ファーストコンタクト
「ちょっと、何なのよ」
掴まれた腕を振り払い、反射で剣に手を伸ばすフウカ。
「抜いてどうする? ここはカミアズマじゃないんだ、騒ぎを起こして困るのはそっちだろ」
冷ややかな声で、トウギが言い放つ。確かに言われてみれば、ここは人の多い通りだ。こんな所で剣を抜けば、あっという間に騒ぎになって警察が飛んでくるだろう。
「とにかく、話は聞くよ。でもあそこじゃまずかったんだ」
それだけ告げると、歩みを進み始めるトウギ。
先ほどまでの豹変ぶりに驚きながら、フウカは黙ってついて行くことに決めた。
武具店から少し離れたバーへと入る一組の男女。
男の格好は武具店の制服。女の格好はカミアズマの軍服。何とも注目を集めそうな二人組だが、時刻が午後二時近くと中途半端なこともあって、店内は閑散としていた。
席に着き、軍仕様の重そうなバックパックを床に降ろすと同時に、フウカが声を上げる。
「写真、返してくれない?」
任務のことよりも一枚の写真が気になるところは、彼女の人間らしさの表れだった。
「あぁ、これな」
ポケットから取り出した写真は、ただの紙くずと化していた。フウカはそれを広げ、しわを取ろうと必死で伸ばしたが、くっきりとついたしわはアイロンを掛けても取れそうにない。
「ちょっと、どうしてくれるのよ、これ」
彼女にとってその写真は、唯一の祖父の写真だった。十年ほど前に撮られたその写真には、祖父とその弟子達の姿が写り込んでいた。
「私にとってこれは、大切な物だったのよ」
フウカは訴えた。トウギは無表情のまま財布を取り出す。
「お金で何とかするつもり? 最低の発想ね」
しかし、彼の財布から出てきたものは紙幣ではなく、こちらも写真だった。
「ほら、これ」
「嘘……どうして貴方がこれを」
「自分が写ってる写真を持っていたって、不自然なことはないだろう」
差し出された写真は、フウカが持っていたものと全く同じ物だった。この写真に加えトウギの今の発言は、自分がギンジ・カザマの弟子であったことの証明だった。
「やっぱり、貴方」
「あぁ、認めるよ。俺はギンジ・カザマの弟子だった。この左端に写ってるのが俺だ」
指を差してそう言った人物は、確かに今のトウギの面影があった。
「では何故、知らないふりなんて」
「隠してるからだよ、ギン爺の弟子だったってこと」
トウギはマスターにコーラとパスタを二つずつ注文し、運ばれてきたコーラを喉を鳴らしながら飲み干した。
更にもう一方のコーラを、「おごりだから」とフウカに勧める。
いただきます、とフウカは久しぶりに飲む糖分の入った飲み物に薄く笑みを浮かべた。
「何故隠すのです? カザマ流剣術道場の門下生ともなれば、その称号だけで仕事には困らないはずでしょう? わざわざ隣国のキャンベル武具で働くことないのに」
彼女のこの指摘は、誇張でも何でもなかった。カミアズマという国では、格の高い剣術道場を出ている者や、有名な剣豪を師に持つ者、あるいはそれ相応の実力を持っている者は軍人や警察官になるのを優遇される。それどころか『剣闘士』になることだって夢ではない。
カミアズマには古くから刀剣を製造する文化と技術があり、『剣闘』という剣術競技が国技に認定され、大衆娯楽として広く国民に愛されている。
故にカミアズマ国民は初等教育の頃から授業の一環として『剣闘』に触れ、才のある者はプロの『剣闘士』として大金を稼ぐことが可能だ。
この国は、剣の腕前が一つの資格となる国であった。
その点で『カザマ流剣術』の名は、チェーンの武具店なんかで働くにはもったいない称号だ。
フウカの持つ『独立捜部隊隊長』なんて何の役にも立たない肩書きよりも、数倍は有益な称号と言えよう。
しかし、この考えにはある闇の部分を孕んでいることもまた事実だった。
「仕事には困らない、か。確かにそうだな、あんたら軍でさえ欲しがるくらいだもんな」
トウギはククッと邪悪な笑みを漏らした。
「その写真に写ってる奴ら、その称号とやらで軍に駆り出されて俺以外は全員死んだよ。『ドマージー戦役』でな」
