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一日の終わり

 しかしそんなフウカの決意は、全くの無駄であった。


「いやぁしかし、まさか本当にトウギがあのギンジ・カザマのお弟子さんだったとはなぁ!」

 麦酒(ビール)を煽りながら武具店店主の大男、フェルナンド・ブラウンは愉快そうに笑った。

 トウギが泊りに来いと指した「ウチ」とは、下宿先であるキャンベル武具店クリーク支部を切り盛りするブラウン夫妻の自宅のことであった。


                   *


 見るも無残に切られたシャツを身にまとったトウギが、カミアズマの軍人を連れて帰宅した時、夫妻は驚愕しトウギを心配した。

 心配すると同時に困惑する夫妻を前に、トウギは開口一番謝罪した。

 心配をかけてしまったことはもちろん、支給されたTシャツを駄目にしてしまったこと、そして、自分がギンジ・カザマの弟子であるのを今まで隠していたことに対しての謝罪だった。


 ブラウン夫妻は益々困惑し、何の冗談かと聞き返した。やむを得ない反応だが、当然の反応である。

 だが孫娘であるフウカの進言と、そして何より例の写真が決め手となり、夫妻はこの事実を受け入れた。

 そしてもう一つ。事情を説明し、一晩この軍人をここに泊めてやってほしいことを告げると、こちらは難なく許可された。


 フェルナンドはトウギがあの『無傷の剣豪』の弟子であったことにひどく感動し、三年間一つ屋根の下で暮らしていたのにも関わらず、改まってトウギに握手を求めた。

 武具店の女将で、妻のマサコ・ブラウンは、軍人とはいえ少女の来客にいたく感銘し、手料理を振る舞うと息巻いてキッチンへと向かった。



 トウギが自室でボロ布と化したシャツから部屋着に着替えて居間へ戻ると、すでにフェルナンドは出来あがっており、禿頭を含めた顔面を真っ赤にしながらフウカと剣闘話に花を咲かせていた。


 ブラウン邸の居間は六畳間の畳部屋である。その中央に正方形の炬燵が置かれていて、部屋の隅には年代物のテレビがあり、画面にはカミアズマで行われている剣闘の試合中継が映し出されていた。


 間もなくマサコ夫人お手製の料理が運ばれてくると、フウカの目線はテレビから料理へと移り、釘付けとなった。蹴られた痛みはあっても、腹というものは減る時は減るものだ。朝食も昼食も大した量を食べれていなかったこともあり、フウカの空腹は限界に達していた。

 ちゃんと食べていればこんな恥ずかしい思いしなくて済んだのに。フウカにそう悔やませるほど、彼女の腹の虫は大声で鳴いた。

 それを聞いたブラン夫妻は二人で爆笑し、フェルナンドはジョッキの中身を思い切り飲み干した。


                   *


「黙っててすみません。あんまり変な注目集めたくなかったもんで……」

 食卓に着いて、トウギは改めて謝罪した。

「いやぁ別にいいんだけどよ。でも、ギンジ・カザマの弟子が働いてる武具店って宣伝すれば、もっと繁盛するかもな!」

「だから、そういう注目を集めたくないって言ってんだよ、トウギは」

 そう言いながら飲み物を運んできたマサコ夫人はカミアズマの出身で、彼女の作る料理はフウカの舌によく合った。


 フウカは先ほどから話に一切混じらず、黙々と箸を動かし続けていた。つい先ほどまでしていた貞操の心配はどこへやら、といった様子だ。

「フウカちゃん、どんどん食べてね。今日はいいお肉が手に入ったからお客さんが来てちょうど良かったぁ」

「はい! とっても美味しいです!」

 その食いっぷりを見て、昼間のあれはカマトトぶっていたな、と一人思うトウギであった。



 今夜のブラウン家の食卓の主菜は牛鍋である。カミアズマの広大な牧草地帯でストレス無く育った高品質の牛の肉と、バランセンの肥沃な大地と太陽の恵みを受けて育った野菜達を醤油ベースの割り下で甘辛く煮込み、溶き卵を絡めて食すカミアズマの伝統的な鍋料理のうちの一つ、それがこの牛鍋だ。

 炬燵机の四つの辺にフェルナンド、マサコ、トウギ、フウカがそれぞれ座り、炬燵机中央の鍋を囲んでいた。


 客人を鍋でもてなすのも、畳の上に座るというのもカミアズマの風習である。ここはバランセンではあるが距離的にカミアズマに近い為、そういった風習や文化が入っていることにあまり違和感は無かった。 フウカを無遠慮にさせているのも、この空間の雰囲気のせいなのかもしれない。

