待ち伏せ
羽毛布団の心地よさに抱かれながらフウカが目を覚ますと、そこは見知らぬ子供部屋だった。
一瞬自分が過去に戻ったのか、それともまだ夢の中なのかと戸惑ったが、ここが昨日お世話になったブラウン夫妻の愛娘、メイコ・ブラウンの部屋であることを思い出した。
久しぶりに熟睡できたな。フウカは一つ欠伸をすると布団から出てそれを畳み、ファンシーなパジャマからカミアズマの軍服へと着替える。時計を確認すると、すでに朝の九時を回っていた。
一階へ降りると、コーヒーの良い香りがフウカの鼻孔をくすぐった。出勤前、テレビで朝のニュースを見ながらコーヒーを飲むのがフェルナンドの楽しみの一つであった。
「あらおはよう。よく眠れた?」
キッチンで作業をしていたマサコ夫人が、まだ寝起きでボーッとしているフウカに声を掛けた。
「おはようございます。おかげ様でよく眠れました。あの、これ、ありがとうございました」
一礼した後、フウカが差し出したのは綺麗に折りたたまれたパジャマだ。これを見て、マサコは苦笑した。
「それ、貴方にプレゼントしたつもりだったんだけど」
「いえ、その、受け取るわけには……」
「そう、残念。そうだ、朝ごはん作るから顔洗ってきなさい。あと寝癖もね、貴方、今自分がどんな髪の毛してるかわかる?」
言われた通りフウカは洗面所へ向かい、顔を洗い、歯を磨き、そして寝癖を整えた。最初にこの寝癖を鏡で見たとき、雄の獅子が威嚇をしているようだと自分でも思った。
洗面所から戻るとマサコに「もうすぐできるから、そっちで座って待ってて」と、言われるがままフウカはこれに従った。
「おう軍人さん、おはよう」
テレビのニュースから視線を移し、フェルナンドは清々しい笑顔で挨拶した。
「おはようございます。あの、トウギは?」
そういえばまだトウギを見ていない。その疑問をフウカはフェルナンドにぶつけた。
「おぉ、あいつなら得意先に挨拶回りに行ってるよ、今までお世話になりましたってな。本当、律儀な奴だよ」
「そう、ですか」
彼にそこまでさせてしまっているのも、全ては自分のせいなのかも知れない。フウカは少し罪悪感を持った。
「そういえばよ、軍人さん。こうやってニュース見てるけどギンジ・カザマが死んだなんて全然報道されねぇのな」
「えぇ、軍が情報を管理下に置いていますので、そう簡単には漏れません」
そこまで言うと、フウカは自虐の念に押しつぶされそうになる。
「まぁ私から漏れちゃったんですけどね……」
「心配すんなよ軍人さん、誰にも言わないから。それに、こんなバランセンの田舎町の武具店店主が『ギンジ・カザマが死んだ』なんて言っても、誰も信じちゃくれないって」
フェルナンドに笑い飛ばされ、フウカは少し元気になり、
「はいお待たせ~」
女将の声と共に運ばれてきた朝食を目の前にして、更に元気が戻ってきた。
「焼き魚! ここってずいぶん内陸部のはずなのに、お魚も手に入るんですね!?」
「魚って言っても干物だけど。本当は新鮮なやつをお刺身で食べたいところだけどね」
「私、干物大好きです! いただきます!」
「はい、召し上がれ」
干物が好きというより、彼女は美味いものはなんでも好きであった。これは彼女が幼少時代をオシデントで過ごしたことによる反動と言ってもよかった。
*
オシデントは今でこそ発展しているが、二百年も遡れば、そこには険しい山々と砂漠だけが広がる土地で、人の住める土地では到底なかった。人の住める土地ではないということはつまり、人の食べるものを作ることの出来ない不毛の土地であるということだ。
それは高層ビル群が立ち並び、アリラトス大陸の政治と経済を司る大国にまで成長した今となっても変わるものではない。
よってオシデントの食料自給率は、限りなく0%に近い数字を記録している。かつて海岸沿いでは僅かばかりだが漁業を行っていた時期もあったが、工業廃水によって汚染された海からはもう、人が口にできるものは何も獲れなくなっていたし、何より魚を獲るなんてことは他二国の国民に任せればそれで済んでしまった。
オシデントは自国民の食料をバランセン、オシデントからの輸入に完全依存している。この二国を事実上支配下に置いておく必要があるのは、その為だ。
