残存兵力討伐作戦
騎士達に大きな衝撃を残した入団試験を経て、大尉相当官の地位を与えられてから、トウギはまるで休暇を楽しむようにして過ごしていた。
彼に支給された宿舎は、新築の建物の一室であった。この建物はアパートのような造りになっていて、一般宿舎のような相部屋とは違い、一人で部屋の全てを使える個室である。
これだけでも好待遇であるが、テレビや冷蔵庫といった電化製品が揃えられ、クローゼットの中には彼が指定したサイズの予備の軍服もきっちり準備されていた。
普通、基地に待機中の軍人は訓練をして過ごすのだが、半分民間人である彼はそれをも免除され、まるでホテルのような宿舎から出て、広い基地の敷地内を見て回って時間を潰していた。
彼にとっては新鮮で、なかなか面白いものであったが、頼んでもいないのに「案内役です」と言って勝手に付いてくるフウカには少しばかり辟易していた。
そして、本部から作戦会議の呼び出しがあったのは、騎士就任から一週間後のことであった。
*
本部の作戦会議室に入ると、すでに三名の先客が席に着いていた。うち二名はすでにトウギと面識があるシャルロッテ・エセルバード少尉と、エリアス・ヴァーネット中尉だ。例の如くトウギに付いて回るフウカを加え、今この作戦会議室には五名の血与騎士が集結している。
エリアスはトウギが入って来るや否や、
「やぁトウギ君! 君と同じ任務に就けるなんてこんな名誉なことは無いよ! この前は失礼なことを言って申し訳無かった。君が大尉だなんて知らなくてね」
と、笑顔で敬礼した。
彼は自信家である一方、素直な性格でもあるようで、自分よりも強い相手を素直に認めることができる器の大きな人間であった。
だが、シャルロッテのほうはそうもいかない。一週間前に自分を完膚無きまでに叩きのめした相手には、目も合わせようとしない。
この様子に、トウギもエリアスも苦笑するほかなかった。
「オルクウィン中尉! 貴方もいらしてたんですね!」
トウギはフウカの弾むような声を聞き、その声の向けられたほうを見てギョッとした。何故なら、残る一名の騎士は頭の上から足のつま先まで、全てが鎧に包まれていたからだ。
何て格好をしてるんだ、この人は。トウギがそう思うのも無理はない。
剣闘に真剣が使われなくなってからというもの、鎧という防具は衰退の一途を辿り、全身鎧など祭礼の場でもない限りは目にすること自体少ない。
現在、鎧は急所を最小限に守れるだけの軽量化されたものが主流となっている。しかしそれも剣闘の話であって、銃火器を主な武器とするオシデントとの戦争において、防具は腕の手甲があれば――もっとも、手甲自体の防御力は関係無いが、全て事足りてしまう。だから、全身を鎧で固めるなど、普通に見れば異質でしかなかった。
しかしフウカがごく自然に会話をしているところを見るに、この人にとってこれが普通の格好なのだと、トウギはなんとなく察した。
「カザマ少尉。彼がトウギ・フジヤ大尉相当官で?」
兜の奥から覗く視線が、トウギに突き刺さる。
「あ、はい! そうです! 見た目はまぁこんな感じで平凡ですけど、腕はそこそこです」
フウカに背中を押され、全身鎧と対峙したトウギは更にその体格に驚かされた。彼よりも十センチは身長が高く、鎧と相まって今まで感じたことのない威圧感があった。
「さぞ重かろうに」
だから、こんな感想がつい口から漏れ出てしまう。
「この鎧ことか? 確かに重いが常に身につけていると慣れてしまって、今では着ているほうが落ち着くほどだ」
「ちょっと! いきなり失礼でしょ!」
フウカに小突かれ、咳払いをする。
「失礼しました。どうも、トウギ・フジヤ大尉相当官です」
半民間人であるトウギは、敬礼ではなく頭を下げて挨拶をする。これは彼のポリシーでもある。
「私は、クリス・オルクウィン。君の噂はかねがね。よろしく頼む」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
握手を交わすと、クリス・オルクウィン中尉はトウギの左半身に注目する。
「ところで、フジヤ大尉相当官。貴官はまだ『手甲』を付けていないようだが、作戦開始までに間に合うのか?」
クリスの視線は、どうやらトウギの左腕に向いているらしかった。
「あぁ、そうですね」
