出国~バランセン『クリーク』
この世界は、一つの巨大な大陸『アリラトス大陸』によって成っている。
大陸の外には海しかない。船を使おうが飛行機を使おうが、大陸を出て一周しても、大陸の反対側へと戻ってくるだけだ。
この大陸内には二本の国境が大陸の南から北、あるいは北から南へと一直線に伸びている。
その国境によって、西の国『オシデント』、東の国『カミアズマ』、その間にある中央の国『バランセン』と三つの国に三等分にされている。
大陸にこの三国が建国されたのを記念し、『三国暦』という新たな暦に改暦されてから千と十五年。この間目立った争いごとが無いのは、言語が統一されていて各国の意思が行き違わないからだ。というのは、学校の社会科の授業で学ぶ偽りの事実だ。
否、確かに百年以上前は教科書の記述通り、三国は共通言語を用いて話し合いを行うことによって戦争を回避してきた歴史がある。
だが、ここ数十年は科学力の勝る西の国『オシデント』が銃火器などを製造し、それを装備させた軍隊を他二国に駐留させ、無言の圧力によって両国を隷属させている、というのが実情だ。
東の国『カミアズマ』はこれをよしとせず、駐留軍の撤退を再三訴えてきた。しかしその訴えがオシデント政府上層に届いたことは一度も無かった。
このままでは埒が明かずと、業を煮やしたカミアズマ政府首脳陣は最終手段として武力行使に打って出ることを決定。
よって、今現在カミアズマとオシデントは水面下で戦争状態にあった。
*
現在、カミアズマから中央の国『バランセン』へと向かっているカミアズマ軍将校、フウカ・カザマも、一昔前までは表面上の造られた平和を享受して過ごしていた。
昨夜の戦闘の疲れを感じさせないその姿は、流石は軍人と言ったところなのだろうが、彼女の表情はまだ幼く、少女と言っても差し支えない。その上、せっかくの軍服は土にまみれていて、泥遊びをした子供の服のように見えてしまう。
関門のある国境沿いの街へ行けば、シャワーもベッドもあるホテルに泊まれるのだが、そういった大きな街のホテルは決まって『血与騎士』である者を泊めてはくれない。
フウカもそのことは知っていた。自らの血を差し出すその姿に、多くの民衆から「悪魔の手先のようだ」と忌み嫌われている為だ。
だからこそこんな、まだ誰の手も加わっていない森の中で一夜を過ごすはめになっている。
フウカは寝癖の付いた栗色の髪を――服に付く土と同じ色をした髪を、手ぐしで乱雑に整える。軍から支給される無駄に大きいバックパックの中に、容姿を整えるために必要なものなど入っていなかった。
彼女は、自分の髪の毛の色が好きではなかった。母親のそれと同じ色だからだ。彼女は母親のことをあまり好きではなかったのだ。
だからといって父親が好きだったのかと問われると、素直には頷けない。ただ、有能な科学者で、なお且つ凄腕の医者であった父は尊敬の対象だった。そんな父親と同じ黒髪が欲しいと、幼い頃から思っていたのは事実である。
フウカは水筒の中の水で顔を洗うと、せめて朝食くらいは街のレストランで食べようとテントをたたみ始める。手甲さえ隠していれば、ただの軍人として見てくれるだろう。
*
ここ『アイザ』は、数多くある国境沿いの街でも一番の大きさを誇る街と言えよう。
早朝ということもあり、朝の市場が非常に活気づいている。この大陸の天候的、あるいは地理的性質上、大陸中ほとんどの農作物、畜産物、酪農品がこの場に揃っていると言っても過言ではない。多種多様な品物による視覚的刺激によって、フウカの口内は涎で溢れ、腹の虫は遠慮無く鳴いた。
たまらず近くのカフェに入る。本当は本格的なレストランでたっぷりと食事を楽しみたかったが、この時間では揃って準備中なので仕方あるまい。
フウカは自分を見るウェイトレスの視線が、いささか奇妙なものであることに気が付く。そこで彼女は自分がまだ土まみれだったことを思い出す。出直そうと思ったが、そのまま席に案内されたのでよしとした。
