無慈悲
宗教は阿片である。
そうやって宗教をディスった人がいるそうだ。
宗教に人間が振り回される様子を見れば、同意したくなる気持ちにもなるだろう。
そう、例えばスピリッツさんとお嬢様のにらみ合いを見ているとだ。
「あたしはね、アンタをこの国に連れて行くのは反対だったのさ。アンタは火の神の神殿にとって隠さなければならない存在なのさ」
「そうね。スピリッツだけが私を本家に軟禁すべきだと言っていたのだったかしら」
「いいや、違うね。軟禁じゃなくて監禁さ。人を楽しげに焼きまわる奴を野放しには出来ないからねぇ」
「人? 罪も無い人を襲う奴らが人だというの?」
スピリッツさんがお嬢様を監禁ってなんだかエロティックだな。
それはさておき、お嬢様の魔法で聖焔騎士団達も吹っ飛ばせるのだろうか。
火の神聖魔法を使えるからには、火の神聖魔法の耐性みたいなものもあるのか。
いやそもそも戦闘に入って欲しくはないのだが。
「アンタみたいな生粋のお嬢様には火の神の暖かさは分からないだろうけどね、盗賊だって同じ人間なんだ」
「私と同じ人間だからこそ許せないんじゃない。人に生まれながら人以下に成り下がった奴らがね」
「なんで盗賊なんかに成り下がったのかを考えたことはあるのかい?」
「どれだけ苦しくても真っ当に生きる人間は確かにいるもの。悪に手を染める人間は誰かが浄化しなくてはならない。これが火の神の神殿の考え方じゃないのかしら」
ふと思った。
こんな難しい話を聞いていてリファは大丈夫なのだろうか。
まさか眠ってはいないだろうな。
「浄化ってのは殺すことじゃないんだよ」
「あら、スピリッツだって盗賊退治には積極的じゃない」
「アタシは殺す事を目的にはしていないよ」
「できることなら盗賊を更正させてあげたいと言うの?」
「ま、理想はね」
意外。
そこで黙っていたリファが急に大声を張り上げた。
「こらぁー! なに言ってるんですかこらぁー!」
「お嬢ちゃんは黙ってな」
「黙りませんっ。さっきからー! なにを……なにを言ってるんですかこらぁー!」
ああ、これはたぶんスピリッツさんやらお嬢様を批判しているのではない。
純粋に意味が分からないから大声を張り上げて話をストップさせたいのだろう。
「ご主人様と私とお嬢様でせっかくのピクニックなのにっ。意味わかんないこと言って邪魔しないでください!」
ずいぶんと熱々のピクニックだな。
「嬢ちゃん、盗賊を殺すのがそんなに楽しいのかい? こいつらにだって親がいて兄弟がいて家族がいる。人がこれだけ死んでピクニックかい?」
「知りません! こっちだって迷宮を歩いているだけで命狙われているんですっ」
15人の聖焔騎士団団員とファイさんに拳士さんにスピリッツさん。
これは如何ともし難い戦力差ですよ。
「アンタは幼い。盗賊にも信じる神はいるのさ」
「盗賊に神はいませんっ!」
「な、なんてこと言うんだい。盗賊は同じ人間じゃないって言うのかい?」
「そうです! あんなもん食べられない豚ですよっ。豚は死ねッ!」
ここにアルガス=ルカが爆誕したのか、はたまた未来の松田優作なのか。
スピリッツさん絶句してるし。
しかし、盗賊には人権が無いってのがこういうファンタジー世界のグローバルスタンダードじゃなかったのか。
だったら何のためらいもなく処断してきたリファって……。
「?」
思わずリファに視線を向けてしまったが、彼女は俺の心境に気付く様子もなく可愛らしく小首をかしげてみせた。
そう、リファは無邪気な天使なだけなんだ。
天使は時に残酷なんだ。
青い風が今、俺の胸のドアを――
『一時的に力を与えましょう』
俺の天使への思考を邪魔する、媚びたような甘い声が頭の中に響いた。
邪神だ。
『何がどうなれば、ここまで予定が狂うのか分かりませんけどー。ピンチはチャンスって言いますしねっ』
確かにこうも運が悪いとなあ。
邪神あたりに呪われているんじゃないか。
『生き恥を晒せば、死に恥を晒す。恥は恨み。恨みは力になりますよー』
邪神の気の抜けた声と共に二つの意味で急激な目眩が俺を襲った。
一つは頭の中に無理矢理、知識を保存されているような感覚だが。
「盛り上がっているところ悪いんですけど、かみさまに関するお話は後にしてもらっていいですか?」
ずいぶんと白けた様子の拳士さんが口をひらいた。
「そちらのご令嬢の保護と、それを邪魔する者の排除。それだけが仕事内容だって聞いたからここに来たんですよ? もっと噛み砕いて言うとそちらの魔術師さんと黒剣士さんに会えると聞いたからですけど」