「……え?」
ドマージー戦役。
カミアズマ北西にある国境付近の街『ドマージー』で、今から五年前(三国暦1010年)に行われた大規模な反攻作戦のことだ。
ドマージーにはオシデント軍最大の駐留所があり、そこにカミアズマ軍の部隊が攻め込んだ。
カミアズマ側は正規軍非正規軍に関わらず、数多くの戦力を投入した。当時、まだ『血与騎士』の数が少ないこともあり、銃撃や爆撃によって多くの死傷者を出したものの、最終的にはオシデント軍が撤退。カミアズマの勝利で終わった。
しかしオシデント側はこれを民間人の一時的な暴動として処理し、事実は闇へと葬り去られる結果となった。
「右端に写ってるのはロバート。頭が良くていつも冷静で、よく勉強を教えてくれた。俺の後ろに写ってるトオルは歳が近かったからいつも争ってたな。ライバルみたいなもんだった」
トウギは声量を落とし、続けた。
「この二人はまだマシな方さ。死体が残ったんだからな。ギン爺の後ろに写ってるオーウェンとその隣のアルフォンスは死体すら見つからなかった。二人とも大きくて強くて、立派な剣士だった」
注文したパスタが運ばれてきて、話は一時中断となる。トウギは「いただきます」と合掌してからフォークを手に取る。
「徴兵は十六歳からだったからな、当時十四の俺は志願しても取り合ってもらえなかった。トオルはギリギリで年齢制限クリアしてたから、そのことでなじられて喧嘩したっけな。まぁその喧嘩が最後になったわけだけど」
「いえ、まさかそんなことになっていたなんて、知りませんでした」
自分の知らなかった事実を知らされ、フウカは絶句した。
「しょうがないさ、その当時あんたはカミアズマにいなかった。それに、あの国に嫌気が差したのはそれだけじゃねぇ。『カザマ』の名を持ってると、軍以外にも色々な奴に目を付けられるんだよ」
「『称号狩り』、ですね」
「なんだ知ってたか。あの当時は斬っても斬っても、有象無象共がわんさかわんさかと全く」
称号狩りとは、名のある剣士やプロの剣闘士に勝負を挑み、それらを打倒して名を上げようとする輩のことだ。
カミアズマには『剣闘』という公式な競技がある為、剣術の腕が良ければ刀剣一本で成りあがることのできる国だ。
しかしプロの『剣闘士』になる為には当然、戸籍や名前、住所などの個人情報が明らかでなければならない。つまり、それらを売りさばいてしまった無権兵がプロの『剣闘士』になる為には、自らの力を何らかの形で見せつけなければならないわけだ。
プロにさえなってしまえば一度無くした名前も戸籍も新たに手に入れることが出来る。それどころか、今まで味わったことの無い栄光さえも。
実際に、この方法でプロの『剣闘士』になった元無権兵は、少なからず存在している。
「私も、何度か眼を付けられたことがあります。きっと女性軍人はちょうどいい獲物に見えるんでしょうね」
「そうか。……なら理解してくれたろ? 俺がわざわざ国を出てまでカザマの名前を隠していた意味を。慎重すぎるって思うかもしれないけど、頭のイカれた連中ってのは平気で隣国まで乗り込んでくるからな」
パスタをかき込みながら、すでに吹っ切れているような明るい声を出す。
「ちなみに、あんたがウチのおやっさんと見間違えたのはオーウェン兄さんだろうな。こうやって写真で見ると体格が似てらぁ」
トウギは口をモゴモゴさせながら笑った。
フウカは自分の前に置かれたパスタに目を移して考えた。
『カザマ』の名は尊敬の対象でもあると同時に、利用されるのにも、狙われるのにもちょうどいいネームバリューなのだと、彼女は初めて気が付いた。
「どうした、食えよ。トマトソースのトマトもパスタの小麦も、地元で収穫したもんだから美味いぞ」
口元をトマトソースまみれにしたトウギが勧める。
「はい、いただきます」
フウカは上品にフォークとスプーンを使って食べ始めた。それを見たトウギは「育ちの良いことで」と苦笑した。
