奴隷の少女リファ
やけに寒い。寝ているうちに布団を蹴っ飛ばしてしまったのか。
「変な夢だったな。邪神って」
「グルル」
俺の独り言に犬が答えた。
犬?
いや違う。犬にしてはかなりでかい。
こんなでかい牙を持ってる犬種なんて知らない。
「うわあ!」
俺の悲鳴を合図に飛び掛ってきた。
とっさに腕を前に出したおかげで、喉笛に牙を突き立てられることはなかったが――。
「痛っ」
やばいこのまま引き千切られる。
いや、この狼みたいな奴はそこまで強くない。たぶん勝てるだろう。
武器でもあればだが。
「な、ナイフ?」
運良く足元にナイフが転がっている。
よくわからないが神様ありがとう。
苦痛に顔をゆがめながらなんとかナイフを抜き放ち、狼もどきに突き立てる。
狼もどきは身体をねじりながら俺の腕をはなした。
さらに俺はナイフを突き立てる。
血が飛び散り、悲痛な声をあげる狼もどき。
「終わりだ」
止めの一撃で狼もどきは身体を痙攣させ、やがて動かなくなった。
「狼だか犬だか分からんがまずいな」
下手すれば狂犬病でももっていたかもしれない。
傷自体も問題だが、こういう動物から受けた傷はばい菌が怖い。
焦りながら俺は傷口の様子を見てみる。
「傷が……無い」
噛まれた瞬間はあれだけ痛かったのに、もうなんともない。
傷一つついていない腕があった。
牙が突き刺さっていた気がしたが。
傷は無いがぬるぬるした血がついている。
何がどうなっているのか。
「それにしても寒いな」
雪が降っていた。
俺が立っているのは、よくドラマで犯人が罪を告白するような切り立った崖だ。
その反対側は薄暗い洞窟だ。崖から飛び降りるか、洞窟を抜けるか。
「いや飛び降りるとか無いわ。それより何か着るものは……」
がさりと足に何かがぶつかる。
見てみると黒いレインコートらしきものが落ちていた。
いや雨合羽ではないか。
なんだろうか。ローブというやつだろうか。
なんでもいい。
とりあえず着てみると思いのほか温かい。
一枚着るだけでこうも違うものだろうか。
しかし黒いローブに墨を塗ったような黒い刃のナイフ。まるっきり不審者だな。
ナイフは捨てるべきかとも思ったが、さっきの狼もどきがまた襲ってくるかもしれないわけで。
そんなことを考えていると、洞窟のほうから悲鳴が聞こえた。
慌てて声のする方へ走りかけるが、すぐに俺は足をとめる。
悲鳴が聞こえるということはこの先に危険があるってことだよな。
さっきの狼もどきの群れだったら?
もしくはもっと危険ななにかだったら?
冷静に考えてここは平和で安全な日本ではない。
いや日本なのかもしれないが、俺が住んでいる夜歩いてコンビニにいけるようなお気楽さはない。
しばらく悲鳴と堅いもの同士がぶつかるような音がきこえていたが、やがて何もきこえなくなった。
三十分くらい経っただろうか。
いやもっとかもしれない。俺は雪が降りしきるなかじっと息をひそめて突っ立っていた。
「……そろそろ行ってみるか」
いつまでもここにいても仕方が無い。俺は足音を忍ばせて洞窟へ入っていった。
◆ ◆ ◆
血の匂いがした。
そこには人間だったものが散らばっていた。
ファンタジーを描いた映画に出てきそうな剣やら鎧を身につけていた。
そういう立派な装備も役に立たない相手とは何だったのだろうか。
できれば永遠に知りたくないところだ。
「誰も生きていないのか」
「だ、だれっ?」
響き渡らないくらいには声をひそめて問う俺に答える者が一人。
女、いや女の子の声か。
しかし誰と言われても困る。
「そっちこそ誰だ」
「私は……リファ。そこにいる人の奴隷、です。でした」
奴隷て。
そういう趣味をこの若さでか。
綺麗な金髪にうっすらとした緑色の瞳を持つ少女なのに。
そんなに乱れた世の中か。
俺の哀れな者を見る眼に気付いたのか、リファと名乗る少女は慌てて弁解してきた。
「あの、私は買われたばかりです。まだ荷物持ちとしてしか使われていません。ですからまだ、その、汚れていません」
「そ、そうなんだ、すごいね」
別に処女が綺麗で、非処女がきたないとも思わないけど。
奴隷プレイだってやりたい人同士ならやれよという感じで。
俺を巻き込まないのであればそれでいいです、はい。
「だからお願いします。どうか私を見捨てないでください。所有者はあなたでけっこうです。ご主人さま、どうか私を拾ってください!」
「う、うん。いやそういう奴隷とかはちょっと」
「お願いします! 迷宮から出てもお仕えしますから! この場で契約しますからっ」
なんだか分からないが興奮している。
なんだこれ。
死体が散らばる洞窟で少女と奴隷契約?