 逆に、バランセン西部ではオシデントの文化が何の違和感も無く混じっている地域もある。大陸中央という性質上、これは必然的なことであり、これによりバランセンは「文化のるつぼ」と称されることが多かった。



「おやっさん、呑んでばっかいるとこのバカ食い女にメインの肉ほとんど食われちゃいますぜ」

 先ほどから遠慮を知らないフウカにトウギが嫌みを放つ。

「ああういおんあっえおういうおおお!」

「何言ってんのか分かんねぇから飲み込んでから喋れ!」

 口内に残っている食べ物を咀嚼し飲み込んでから、

「バカ食い女ってどういうことよ!」

 と反論しているうちにトウギはフウカの皿に乗っていた肉に箸を延ばし、これをかっさらい自分の口の中へと放り込んだ。


「ちょっとそれ私がキープしてた肉!」

「お前は少し遠慮という言葉を知った方がいい」

 これ以上文句は聞かないとばかりにトウギは白米を口いっぱいに詰め込み、美味しそうにもぐもぐした。

「おうおう、どんどん食え食え! あの『無傷の剣豪』ギンジの弟子と孫娘に食われるとなりゃ、肉達も本望だろうよ」

 二人のやり取りにフェルナンドは満面の笑みを浮かべ、麦酒をまるで麦茶のようにぐびぐびと飲み干す。


「それにしても信じられないわねぇ、こうして見ると普段のトウギと全然変わらないのに、本当はギンジ・カザマのお弟子さんだったなんて」

「あぁ全くだ。しかもオシデントの軍人とやり合って勝っちまうくらい強いなんてよ」

「勝っては無いですよ。逃げられちゃいましたし」

 夫妻の褒め言葉に、トウギは恐縮しながらも恥ずかしそうに頭を掻いた。


「そうだ! 忘れてた!」

 三人のやり取りの中で、何かを思い出したかのようにトウギへと詰め寄るフウカ。その右手にはまだしっかりと箸が握られている。

「貴方の刀のこと!」

 勢いよく言うので、まだ口内に残っていた食べカスがトウギの顔めがけて飛んできた。彼は眉間にしわを寄せながら顔を拭った。

「あぁ! そうだ『赫刃・罪斬』!」

 これに反応したのはフェルナンドだ。

「まさかこんな宝刀が自分の家の押し入れに眠ってたなんて、夢にも思わないよ」

 麦酒をたらふく飲んで顔を紅潮させていたにも関わらず、彼の酔いは一瞬のうちに醒めてしまう。それほどの魅力が罪斬にはあった。武具店で働く者であれば、一度は現物を拝んでみたい名刀中の名刀の一本だ。


