夕暮れに染まる旧住宅地(戦場)で
オシデント軍が撒いた煙幕が晴れゆく中、トウギの元へと駆け寄るフウカ。
「トウギ! 貴方、大丈夫なの? どうして、銃で撃たれたのに……」
「撃たれたって、弾が当たんなきゃ怪我しないだろ」
そう言ってトウギは刀を鞘に納める。それと一緒に彼の殺気もどこかに消え去っていた。
夕日に染められた旧住宅地に強い風が吹き、煙幕は上空に煽られ消えていく。その風で、彼の斬られたシャツがはだけ、上半身が露わになった。その上半身に、フウカの視線は釘付けとなる。
「貴方、その胸!」
彼女の名誉の為に言っておくが、何も男性の上半身に――細身ではあるが鍛えられ、ほどよく筋肉が付いたトウギの上半身に見惚れたわけではない。トウギの胸の中心に埋め込まれているとある異物に、彼女の目は留まったのだ。
その異物は、握りこぶしほどの大きさの鉄塊だった。そしてその鉄塊には小窓のようなものが付いており、中に綺麗な紅色の光を湛えた美しい宝石が見て取れた。
「吸血鬼の眼! どうしてそれを貴方が……? それは、『血与騎士』である者の証よ!」
『吸血鬼の眼』。
カミアズマ南部の小さな鉱山地帯で僅かばかり採取することができる美しい真紅の宝石だ。ルビーやガーネットとはまた違う光り方をして、古くはカミアズマの権力者達への貢ぎ物として使われていた。
そしてその真紅の宝石こそ、銃弾や爆撃から『騎士』達の身を守る障壁の発生源であった。
この障壁が発見されたのは奇跡と言っていいほど、全くの偶然だった。
*
それは『吸血鬼の眼』の採掘作業中に起きた出来事。一人の作業員が怪我をして出血し、その血が『吸血鬼の眼』の原石に触れた。
それとほぼ同時刻、採掘所で使われていた爆薬が暴発、落盤事故が発生した。採掘所の外でそれを見ていた作業員達は皆、仲間達の死を覚悟した。事故に巻き込まれた当の本人達ですら自分は死んだと思った。
だが、彼らは無傷だった。まるで何か未知の力で守られていたかのように、落盤によって崩れ落ちてきた岩は作業員達を避けるようにして転がっていた、と事故に遭った作業員達は後に語っている。
彼らが無事だった理由は二つ。一つは怪我をした仲間を心配してその周囲に集まっていたこと。
そしてもう一つは、『吸血鬼の眼』が、人間の血液に反応して障壁を作り出す特性を持っていたこと。
もしこの時に発生した事故が作業員の出血だけだったのならば、もしくは爆薬の暴発だけだったのならば、この発見は無かった。つまり、カミアズマがオシデントと戦う力を得ることは無かった。
「これは神の思し召しである! 我々カミアズマが、オシデントと闘う力を神が与えてくださったのだ!」
この台詞は『吸血鬼の眼』を国の研究機関で調査し、銃弾や爆撃からも身を守れることが分かった時に軍務大臣が行った演説の一節である。
銃を持つオシデント、剣しか持たぬカミアズマ。絶対的不利の状況から、自らが得意とする土俵にオシデントをひきずり込むことに成功したわけだ。
とはいえ、まだまだクリアしなくてはいけない課題はあった。一つは『吸血鬼の眼』の数が少なく貴重であるということ。これは採掘作業員を大幅に増員し、それでも足りない分は今まで権力者達に貢がれてきたものを接収することで解決させた。
二つ目は、障壁は一時的なもので、すぐに消えてしまうという点だ。障壁を維持し続ける為には、常に血液を『吸血鬼の眼』に与え続けなければならない。
それを解決する為に考案されたのが『騎士』の手甲であった。
『血与騎士』の手甲は普通のそれとは異なり、装着するのではなく外科手術を施し腕に埋め込むような形を取る。それにより手甲内には血管を伝って血液が流れ込み、再び血管へと戻される仕組みがなされていた。
そしてこの手甲に『吸血鬼の眼』をはめ込み、手甲内を常に血液が巡ることで障壁を維持することに成功した。
言わばこの手甲は、『吸血鬼の眼』に血を与える為だけに作られた血液循環装置であった。
しかし現在では手甲という体をなしているが、ここに至るまでには数々の人体実験が行われた。そのうちの一つに、心臓から直接血液を『吸血鬼の眼』に送り込むというものがあった。