「で、どうして俺を探しにきたんだ? まさか軍にスカウト、なんて言い出さないよな?」
トウギが口元を雑に拭きながら発した問いに、フウカはアルデンテのパスタを喉に詰まらせそうになった。彼女がここに来た理由は、そのまさかだったからだ。
「……それは、貴方に伝えたいことがありましたので」
任務内容を先に言い当てられてしまい、思わず言い澱んだ。
「何だよ、伝えたいことって」
パスタを食べ終えたトウギは、追加注文したコーラをこれまた一気に飲み干した。
「おじいちゃ……祖父のことです」
「あぁ、爺さんのことか、今何してるんだ? まぁどうせ酒と博打ばっかだと思うけど」
やっぱり知らないのだな、とフウカは思った。当然だ。この事実はカミアズマ軍上層部がひた隠しにしている情報なのだから。
彼女は一呼吸置き、
「死にました」
祖父の身に起こったことを、これ以上無い簡潔な言葉で述べた。
「何?」
トウギの眉間にしわが寄る。
「殺されました。一ヶ月ほど前に」
迷うことなく、フウカは事実を伝えた。これによってトウギが何かしらのアクションを起してくれることを期待していた。
「あぁ? ついに殺されたかあの爺さん」
しかし、トウギの反応は予想外のものだった。
「伝えたいことってそれだけか? こんなへんぴな地にご苦労なこったな。その写真はお詫びとして受け取ってくれ。そうだ、遺影にでも使ってくれよ」
二人分の飲食代をテーブルに置き、席を立つトウギ。
「ちょっと待って! 何も感じないの? 殺されたのよ、貴方の師匠が!」
トウギを引きとめるというよりも、フウカは祖父に対するその素っ気ない反応が気に食わなかった。
最愛の祖父が殺されたというのに、弟子なのに、何も感じることは無いのか。悲しみで泣きじゃくったり、怒りで叫び狂ったりしたっておかしくはない。現に、フウカは祖父の遺体と対面した時、その反応を示した。
「あのジジイ、借金とかでいろんなところから恨み買ってたからな、居酒屋帰りの夜道で誰かから背中をブスッといかれても何ら不思議はねぇよ」
「ごちそうさま」と店主に告げ外へと出たトウギの心中には、パスタとコーラで満たされた満腹感しか無かった。
慌てて荷物を取り、その後を追いかけるように店を出るフウカ。彼女はトウギの隣を歩きつつ、耳元で囁いた。
「その誰かが、オシデント軍だとしても、おかしくないって言える?」
それでもトウギの足は止まらない。
「別におかしいってことは無いだろ。今あんたら水面下では戦争状態なわけだし、六十過ぎのジジイとは言え『無傷の剣豪』は厄介な戦力だ。その戦力を削ぐ為に暗殺くらい考えるだろうよ」
それだけではなく、国民的英雄ギンジ・カザマが急逝したことが民衆の知るところになれば、国内は少なからず混乱するだろう。軍の情報機関もそれと同様だ。それを見越して軍上層部はこの事実を隠ぺいし、頃合いを見計らって病死と発表する算段だった。
トウギの能天気な言葉にフウカは立ち止り、
「暗殺じゃなくて、真正面から剣で斬りつけられていたとしても、おかしくないって言える?」
力の籠った声を向けた。
トウギの足が、止まった。
彼の心の中に一点の疑心が過った。振り返って、フウカと向き直る。
「それは、おかしい。いくらベロベロに酔っていたとしても、あのジジイが正面から斬られるわけがない」
腐っても鯛という言葉があるように、いくら老いたとしても、酔っぱらっていたとしても、『無傷の剣豪』を冠したギンジ・カザマはそう容易くは斬られない。そのことは、弟子が一番良く分かっていた。
そのトウギの言葉に、フウカは力強く頷き同意する。
「いや、でも納得できない点がいくつかある。何故オシデント軍だって断定してんだよ、あんたら。犯人がギン爺を殺れるほどの凄腕なら、国内を捜した方が賢明だろ」
トウギの疑問は至極まっとうなものだった。今でこそ『剣闘』は他国にテレビ中継されるほどの人気を誇っているが、プロの『剣闘士』になるのはカミアズマの民だけだ。他二国には剣を扱う文化がまだそれほど浸透していないためだ。
