流れる音
「痛い痛い痛いです! ほんとすいませんでしたって!」
「胸糞悪い奴らだよ、まったく!」
「でも偉かったじゃない、スピー。いつ斬りかかるか冷や冷やしたけど」
「やめてあげてくださいっ。ご主人様は巨乳が怖いんですから!」
スピリッツさんに、しなやかな腕で首を絞められていた俺はようやく解放された。
首をおさえながらリファをにらむ俺。
「いつもならもっと強引に助けてくれなかったか?」
「苦しそうでもありましたが、スピリッツさんの胸に埋もれてご主人様がちょっと嬉しそうだったので空気読みました!」
エスパーか。
とにかく俺たちは地下3階を無傷で通過した。
途中でレーンの鷹が始末したらしき魔物が、群れをなして死体の山を築いていた。
この魔物達が一斉に襲い掛かってきていれば厄介だっただろうな。
俺とリファにしてはずいぶん運が良いイベントだったようだ。
「でも坊や達も災難だったねえ、こんな浅い階層にしか来ていないのに、レーンの悪党どもに顔を覚えられちまってさ」
「え?」
「レーンは弱い相手を見るやいなや、会話の途中にでも不意討ちで消しにかかってくるの。魔術師くんとリファさんに手を出さなかったということは、警戒されたということね」
次は万全の体制の時に襲い掛かってくるでしょうね、とファイさん。
なんだよその歩く死神みたいなキャラは。
無理にでも戦っておくべきだったのか?
「でも坊やの意見は正しいよ。レーンの野郎の指揮は巧みだからね。一般魔法で強化されたあの山賊崩れどもを相手にするのは骨だ。こっちも頭数を揃えないとやばい」
仲間を強化か。
あの邪悪そうな集団ですら、一般魔法でノーデメリットの恩恵をうけているのか。
そういうチートってずるくない?
こっちは呪いを使うために、いちいち哀れな魂を地獄に落とさないとだめなんですけど。
いや神聖魔法や一般魔法も無制限に使えるわけじゃないよな。
なにか制限があるんだろうけど。
マジックのパワー的な何かが。
しかし明らかに光の神々を信奉していなさそうなレーンの鷹であれば、クイーンの迷宮にあるという神器を手に入れてもらってもかまわないのかもしれない。
逆に聖焔騎士団みたいな正義サイドにはあまり活躍してもらっては困ると。
レーンの鷹の頭目がボン・キュッ・ボンのグラマーな女王さまだったら、あの場で寝返ったのにな。
世の中はままならないねえ。
……何を考えているんだ俺は?
スピリッツさん達を裏切って寝返るって。
「次は地下4階だねえ」
「特に何もない階層よ」
というファイさんの言葉とは裏腹に、やけに大掛かりな仕掛けが設置されている。
地下5階への階段の真上には巨大な岩が宙に浮いていて、近くに大きな水晶玉のようなものが置かれている。
「この妙な玉がこの階層のあちこちに6箇所ほど置いてあるのさ。玉の場所を探すだけでもずいぶんかかっただろうねえ」
「複雑な操作が必要な難関だったらしいわ」
再びすでに解かれた謎解き要素か。
現実に迷宮探索なんてしていると、ただ先に進めばいいってもんじゃないようだ。
適度に先行組が攻略してから、迷宮に入ったほうが効率的だ。
むしろこのよくわからん大掛かりな階層を最初に攻略し始めたパーティは、今も生き残っているのかどうかすら怪しい。
現にスピリッツさん達も誰が攻略したかを知らないのだから。
ベストなのは、神器なり秘宝なりを発見した冒険者の帰りを待って、油断しているところを襲うことだろう。
ただ、それでも俺は開拓者というか、道なき道を初めに進みだした人間には敬意を表したい。
よく言われることだが、一番初めにあの腐った大豆を食べた人とか。
あの臭いとネバネバさにチャレンジしたその勇気はどこから湧いてきたのだろうか。
「やっとこさ地下5階だね。魔物とやけに会うのが気になるが、あとはなんてことないね」
「非常口が使えるかが気になるわね。試してみる訳にもいかないし」
この先、俺とリファにずっと圧し掛かってくるのが非常口使用不可だよな。
回復手段がないのもやばいか。
戦闘終了時点で傷が残っていた場合、次の戦闘まで回復できないもんな。
魔物避けが使えないのも厄介だ。
普通以上にエンカウントしてしまうわけで危険度はそのぶん増す。
ついでに装備を付け替えられないのもやばい。
スピリッツさんみたいに槍と剣を使い分けなんてことができない。
ああ、無理だ。詰んでるじゃないか。
救いは、無理に迷宮探索を頑張る必要がないことだな。
迷宮の奥底で待つボスがいるのかもしらんが、そんなものはスピリッツさんやらレーンさんに任せておけばいいんだ。