朝食を済まし、外へ出る。メニューはモーニングセットのみで、若干の物足りなさを感じたが、自分の目的がここで美味いご飯を食べることではないと自覚しているフウカは、任務遂行を急ぐことにした。任務遂行、と言っても所詮はただの人探しである。
独立捜索部隊隊長なんて大層な肩書きはあるのだが、この部隊にはフウカ一人しか所属しておらず、隊長なんて称号が何の役に立つのかは理解できずにいた。ただ、この人探しはフウカの個人的な事情も含まれており、軍上層部はそれを踏まえての人選であった。
*
関所を通ってカミアズマから出国し、バランセンの『カミュール』という街に入った。三国は同盟を結んでおり、各国の往来は割と自由に認められている。
たとえそれが『血与騎士』であるフウカであってもだ。形だけの同盟ではあったが、彼女はこの時ばかりはハリボテの同盟に感謝した。
今日中にはお目当ての人物に辿りつけそうだ。フウカは少しだけ贅沢して、旅客輸送用の車を借りることにした。
軍の情報によると目的の人物は、『クリーク』という町にいるらしい。今いる街から馬を使うと半日以上かかる道程だが、車に揺られることおよそ半分の六時間で着くことが出来た。運転手にお礼を述べ料金を支払うと、情報通りの住所へと向かう。
数分歩くと、目的の場所と思しき一軒の店の前に着いた。看板を見ると、
『キャンベル武具店・クリーク支部』
母国でも見慣れた看板があった。
キャンベル武具店とは、西の国オシデントに本社を置く大陸最大手の武器防具販売店で、三国全てに店を出している。銃火器の製造・販売も行っているが、カミアズマ、バランセンの両国に届く商品にそれらは含まれていない。
フウカはこのキャンベル武具店が嫌いだった。大陸内の多くの武具店とFC契約を結び勢力を拡大していくこの店は、まるで体内に入り込んだウイルスのようだとフウカは感じていた。
だが今は自分の好き嫌いを語っている場合ではない。
武具店というのはなんともそれらしい場所だ。フウカは身体の土汚れを払い落し、一つ深呼吸して、店内に入った。
「いらっしゃいませ」と声を掛けてきたのは三十代ほどの女性店員だった。人の良さそうな女性だ。
「あの、すみません」
少し、声が掠れた。
「『フジヤ』という人物を探しているのですが、何か心当たりはありませんか?」
女性店員はしばらく考え込み、「ちょっとアンタ、来てくれない?」と店の奥から誰かを呼んだ。どうやら心当たりがあるようで、フウカは少し緊張し身構える。軍服付属のマントで隠してある左手が、自然と剣の柄を触っていた。
「うぉーい、何だ?」
店の奥から出てきたのは、見ただけで強者と分かるほどの屈強な大男であった。
間違いない。フウカはそう確信した。
「その凄まじいまでに鍛え上げられた肉体、トウギ・フジヤ殿とお見受けする。私は――」
名乗ろうとした瞬間、大男は隣の女性店員と顔を見合わせ爆笑し始めた。
わけがわからず、フウカは目を丸くした。
「あー、ゴメンゴメン、これはここの店主で、あたしの夫。トウギは今奥にいるから。全く、『フジヤ』なんていうから一瞬誰だか分からなかったじゃないの」
「おーい、トウギ、お前に若くてべっぴんなお客さんだぞ!」
主人が店の奥に向かって大声を出す。さりげなく自分が褒められたことに、フウカは気が付かなかった。
「え、俺に? はーい、すぐ行きまーす」
奥から声がした。フウカが想像していたものより幼い声だった。
「はいはーい、どちらさん?」
そう言って姿を現した男は案の定、想像していたよりもだいぶ若かった。昨夜埋葬したゲリラの青年兵と姿が被る。
「貴方が、トウギ・フジヤ?」
思わず疑問符が付く。
「はい、そうですけど」
同姓同名の別人ではないか? 背丈は自分より少し高いだけで体格は並。顔付きや雰囲気からも特別なものは感じない。
唯一挙げるとするならば、髪色がカミアズマ人特有の黒髪だけど、ここはカミアズマから近いバランセン東部だからカミアズマ人が移住していてもおかしくはない。現に女性店員も黒髪だ。やはり、人違いなのでは?