食べ物という人間にとって必要不可欠なものをやり取りする上で、足元を見られて法外な値段を吹っ掛けられてしまっては、成す術がない。
実際オシデントは、カミアズマやバランセンから農作物などの食料品を破格の値段で買い取ることに成功している。
そして、カミアズマ政府の反発はここから来ていた。
「見よ! この現状を! これではまるで奴隷では無いか! 我々はオシデントの民の腹を満たす為に産まれてきたわけでも、生きているわけでもない!」
これはカミアズマがオシデントに宣戦布告し、ドマージーに一斉攻撃を仕掛ける際に行われた軍務大臣の演説の一節である。
しかし、これだけ反感があっても今なお三国の輸出入は続けられている。その理由としては、三国は表面上同盟国であるということ、戦争は水面下で行われており民間レベルに支障をきたすほどではないということが挙げられる。
だがその最たる理由は、輸出入がストップするとオシデント人は飢えに苦しみ、カミアズマ人の農民達も作物が売れず貧困に苦しむ、というお互い損しか生まない結果が待っている為である。
こうして輸入された食料品をオシデント側は、万が一に備え、厳しい検閲にかけている。
そんなことをする必要は全くと言っていいほど無いのだが、安全性が完璧に証明されるまでカミアズマ産の食物が食卓に並ぶ事は無い。
それによって食品の鮮度は落ち、国民の口へ入る頃には数段味が落ちている状態になっている。
味が落ちた状態の物しか知らないのであれば、それはそれで問題は無い。だがフウカの舌はカミアズマの新鮮な農作物の味を知っていた。祖父が自家栽培で育てたものを送ってきてくれることが多かったからだ。
こうなってしまうと、もうオシデントの物はとてもではないが食べられない。
おじいちゃんが送ってきてくれたものを食べた後にこっちの物を食べると、嫌がらせされてるような気分になる。幼少の頃からフウカはそう思っていた。
*
魚の干物に舌鼓を打ちつつ朝食を摂り終えると、フウカは一宿二飯のお礼にトウギが戻ってくるまで武具店の手伝いをすると申し出た。
夫妻はこれを歓迎し、三人はそろって武具店に出勤した。出勤と言っても、ブラウン邸とキャンベル武具店クリーク支部は隣り合っている為、出勤時間は僅か数十秒ほどだ。
フウカに任された業務は店番であったが、平日の午前からわざわざ武具店にくる暇人などそうそうはおらず、店内を物色するくらいしかやることが無かった。
武具店なのに、色んなものが売ってるんだな。フウカがそう思うのも無理は無い。
剣闘が盛んなカミアズマならともかく、バランセンでは武具店一本で飯を食っていくのは難しい。
先にも述べた通り、この辺りにはカミアズマの文化が多く持ち込まれている。剣闘もその例外ではない。ただ、バランセンで剣闘の扱いはスポーツのそれと同じだ。
初等教育では選択科目の一つとして入っているほどで、中等教育に至っては部活動の一つとして剣闘部なるものが存在するほどだ。
よってそこから派生し、バランセンにおける武具店は、スポーツ用品店といった意味合いが強い。その為、剣闘以外の様々なスポーツ用品も取り扱っている。また、学生が多く利用するという性質を生かす為に菓子類から生活雑貨なども取り扱っていて、武具店であるはずの店内はそれ以外の商品で混沌としていた。
昨日初めて入った時は気付かなかった商品の数々を眺めていると、店のドアが開く音が聞こえ、フウカは「い、いらっしゃいませ……」と少し緊張した声を出した。
「客商売として、それじゃ0点だな」
そう言って入ってきたのは、挨拶回りを終え戻ってきたトウギだった。
「な、何よ! 戻ってきたなら戻ってきたって言いなさいよ!」
「その勢いで言えたら八十点くらいだったんだけど」
そう言ってトウギは笑い、店内を見渡した。
「女将とおやっさんは?」
「奥で作業してるって」
「そっか。それじゃあ最後に二人に挨拶して、出発するぞ」
「……はい」
ついにこの時がやってきた。フウカは益々緊張して、ただ一言頷いた。
*
「ほんとにお世話になりました。メイコにもよろしく言っといてください」
「身体には、気を付けるんだよ」
トウギを笑顔で送り出すマサコに対し、