俺なんて所詮は邪神の斥候みたいなもんだからな。
「はいっ。質問です!」
「なんだい嬢ちゃん?」
「地下5階から冒険者の出入りが制限されているのはなぜですかっ?」
良い質問だ。
この地下5階には王国が関所を設けているんだったよな。
地下6階から難易度が上がるという事だろうが、具体的にはどういう困難が待ち受けているのだろうか。
「まず地下6階からは魔物の中にレッサーデーモンをはじめ強い魔物が出現し始めるわね」
「ここまで到達できたいっぱしの冒険者でも、気を抜けばやられちまうからねえ」
あの2本足で立つ牛か。
ヴェルヌさんと戦ったのは巨大な変種だったらしいが、普通はどれくらいの大きさなのだろう。
あのパワーに加えて魔法まで使ってくるのは厄介だ。
「それからこれまでと違って、仕掛けが完全には解明されていないの」
「うっかり作動させちまって迷宮のどこかに飛ばされる……なんてこともありうるねえ」
単純に知恵を絞らせる仕掛けだけじゃないってことだな。
俗に言うトラップですか。
あー、そういうの苦手だ。
「あとはまあ、ね?」
「これが王国が関所を設けた最大の理由だろうねえ。地下5階を見てみればわかるよ」
百聞は一見にしかずってか。
スピリッツさんを先頭に地下5階へと降りていく俺たち。
「わ! 水? ご主人様、川ですよ! 川!」
「地下水? 地下川? いやなんていうかすごいな」
リファがきゃっきゃはしゃいでいる。
迷わず川に駆け寄ろうとするので、しっかりと首根っこを捕まえて止めておく。
「とりあえずは安心しな坊や。この地下5階の川から魔物が飛び出してきた事は今までになかったからねえ」
「でも魔術師くんの判断は正しいかもね。今の迷宮ではどんな変化があったか分からないから」
「だそうだ、リファ。とりあえず水遊びはなしだな」
今日は水着もありませんしね、とリファ。
川辺でぱしゃぱしゃやるだけでなく泳ぐ気だったの?
地下のこの寒いなかで?
とにかく地下5階の川は絶えず一定の量が流れているらしい。
そのまま飲んでも死んだ者はいないそうだが、神聖魔法で浄化してから飲料水としても使っているんだとか。
呪いで水も腐らせることってできるのかな。
いややりませんけどね。
「王国の関所って今はどうなっているんですか?」
「坊や達と初めて会った日に、一緒に脱出したからねえ。この階層に中継地点を作っている奴らはけっこう多いはずなんだけど、どうなっていることやら」
魔物が大量発生して襲ってきたんだったか。
周囲を粘着ストーカーして探ってみたが、魔物の気配はない。
「一応、エルが言うには危機は去ったんだってさ。でもあのエルが言うことだからねえ」
口の軽い地の神の巫女ハウエルさんか。
巫女としての能力は高いのだろうか。
「スピリッツさんも火の神の巫女ですよね? あなたはどうなんですか。何か予感かなにかはないんですか?」
「エルみたいにしょっちゅう神託を受ける巫女なんて稀さ。あたしは戦い専門みたいなもんだからねえ」
「スピー……」
ファイさんが説教したそうな顔でスピリッツさんを見ている。
あれでハウエルさんは優秀な巫女なんだな。
確かに神の電波を受信しそうなキャラではある。
「そういえばさっきから全然、他の冒険者に会いませんね。レーンの鷹くらいで」
「今はクイーン王国としては警戒は呼びかけているが、出入りは制限していないよ。ただ魔物の大量発生から3日しか経っていないんだ。今、迷宮に入る命知らずのバカはレーンのごろつきどもくらいさ」
そう考えると俺たちも命知らずのバカの仲間なんだが。
しかも人手が足りないのに外部の俺とリファまで使って無理矢理に来ているという意味では、レーンさんよりも無茶やってるよな。
「無駄口はそれくらいにして、中継地点を見に行くわよ」
ファイさんの鶴の一声で、さっそく目当ての中継地点とやらに向かう俺たち。
途中、カラスの化物みたいな奴や、狼のでかい版にも襲われたが、やはり聖焔騎士団の2人の敵ではなかった。
「思ったよりは荒らされていないねえ」
複雑に入り組んだ通路のどん詰まり。
少し広間になっているような場所に聖焔騎士団の中継地点はあった。
きちんと入り口がついており、洞窟内にある家という感じだ。
入ってみると、さすがに壁は剥き出しの岩肌だが、床には敷物が引いてあり、寝袋がいくつも並んでいる。
隅には袋が重ねておいてあるが、あれは非常食でも入っているのだろうか。
