長柄を降ろして丁重にヒモをほどいた。中から出てきたのは、年季をうかがわせる古ぼけた剣であった。
男は剣を世界をつなぐ楔のように地に突き刺し、胸元の白い宝石のネックレスを引きちぎり、空へと投げた。
『我は問いかけん。月の子の憤怒、聖剣の心火、現世に咲く怨恨の広がる世界へと。全てを祓う裁きを求める。我は全ての悪の執行者と成るべき者なり。故に我が全ての嘆きを纏い、全てを誅ずる……!』
その言霊に 世界が震撼した。
ざわめいていた音が、刹那に霧散する。空に向かって、全ての音が吸引されていった。
男の上空には、10メートルはあるだろう大きな門がぼんやりと現れていた。
まるで時間が止まったかのような静寂。全ての音が上空の門に吸い取られていったのだ。声や音に込められている言霊の微量な魔力すら貪欲に吸収していき、門が鮮明な形をなしていく。現世の空に似つかわしくないそれは、異界の扉であった。
『イマ』の次元と『別世界』の次元を結ぶ扉によって、次元同士が重なりあい、『イマ』が浸食されていく。
嵐の前の静けさを連想させるように、虚無だけがこの場に残っていた。
『開け異界の扉よ! 次元を越境し、今世の天蓋を破壊せよ!』
突如、ダイナマイトが爆発したような轟音に、男は殴り飛ばされた。
男は体を起こして、空を見上げる。扉が開くにつれて、疾風のような魔力波が駆けまわる。エネルギーの波動が肌をヒリヒリと焼いた。目に見えるほどに濃厚で、実際に触れられるほどに強力な魔力波。余波だけでも大威力の奔流が男の髪を振り乱した。
扉がゆっくりと開かれると、淡い光が漏出してきた。
途端に、扉から線状の魔力が降り乱れた。稲妻のような魔力が弾け踊り、大地に深い穴を幾つも穿った。圧倒的な魔力が嵐のように吹き荒れる。
風が魔力波に切り裂かれ絶叫を喚き、文字通り、空を割った。
男は魔力波で体内臓器を激しく撹拌されながらも、じっと扉へ目を凝らした。
扉の向こう側に人影らしきものが見える。その人影を見つけた男は、風圧に揺さぶられながらもニンマリと口元を上げた。
「ついに来たか。この世界を滅ぼす異界の勇者よ……!」
男はうつむいて歓喜に肩を揺らし、そして、堪え切れずに大笑いをはじめた。
「はははっ! 復讐の時が来た! いいぞ、今日は最高の日だ! 今日からオレは大魔王として世界の頂点に立つのだ――!」
男は酷く人間を憎んでいた。
いくら世界を見渡しても、争いと裏切りしかない世界に憤怒していた。
それでも男は何度も純粋に信じようとしたが、何度も世界に裏切られた。その結果、人間を尊く思っている心を捨ててしまったのだ。
裏切られたくないなら、恐怖で裏切れない状況にしてしまえばいい。そして、人類に恐怖を与える一番に効率が良い方法は、純粋に『力』である。これが、男の導き出した『大魔王になる』という結論の礎となっていた。
「成功だ! 次元の歴史を媒体にした越境術で、異世界の勇者を! しかも、女勇者を召喚できた!」
男は扉の光を見ながら いやらしく舌舐めずりをした。
召喚された異世界の勇者は、彼の魔法からできている。魔法は唱えた人物に操作権があるため、召喚された女勇者は彼の意のままに操る事ができる。
男は人類という生き物の在り方を見捨てていた。ゆえに、召喚された女勇者に対する人間としての尊厳など抱いていない。
男は凌辱の日々をうっとりと想像しながら、光を見つめていた。
魔力波の突風が止み光が消え、空の扉から、こてん と小さな身体が落ちてきた。
男は不審に思い、近づいていく。
そこには女性と言うには、若い。しかし、少女と言うには、もっと若い。どちらかと言えば、幼いという言葉が似合いそうな矮躯が横たわっていた。少女と呼ぶには幼いのだから、幼女と言うべきだろうか。彼女の愛らしさを引き立たせるようなショートボブの髪型の幼女がいた。
おなか から肩にかけてY字になっている白金色の鎧。胸の谷間も、ウエストも見えてしまう煽情的な造りになっているはずだが、彼女からは大人の女性特有の妖艶さが『絶望的』に感じられない。健康的なふとももが見える身軽そうな紺色のショートパンツに、足元にちょこんとお花が飾りつけられているサンダルをはいている。
よく観察して見ると、幼女は人間に限りなく近い生き物であることが分かった。なにせ、幼女の頭に、『ネコミミ』がついていたのだ。
幼女の寝息にあわせて、ネコミミがぴょこんぴょこんと動いている。
男はあまりのできごとに言葉を失った。
男に押し寄せてきた感情を例えるなら『通販で買った服が届いたが、サイズを間違えてしまった時の気持ち』の凄いバージョン、と表せるかもしれない。
そして、男は――。
「失敗だ――ッッ! 魔力が足りなくて、変なのが出てきたァァ!」
絶海の孤島にて、魂の叫びが大きく響き渡る。
これが、背の高い大魔王と、背の小さい勇者の異色のコンビによる世界征服の幕開けであった。