よって殺害の方法が剣による斬殺ならば、おのずと犯人は国内の人間、それも腕の立つ剣士に限られてくる。
だが、その疑問に対する解を、すでにフウカは持っていた。
「祖父の遺言です。祖父が斬られた現場は自宅でした。そして即死では無く、斬られた後にまだ動けるだけの余力がありました。祖父は自分の書斎に向かい、最期の言葉を残してから亡くなったそうです。机につっぷすように事切れていた、と報告を受けました」
言い終えたフウカは、少し哀しそうな顔をした。
平静を装ってはいても、彼女の最愛であった祖父の死は、彼女の精神を想像以上に摩耗させていた。当の本人も、それに気付いてはいない。
「祖父が残した遺言にはこう記されていました、『トウギ・フジヤを捜せ。オシデントの連中よりも早く。奴なら俺の仇を取れる』と」
この言葉に、トウギは怪訝な顔を見せた。
「ますます納得できねぇ。オシデントにギン爺相手に一太刀浴びせられるほどの剣士がいるとは到底思えない。止めを刺さなかったのも気になる。それに、まるで俺じゃなきゃ仇が取れないみたいな言い方にも、引っ掛かる」
「私も、そう思います。まさかおじいちゃんがオシデント人相手に不覚を取るなんて……」
ギンジ・カザマは、どんな相手と闘っても一切傷を受けたことが無かった。『カザマ流剣術』とは「傷つかない為」の剣術であった。
相手の攻撃を先読みし、それらを全て躱すことに全神経を傾ける剣術。これが『カザマ流剣術』の基本概念だ。
無駄な動きを一切せずに相手の攻撃を回避し、ほんの一瞬の隙を突き相手を倒す。「蝶のように舞い、蜂のように刺す」を体現したかのようなその美しい闘い方に民衆は酔いしれた。
故にギンジ・カザマは『剣闘』では無敵だった。だが、同時に無勝でもあった。
彼は、自分が満足すればそれでよかったのだ。
通常、『剣闘』の勝敗は審判団が宣言をすることによって決する。だが彼の場合、勝敗が宣言される前に相手に背を向け、剣闘場から去ってしまうのだ。この場合、途中棄権ということで、どんな有利な状況であっても敗戦が記録されてしまう。
しかしギンジはそんなことはお構いなしに、本来受け取るはずの多額のファイトマネーを受け取らず、そこから一晩の呑み代で消えてしまいそうな金だけを抜き取って夜の町へと消えていくのである。
彼の人気を思えば、それこそ無償で『剣闘』をしているような状態だった。
『無傷の剣豪』という称号は、無傷、無勝、無償という三つの言葉を掛け合わせ、ギンジ・カザマの剣士としての生き様を現したものだった。
幼い頃にトウギが見た師匠の剣闘士姿も、全盛期はとうに過ぎていたとはいえ、尊敬に値する見事なものだった。だが、その師匠に対する尊敬も恩も、今の彼には薄れてしまっていているようだった。
「……まぁ色々と疑問に残るものはあるが、ジジイの言葉に従って仇を討つと、結果的に俺は軍に利用されたことになるわけだ。それは、御免だね」
トウギは回れ右をしてフウカに背を向けると、両の手をズボンのポケットに突っ込み歩き始める。
「そんな、ちょっと待って! もし犯人が貴方の存在を知っていたら、次は貴方が狙われるかもしれないのよ?」
フウカがトウギの腕を掴んで呼び止める。
「だから私と一緒にカミアズマに――」
「ついに本音を出したな!」
トウギは呆れ笑ったような声をだした。
「むしろ軍はそうなってくれた方が有難いんじゃねぇの? 俺は師匠より強いなんて自惚れはしてないが、ジジイより弱いって卑下もしてない。もしそいつが目の前に現れたら、その時は仇を討つよ、必ずな」
そう言ったトウギの威圧感に、フウカは声が出せなかった。カザマ流剣術伝承者の殺気を一瞬、垣間見た。
フウカの腕を払ったトウギは、再び歩みを進める。
「もう昼休み終わりの時間だ。ウチの店、時間にはうるさいんだ。じゃあな、墓の下のジジイによろしく言っといてくれ。それと――」
振り向いて、
「人の心配をするなら、自分の身の心配をしとけよ」
言い残し、トウギ・フジヤは去って行った。