フウカが疑心している間、客のいない店内にはしばらくの沈黙が流れる。そんな重い空気を嫌ったのか、主人が口を挟む。
「あんた、カミアズマの軍人さんだろ? 隣の国の軍人さんがこんな所まで何の用なんだい? キャンベルの武器ならそっちの国にも売ってるはずだろ?」
フウカはしばらく自分が黙り込んでしまっていたことに気付いた。
「これは失礼、私はカミアズマ軍所属独立捜索部隊隊長、フウカ・カザマ少尉です」
「カザマ……」
トウギの表情が曇る。フウカはそれを見逃さなかった。
「トウギ・フジヤ殿」
「は、はい」
彼は普段聞きなれない敬称を付けられ、緊張した面持ちへと変わる。フウカは一拍置いてから、
「私は、貴方を探しに来ました」
自分の任務内容を限りなく簡潔に伝えた。
「お、俺を、ですか?」
「ちょっとトウギ、あんた何やったんだい? 軍人さんがわざわざ探しに来るなんて」
女将がトウギへ詰め寄る。
確かに、軍人が家まで訪ねて来るなんてそうあることではない。それも隣国の軍人ともなれば、国際手配犯くらいしか経験の無い出来事だろう。
「いやいや、何も心当たりないですって!」
「ご安心ください、私は追撃部隊所属ではありませんので」
任務内容を簡潔にしすぎたせいで、思いもよらぬ混乱を招いてしまったことをフウカは詫びた。これ以上話をややこしくさせるのは本意ではない。
「じゃあ一体何の用で?」と主人。
「フジヤ殿、ギンジ・カザマをご存知ですね?」
「ギンジ・カザマっていやぁあの『無傷の剣豪』ギンジ・カザマか?」
トウギが答えるより早く、先に反応したのは主人だった。この問いは愚問だ、とフウカは思う。
カミアズマ国内でのギンジ・カザマの認知度は九割を超えると、同僚から聞いたことがある。
隣国バランセンとはいえ武具店で働いている者であれば、それくらいの認知度があっておかしくは無い。しかし、
「えっと、俺は知りませんねぇ、有名なんですか?」
返ってきた答えは予想外のものだった。 あまりに白々しい答えに、フウカの頭に血が昇る。
「とぼけないで! 貴方が我が祖父、ギンジ・カザマの弟子であったことは調べがついてるのよ!」
最も敬愛する祖父の話題でなければ、フウカの怒りもここまでではなかったかもしれない。
「あんた、お孫さん、なのか? あのギンジ・カザマの」
これにまた主人が食いつく。
「……えぇ、まあ」
しまった。フウカは口を滑らせてしまったことを後悔した。
「そいつはすごい! 確かにファミリーネームが同じだわな! そっかあの『無傷の剣豪』ギンジの孫娘は軍人さんをやってるのか、へぇ」
主人は新しい玩具を買って貰ったばかりの子供のように、目をキラキラと輝かせた。
「それで、トウギがその剣豪さんの弟子だったての?」
女将の助け船によって話が戻る。それに反応したのも主人だった。
「いやいや、そんなわけねぇよ。ギンジ・カザマはこれまでに数人しか弟子を取って無いで有名なんだぜ? しかも、ここ最近は隠居したのか一人も弟子を取って無いってどっかから聞いたな」
「しかし私が得た情報によれば、彼が祖父の弟子だったのは確かです」
フウカは視線をトウギへ向ける。女将、主人も共に。
「俺は、知りませんよ、人違いじゃないですか?」
三人の視線を一手に受け、後ろへとたじろぐトウギ。
フウカは軍服の胸ポケットの中に、証拠となるものが入っていたことを思い出す。それは祖父の家から拝借してきた一枚の写真だった。
「これを見て」
それを取り出しトウギに突き付ける。一瞬、トウギの目つきと雰囲気が変わるのが分かった。
「何だ写真か? 軍人さんよ、俺にも見してくれ」
主人が手を差し出した、その時だった、
「あぁっと! フウカさんって言ったっけ? もう昼飯食ったか?」
トウギはフウカから写真をひったくると、それを自分のズボンのポケットにねじり込んだ。
「ちょっと、写真!」
「ああまだ食べてない? よしじゃあ一緒に食べに行こう。良い店知ってるんだ、この町は美味いもんいっぱいあるからさ! じゃあ女将さん、昼休み行ってきます」
これほどまでに無粋なデートの誘いは無いだろう。フウカは無理やりに手を引かれ、二人は店の外へ出た。