 今は部屋の壁に立てかけられて置かれているその刀は、傍から見ればただの古びた刀である。

 フェルナンドはのそのそと炬燵から這い出て、鼻の頭が当たるほどの距離で顔を輝かせてこの刀を凝視した。

「なぁ、トウギ君、抜いて見ちゃ、ダメかな?」

「おやっさん、気色悪い猫なで声を出さないでください。……正直見ても気持ち良いもんじゃありませんよ、それでも良いなら、どうぞ」

 誕生日プレゼントを貰った子供のような顔をして、フェルナンドは(うやうや)しい手つきで罪斬を持ち上げ、そして、ゆっくりと鞘から刀身を露わにしていく。

 フウカの意識も、今は牛鍋では無くその赤黒い刀身に向いていた。トウギは興味無さそうに鍋から白滝と白菜とエリンギを取り分けていた。


「おぉ、凄い! これが『赫刃・罪斬』……」

 部屋の蛍光灯に照らされ、その刀身はギラギラと煌めく。

「これ、ウチで売ったらいくらの値打ちが付くかな?」

 商魂逞しい武具店店主の血が騒いだのか、そう呟くのを止められなかった。

「おやっさん、一応それ俺の私物なんで」

「でもそれ、おじいちゃんが持っていたはずでしょ?」

 フウカが厳しい口調で追及する。

「あぁ。カザマ流免許皆伝の時にギン爺から餞別として貰ったんだ」

「おじいちゃんが、貴方に託したってこと……?」

「でもまぁ、バランセンに来ると刀を抜く機会も減るし、いつの間にか押し入れの奥の方にいっちゃってたんだな。現に今日使うまで三年間は日の目を見なかった」

「そうか、元はギンジ・カザマが持っていたのか、納得だ」

 フェルナンドは罪斬を高く掲げた。


「なんだか、気味が悪い……」

 言ったのはマサコだ。フェルナンドは「この刀の凄さが分からないなんて」と妻を責めた。だが持ち主であるトウギは女将の発言を全面的に支持した。

「女将の言う通りですよ、食事時に見るような物じゃない。おやっさんも知ってるでしょ、その刀の名前の由来」

「ああ。一万人の罪人の首を刎ね、百年間血脂に塗れながらも切れ味を一切落とさなかった名刀。罪人を斬りし刀、『罪斬』……素晴らしいじゃないか!」

 ギラギラとした目付きで刀身を見つめるフェルナンドがそう言った後、女将もフウカも黙りこんでしまった。異様な雰囲気が室内を支配する。


 カセットコンロの上に置かれた鍋の音と、テレビの剣闘中継の音声だけが室内に響き渡る中、トウギは立ち上がりフェルナンドから罪斬を取り上げ、鞘へと戻した。

「やめましょ、おやっさん。この少尉さんを護る為とは言え、今日も人を斬ってきた刀だ。飯が不味くなります」

「あ、あぁ、そうだな。ありがとうトウギ、良かったよ」



 罪斬には、そういう魅力がある。

 人を一万人斬っても切れ味が落ちなかった刀。最初はその話に心が躍る。では次にどうなるか? 本当に切れ味が落ちないのか、実際に試したくなるのが人間というものだ。

 トウギはそのことを、師匠によく教え込まれていた。



「でも俺からすればこの刀なんてそんな大したモンじゃありませんよ。うちの師匠は刀集めが趣味でしたからね、これ以上の名刀をこの目で見たこともあります」

 再び四人で食卓を囲んだ後、トウギは空気を変える為にそんなことを言った。これにフェルナンドはまたもや「おぉ!」と目を煌めかせるも、

「でも俺が出て行く頃には、ほとんどが現金化されて呑み代に消えてましたけどね」

 この言葉に落胆の色を隠さなかった。


「そういや、ギンジさんってのはどんな人なんだい? そりゃあたしもカミアズマの生まれだから当然知ってるし、剣闘も見たことはあるけど」と、マサコが言うと、

「それは俺も知りたいな! 『無傷の剣豪』のプライベートってどんななんだ?」

 店主もこれに乗っかった。

 夫妻二人の視線が自分に向いていることに気が付かないフウカは、煮えたばかりの肉を意地汚く頬張っている最中だった。トウギに「おい孫娘!」と怒鳴られてから咀嚼し飲み込み、ようやく口を開いた。