「ほらアンタ! 大の男が泣くんじゃないの!」
「だってよぉ、トウギが行っちゃうって……」
フェルナンドは鼻の頭を赤くしながら鼻水を啜っている。
「おやっさん、また気が向いたら戻ってくるから」
彼が意外にも涙もろいことを知っているトウギは、ただ苦笑を浮かべるほかなかった。
「安心してください。トウギは私が責任を持って移送しますので」
フウカはいたって真剣な表情だが、トウギは今の言葉にただただ呆れた。
最後の挨拶を済ませた後、トウギ、フウカ両名は電話で呼び寄せた旅客輸送の車に乗り、カミアズマへと向かうべく出発した。
*
しかしこの車というのが厄介だった。
フウカは軍の仕事で時折利用する為、慣れたものだった。だが、車など滅多に乗らないトウギは、舗装されていない悪道が多いことも相まって、酔いのせいで度々車を止めた。
「あー駄目だ。ぎもぢわるい」
こう言って途中の町ごとに車を止めるので、その度にフウカの苛立ちは募っていった。
本来ならば六時間で終える道程をかなりオーバーしながらも、国境付近の町『カミュール』まであと僅かという所まで辿り着き、フウカの溜飲も一旦は下がった。だが、
「運転手さん、ここでいい。降ろしてくれ」
トウギのこの台詞を聞いて、彼女の苛立ちはピークに達した。
「またですか!? 一体何度休めば気が済むんですか? もうゲロ吐いて楽になったらどうです!?」
「ちげぇよアホ、車はここまでだ。運転手さん、お勘定」
「え、お客さん、ここからカミュールまであと少しありますよ?」
運転手のこの発言に、フウカも同調した。
「そうよ、車酔いくらい我慢しなさい」
「いいんです。ここからは歩くんで」
トウギはフウカを無視することに決め、運転手とやり取りをする。
「歩くってなると結構距離あるけどなぁ」
「けど、歩けないってほど遠くはない。そうでしょ?」
「えぇまぁ、そうですねぇ」
「おい、少尉さん、お会計。当然あんたが払うんだよな」
「ちょっと! 私の話を――」
「いいから、早く!」
「……はい」
こう凄まれてしまっては、フウカはただ頷くしかなかった。
「あ、運転手さん領収書お願いします。宛名は『カミアズマ軍』で」
「領収書なんてそんな、必要な経費はすでに前払いで貰っています」
「いいんだよ、こういう時は貰っておくものなの。ほら、降りた降りた」
フウカは、トウギに半分蹴りだされるような形で下車した。
*
トランクから荷物を降ろし、下車した二人を残して車はカミュール方向へと走り去っていく。
「一体、どういうつもりなんですか? あのまま乗っていれば、あと少しで町に着いたのに!」
フウカのそんな言葉も意に介さず、トウギは周囲を見渡してから道外れの草むらへと向かう。
二人が降りた場所は、町と町の中間で道以外は何も無いと言っていいような所だった。
舗装された道の横には木が生い茂る林が広がっていて、トウギはそこにあるちょうどいい草むらに自分の荷物を――赫刃・罪斬と肩掛けバッグを降ろし、仰向けになって寝転び始めた。
「いい加減にしてよ! 貴方、私に嫌がらせするつもりだけで降りたの!?」
そんなトウギの態度にフウカの頭には血が昇り、今にも腰の剣を抜いて斬りかかっていきそうな勢いだった。
「落ち付けって。確かにあんたの言う通りあのまま乗ってりゃ『カミュール』に着いてた。ただし、オシデント軍の連中が待ち伏せしているであろう町に、な」
「待ち、伏せ……?」
「その様子じゃ、ちっとも考えていなかったんだな」
よくそれで軍人が務まるな。トウギは思ったが、口には出さなかった。
「一つ。奴らの狙いは『血与騎士』。二つ。その『騎士』であるフウカ・カザマが『クリーク』にいた。三つ。『クリーク』からカミアズマへ戻る最短ルートは『カミュール』を経由して『アイザ』に入るルート。よって導き出される答えはなーんだ?」
まるで初等教育の学生になぞなぞを出すような馬鹿にした口調でも、フウカは金言を授かるように聞き入った。
「『カミュール』で待ち伏せをするのが、一番効率的ってこと?」
「まぁ八割正解だな。俺の予想ではきっと町の入り口全てに検問を設置して俺らをマークしようとするはずだ。だから車を降りた」
