訓練
スピリッツさんに強制的に連れてこられたのは地の神の神殿にある訓練場だった。
光の神々の中でも火と地の神の神殿は比較的、仲が良いらしい。
それに地の神の巫女であるハウエルさんと、火の神の巫女でもあるスピリッツさんはまぶだちだ。
怪我人や病人の治療で手一杯の時は聖焔騎士団から人員を貸し出したりと、色々と助け合っているのだとか。
「さっきから気になってはいたんだけどね、そこの妙な頭飾りをつけた短いスカートの女ってロ――」
「名も無きメイドだにゃ」
「……そうかい。本人がそう言うならそれでいいさ、メイド」
猫耳メイドは眠そうに、そして不機嫌そうに答えた。
もう過去とは決別して生きるみたいだな。
なかなか開き直りが早い人だ。
「鍛えてくれるとの話ですが、何をやろうというんです。腹筋でもするんですか」
「そういう基礎的なのは各自勝手にやりな」
スピリッツさんは一緒に迷宮探索した時に持っていた槍を持っていた。
服装は初めて会った時と変わらず、女族長といった毛皮をまとったような格好をしている。
「とりあえず全員戦う時のフォーメーションで私の前に立ちな。もちろん武器も構えてだ」
フォーメーションと言われてもなあ。
リファは黒い大剣を両手で持ってハウエルさんの真正面に立った。
俺はその斜め後ろに立ってとりあえずナイフを取り出してみる。
猫耳メイドさんは俺の真後ろに気をつけをして立っている……戦う気ゼロだな。
戦力になるまでは後ろで身を守れって言ったからいいんだけどさ。
「色々ツッコミたいがまあいいさ。今の戦闘態勢を維持しな。心配しなくても襲い掛かったりはしないよ。ただ立っているだけさ。簡単だろう?」
そう言ったスピリッツさんの雰囲気が徐々に変化していく。
真剣な瞳で俺たち全員を遠視するように眺めているだけなのだが。
リファに向けられた槍はピクリとも動かず、構えに隙が無い。
いや隙があるとか無いとかはよく分からんが、見ていて綺麗な立ち姿だ。
蓮っ葉な口の利き方しかしないが、やはりスピリッツさんは美人だな。
派手目なエスニック風美人というやつか。
などと考えていたら、リファの様子がおかしい。
妙に汗をかきはじめている。
頬を流れる汗が俺からもはっきりと見えるし、大剣の切っ先がプルプルと震えている。
なんだろう。
後ろから見える表情で察するに怯えているらしい。
確かにさっきからスピリッツさんの殺気とでも呼ぶべき何かが俺たちにまとわりついている。
本気をだせば俺たち3人をまとめて槍で串刺しにできそうな雰囲気だ。
スピリッツさんは微動だにせず槍を構えているだけなのだが、さっきから俺は串刺しのイメージばかりが脳裏をよぎっている。
一番先頭で対峙しているリファはさらに大きなプレッシャーを受けているのかもしれない。
単純に刃物を向けられるだけでもギョッとするもんな。
こんな大女が目の前で槍持って怖い顔してるんだ、怯えるのも仕方ない。
歳相応に怖がるリファも可愛いな。
さらに時間が経った。
30分くらい経っただろうか。
それとも1時間くらいか。
防音でも施されているのか知らないが、訓練場の外の音は全く入ってこない。
スピリッツさんの見た目のイメージから竹刀かなにかでしばきまわされると思っていたのだが。
こういう精神系というか静筋を鍛えるようなのもキツイよなあ。
いつスピリッツさんの気が変わって襲い掛かってくるかという恐怖もあるし。
っていうかフォーメーションなんて言われたのでリファの後ろに立っているけど、実際の俺は動点なんだよな。
リファが斬りかかり、俺は有利になる位置を探して常に動き回る。
もうじっとしてるのも疲れてきたし、俺は動き回ってもいいのかな。
「……にゃ」
俺の背後でどさりと音がした。
猫耳メイドさんが倒れたようだ。
すると何故かリファは弾かれたように大剣を突き出した。
「せいやああああああ!」
首狙いの突きか。
スピリッツさんなら回避するだろうが。
「おっと、もう動いたか」
案の定、リファの突きをかわしてスピリッツさんは構えを解いた。
とりあえず一段落という事か。
「落ち着いてリファ。スピリッツさんは何もしていない。ただ武器を構えていただけだぞ」