「それなら弟子である貴方のほうが詳しいでしょう? 十年以上も一緒にいたんですから」

 それだけ言ってトウギに丸投げし、箸を持つ手の動きを再開させてしまった。

「あのなぁ、十年以上っつっても三年間会わずじまいだったわけだし」

「なぁトウギ、ギンジさんって気難しい人なのか? もし、頼めたらでいいんだけど、サインとか、貰えないかなぁ? 弟子のコネってやつで」

 先ほど気色悪いと注意されたばかりの猫なで声を発する武具店店主。

「いやあ、サインは無理ですよ。うちの師匠、もう死んじゃったみたいなんで」


「……は?」

 冗談としては笑えないトウギの言葉に、夫妻は黙って固まってしまった。だがこの台詞に誰よりも驚いたのが、今まさに肉を頬張ろうとしていたカミアズマ軍少尉である。

「ちょっと! 貴方それ軍事機密……」

 これが失言であることは火を見るより明らかであった。孫娘である彼女の今の言葉は、『無傷の剣豪』ギンジ・カザマの死を何よりも証明してしまったことになる。


「嘘、だろ、あのギンジ・カザマが死んだ?」

「え、でもそれならニュースで流れたっておかしくないのに」

 雇っていた従業員が『無傷の剣豪』の弟子であったと知った時以上に困惑する夫妻を前に、トウギは正座をして背筋を伸ばした。


「おやっさん、女将さん、そのことで大事な話があります。勝手な事を言うようで申し訳無いんですが、俺、明日からカミアズマへ戻ります」

 夫妻は、鳩が豆鉄砲を食らったような顔を互いに見合わせた。

「つまりそれは、休暇を取るってことか? それも長期間」

 フェルナンドが問うと、

「いえ、いつ戻れるか分かりませんので、ここを辞めさせて頂きたいと」

 トウギは小声で「お前もいい加減に茶碗と箸置いて事情を説明しろよ! 俺に戻ってほしいって言いだしたのあんただろ!」と話に加わろうとしないフウカを責めた。


 軍事機密漏洩の罰則を思い出そうとうわの空になっていたフウカは、トウギの言葉に慌てて彼と同じように正座へと座りなおした。

 こうなってしまったら腹を括るしかない。

 そう考えたフウカは、祖父が殺害されたこと、その犯人はオシデントに関係する人物でどうやらトウギではないと倒せないということ、それを理由にカミアズマへ連れ戻しに自分はやってきたのだと洗いざらい説明した。


 それを聞いて武具店店主、フェルナンド・ブラウンの答えは、

「断じて許さん!」

 否であった。トウギはその答えを少し予想していたので苦笑する程度で収まったが、フウカとしてはそうはいかなかった。

「そんな! 何故ですか!?」

「ゆくゆくはこの店をトウギに継いでもらおうと考えている。その為にウチの娘と婚約も済ませてある。だからどこにも出さん!」

 フェルナンドは腕を組み、ふてぶてしく言い放った。

「こ、婚約ぅ!?」

 フウカはトウギを睨みつける。

「貴方、どうしてそんな大事なことを黙っていたの!?」


 強い口調でトウギを責めるフウカに言い訳をしたのは、女将であるマサコであった。

「違う、違うのよ。それはこの人が勝手に言ってるだけ」

「おやっさん、いい加減にしてくださいよ。あんたの娘さん、今年で八歳になったばかりでしょうが」

 溜め息を吐き出し終えると、トウギの口からは呆れ声しか出なかった。

「確かに今は八歳だがあと十年もすれば立派な女になってる」

「その頃には俺はもう三十路前のおっさんですよ」

「三十路前のおっさんと十八歳の娘が結婚しちゃいけねぇなんて法律は、オシデントにもカミアズマにも、もちろんバランセンにもないぜ? それにウチの娘のメイコは十や二十の歳の差であーだこーだ言うめんどくさい女には育ててねぇ」

 フェルナンドは自慢げにそう言うと、鼻を鳴らした。


                   *


 ブラウン夫妻の愛娘、メイコ・ブラウンは今年で八歳になる初等教育二年目の児童だ。話題の中心となっている彼女は今、この家にはいない。


 バランセンでは初等教育一年目、つまり六歳の頃から親元を離れて学校の寮に入り、集団生活を始めるのが一般的だ。家へ戻ることができるのは、長期休暇を除けば週末だけである。彼女が今家にいないのはその為だ。