「でも、いくら待ち伏せがいたとしても、貴方が――貴方と私がいれば負けることなんて」
「町中で、一般人がいるところで斬り合えってのか? 昨日は旧市街地で助かったけどよ、俺は関係無い一般市民を闘いに巻き込むなんてご免だぜ?」
それに、とトウギは日が暮れてきた空を見上げながら、
「あの車の運転手が検問で『途中でカミアズマの軍人を降ろした』って言えば奴らは慌てて追いかけてくるだろうよ。それをここで討つ! 待ち伏せをしていた側から、される側に変わるってわけだ」
「貴方、そこまで予想してわざわざカミアズマ軍への領収書を書かせたの?」
「あぁ、愉快だろ?」
楽しそうに笑うトウギの姿を見てフウカは、実はこの男、とんでもなく頭が切れるのではないか、と今さらながら考えた。
「でも一番良いのは、オシデントの連中が待ち伏せも追撃もしてこない甘ちゃん集団であることなんだけどな。戦闘がなければ、それに越したことはない」
「その場合、私達はどうするんですか?」
「もし追撃があるとすれば、さっきの運転手が検問に引っかかってから向かってくる。そうなると大体一時間から一時間半ってところだろうから、それだけ時間が経っても来なかったら徒歩でカミュールへ向かう」
「あと一時間も経ったら、日が沈んで辺りが真っ暗になっちゃうけど、その中を徒歩で行くつもり?」
「それ以外方法が無いからな。もし歩きなら、カミュールに着くのは夜遅くになるな」
「嘘でしょ……」
「歩くのが嫌ってんなら、追撃があることを願ったほうがいいぜ」
「……? どういう意味?」
トウギは、その時が来れば分かるよと言って目を瞑った。
*
およそ一時間が経過し、日は沈み、暗黒が周辺を支配する頃合いになってようやくトウギはのそのそと起き上がり、かばんから何かを取り出し始めた。
この一時間、前の道を通った車は旅客輸送用車両が一、二台と馬車が二、三台である。これらの車が通る度に身を潜め、息を殺すフウカを横目で見て、トウギは少し苛立った。
さっき一時間から一時間半経たなきゃ来ないって言ったばかりだろ、何を聞いてたんだこいつは。
そんなトウギがつい怒鳴り声を上げてしまった原因も、フウカの行動からであった。
周囲が暗くなってくると、フウカは辺りから小枝などの木々を集め出し、それを組み始めた。彼女が焚火の準備をしているのは、誰が見ても明らかであった。
「待ち伏せしてんのに火ぃ焚くバカがどこにいんだよ!」と怒鳴られて以降、フウカは自らの愚行を反省するように黙り込み、すっかり沈んでしまっている。
*
トウギがかばんから何かを取り出し、それをもって道路へ向かうのを見て、
「どこへ行くんですか?」
フウカもそれについて行く。
トウギは道路にしゃがみ込み、何かを置くような動作をしていた。
「それは……撒菱ですか?」
「あぁ、キャンベル武具店特製の鉄菱だ。昨日みたいな装甲車が相手じゃ役に立たないだろうけど、普通の車のタイヤならパンクさせてくれるだろうよ」
トウギは実に嬉しそうな笑い声を上げた。
「もしパンクしたら傑作もんだぜ? 自分らの国のメーカーが作った武器でパンクさせられるんだもんな!」
「それ、わざわざお店から持って来たの?」
「まぁな。でもこれ全っ然売れなくてさ。剣闘じゃほとんど使わないから当然なんだけど、捨てないでとっておいて良かったよ」
それはつまり、家を出る前から待ち伏せの存在を予想し、準備していたことを意味する。ちょっと寒くなってきたから火を焚こう、などと考えた自分が余計に無様に感じられ、愉快そうに笑うトウギとは逆に、フウカはまた少し気落ちした。
対照的な表情を見せる両者であったが、その耳はほぼ同時にある音を察知した。エンジン音である。カミュール方面に目を向けると、車のフロントライトの灯りが小さく確認できた。
トウギ、フウカの表情は一瞬にして緊張した面持ちへと変わる。エンジン音がどんどん近づいてくる。かなり急いでいるらしい。機械音に疎いトウギでも、それは容易に理解できた。
さっきの運転手がうまく検問に引っかかってくれたのだろう。ありがたい。トウギは心の中で感謝した。
二人は先ほどまで待機していた草むらに身を隠し、トウギは罪斬を手にし、フウカは腰の剣に手を掛ける。