「はぁはぁはぁ」
リファが床にへたりこんでいるのは初めて見た。
顔を紅潮させて息を荒げている姿はなんというか。
エロい。
ついでに振りかえって見ると猫耳メイドさんは仰向けになって倒れている。
胸が上下しているので生きているのは確かだ。
「大丈夫ですか、メイドさん」
「た、ただの貧血だにゃ」
情けねえ、とは言うまい。
俺もさっきまでの緊迫感はきついものがあった。
スピリッツさんは一番前に立つリファだけでなく、後衛の俺や猫耳メイドさんまで動きを把握していたからなあ。
短い時間で大きなストレスを受けたせいで眩暈を起こしたのだろう。
しかし短いスカートから足がだいぶ見えてしまっているのに全くエロさを感じないな。
猫耳まで生えているのにこれか。
いや全力でオプション付けまくったのが逆に、というのもあるか。
「なんともちぐはぐなパーティだねえ」
スピリッツさんは槍にもたれかかりながら笑っている。
「嬢ちゃん、あんたは気持ちが前に出過ぎさ。何を根拠に自信を持ってるのか知らないけど、無闇に突っ込んでくる奴は一番初めに死ぬよ」
「うぅ……だって怖かったんだもん」
リファの前のめり姿勢は俺も気にしていたところだ。
あまりにも格が違っているとまともな恐怖心が働いて後ろに下がるようだが、基本的には相手の強さ関係なく突っ走るところがある。
今の3人で真っ先に死ぬのは間違いなくリファだろう。
「メイドは意外とまともだね。武器無しってのは舐めてるが自分の弱さが分かってるねえ。一番逃げ出しそうな顔をしていた。まともな感覚ってのは戦うのに大事なことさ」
「それほどでもないにゃ」
「ただし戦いの場で逃げ出しそうな奴にはろくな役割が回ってこないよ。あんたがあたしの騎士団員なら間違いなく最前線の盾代わりに使うね。この先冒険者として生きてくなら自分の価値を作ることだね」
スピリッツさんのおっしゃるとおり。
現状では荷物持ちか囮の価値しかないんだよな。
リファを守るためなら危ない橋も渡るが、メイドさんにはそこまでする必要性がない。
ヴェルヌさんへの義理というか同情があるからそれなりに手は尽くすつもりではいるが。
「一番の問題は坊やだね。あんたふざけてるのかい? お遊びや演劇でもやってるみたいだ。あんたは今この場にいて、やられたら死ぬんだよ」
「冷静と言っていただきたい」
「初めはあたしもそう思っていたけどねえ。もしさっきの状態であたしが本気で槍を繰り出していたらどうするんだい? 言っておくけどあたしはそんなナイフ弾くなりよけるなりしながらでも攻撃できるよ」
「スピリッツさん相手なら直接刺しにいきますね」
「槍とナイフの間合いの違いくらい分かるだろう」
「踏み込めばいいじゃないですか」
「踏み込む間に嬢ちゃんは死ぬよ」
「リファはよけますよ」
「……百歩譲ってよけたとしよう。でもあたしの槍をかいくぐってナイフを刺せるのかい?」
「スピリッツさんは本気で戦う時は剣を使いそうですからね。剣を抜くか今持っている槍で戦うかで逡巡してしまうような動きでがんばります」
「へっ」
スピリッツさんは鼻で笑った。
俺の嘘混じりの適当な受け答えもお見通しといったところか。
それともやれるもんならやってみなという事か。
「全然わかっていないようだねえ、坊や。だが四の五の言うのも面倒だ。全員本気でかかってきなよ。あたしはこれを使うからさ」
そう言ってスピリッツさんは実戦用の槍と剣を置き、代わりに訓練用の槍を手に持った。
訓練用と言っても木刀の槍バージョンみたいなものだ。
使う人間がスピリッツさんだということを考慮すると十二分に凶器だ。
「全員ってうちのメイドさんは戦力外なんですが」
「使い道くらいは決めてあるんだろう、隠しているだけでさ」
当たりだ。
そして俺たちの周りを炎の壁が取り囲んだ。
たぶん商人襲撃の時に聖焔騎士団の団員たちが使ってきた神聖魔法と同じものだろう。
「事情が事情だったとはいえうちの可愛い部下たちを可愛がってもらったみたいだからねえ。この際だ。そのお礼もしてやるよ」
「待ってくださいよ。熱くならないでください。話せば分かり――」
俺の言葉の途中でメイドさんがスピリッツさんに飛びついた。