それが、トウギの胸に埋め込まれている鉄塊の正体であった。
*
「『騎士』の証なんて言われてもなぁ、現に『騎士』じゃない俺の胸に埋め込まれてんだからしょうがないだろ。返したくても、心臓近くの血管と根深く繋がってるから取りたくても取れないんだとよ」
トウギは自分の胸に付いた鉄の塊を指先でコツコツと突いた。
現に彼は何度か病院を訪れ、これを取り外そうと努力をした。だが、どの医者も失敗する可能性が高すぎる、その責任は取れないと匙を投げた。これを取り外せるのは、これを取り付ける手術をした凄腕の医者だけだろう。
中の宝石を取り外すだけならば、鉄塊の小窓を無理矢理にこじ開けて取り出すという方法もあることにはある。だが、それを実行すると身体を巡るはずだった血液も一緒に外へ流れ出てしまい、トウギの身体は瞬く間に動かなくなる。
「でもだってそれは、『騎士』である者しか与えられないはず……。どうして貴方が持っているのよ!?」
「どうして、だって?」
フウカの主張にトウギは笑顔を作りながら、声には怒気を含ませた。
「フウカ・カザマさんよぉ、あんたにそれを問われるとは思ってもみなかったなぁ!」
彼に憤りに気付き、フウカは少し後ずさりした。
「この鉄の塊を埋め込んだの、あんたの親父のゲンム・カザマだろうが!」
「……えっ!? 嘘、お父さんが!?」
ゲンム・カザマ。『無傷の剣豪』ギンジ・カザマの一人息子にしてカミアズマ軍少尉フウカ・カザマの父親である。
カザマ家で生を受けた以上、彼も優秀な剣士になる将来を嘱望され、父であるギンジも幼い頃から英才教育を施し、強い剣士に育てようと努力をした。
だが、ゲンムは剣の才能にそれほど恵まれていなかった。
反面、学業の才には秀でており、学生時代は他の追随を許さぬほど、彼は秀才だった。カミアズマの最高学府を首席で卒業した後は、更なる知識欲を満たす為オシデントへ留学、そこでは医学と科学を学ぶ傍ら、後に妻となる女性と出会う。
オシデントで結婚し、妻が娘を出産したのに伴い帰国。帰国して間もなく彼は科学者として、そして医者として勇名を馳せることとなる。
『吸血鬼の眼』を調査する為に組織されたカミアズマの研究機関の責任者に、三十歳という若さで抜擢されたのも、彼の能力の高さならば誰もが納得することであった。
事実、騎士の『手甲』を発明し実現させた実績を鑑みれば、この人事は妥当であったと言えよう。
しかし研究を続ける彼は、人の血液を吸い障壁を発生させるまさに『吸血鬼』と呼ぶに相応しいその宝石に魅了され、ついには人体実験にまで手を出すようになっていた。
その人体実験の一人に選ばれたのが、彼の父ギンジの元で修行に励む一人の少年だった。
強くなる為の実験、という子供騙しのような理由でも、少年にとって師匠の息子であるゲンムの言葉は、信じるに値するものだった。
「そうだよ! あんた、自分の親父が『吸血鬼の眼』の研究してたことくらいは知ってんだろ?」
「えぇ、手紙にそう書いてありましたから……」
両親が離婚し、フウカがオシデントに移り住んでから彼女は、カミアズマの父とは手紙のやり取りをして交友を深めた。
父からの手紙には祖父の近況や、父親がしているという素晴らしい研究のことなどが書かれていて、彼女はそれを読むのが一番の楽しみだった。
その手紙の一つに、兵士を銃弾から守る装置の開発に成功したと書かれていた。だが、その成功の背景にあった人体実験のことまでは、書かれてはいなかった。
「父が、そんな……」
尊敬していた父がそんなことをするなんて。自分が知る由も無かった父親の一面を知り、フウカは少なからずショックを受けた。その様子にトウギも少し同情した。
「まぁ、なんだ、あんたを攻めたってしょうがないことは分かってる。でもさ、親父の居場所くらい教えてくれよ、直接文句の一つでも言ってやらないと気が済まない」
「父の居場所、ですか……」
フウカは少し言い澱んだ。
「知らないのか?」
「いえ、そういうわけじゃ……」
フウカは父の居場所を知っていた。彼女が母親の元を離れてカミアズマに来た時、父ゲンムはカミアズマにはいなかった。祖父ギンジは「入れ違いになったな」と言って笑った。