「見えてきた! 数は、二台。装甲車じゃなくて普通の軍用車両ね」
フウカは、すぐ隣で身を低くするトウギへ小声で報告する。
「オシデントの一般軍用車は屋根が無いタイプだから乗っている敵の数は把握しやすいかも。でもここからはまだ分からない。事前情報では一台に四、五人乗ってる場合が多いからきっと八から十の二個小隊だと思う」
なんだよ、上出来じゃないか。トウギはフウカの頭をひとつ叩き、口元を歪めた。
「な、なんですか!?」
「あんたもなかなか、軍人らしいところがあるじゃねぇか」
「えっ?」
もしかして、褒められた? しかし、今の行動の真意を窺う暇など無い。
先頭を走るオシデント軍用車が、猛烈な勢いで近付いてきている。フウカの言った通り、車両は一般的な軍用車両であった。
二人が身を潜める草むらの前を、先頭の車が通り過ぎようとした。
その時――、
破裂音と共にブレーキ音が響き、突然のパンクと急ブレーキによってハンドルが効かなくなった車は近くの木に激突、エンジンから黒煙を上げ、乗組員達が咳き込みと呻き声を上げながら降りてくる。
「すごい、予想以上の効果!」
フウカがそう呟く頃、すでにトウギは別の行動に移っていた。
前を走る友軍車両が事故を起こせば、後方の車両が停車し救助活動に向かうのは当然の行動である。彼はそれを狙っていた。
後方車両の乗組員が前方の事故に気を取られている隙に、車の後ろへと回り込む。この車両には運転席と助手席に一名ずつ、後部座席に二名と計四名のオシデント軍人が搭乗していた。
トウギはまず、後部座席に座っていた二名のうちの一人を、鞘から抜刀していない状態の罪斬で後頭部を勢いよく殴打し、失神させた。
次に、その音によって敵襲に気付いた隣の軍人の首を締め上げ、瞬く間に気絶させ二人を無力化した。
仲間を二人やられてから、ようやく敵の存在に気付く前部座席の軍人達。そのうち助手席に座る方は「貴様ッ!」と拳銃を抜き発砲するも、その弾丸は銃身から飛び出た途端に静止し、重力に引かれるがまま地に落ちる。
そしてその軍人は罪斬の柄の部分を思いきり鳩尾に入れられ、呼吸困難となり白目を剥きながら泡を吹いて地面に転がった。
最後の一人となった運転手を、トウギは蹴り飛ばして地面へ叩き出すと、それに馬乗りとなって刀を顔の横へ突き立てる。
「いくつか聞きたいことがある。素直に話せば五体満足で本国へ帰してやる」
「お前! カミアズマ軍か!?」
「あんたらオシデントが使うその剣術、誰から教わったのかを教えて貰おうか?」
「誰が貴様なんかに!」
トウギとオシデント軍人が押し問答をしていると、事故にあった前方車両の乗組員達が後方車両の異変に気付き、応援の為こちらへ向かってくるのがわかる。
それらに応戦するように、フウカが剣を抜いて立ちはだかる。その姿に、昨晩のような油断は微塵も感じられない。
「あいつ、ターゲットの女騎士だ」
「仕留めるぞ!」
「おう!」
口々に声を上げ、オシデント軍人達はフウカへと突進する。
「待て!」
叫んだのはトウギだ。しかしこの叫びは、今この場にいる誰にも届くことはない。もしこの叫びが彼ら、もしくは彼女の耳に入っていれば、散っていく命の数を減らせていたのかもしれない。
最初にフウカに斬りかかってきた軍人は、斬撃をかわされ無防備となった腹部を斬り裂かれた。防刃軍服のおかげで即死は免れたが、傷の痛みを考えれば即死のほうがマシだったかもしれない。
フウカは今の一太刀で防刃仕様に気付き、狙いを変えた。次の敵には攻撃をする暇も与えず、首の僅かに露出している肌の部分を斬り裂いた。辺りが暗くても、軍用車のエンジンが炎上する明かりのおかげで、鮮血の色は見てとれた。
次に突撃してくる敵にはカウンターの要領で、攻撃してくるのと同時に剣で胸を突く。いくら防刃仕様とはいえ、力を一点集中する突きではひとたまりも無い。
フウカの放った突きは肋骨の隙間から入り、肺を通って背中へと貫通していた。串刺しにされたオシデント軍人が吐血し、軍服にその血が少しかかると、フウカは顔を歪めて嫌悪感を露わにした。
そして剣を軍人の身体から抜き、血を払い、四人目に備える。
「よせ! フウカ!」