血与騎士の手甲は、障壁を発生させることによって銃撃や爆撃といった飛び道具から身を守ってくれる騎士の必需品だ。その中には、人の血を触れさせることにより障壁の発生源となる真紅の宝石『吸血鬼の眼』が取り付けられている。
だがトウギの胸にはすでに同様の宝石が入っている鉄塊を埋め込まれている為に、手甲は必要無い。
「僕もそれは気になっていたんだよ。君の実力は本物でも、銃で撃たれたらひとたまりもないだろう?」
エリアスが話に加わり、この話題には今までそっぽを向いていたシャルロッテも興味があるようで、視線をこちらに向ける。
「それなんですが、俺、半分民間人なんで『手甲』は支給されないんです。でもその代わりに、この女が……フウカ・カザマ少尉が護衛してくれることになっています」
無論建前であるが、これを決めたのはカズヒサ・イシハラ少将だった。
イシハラは、トウギの胸の異物の存在と、彼がそれを忌み嫌っているのを知っていた。だから任命式の際に、フウカと一緒に口裏を合わせるようにすればいいと、彼に提案したのだった。
トウギはイシハラの好意を受け取り了承したが、フウカが自分に付いて回る口実を与えてしまったことを、後になって少し後悔した。
「そうかなるほど、だからフウカ君は君と行動を共にしているというわけか」
「そういうことなら、納得した」
エリアスとクリスはそう言って引きさがる。
「それって『騎士』としては半人前ってことではなくて?」
毒のある口調で呟くシャルロッテに、トウギは小さく鼻で笑った。
*
カズヒサ・イシハラ少将が作戦会議室に入ってくると、一同敬礼し、着席する流れとなった。
「うむ、揃っておるな。今回、君らのような精鋭達に集まってもらったのは他でもない。前々から噂があった通信傍受の件についてだ」
イシハラは騎士達一人ひとりの顔を見渡しながら言った。
通信傍受? そう言えば、こいつら耳になんか付けてやってたな。トウギは隣に座るフウカの耳を見て、今日はインカムを付けていないことに気付く。
「結論から先に言おう。通信傍受されているという噂は、残念ながら事実だった」
「やはりそうですか。呼び出しが直接の伝令だったのと、インカムを付けてくるなというお達しでその予想はしていました」
エリアスが溜め息交じりで呟く。
「だから私はずっと言っていたのよ。オシデントから押収した回線をそのまま使うのは危険だって」
怒りを露わにしたのはフウカだ。
カミアズマ軍は、『ドマージー戦役』の際にオシデント軍から接収した通信回線と通信機器をそのまま使っていた。
この事実を知った時フウカは、セキュリティの問題などを軍上層部に訴えた。だが、カミアズマ国内には通信回線や通信機器に精通した人物はおろか、これらを扱ったことの無い人間ばかりだった為に、訴えは取り合ってもらえないどころか、理解すらされていなかった。
しかしドマージー戦役の残存兵が、五年もの間捕まらないという状況になってようやく、軍は情報がどこかに抜けているのではないかという考えに辿り着いた。
幾度かの検証の末に、ようやっと情報漏洩の原因が通信回線にあるのだと結論付けた。中でも、単独でトウギ捜索を行っていたフウカの位置情報が掴まれたことがこの結論に至る決定打であったことは、皮肉である。
「それを今言ったところで手遅れでしょう。それにいくら意見を発しても、それが通らなければ何も言っていないと同じです」
怒れるフウカに呼応したのはシャルロッテだ。
「私の意見に耳を貸そうともしなかった人達に、全く責任は無いと?」
「だって貴女の血、半分は敵国のものじゃない」
だから、信用に値しない。彼女は嘲笑する。
「なんですって!?」
怒りに任せ立ち上がろうとするフウカを、トウギが肩を掴んで抑える。
「まともに取り合うなよ」
「落ち付きたまえ。カザマ少尉が危惧していた通り、通信傍受はされていた。今見つめるべき事実はこれだけだ。そして問題は、これを踏まえてどう対応するかだ」
全身鎧の奥から発せられる凛とした声が、この場を制した。
「うむ。オルクウィンの言う通りだ。今日集まったのは、敵に渡った情報を憂う為ではない。これを解決する為に集まったことを忘れるなよ」
団長に言われ、フウカもシャルロッテも反省した表情を見せた。