もう犯罪のにおいしかしないんだけど。
「落ち着いて、ね? あまりおっきな声をだすと狼が……」
「でしたら名前を、ご主人様の名前を教えていただけますか?」
「カンゾー。ね? だからお嬢さん、ちょっと落ち着いて」
「カンゾー様。命尽きるまでリファはあなたにお仕えいたしますっ。よろしいですか?」
「は?」
「同意してくださいますかっ?」
「わ、わかった。おっけー。君は俺の奴隷だよ、リファちゃん」
俺が返事をした瞬間、リファの首についているチョーカーのようなものが光った。
「ありがとうございますご主人さま。ご主人さまは命の恩人です」
「そ、そう? とにかく俺はここから出たいんだが、リファちゃんは出口を知らないか?」
「それならいい物がありますよ、ご主人さま」
そう言ってリファはおもむろに死体の胴体部分をあさりはじめる。
「ありました。非常口です」
「非常口……?」
嬉しそうにしているリファの手にはやけにボロい紙切れみたいなものがあった。
「さっそく使ってもいいですか、ご主人さま」
「使うとどうなるんだ?」
「すぐにこの迷宮から出られます。使いますね」
俺の返事を待たずにぶつぶつと何かをつぶやきだすリファ。
紙切れに書いてある文章を読んでいるようだが、はっきりと聞き取れない。
あっけにとられているうちに、辺りの景色が歪んで――。
しかしそれだけだった。
「そ、そんな、不良品!? でもそんな聞いたこと……」
リファが呆然と自分の手を見ている。さっきまでリファの手にあった紙切れは消えていた。
「リファ……ちゃん? いまの紙切れは一体何だったのかな?」
「非常口です。神の祝福を受けている巻物で、迷宮の入り口に帰還できるはずだったんですが」
神の祝福ね。
いやとりあえずは受け入れよう。
俺はやっと冷静になってきていた。
さっきまで見ていた邪神の夢。
いや夢ではなく実際に会っていたのだろう。
あの邪神は「私以外の神々の神聖魔法が一切使えないし、その恩恵も得られなくなりますけど」とか言っていなかったか。
「こ、このローブか」
そうだ。神の祝福なんてものはこのローブで無効化されてしまう。早く脱がなければ。
そこでまた邪神の言葉を思い出す。「脱いでも呪いだけは永続します」か。
脱出アイテムが使えないってとんでもないじゃないか。さすが邪神。廃れるわけだ。
「ご主人さま。ど、どうしましょう?」
「どうしましょうと言われてもなあ」
リファはなんだか薄汚い服しか着ておらず、戦闘に役立ちそうには見えない。
俺はローブなんて着ているが魔法一つ使えず、ナイフ一本持ってるだけ。
「ここから入り口までってどれくらいなんだ?」
「ここはまだ入り口に近いほうですね。運が良ければ魔物に会わずにすむかもしれません」
運が良ければか。無理だな。
邪神のありがたいご加護は魔物を引き寄せるらしいし。
「なにか武器とかアイテムはないのか」
「あ、それでしたら」
リファは再び死体をごそごそし始める。
明らかにリファに不釣合いな大剣。腰には金属製のボールやら瓶に入った謎の液体やらを装備している。
「と、とりあえずこれで戦えます!」
「重くないのか、それ」
「荷物持ちとして鍛えていますから。それにこれは紙製ですし」
ほ、ほんとだ。
なんだこれ厚紙?