 フェルナンドは、メイコがトウギのことを「お兄ちゃん」と呼びよく懐いている姿を見て、「将来はこの二人を結婚させるしかあるまい」と勝手に決めつけたのだった。

 トウギも女将も最初は冗談で言っているのだと受け流していたが、どうやらこの男が本気だということが分かってくると、二人はただ呆れるしか無かった。


                   *


「事情は把握したが、トウギがここを辞めるのは認めん。お前はいずれ結婚してここを継ぐのだからな!」

 この発言に、堪忍袋の緒を切らしたのは、横に座るマサコであった。

「あんた! いい加減にしなさい! 若者の将来をあんたが勝手に決めてんじゃないよ!」

 彼女はキレるといつも炬燵机をひっくり返すような勢いで叩くので、トウギは慣れたように机を押さえて対処した。

「この子達の話聞いたでしょ? トウギのお師匠さんが亡くなっちゃったのよ、そりゃ仇を取りたいって思うのがカミアズマ人ってもんよ」


 今までの威勢はどこへやら、フェルナンドは妻の怒号に巨躯を縮こませて丸くなっていた。彼が最も恐れるもの、それが妻であるマサコだ。

 うちの店はよく切れる金物を売ってるが、妻の堪忍袋の緒だけは切らないように気を付けてる。というのは、彼が飲み屋でほろ酔いになった時だけに発する口癖であった。


「トウギ、行っといで。この店は元々客入りが少ないし、あたしと旦那だけでもなんとかなるよ。あんたは、あんたにしか出来ないことをやるんだ、いいね?」

 トウギは女将の眼を見つめて「はい」と力強く頷いた。

「それからフウカちゃん。お祖父さんのことは残念だったけど、負けちゃあ駄目だよ。あと、トウギのこと、よろしくお願いするね」

 フウカもトウギと同じく頷いた。

「女将、ありがとうございます。それからおやっさんも。今まで、本当にお世話になりました」

 両の手と額を畳に付け、トウギは深々と頭を下げた。


「トウギ、全てのことが片付いてそれでも戻って来る気があるなら、あたし達は歓迎するよ。メイコと結婚なんてアホな事は言わないからさ」

 頭を上げたトウギに、マサコは優しい声で言った。隣でフェルナンドも同調するように頷いていた。

「はい。ありがとうございます」

 こうして、トウギ・フジヤのカミアズマ帰国が決定した。


                  *


 ご飯だけじゃなくてお風呂にも入れてくれるなんて、感謝してもしきれないな。フウカは濡れた髪にドライヤーをかけながら、久しぶりの入浴に気分を良くしていた。


 カミアズマに近いバランセン東部でも、湯船にお湯を張って浸かるという習慣まではあまり浸透していない為、湯船を完備している家は珍しい。妻がカミアズマから嫁いできた家でもなければ、こうはいかなかった。フウカは幸運に恵まれていた。

 しかし貸し出された寝巻のパジャマだけは、少し納得がいかなかった。自分の趣味ではないファンシーなデザインであるのがその原因だ。

 これを貸してくれた女将に「絶対貴女に似合うと思うの!」と熱弁され、断り切れずに着てしまった自分を少し悔やんだ。


「お風呂、先にいただきました」

 風呂場からファンシーでフリフリなパジャマで身を包んだフウカが居間へ戻ってくると、女将は興奮した様子で彼女を迎えた。

「やっぱり可愛いじゃない! 若い頃に着てたやつ捨てないでよかったわぁ、少しタンス臭いけど、よかったら貰ってくれない? 私の年齢(とし)じゃもう着れないし」

 我が子のようにフウカを褒めちぎる女将の端で「着れないのは年齢じゃなくて腹回りのせいだろ」と夫がぽつりと呟くのを、妻は聞き逃さなかった。

 無言で旦那を蹴り飛ばし、夫は悲鳴をあげながら許しを乞うように謝罪の言葉を繰り返す。フウカはその様子に苦笑を浮かべつつ「おやすみなさい……」と呟いてから寝室として貸し与えられた二階の部屋へ向かう為、階段を昇っていく。



 ブラウン邸の二階は二部屋で構成されている。うち一部屋は、娘メイコの部屋で今夜フウカに与えられた部屋だ。ここにはすでに客人用の布団が敷かれている。もう一部屋は、元は物置だったトウギの部屋だ。

 フウカはその部屋の前で立ち止まり、少し迷った挙句、コンコンとノックをして部屋の中を覗いてみた。

「お? なんだあんたか、何か用事か?」

 トウギは明日の為に荷造りを初めていた。

「そこ寒いだろ、こっち入れよ。湯冷めするぞ」

 その誘いをフウカは躊躇った。自分の今の格好が恥ずかしいと思ったからだ。だけどこのまま扉から顔だけ出して話をするのもおかしいと考え、おずおずと部屋の中へと入っていった。