「て、ことは大将、策があるってことだよな?」と、トウギ。
「当たり前よ。とりあえずこれを見てくれ」
イシハラが手元のコンソールパネルを操作すると、部屋の明かりが消され、作戦会議室の全面に張られているスクリーンにカミアズマ北部の地図が映し出される。
「ようやくだが、隠密部隊が通信を傍受している敵残存兵力の居場所を見つけ出すことに成功した。敵が潜伏している場所は『ドマージー』から南部へ数時間移動したところにある廃村だ」
スクリーン上の地図に、赤い矢印が表示される。
「この廃村の村役場として使われていた建物に、何やら機材を持ち込んで潜んでいるとの情報だ。ここを三人一組の小隊を二つ作り、計六名で攻撃する」
『ドマージー戦役の残存兵』。この言葉が、トウギに重く圧し掛かった。
まさか『ドマージー戦役』からずっと潜伏していたのか? 彼にとっては苦い思いだった。兄弟子達を亡き者にしたドマージーの亡霊が、まだ居座っている気がした。
手の震えを誤魔化すように、罪斬を力強く握った。
「あの、少将」
フウカが挙手する。
「ん、フウカ少尉」
「六名で攻撃するとのことですが、少将自らが作戦に参加されると考えてよろしいのでしょうか?」
フウカの質問を受けて、エリアスが室内の人数を数え始める。彼が数えた通り、この場に集結した騎士の数は――団長を含めちょうど六名だ。ともすれば、この六名で作戦を実行すると考えるのが普通だ。
「いや、そうではない」
だが、イシハラはこれを否定した。
「今回は敵の居場所を突き止めた隠密部隊から一人、この作戦に参加してもらおうと考えておる」
「隠密部隊、ですか……」
言葉を濁したエリアスが言わんとしていることを、イシハラは察した。
「なーに、彼は隠密部隊と血与騎士を兼任する実力者だ、心配はいらん」
隠密部隊とはその名の通り、偵察や潜入など裏方の任務が中心である為、戦闘力は度外視された者達が所属している。
その隠密部隊が同行するとなると、普通なら足手まといとなるが、血与騎士を兼ねているというだけでその心配は払拭される。
「隠密部隊と騎士を兼任となると、あの人ですね……」
呟くフウカの声色は、あまりいいものではなかった。これを聞き逃さず、トウギが問う。
「何だ、お前の知ってる人か?」
「えぇ、有名人ですから。私は少し苦手、と言いますか、得意ではない人なんですけど、確かに実力者ですよ。なんたって、貴方をバランセンの『クリーク』にいることを突き止めた人物ですからね」
「俺の居場所を突き止めた……?」
彼の眉に皺が寄る。
「おそらく、そろそろ来る時間だと思うんだが……」
イシハラが時計を確認すると同時に、作戦室の扉がノックされる。
「ははっ、流石、時間には正確だな。入ってくれ」
扉が開き、入ってきたのは細身で長身の男だ。部屋が暗いことも相まって、その顔色は病人のそれだが、イシハラは特に心配をする素振りは見せない。
「紹介は要らんと思うが一応、今回君達と作戦を共にするリュウセイ・タケナカ少尉だ」
イシハラ団長に紹介された人物を見てトウギは、
「リュウさん……? やっぱりリュウさんじゃないか!」
立ち上がり、そして叫んだ。
「トウギか、久しぶりだな」
そう言って、リュウセイ・タケナカは白い歯を見せてニタリと不気味に笑った。
あの人って……笑うんだ。フウカだけではなく、おそらく今この場にいる他の騎士達も同じことを思ったことだろう。
「お久しぶりです、リュウさん!」
リュウさん。彼はそう呼んでその人物の元へと駆け寄る。
「お元気そうで何よりです。そうだ、お父上と妹さんはご健在で?」
「あぁ、二人とも元気だよ。特に父は、現役の俺よりも元気だ」
「それは、流石ですね」
トウギは笑った。
「そうだリュウさん。貴方がクリークにいる俺を見つけたって聞きましたが、本当ですか?」
「あぁ、事実だ」
「それなら、声をかけてくれればよかったのに」
「武具店で元気に働くお前を見たら、それで満足したのでな」
「全く、リュウさんは変わってないなあ」
「お二人さん、久々の再会で積もる話もあるだろうが、そろそろいいか?」
盛り上がる二人にイシハラが口を挟む。
「おっと大将、これは失礼。話を続けてください」
トウギが席に戻ると、フウカは驚いた様子を見せる。
「貴方、タケナカ少尉とお知り合いだったんですか?」