表面に何か塗ってあって厚紙よりも硬いけど、紙は紙だ。
この世界の人って。
「いたぞ、さっきの奴隷だ」
「仲間もいるぞ」
感心してぼけっとしていたが、野太い声に我にかえった。
リファとはまた別ベクトルで汚い、いや不潔そのものといった皮鎧の一団だ。
「さっき私を襲ってきた盗賊です!」
リファは注意を飛ばしながら大剣を両手でかまえ前へと出る。
盗賊は一瞬怯むが、相手は弱そうな少女だ。
しかも紙の大剣持ってるだけだもんな。
にやけた面をしながら盗賊の一人がリファに剣で斬りかかってくる。
この盗賊はあまり強そうではない。しかしリファが勝てるかどうかは微妙なところだ。
なんとかして援護してやりたいところだが。
「ぐお!」
悲鳴をあげたのは盗賊だ。
俺がとっさに投げたナイフは、リファを襲う盗賊の腹に突き刺さる。
腹から血を流して体勢を崩した盗賊に、リファの一撃がきまる。
斬ったというより、硬い紙のかたまりでぶん殴られた盗賊は地面に倒れこむ。
「こ、これって死んだんじゃ……」
「ご主人さま! 盗賊に情けは無用です!」
大丈夫なのか。明らかに過剰防衛だが。
「動くな! 奴隷と金を置いていけば命まではとらねえ」
仲間をやられたもう一人の盗賊は弓をかまえてリファを狙っている。
リファは顔をこわばらせて、目だけこちらを向けてくる。
ナイフも投げてしまったし、万事休すか。
『カンゾーさん、今こそ邪神の力を見せる時ですよっ』
緊迫した状況で間抜けな声が聞こえた。
リファと弓使いの盗賊の様子から察するに、彼らには聞こえていないようだ。
『早くも2つも哀れな魂を地獄に送り込んでくれましたからねー。最下級の奇跡なら起こせますよっ』
邪神か。なんだよ奇跡って。
それに2つって、狼だけだから1つだろ。
……もしかして助けに行かずに見捨てた人も含まれてる?
『感覚的に分かるはずですよ! さあ邪神に歯向かう愚かな神の使徒に災いをっ』
もう禍々しさを抑える気ゼロだな。しかし邪神に言われたとおりなんとなく分かる。
弓をかまえて勝利を確信している盗賊をじっと見据える。
「どうした? さっさと武器を捨てろ奴隷。死にたいのかよ?」
苦しめ。
俺が念じた瞬間、盗賊は自分の首をおさえて弓を取り落とす。
「リファ!」
「は、はい、ご主人さま!」
即座に距離を詰め大剣で盗賊を殴り倒すリファ。
どうやらなんとかなったな。
邪神のおかげか。
いや邪神がいなければ、さっきの非常口だかなにかですぐさま脱出できたわけで。
「ふー。やりましたねご主人様。やっぱりご主人さまは魔法使い様だったのですね」
「え?」
「あ、それとちょっとご主人様のナイフを貸していただけませんか」
いつの間にか俺の手に返ってきていたナイフ。
これも呪いか。
これは人に使わせるとまずいんじゃないかとも思ったが、反射的にリファに渡してしまった。
「えいっ……えーっと、てりゃ!」
生死不明だった二人の盗賊に、的確に止めを刺したリファ。
すごく手際がいいです。
「わ、なんだか元気がでてきました。このナイフも魔法の武器なんですか?」
「あ、はい」
俺があっさり返事をすると、リファは眉をひそめた。
「あの……差し出がましいようですが、そんなに簡単に教えないでくださいね?」
「え?」
「信頼してくださるのは嬉しいですけど、魔法の品なんてよほどのお金持ちさんしか持っていないですからっ」
ああ、そういうことか。旅行先で日本人が持つカメラや腕時計が狙われるらしいしな。
最もこんな呪われた武器を盗んだ日には、色々と盗人に災厄が訪れそうだが。
「さあ行きましょうご主人さま。帰り道はあっちですっ……たぶん」
少し自信なさげなところがたまらなく不安だが、頼れる人はリファしかいない。
◆ ◆ ◆
「ここは……?」
「クイーンの迷宮の入り口付近ですよ、ご主人さま。た、助かりました」
リファは気が抜けたのかへたりこむ。
よく分からないがここは安全らしい。
振りかえってみると巨大な洞窟が口を開けている。
こんなやばそうなところに俺は入っていたのか。
「おい、そこの奴隷。貴様、さっき迷宮に一緒に入っていった主人はどうした?」
急に声をかけられる。
これまたファンタジーな鎧で身をかためた騎士が不審そうな眼をこちらに向けている。
「死にました。今はこの方がご主人さまです」
「初日で死んだか。迷宮内で何があろうと不問だが……」
「盗賊に襲われたんです。私が所有されているのは首輪を見て分かりますよね? 私も危なかったのですが、ご主人さまに助けていただきました」
助けたというか最初は見捨てかけたんだけどな。
「怪しげな格好のわりに感心な奴だな。見覚えがないが初心者か?」
「あ、ああ」
兵士の的確な感想だが、リファは気分を害したように頬をふくらませる。
「その奴隷の元主人の末路は見ただろう。迷宮を甘く見るなよ」
「ご主人さま、行きましょう」
リファは俺の手をひっぱる。
よく分からないがここは日本じゃないのは間違いなさそうだ。
いや地球ですらない。
お金1つ持っていないんだが大丈夫なのか俺。