ここ数日メイドさんを無駄に遊ばせていたわけではない。
ちゃんと奇襲する合図を決めておいたのだ。
俺の言葉の組み合わせで簡単な指示を飛ばせるようにな。
「うおにゃ!?」
迎撃してくださいと言わんばかりのメイド体当たりをスピリッツさんは回避する。
そうしなければリファの斬りつけをもろに食らってしまうからだ。
「ちっ、使えないメイドですねっ」
リファの斬撃までかわしたスピリッツさんは、じっと俺だけを見ている。
ナイフを投げつける機会はまだできていない。
メイドさんは無様に転ぶかと思われたが、意外と軽いフットワークで体勢を立て直す。
「リファをかばえ!」
すかさず指示をだす俺に反応し、メイドさんはリファの前に立ちふさがった。
「まず1人」
「ぎにゃっ?」
鳩尾に槍を食らい床に倒れこむメイドさん。
「む、無念……っていうか痛いにゃ! 超絶痛いにゃ!」
猫耳メイドは痛みのあまり床を転げまわる。
あの猫耳メイドが自分を犠牲にしてリファ先輩を守った……訳ではない。
俺の指示には従わざるを得ないだけである。
「ブラックソードファイヤ!」
リファがよく分からない技名を親切に宣言する。
メイドさんを突き、腕を伸ばした状態のスピリッツさんにリファは大剣を投げつけたのだ。
リファはわざわざ技を宣言して注意を引いたので、当然スピリッツさんはくるくる回りながら飛来する大剣を避ける。
ここだ。
攻撃直後の回避行動でさしものスピリッツさんもやや体勢が崩れている。
俺は一気に踏み込んでナイフをスピリッツさんに突き出す。
「おっと」
おどけたようにつぶやくスピリッツさんは俺のナイフの腹に、槍の尻を叩き込む。
なんて馬鹿力だ。
あっさりと俺の突きはあらぬ方向へそらされ、腕に痺れが広がる。
さらに片手を槍から離したスピリッツさんは懐に飛び込んだ俺の頭を掴もうとしてくる。
「やらせませんっ」
無謀にも武器をぶん投げたリファの選んだ攻撃はシンプルな頭突きである。
身体のバネを使って跳躍し、頭からスピリッツさんに突っ込む。
スピリッツさんはリファを無視して俺の頭を掴んだ。
「うごふっ」
「はわっ。ご、ご主人様、うぎょふ!?」
俺の頭を盾にしてリファの頭突きを受けたスピリッツさん。
人を盾にするなんて、それでも火の神の巫女かよ。
しかもリファってすっげー石頭。
目の奥がチカチカする。
そしてすかさずスピリッツさんは槍の柄でリファを側頭部をぶん殴る。
これで全滅か。
「これで分かったろ? 坊やたちじゃ、痛っ! しまった油断したか!」
床でもだえてヘタレていた振りをしていたメイドさんが、簡易ナイフでスピリッツさんの足を斬りつけた。
痛みにもだえながら、さりげなくスピリッツさんの足元に転がっていたのだ。
へたれと認識されているからこそできる芸当だろう。
もちろん俺が仕込んだ芸である。
さすがのスピリッツさんも足に傷を受ければさすがに動きは鈍るよな。
「ぐぐ……よし。リファ今のうちに――」
次の瞬間、さっきのリファの頭突きを越える衝撃が俺の頭を襲った。
スピリッツさんは俺の頭を放すことなく、思い切り床に叩きつけたのだ。
「なんてねえ。あたしは油断なんかしないよ」
心底楽しそうな声でスピリッツさんは言った。
意識が途切れそうななかで俺はスピリッツさんの綺麗な足を確認する。
メイドさんがつけたはずの傷がふさがっている。
そうか神聖魔法か。
ちょっとくらいの切り傷はさっと回復できるのだろう。
うっかりし過ぎだろ、俺。
いやそれかやせ我慢しているだけか。
神聖魔法で表面だけ傷をふさいでいるだけかもしれない。
一瞬で完璧に傷を癒せるほど強力なものなのだろうか。
いずれにしてもスピリッツさんは不審な転がり方をするメイドさんに気がついていたのだろう。
敢えて傷を負うことで俺の油断を引き出したのだ。
あまりの勢いに一度地面にバウンドしながらそんなことを考えていた。
やけに時間の進みが遅く感じるんだが、俺死んでないよな。
どうかまた目覚めますように。
そして俺は意識を手放した。
などという都合の良い気絶はあろうはずもなく。
俺たちはスピリッツさんが飽きるまでボコられ続けるのであった。
 