「言いづらい場所にいるってことか。てことは必然的に限られてくるな」
トウギはすでに見破ったようで、苦笑を浮かべている。
「はい……。彼は今、オシデントにいます」
ゲンム・カザマがオシデントにいる理由、それは自分の欲求を満たす為であった。
騎士の手甲の開発に成功し、量産に目処が立った後も、彼の中で『吸血鬼の眼』の研究はまだ不十分なものだった。しかし、カミアズマの研究施設ではこれ以上の研究は不可能。そこで目を付けたのが、最先端の設備を誇るオシデントの研究施設だったわけだ。
この事実を、フウカは誰にも言えずにいた。国民的英雄の孫娘とは言え、半分は敵国の人間の血が流れている。それに加え父親がオシデントへ逃げ出したとなれば、彼女の面子は丸潰れだ。
現在、ゲンムは行方不明ということになっている。ギンジが殺害された時、もしかしたら息子ゲンムはオシデントに誘拐されたのではないかと軍と警察が動いて捜査が行われたが、それでもフウカは本当のことが言えなかった。
それなのに、この男に真実を打ち明けてしまったのは、自分の命を護る為に闘ってくれたこの人になら、言ってしまってもいいと思えたからだった。
フウカが西の国の名前を口にすると、トウギは何か得心がいったような顔で何度か頷いた。
「やっぱり、道理で。それならさっきのオシデント軍人が使ってた剣術の説明も一応はつくってもんか」
「……? そういえば、やたらとあの軍人の剣術を気にしていましたね」
フウカはトウギの言葉の真意を読み取れずにいた。
「お前、剣を交えて気付かなかったのか?」
トウギは少し呆れた声を発した。
「何に、ですか?」
トウギは小さく舌打ちをして浅く溜息をついた。何故自分がこんな態度を取られなければならないのか。フウカは少しムッとした。
「奴の動き、カザマ流剣術によく似ていた。おそらくカザマ流を簡素化させた実戦向きの派生剣術ってところだろうよ。俺が言うんだ、間違いない」
「カザマ流の簡素化? 派生? 何を言っているの」
「正直驚いたよ、何でオシデント人が? ってな。でもあんたの親父が――ギンジ・カザマの息子がオシデントにいるって考えれば……」
「――そんな! 馬鹿言わないで! 父がオシデントに協力して剣術を指南したとでも――」
「可能性はゼロじゃない。そうだろ?」
トウギが言うと、フウカは言葉を詰まらせた。
オシデントにいた頃、父は尊敬の対象でしか無かった。しかしカミアズマに来て父がオシデントに亡命したと祖父から聞いた時、そしてトウギに人体実験を施したと知った今となっては、その想いは揺らいでいた。
「誰からも教わることなくカザマ流を扱えるようになるなんてあり得ない。ゲンムさんは合理的で割り切った考えをする人だった。きっと何か見返りを貰って剣術を指南したのかもしれない」
父を冒涜するトウギの言葉に、フウカは反論出来なかった。彼の言う通り、父は合理的な判断をする人間だったと母に聞かれていた。
フウカは、この任務に就いたことを後悔した。こんな町に来なければ、父の悪の一面を知ることも、腹部を思い切り蹴られることも無かったのに。彼女は今にも泣きだしそうになっていた。
「でもまぁ、そんな可能性は限りなくゼロなんだけどな」
一人の少女が目に涙を溜めていることになんて一切気が付かないトウギは、能天気な笑い声を上げた。
「え?」
「あんた、親父さんの剣の実力知ってる? 言っちゃ悪いが、人に教えられるほどの腕前じゃねぇよ、ありゃ。それにさっきの軍人が使ってた剣術を見るに、ゲンムさんじゃ絶対無理だろうって確証もある」
フウカは目尻を拭って「どういうこと?」と疑問符を付けた。
「さっき言った通り、あの軍人が使ってた剣術は簡素化された実戦向きの派生剣術だ。単にカザマ流を教えるだけならまだしも、細工を施して教えるっていうのはその元になった剣術を熟知してなきゃ不可能だ」
「確か父は、カザマ流の修行を途中で諦めた、と」
「その通り。だからゲンムさんには無理だって話」
「そう、ですか。父がカザマ流を敵国に漏らしたわけではないのですね」