「――! ……まぁ、座れよ。散らかってるけど」

 平静に言うトウギが一瞬吹き出しそうになったのを、フウカは見逃さなかった。

「何よ、何か言いたいことがあるなら言いなさいよ!」

 風呂上がりで血のめぐりが良くなっていることも相まって、フウカの顔はすぐに紅潮した。

「別に何も言ってないだろ。それともなにか? 馬子にも衣装とでも言ってほしいのか?」

「孫に衣装だなんて上手い事言いますね。……で、でも私、別に褒めて欲しくてこの格好してるんじゃありませんので……」

 馬子にも衣装というのは褒めてるんじゃなくて、むしろ貶している言葉だ。と言うことは黙っておいたほうがいい、と感じたトウギだった。


「そういや『血与騎士』達(あんたら)は手甲付けたまま風呂入るのか?」

「えぇ、貴方の胸の物と同じように、これも自分では取り外せませんので――」

 フウカはパジャマの袖をめくり、左腕の手甲を撫でた。

 手甲には防水処理が施されおり、入浴などに支障をきたすことは無かった。むしろ入浴の際に身体を洗うついでに汚れを落とすことが推奨されるくらいだ。

 ただ『騎士』達の間では、手甲と皮膚の境目に垢が溜まることによって引き起こされる痒みが悩みの種になっていた。

 フウカがその悩みについて語ると、

「ふぅん。その悩みは胸に付こうが腕に付こうが、変わらないのか」


 トウギがそう言った後は話のネタが尽き、黙って荷造りをするトウギをフウカがただ眺めているという異様な時間が流れて行く。


 荷造りと言っても彼のバッグは小さく、持ちだすものをバッグに詰める作業はすでに終了していた。今は不要な物を段ボールにいれて処分するという大掃除に近い行為が行われている。

 沈黙に耐えられずフウカが「随分と荷物少ないんですね」と問うと、

「俺の私物はほとんど服と本だけだからな。服ならカミアズマ(向こう)でも調達できるし持っていく必要ないだろ」

 とトウギが答え、再び二人の間に会話が無くなった。



 しばらくして、フウカはここに来た本当の理由を果たそうと

「あの、ありがとうございます」

 小さな声でお礼を述べた。

「帰国を決めてくれて、感謝しています」

「俺は別にあんたにお礼を言ってもらう為に帰国するんじゃないんだけど」

「そう、でしたね」

 彼が帰国をするのは祖父の仇を討つ為。フウカはそう信じて疑わなかった。

「俺が帰国するのは、オシデントにカザマ流が漏れた理由を探る為、だ」

 だから彼がそう言った時、フウカの頭に思わず疑問符が浮かんだ。

「……? え、嘘、貴方、おじいちゃんの仇を取る為に帰国するんじゃないの?」

「人の話は最後まで聞け」

 すがるように前のめりになるフウカを、トウギは睨みつけて眼で制した。


「俺の予想では、オシデントにカザマ流を漏らした奴こそがギン爺を斬った犯人だ。逆に言うと、ギン爺を斬った犯人がカザマ流をオシデントに漏らしたってことだな」

「おじいちゃんを、斬った犯人……」

「だからオシデントの奴らの剣術を辿っていけば、ジジイの仇にも巡り合えるかもしれないって話」

 そこまで説明し終えると、フウカは目を輝かせた。

「なるほど! そこまで考えていたなんて、感心しました」

「いや、ちょっと考えればわかるだろ」

 そんな様子のフウカに、トウギは終始呆れていた。


「それと、今日闘った奴な、あんたを狙っていただろ。つまり奴らは『騎士』を狙っているってことだ」

「そういえば、確かにあいつら『騎士』と闘う準備がどうのこうのって言ってました」

「だろ? つまりあんたと一緒に行動すれば、向こうから手掛かりが来てくれるって話だ。だから俺はあんたと帰国することに決めたんだ」

 どうせ分かっていないのだろうから説明してやろう。トウギは懇切丁寧に自分の心境の変化を解説してやった。

「そうか。トウギ、貴方、以外に頭良いんですね」

「呼び捨てかよ、年上だぞ俺は。それと『以外に』は余計だ」

 トウギが横目でフウカを見ると、何が嬉しいのかは分からないが「えへへ」と笑顔だった。その表情にトウギは少し驚いた。


 なんだよ、そんな顔すれば普通の女の子みたいで可愛いじゃないか。ファンシーなパジャマが影響していることは言うまでも無いが、トウギは素直にそう思った。

「お前、もう寝ろよ。今日は色々あって疲れてんだろ?」

 そう思ってしまった自分が次第に恥ずかしくなり、トウギは作業を進めながらフウカに退室を促した。

「わざわざお礼を言いに来たってんなら、お門違いってもんだぜ」

「え? いや、私は別に……」

「あんたは自分の仕事をしたまでだ。そうだろ? だったら胸張って偉そうにしとけばいいんだよ」

「……はい」

 祖父の弟子であった者の言葉に、フウカは素直に頷いた。


「分かったならもう寝ろ。俺は今夜中にこれ終わらせなきゃならないんだ」

「はい、それじゃあ、おやすみなさい」

「あぁ、おやすみ」

 トウギに一礼して退室し、用意された隣の部屋に入り、フウカはすぐに布団に潜り込んだ。

 テントと寝袋では無く、ちゃんと屋根がある部屋でふかふかの布団に入って眠れるという有難みを感じつつ、フウカはあっという間に夢の中へと落ちていった。


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