三人を斬ってようやく、トウギの叫びが彼女の耳に届いた。これを聞き、四人目は切り捨てることなく攻撃を回避し、体勢を崩した軍人の腹部に全力で蹴りを食らわすに留めた。
腹につま先を捻じり込まれたオシデント軍人は堪え切れず、その場で嘔吐した。
「いい気味」
昨日やられた分をやり返せた気がして、フウカは少し満足そうだった。
この一部始終を見ていたのはトウギと、彼に馬乗りになられているオシデント軍人だ。
トウギは呆れたように首を横に振り、オシデント軍人は恐怖のあまり発狂した。
「何故だ!? 何故貴様らはそうやって当たり前のように人を斬り殺せるんだ!?」
トウギは罪斬を軍人の首へと押し当てる。
「それは、俺達がカミアズマ人だからだよ。ああなりなくなけりゃ、素直に情報を吐くことを薦めるよ。俺は、あいつよりは温情があるほうだ」
そう言うと、トウギは罪斬を納めた。この軍人にはもう刀で脅す必要などないと判断した為だ。彼の顔はすでに、諦めの表情が滲み出ていた。トウギにはそれが、分かった。
カミアズマ人が人を斬ることに対して躊躇いが無い理由は、『無権兵』や『称号狩り』の存在が大きいと言えよう。
カミアズマでは無権兵が権利や称号を得る為に、名のある剣士に剣闘を挑むという事が珍しくない。当然、挑まれた側はこれを拒否することもできる。だが、申し込まれた剣闘を拒否するということは、その時点で負けを認めることを意味し、闘わずして剣闘士としての権利や資格、称号を剥奪されることになる。
だから当然、挑まれた側はその挑戦を受けることになる。その時点、お互いが剣闘に合意した時点で、どちらかがどちらかを斬り殺しても、罪に問われることが無くなる。
カミアズマの法律にも当然、傷害や殺人を裁く法律は存在する。しかし例外として、お互いが同意した剣闘においてはこれらの法律は適用されない。
つまり、カミアズマで剣の道を歩む者であれば、罪に問われない殺生を行うことは特殊なことではない。誰もが通る道として、仕方の無いことだと国が黙認してくれている。
現に「軍人」という称号を持つフウカも、「ギンジ・カザマの弟子」という称号を持つトウギも、罪に問われない殺生をしたことがある。寧ろ、それをしたからこそ、今日の彼らがあるといっていい。
カミアズマ人にとって、『死』や『殺』というものは、とても身近なものである。バランセンやオシデントの国民にはいくら説明しても理解してもらえない文化の違いである。
カミアズマとは、そういう国だった。
*
尋問を終えた後、トウギはオシデント軍人達から武装解除させた剣のうち一本を取り上げる。
「キャンベル武具の最高級品じゃねぇか。ウチじゃ一年に一本売れるかどうかって品だぞ」
使い手は剣を選べるが、剣は使い手を選べない。呟き、それをその場に捨て置いた。
フウカは酷く不機嫌そうな顔をして、この一連の動きを見ていた。
「少尉さんよ、俺が『待て』って言ったの、聞こえなかったか?」
トウギは彼女の顔を見ずに言ったので、
「逆に問います。何故止めたのですか?」
ここで初めて、フウカが自分を睨みつけていることに気が付いた。
「昨日も言ったが、ここはバランセンだ。戦場じゃない。生かしておけば、得られる情報だってあったはずだ」
それに、とトウギも負けじと睨み返す。
「あんたとあの軍人達の実力差なら、殺さずに無力化することだってできたはずだ。わざわざ殺す理由は無かった。違うか?」
「違います!」
全く引かないフウカに、トウギは少し怯んでしまった。
「私はカミアズマ軍人、彼らはオシデント軍人。殺す理由ならそれだけで十分! それに剣を持つ者同士が対峙すれば、斬り合うのは当然のことです!」
それに、また貴方の前で無様な姿を晒したくは無かったから。フウカは、心の中でそう思った。
一方で、トウギは彼女のこの言葉に反論することが出来なかった。彼女の言っていることは、間違っていない。
カミアズマをたった三年離れていただけなのに、甘ちゃんになったのは俺の方だ。トウギはそう思って唇を噛んだ。
「確かに、あんたの言う通りだ。だけどよ、ここがバランセンだってことは忘れないでくれ。本来ここは戦場じゃない」
「それは、確かにその通りですね。私も反省します」
フウカはここでようやく、剣を鞘に収めた。