フウカは安心した面持ちで「よかったぁ」と一つ息を吐いた。
つまりそれは、カザマ流をオシデントに漏らした第三者が他にいることを意味している。
だがそれをこの女に言ったところで、どうにかなるもんじゃないだろう。
そう思い、トウギは黙っておくことに決めた。
*
次第に日が沈み、辺りの気温はどんどん低くなる。自分の意志とは反する形で上半身裸となってしまっているトウギは、身体を震わせた。
「肌寒くなってきたな。とりあえず帰るか」
「え、ちょっと待って! まだ聞きたいことが山ほどあるの。その『赫刃・罪斬』、どうして貴方が持っているの?」
「あぁこれか? ……いや、いいや。あんたどうせ今夜の宿、決まってないんだろ?」
「え? えぇ」
「ならウチに来い、今夜一晩くらいなら泊めてやれると思う。話の続きはその時だ」
そう言ってトウギは地面に放置されたフウカのバックパックを拾ってやり、「地味に重いな、これ」と悪態を付きながら、昼の時と同様に勝手に歩みを進み始める。
「え、それは有難いけど……」
フウカは、特に断る理由は無いと思った。だが、トウギの隣に並んだ時、ある重大な事柄に気が付いた。
「ちょっと待って、失礼だけど貴方、家族は?」
「本当に失礼な質問だな。……俺に家族はいないよ。物心つく前に孤児院に入れられて、気が付いたらギン爺に引き取られて、無理矢理に剣の稽古させられてた」
そんなトウギの身の上話など、フウカにはどうでもよかった。
家族がいない、ということはおそらく一人暮らし。そんな男の一人暮らしの家で、今から自分は一夜を過ごそうとしている。
この驚愕の事実に、フウカは思わず足を止めたのだった。
「なんだ、どうした? どこか怪我したか?」
「いえ、その、やっぱり迷惑かなぁって。あっそうだ、今夜はこの辺の空き家を借りて過ごそう!」
「それはどうかと思うなぁ。まだこの時期夜は冷えるし、ボロ家ばっかりで隙間風も酷い。きっと、人肌が恋しくなるぜ」
「――なっ!?」
当然、トウギとしては冗談で発した言葉なのだが、フウカは耳から湯気が出るほど赤面し、貞操の危機を感じ取った。
こんな下衆の戯言、普段ならば剣で斬り捨てているところだ。だが、先ほどの戦闘でこの男の腕前が自分より何枚も上手だということは、腹の痛みで痛感している。
勇んで斬りかかったところで、自分が敵う相手ではないことは十分に分かっている。
「……私と一緒に、カミアズマへ戻っていただけますか?」
俯き、赤面したままフウカは問う。
「あ? あぁ、そのことな。……帰る、用意はあるよ。あんな剣術見せられちゃあな」
師であるギンジの遺言とはいえ、軍に利用されるのは我慢ならない。国の為に闘わされることになるのならば、帰国する気は毛頭無かった。
だが、カザマ流がオシデントに流失しているとなれば話は別だ。
いったい誰が、敵国にカザマ流を漏らしたのか。
トウギは、自分にはそれを突きとめる使命があると思った。その真相を探る為にはカミアズマへ戻り、こちらから軍を利用してやるのが一番手っ取り早い。彼はそう判断した。
しかしトウギの言葉を深読みし過ぎた結果、あらぬ方向へと考えてしまっている少女は今の台詞を、「貴様の言う通りカミアズマに帰国してやるから、今夜お前の身体を差し出せ」と、捉えてしまっていた。
なんて卑劣な奴、なんて愚劣で汚らわしい奴! 彼女はそう判断した。
「……本当に、戻ってくれますね?」
「あぁ。師匠の墓参りにもいかないとな。それと、兄さん達にも随分挨拶をしていないからな」
「おじいちゃんの、お墓参り……」
その言葉を聞いて、フウカは決意した。
オシデントでは二十歳を、バランセンでは十八歳を成人とするが、カミアズマではそれよりも若く、十六歳から成人として認められている。
フウカは今年十六歳になり、カミアズマでは立派な大人だ。だからこうやって軍人にだってなることができた。
大人ならば、軍人ならば、そして愛する祖父の残した遺言の為ならば、嫌な事にも我慢をしなくてはならない。
それに、一応命の恩人だし。今夜は、この男と過ごそう。フウカはそう決意したのだった。