「ああ、そうだね。話せばいつか分かるんだろうが……今は時間が惜しいね」
まずい。
ためらっている場合ではない。
俺は一歩前に出て、両手を天井に向けた。
「……闇に囚われし魂よ……いま……ここに今イチド――『時』を与えん……!」
さらに俺はナイフを抜き放ち、かっこよさげなポーズをとる。
「か、かっこいい……! よく分かりませんがかっこいいですご主人様っ」
「いやダサいだろにゃ」
「どうしたの魔術師……? すごく……変よ?」
やばい。
これ思った以上に恥ずかしい。
一応、ツッコミをいれてくれている味方の視線も厳しいが、あの空気の読めない拳士さんまでもが唖然としている。
「我、ココに契約セリ……汝ラが無念を想起せよ……!!! 大いなる闇よ……………今こそ理を断ちて収束せよ――……―」
このセリフを言っている間にもポーズを6回は変えている。
ついに見るに見かねたファイさんが気遣わしげに声をかけてくる。
「魔術師くん、ここにいる人間はほぼ全員が魔法を使えるのよ? 魔法にポーズやその……呪文? セリフ? とにかくそういうのは必要ないって知っているのよ?」
俺だってそんなこと知ってます。
「そぉら―――もっとだ・・・もっと来いっ! 闇よっっ! ぐおっ!? い、いかんっ。魔法回路が熱暴走しかけてやがる……っ!」
「俺、ああいうの見たことあるぞ。田舎にいる詐欺師が魔法を使えるフリをする時にああいう演技をするんだ」
「いや詐欺師でもあそこまで痛い芝居はしないだろ」
「どちらかと言えば子供が魔法使いごっこをする時に似ているような」
「なんだか見ているこっちまで苦しくなってきた」
「だ、団長……魔法回路とは一体……?」
「そんなもんないよ」
あまりの事態に聖焔騎士団の皆さんまでもがざわつき始めた。
まだか。
まだ呪いが発動しないのか。
早くしてくれ。
もしくは殺して。
「ぐぉぉおぉ! う、腕がっ! おさまれ我が腕よぉぉぉぉ!」
「そんなっ!? ご主人さまの腕が闇に……!?」
リファはノリがいい。
闇になんなの?
リファには何が見えているの?
それはともかく俺の恥ずかしさは最高潮に達したらしい。
今ならできる。
さあ、一方的に焼かれた盗賊さんたち。
今度はお前らが身体を張る番だ。
恨め。
「うおっ?」
「なんだ……? 死体が……」
「う、うわー!」
聖焔騎士団の団員達が悲鳴をあげはじめる。
焼け焦げた盗賊の死体達がむくりと起き上がり、近くの人間に襲い掛かったからだ。
「ご、ご主人さまっ。私、ちょっとちびったかもしれません!」
リファが俺にぎっちりと抱きついてくる。
やむを得ないだろう。
正直、俺だって怖い。
「なんだコイツら、死んだフリを……?」
「は、はやっ――」
ゾンビといえば、うぅうぅ言いながらもっさりと近づいてくると思っていた。
しかしこのゾンビ達はとんでもなく足が速い。
綺麗なフォームで走り、足がないものはある程度大きくなった赤ちゃんがする高速ハイハイで距離を詰めてくる。
そして無言でつかみかかってくる。
噛み付くとか引っかくなんて優しいものではなく、全力で急所を掴み、突き、潰してくる。
食べるとかではなく、純粋に殺しにかかってくるのだ。
「ビビッてんじゃないよっ! とっとと壁を作りなッ」
無論、ゾンビはゾンビでしかなく、素手で襲い掛かってくる兵隊に過ぎない。
スピリッツさんやファイさんなんかは冷静に槍を操って対処している。
さっさと隊列を組みなおし、かつて見た火の神聖魔法で炎の壁を使ってしまえば切り抜けられる状況だろう。
しかし戦況は敵味方入り混じった乱戦のままだ。
そして徐々に聖焔騎士団の人数は減り始めている。
「おぞましい。ねえ魔術師、なんなのあれは?」
さしものお嬢様も青い顔をしている。
恐らくだが、この世界にはゾンビとかアンデットみたいなものは存在しないのだろう。
いや俺のいた世界にもいないが。
ゾンビという発想が無いというべきか。
死体が起き上がって襲い掛かってくるなんて想定外過ぎて対応できないわな。
「説明は後ほど。今は逃げましょう、お嬢様」
「えぇ。そう――」
うなずきかけたお嬢様が前のめりに倒れる。
その背後には青い髪を一本に束ねて後ろに垂らしている女性が立っている。
「降参するか、応戦するか。デッドオアアライブ」
拳士さんは静かに言い放った。
いつものおちゃらけた雰囲気はない。
勝てない。逃げることもできないだろう。
なんなのこの人。
なぜこうも俺に絡んでくるのか。
しかも降参すればデッドっぽい。
ストリートファイター的なあれなのか。
強い奴と戦いたいの?