「知り合いも何も、兄弟子みたいな人だよ、リュウさんは」
懐かしむような遠い目をして、トウギは言った。
リュウセイ・タケナカ。彼はカミアズマに古くから伝わる名家、タケナカ家の次期当主である。そして、幼少時代のトウギを知る数少ない人物のうちの一人でもあった。
彼が一家相伝で継承するタケナカ家の剣術は、カザマ流によく似た剣術である。
敵の攻撃を回避し、隙を突いて攻撃するという基本概念は、タケナカ流剣術もカザマ流剣術もどちらも同じである。
それ故にリュウセイの父でタケナカ家現当主、ジュウゾウ・タケナカとギンジ・カザマは、お互いの弟子同士を闘わせるほどには交流関係があった。
その剣闘の場で、トウギとリュウセイは出会っていた。五つ年上のリュウセイからトウギは、色々な事を学んだ。彼が兄弟子と言って慕うのはその為だ。トウギにとっては、唯一生存する兄弟子であると言っても過言ではない。
だから、リュウセイがこの作戦の指揮を執るとイシハラの口から説明された時、彼は真っ先にそれに賛同した。
*
結局この日は顔合わせと簡単な作戦概要の説明のみで、作戦実行は明後日の深夜ということになった。
トウギはこの後もついてこようとするフウカを振り切って自室へと戻り、夕食の時間になるまでベッドに転がって時間を潰した。
彼の部屋のドアが勢いよくノックされたのは、その夕食の時間になった時だった。
「んだよ、うっせぇな」
トウギはドアを開ける前から、大声で自分の名前を連呼する声でそこにいる人物が誰か分かっていた。
「大変なんです! トウギ!」
ドアを開けた途端、転がるようにしてフウカが入ってくる。
「何だよ、俺今からリュウさんと晩飯食う約束してんだけど」
「それどころじゃありません! シャルが、シャルが……」
「エセルバード嬢がどうかしたか」
「シャルロッテが、例の廃村に向かってしまったみたいなんです!」
「はぁ!? 作戦開始はまだ先のはずだろ」
「そうなんですけど、軍用車を管理してる兵が、特別任務だと言って車を借りて北へ向かうのを確認したって」
それと、とフウカは怪訝な表情を浮かべる。
「『軍人としての覚悟を見せる』とかなんとか言っていたそうです。何のことかよく分かりませんが……」
「まさか――」
チッ――。
トウギが舌打ちをしたのは、シャルロッテの行動の原因に心当たりがあったからだ。
自分が軍人に向いていないと言ったから、手柄を焦っている。そう考えた。
俺のせい、じゃないのか。
その思いが、トウギの足を動かした。部屋から罪斬を持ち出すと、そのまま外へと飛び出す。
「ちょっと、トウギ!」
すがるようにして後を追いかけるフウカ。
「エセルバードは一人か?」
「いえ、エリアス中尉も一緒だったとのことです。でもたった二人で、命令違反を犯した上に残存兵を取り逃がしたとなれば、独房入りでは済まないかも……」
心配をするフウカを尻目に、トウギは宿舎のそばに停めてあった自動二輪車に跨り、キーを回してエンジンを掛ける。
「貴方、バイクなんて乗れるの?」
「武具店の配達で何度も乗ったことがある。小型のやつだけどな」
「私も乗せて行ってください」
フウカは懇願する。
「いや、お前はこれから言うことをリュウさんとイシハラの大将に伝えてくれ」
「でも――」
「いいか、よく聞け。まずは食堂にいるリュウさんに事情を全て説明してから、すでに俺が向かったことを伝えるんだ」
トウギはフウカの目を見つめたまま続ける。
「そしたら次は二人で大将のところに行って『すでに作戦は開始された』と伝えろ。今回作戦指揮を執るのはリュウさんだ。彼が『作戦開始』を宣言したことにすれば、二人は命令違反をしたと見なされない」
二輪車のエンジンを吹かし、具合を確かめる。
「シャルロッテは俺に任せろ。まぁエリアスさんほどの実力者が一緒なら心配はいらんと思うがな。お前は今言った通りに動いてくれ。頼んだぞ、フウカ」
だが、最悪の事態も考えられる。トウギはフウカの返答を聞く間もなく、二輪車を発信させた。
『頼んだぞ、フウカ』
トウギが最後に残した言葉が、フウカの頭の中でこだまする。
こう言われてしまったら、ただ突っ立って彼の乗る二輪車のテールランプを見送っているわけにはいかない。
この数秒後には彼女の足は、食堂へ向かって走り出していた。