王女さまとキルレリアとそれから私
私はいたく機嫌がよかった。なんていったって、なんでもない日をお祝いしようと、いつにもなく晴れ晴れとしていたから。
やっぱり人間誰だって、悩み事や心配事、喉の奥につっかえた小さな違和感だとか、ちょっと邪魔だな、と思うことがまっさらになくなってしまえば、きっと私と同じ気持ちになれるはず!
キルレリアにもこの気持ちをわかってもらうために、私はお茶会へと足を運び――それからまっさらな気持ちが一瞬で泥水のごとく淀んだ。
「ねえねえキルレリア! 今日はバレンタインデイね、うさぎってチョコレートは食べられたかしら?」
「ワタクシはカカオの中毒死にならないタイプだから、別に大丈夫よ。残念なことにね」
「やだやだ! キルレリアったら自分からそういうだなんて、まるでそうでありたいと言っているみたいよ?」
「やっぱりアナタの頭の中はひどいものね……」
苛立つキルレリアは、美人なその顔を歪ませても尚美しい。ただ、寄せられた砂糖入れの蓋が締め切らないせいか、横にひっくりかえったそれと、ソーサーの上にこぼれた角砂糖の欠片のせいで、美人なのに味覚音痴だなんてとんだ傑作だわと私は笑った。
キルレリアの残念な味覚と同じくらいに、今日は残念なことにバレンタインデイなのである。
毎日のなんでもない日の傍らに潜むイベントとはどうにも好きになれなくて、わざわざ名称付けて喜ぶ誰も彼もといったら、どうしてこんなに目障りなんだろう、と疑問に思うほどだった。
「ううん、キルレリア、私ってすごく不思議に思うことがあるの。どうして他人はイベントを祝い、生まれたことを喜び、それからその喜びを共有するのかしら。くだらない毎日に怠惰し生きるくせに、周りがはしゃげばはしゃぐほどそうでなければならない理由でもあるのかしらね?」
キルレリアは眉をひそめて、ため息をつく。深くて重くて、まるで世界を悲嘆しているかのような顔をして、キルレリアはこう言った。
「この国にいるならどうしたってはしゃがないとやっていけないんでしょう、ワタクシにはアナタの感性はちっとも理解できないけれど、これだけは言えるわ、」
ことばを区切りとても大切な一言をキルレリアが紡ぎ出そうとした途端、朝のお茶会は突然の訪問客によって壊されてしまう。
「辛気くさくてなんて嫌なんでしょうねわたくしの小鳥! 朝のお茶会だなんて、正しい時間を知らないのかしら?」
かわいらしい声で辛辣なことばを投げ掛けているのは、真っ赤な髪に吸い込まれそうなほど深い黒の瞳、それから大きな黄金の王冠を被っている少女、こと、王女さまである。
それもキルレリアの大嫌いな王女さま!
「ねえウサギ、あなたの同胞の時計ったらてんで駄目ね。小鳥と違ってすぐに壊れてしまって、オイルをあげても動かないんですもの」
キルレリアが美人なら王女さまはかわいいお人で、愛らしいお顔で困惑なさる姿は目玉をくりぬいたって痛みも感じないほどなんだろう(と、言ってもこれは大衆の意見でしかなくて、誤っても私の意見ではないことを知っていてほしい)。
お茶会を壊されたことを憤慨しているのか、キルレリアは上品さを少し欠いて、カップの底のシュガーをかき混ぜる音が王女さまの小さなお耳にも届くように ざりざり ざりざり スプーンでなじりつけている。
私は王女さまはいつ見てもかわいらしいなあ、と笑顔で対応する。だってキルレリアったらさっきから黙りこんで、相手にする気もないみたいなんだもの。
「王女さまご機嫌よう! カメリアのように無邪気でかわいらしい王女さま、お茶会においでになったんですから、薔薇色の紅茶でもお召し上がりになってはいかがでしょう?」
「あら! ごめんなさい、紅茶の誘いは嬉しいけれど、わたくし、小鳥が時間を知らせてくれないとそのこと以外はしないようにしているの。本当に残念だわ!」
フリルがふんだんにあしらわれたドレスを翻して、王女さまは残念だわ、そうね残念ね。とぽつりぽつり、ひとりごとを呟く。それからなにかを思い出したのか、王女さまは手をたたいて可憐に微笑んで、私たちにこう仰った。
「そうだわ! 思い出したわ! 今日はバレンタインデイ、わたくし自ら国民みんなにチョコレイトを渡そうと思ってここまで来たのよ。そう、小鳥がそう告げてくれたの。だから貴女たちにもほんの気持ちだけれどあげるんだから、どうか食べてちょうだいね?」
いつの間にかテーブルの上には王女さまにお似合いのハート型のチョコレイトが姿を見せていて、つやつやでいて本当においしそう。
笑顔を残して立ち去って行く王女さまから視線をそらし、私はキルレリアのほうを向く。黙りこんだ彼女はゲロ甘の紅茶を何杯か飲み干していたみたいで、シュガーポッドの中身がはじめの頃から半分以上少なくなっているみたいだった。
「キルレリアったら本当に王女さまが嫌いなのね。もし気分を害されたら不敬罪で首をはねられて白薔薇が真っ赤に染まるところだったわ!」
やれやれ、これだからキルレリアは困ったものだわと私が呆れると、それこそキルレリアははじめの頃よりふかーいため息をついて、カップをソーサーの上においた。
「……ワタクシはアナタのそういうところが嫌いよ。顔は笑っているのに心はひどく冷めていて、夢見がちをせせら笑いそれから平気で嘘をつく。おはなしがとびとびになるのだってそれの弊害なんでしょうけど、本当に、見苦しいわ」
真っ黒な瞳をふせるキルレリアは、かぶせて私に静かに問いかける。
「ねえ、アナタがさっきアノヒトに進めた紅茶には何が入っていたのかしら」
「――キルレリアが飲んでみたらわかることだと思うよ?」
「嫌よ。醜く死んでしまうシュガーの入っていない紅茶だなんてまっぴらごめんだわ」
顔をしかめたキルレリアに私は笑みを深くして、王女さまからいただいたチョコレイトを半分に割って蟻たちに渡した。
その様子を見てキルレリアはあのとき言いかけたことばを今になって吐き出したみたいだった。
「――――やっぱりアナタは王女が大嫌いなのね」