だったらスピリッツさんにでもケンカ売ればいいのに。
「この瞬間であれば取引き成立するのではないか、黒衣の魔術師?」
良いタイミングだった。
実に良いタイミングだった。
「ええ、是非とも前向きに検討したいですレーンさん」
千客万来のクイーンの迷宮地下1階。
筋肉モリモリマッチョマンの変態たちというフルメンバーを引き連れてレーンの鷹が再びの登場だった。
「この状況を作ってくれただけでもこちらとしてはありがたい。ただ一つ聞いておきたいのだが、あの哀れな死体達は制御できるのだろうか?」
この状況で何をするのやら。
スピリッツさんを潰す機会でも伺っていたのだろうか。
潰しあってくれるなら邪神としてもありがたい、のか?
「ええ。レーンさんたちを襲うことはありませんよ」
たぶんね。
前倒しで使えるようにされた無理のある呪いだからなあ。
なにかやばい代償を負わされていないだろうな。
今のところ、俺の身体に異常は無いようだが。
「ではここは引き受けよう。お前たち、青を一錠と赤を二錠飲め」
「へへっ、もちろん女は好きにしてかまいませんよね?」
「そちらに寝ているお嬢さん以外は好きにするがいい」
「さっすがお頭! 話が分かる~」
もうお嬢様をパトロンとして使うことはできないだろうから、別に好きにしてもらってもかまわないけどな。
レーンさんの率いる屈強な男たちは見るからに毒々しい丸薬を口々に放り込む。
「ふーむ、レーンの鷹ですか。そこの魔術師さん達とのデートを邪魔をしてほしくないんですけど。そちらの聖焔騎士団の皆さんと遊んでくれませんか?」
「おお神よ……感謝いたします、邪悪なる火の神の使徒どもと神を知らぬ悪魔を屠る機会を与えられたことを」
あっ、レーンさんもそっち系の人なんだ。
ともあれ巨漢達を従えたレーンさんと拳士さんが対峙する。
果たしてどちらが勝つのか見届けたい気もするが。
「レーンさん。一応忠告しておきますけど、拳士さんは底が知れません。何が目的で介入してきたのか知りませんけど、拳士さんは抑えるに留めるほうがいいですよ」
レーンさんは俺の言葉にうなずくこともなく部下達に命じた。
「殺れ」
獣のような咆哮をあげながら拳士さんに襲い掛かるマッチョマン達。
さっきレーンさんが飲ませた薬って絶対にやばいだろ。
「さ、リファ、逃げるよ」
スピリッツさん達はゾンビ軍団にかかりきり。
拳士さんはレーンの鷹と交戦中。
いい感じに俺たちがフリーになっている。
「えっ、でもお嬢様はどうするんですかっ?」
こんな時にまで人の心配するとは。
リファが神か。
俺は優しくリファの頭を撫でながら言った。
「いいから今は」
従え。
「逃げよう」
「はい、分かりましたご主人様」
宗教は阿片である。
確かにそうかもしれない。
宗教の為に身内で争い、ついには人を殺す事態にまで発展するのだから相当やばいヤクと言えるだろう。
だが果たして本当に宗教が悪いのだろうか。
宗教を選ぶのも、そしてどう解釈するかも人間がやることだ。
結局は宗教に振り回される人間自身に問題があるだけなのではないだろうか。
いや、スピリッツさんやお嬢様が正しいのか間違っているのかは分からないけれど。
お読みいただきありがとうございます。
今回の話では主人公がやけにあっさりお嬢様を見捨てていますが、これが呪いの影響にあたります。
また私個人としましては竜破斬の詠唱を暗記する程度には呪文詠唱というものを好んでおります。あくまで詠唱やポーズが必要ない世界でのリアクションということをご了承くださいませ。




