眠れないキルレリアとそれから私
公爵夫人の子どもが泣き出す頃にキルレリアのメイドと執事は起床する。
彼らにとって、そのけたたましい騒音は目覚ましに違いなかった。
聖夜を祝福する天使がいないように、此処の住人には夜という概念がなかった。……いいえ、夜はあってもそもそもそんな時間はないの。
目をあけている時間は朝か昼、早朝に行われるこの奇妙で愉快で可笑しなお茶会も、あくまで狂った世界の中では異常ではなく通常だった。なにせこのお茶会は早朝から開いているくせに、開催している本人であるキルレリアが飽きてしまうまで続くお茶会で、且つ、夜の来ない中では、最悪私が眠ってしまってからこのお茶会に改めて顔を出すと、「今日は二回も此処に来るだなんてなんてアナタは暇なのかしらね」と、キルレリアに言われてしまうからなのである。
その際に、お茶会にしか能のないキルレリアとは違ってね!とうっかり口をあけてしまえば、最早砂糖を入れすぎて、かき回す度に不快になってしまう彼女の大好きな紅茶を不機嫌な顔で啜る光景を見ることになるから、気を付けなくちゃならない。
夜という時間はないと言ったけど、反して夜がないわけではなかった。それは、瞼を閉じた瞬間が『夜』だということを指している。
つまりを言えば、狂った住人たちが疲れきって目を閉じて眠りについたら、それはその住人にとっての夜が始まった合図であって、加えてその夜は住人が起床するまでずっと夜。そのせいか未だに夜から抜け出せていない住人もいるのだから、なんとも可笑しく笑いが止まらない話よね。
「キルレリアキルレリア、飽きてこない? このお茶会」
「言っている意味がわからないのだけど」
眉をひそめて砂糖漬けの紅茶をすするキルレリアは、どうやら時間の概念がないらしく、規則正しく一日を過ごす私の言葉を心底理解していないようだった。
キルレリアのお茶会が連続して今日で五日目、過去に三日三晩(こういう言い方をしてはここじゃ間違ってるかもしれないけれど)お茶会を続けていたこともあった。
でも、今回は今までに見ない長さで、狂人たちでさえも頭がおかしいんじゃないの?だなんて聞いてきそうなもの。
「だって考えても見なさいよ、私の体感時間で言えば、キルレリアのお茶会は今日で五日目になるのよ。ケーキも飽きればお菓子も飽きた。集る蟻と蜂の数が日に日に増えてきてることにも気づいていて?」
頬杖をついて座る私に、行儀が悪いと目で訴えてくるキルレリア。彼女の無言のそれを無視して私は続ける。
「羊のメイドと執事だって増幅しているっていうのに、これじゃあ全部を数えても眠れないわ」
ティーカップを放り投げても地面に落ちる前に拾われて、気づけば代わりのカップが目の前に置かれている。今までのお茶会なら見向きもされない仕事でも、増えた数分、小さな仕事も見落とさなくなっている。
これでは従者に監視されてるようで、睡眠をしっかり取ったはずの私は睡眠不足の時と同じくらい苛立っていた。
「…………」
「それはぁ……仕方のないことなんだよぅ…………」
だんまりを決め込んだキルレリアとは別のーー星空の描かれたティーポットの中から声が聞こえた。
「いたの、ヤマネ」
蓋をとって中を覗くと、目を瞑っているヤマネがいた。
ヤマネは時折お茶会に現れる眠りネズミで、このネズミの狂いは『昼がないこと』。
狂った住人たちは眠らないと夜が来ない。ならば眠り続けていたらーー?その答えは、昼の来ないヤマネが身を持って証明してくれている。
永遠の夜は、起きていないと同意で、意識があるように見えても、ヤマネは寝ぼけているか寝言を言っているかになる。つまりは眠りながらの会話しかできないわけで、あたりまえだけども意思疎通はできない。
「きらきら星がぁ……ひかるころぉ……すやすやみんなぁ……ねむりにつくぅ…………。おやすみおやすみぃ……夢のなかぁ……、女王さまもぉ寝る時間…………」
ヤマネにしか見えない星を唄って、眠りネズミは寝息を立てる。人の話を聞かないのは聞けないからの間違いかもしれない。
「……眠らないわけじゃないわ。眠くならないことの間違いよ」
だんまりをやめたキルレリアはケーキを食してから溜息をつく。
どうやらキルレリアもわかりきっていることだったみたいだ。自分に問題があることを、いつもと違うことを。
でも、私はキルレリアを責め立てる。
「私にとっては変わりないよ。変わったのは、お茶会が終わらないせいで今が早朝なのか昼なのかそれともお昼を過ぎたのかもわからないことだわ。そしてキルレリアのせいで狂いが増え続けていることよ」
珍しくも私は笑わなかった。だって、心底苛立っているのだ。思い通りに進まないことに、思いがけなく反抗されていることに、ただ、苛ついている。
「すやすや眠らないぃ……うさぎはぁ……どうして……? 眠れないんだぁ……理由が……あるからぁ……」
「……どういうことなのヤマネ」
「ねむれぇねむれぇ……ひとりがお茶会開く頃ぉ…………、お月様は見えなくてぇ……うさぎは首がぁつながらないぃ…………」
「……………………」
ヤマネはやっぱり話が通じない。なにより答えに応えてすらくれないし、そこら辺の住人の方がましなくらいだ。
私は笑わないでヤマネの入ってるポットに蓋をした。これ以上眠りネズミの寝言を聴いているとバカになってしまうもの。
そして改めてキルレリアを見返すと、珍しくも二杯目の紅茶には砂糖は少量しか入っておらず、キルレリアは黙り込んでいる。
「キルレリア? どうしたの?」
私は彼女の顔を見ずにカップだけを見て聞いた。けれどキルレリアから返事は来ない。
「キルレリア?」
そして、私が目を向けるとキルレリアは綺麗な瞳を閉じて眠りについていた。あれほど眠れないのだと言っていたのに、私とヤマネのやりとりを子守唄にして何日かぶりの眠りに就いていた。
なんて、なんて非常識なのだろう!私という客人が来ながら、主催者である彼女はお茶会を放棄した。そのせいで、気付けばあんなにいたはずの執事もメイドも姿が見えない。
私は憤慨してお茶会から出て行く。途中、這いずって残飯を漁る公爵夫人と鳴きつづける彼女のこどもを一瞥し、「豚の子はやっぱり豚ね」と吐き捨てて。