さらに奥には厚い木の板で仕切られた個室のようなものまである。
ファイさんが何かを唱えると、壁に設置されているランプのような何かが部屋を明るく照らしてくれた。
「さて、ここまで来たら分かってるね、ファイ?」
「ええ。もちろんよ。魔術師くんとリファさんは外で警戒しておいてね。魔物が近づいたら必ず大声で知らせること」
2人はそそくさと奥の個室へと消えていった。
あの個室には一体、なにがあるのだろう。
おそらくは魔物をこの場所に近づけないようにするための何かだろうが。
やはり安全地帯を作るほどの神聖魔法だから、秘密なのだろう。
「ご、ご主人様。早く外にでましょう」
「ああ。しかしリファも気にならないか? きっとあの奥の個室に、中継地点の秘密があるんだ」
「秘密……ですか?」
「そうだ。恐らくは魔物を入られなくする結界を作りだす何かだ。火の神聖魔法かそれとも別の何かかはわからないが」
「えっ? ち、ちがうと思いますけど」
リファは戸惑った顔を俺に向ける。
しっかりしていると思っていたが、やはり子供か。
素直に言うことを聞いていれば世の中渡っていけると思ったら大間違いだ。
技術は盗むもの。
今、ここでやらなければチャンスはないかもしれないのだ。
「いいかい、リファ。辺りに魔物と人間の気配はないのは確認済みだ。リファはドアの前に立っているだけでいい」
「ま、まさかご主人様」
「俺が汚い大人に見えるかもしれない。しかし必要なことなんだ。今後、俺たちが迷宮奥深くに入るためにはどうしても」
支配の呪いを受けているファイさんの目を借りてのぞくという手ももちろんある。
しかしもしも火の神聖魔法を使っている真っ最中だったら?
そして俺の呪いのせいで中継地点の復旧に失敗したら?
これから一晩は中継地点を使う事を考えるとリスクが高すぎる。
直接、盗み見るしかないだろう。
「ご主人様がそこまでおっしゃるなら、リファは止めませぬ」
「お、おう」
なぜそんな覚悟を決めたような顔なのか。
リファはそのまま外に出て、ドアを閉めた。
俺は違和感を覚えながら忍び足で、奥の個室に近づく。
ドアの前に立ち、そっと耳をすませる。
うん。
この音は。
危なかった。
危うくベタなラッキースケベをやらかすところだった。
いやベタじゃなくて少しばかり上級者向けか。
この個室はトイレでした。
確かにね。
トイレも作るよね。
安全地帯を作っておいて、トイレは外なんてことになったら意味ないもんな。
「さすがは聖焔騎士団といったところか」
俺はニヒルに笑いながら、外で待つリファの元へと向かう。
動揺はない。
奥にトイレがあった。
ただそれだけのこと。
「待ちな」
地獄の奥底から聞こえるような声が聞こえた。
振り返るとスピリッツさんが、そして後からファイさんが奥のトイレから出てきていた。
「言っておきますが、事故です。というかのぞいていません。流れる音しかきいてません」
「お、音って、魔術師くん……」
「なかなかマニアックな坊やだね。ちょっと詳しく教えてもらおうじゃないか」
◆ ◆ ◆
「ご、ご主人様。どうでしたか? 迷宮の奥に挑むためのモチベーションは得られましたか? 変態」
「リファ、お願いだから、俺と目を合わせてくれないか」
「いいんです。ご主人様にとって必要な儀式……だったんですよね? 変態」
信頼を築くには時間がかかり、そして失われるのは一瞬だという。
「そこまでして音を聞きたかったのかい。いやたいしたもんだよ坊や。変態」
「リファさんもスピーもあまりいじめては可哀想よ。魔術師くんはわざとじゃないって言ってるじゃない。ね? 変態」
信用を築くまでにかかる時間は長大だ。
しかし信用が破壊されるのは一瞬である。
だが一度信用を失ったからといって人生が終わるわけではない。
失ったのならば再び築き上げればいい。
そう、例え時間がかかったとしても。
お読みいただきましてありがとうございます。
皆様のご支援によりまして総合の日間ランキング24位とのことでありがたいことでございます。
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・広報担当リファッポイ
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リファっぽいキャラクターがあざとく連絡するというコンセプトでございます。
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