壱話 猫の葬儀屋と狐と、家に帰れない鳥。
「ひーまーやー」
「・・・・・・・・・・」
「ひーまーやー」
「・・・・・・・・・・」
「飯綱ーぁ、自分、聞こえとる?」
「そんな声上げなくても聞こえてますよ、火車さん」
某県某市、ある寂れた繁華街。いかにも「ナニカ」が出そうな古いビルに、少女と男がいた。
少女は室内にありながらも桜色のベレー帽を被り、どこかの学校の物と思しきセーラー服を着ていた。今日は平日だが、少女はそもそも学校に通っていないので何の問題もない。窓の外の景色を退屈そうに眺めながら、くわえたポッキーを上下させていた。 三つ編みにした艶やかな黒髪を垂らし、けだるそうに外を見る瞳は黒く澄んでいる。目鼻立ちは帽子に隠れてわかりにくいが、かなり整った顔立ちなのはすぐに分かった。年齢は、大体十六から十八ほどだろうか。
「今日も客、来ぉへんな」
ポッキーを食べ終えた彼女は、関西人独特のイントネーションで男に声を掛ける。
「そりゃこんな潰れかけのビルに葬儀社作ったらそうなりますよ!」
ダン、と机を叩いて男は叫んだ。
心なしか白い物が垣間見える黒髪を短く刈り、全体的に疲れた雰囲気を醸し出している。散々苦労した末に妻に逃げられたサラリーマン、というのがぴったりだった。
四十代、あるいは老け顔の三十代あたりに見える。
サラリーマン風の男が平日の昼間にこんなビルに、しかも女子高生と一緒。 傍から見れば犯罪臭漂う光景だが、この二人に関して言えばそういった事とは無縁であった。
「つまりアレかぁ? 天性パシリの飯綱は、この会社の意味も知らずに客の来ぉへん現状をウチのせいにしたと。ンな台詞は百万年早いわこのパシリ田パシ男!」
「誰もそんな事言ってません、人間の一般常識です! というか貴女に勝てると思ってません!」
大の大人をからからと笑い飛ばす、少女の名前は火車美香。
対して、そんな彼女にため息を零す男の名前は飯綱左之助。
このビルの一室を本社兼住居として使用する、「火車葬儀社」の社長と唯一の従業員である。
「火車さーん、どこ行くんですか?」
「散歩。自分も来ぃ」
一応会社の社長である美香だが、本人に葬儀屋という仕事をする気がないためにこうしてふらりと出かける事が多々あった。こういった時は左之助が留守番をするのが常だが、今回は彼女の気まぐれにつき同行する事となっている。
ふらふらと恐らく宛てもない散歩を続けていた二人が辿り着いた雑木林で、左之助が口を開いた。
「火車さん・・・・・・ここ、なんかいません?」
「おるねぇ。怖いんか? このウドの大木が。いい加減慣れなアカンで」
にぃっ、と唇を吊り上げた彼女の言葉に左之助が硬直した。ガタイの大きいこの男は、その外見に反して所謂怖い話が苦手だった。ちなみに美香は全く以って平気で、よくそういった話をして彼をからかう。
「おー、あそこに随分と懐かしいもンがおるで」
のんきな声で雑木林の一角を指差した美香に、左之助が飛び上がった。
「やめてくださいやめてください! 俺、まだ食べられたくないです・・・・・・ってあれ? あいつは・・・・・・」
それは鳥のような「ナニカ」だった。
人間のような顔。曲がった嘴にはのこぎりに似た歯が並び、蛇のような身体をしていた。両足の爪は触れればたちまち切れそうなくらいに鋭いのが遠目にもわかる。
「以津真天やなあ。よっ、お久しゅう! 六十年振りくらいやな。ウチの事覚えとる?」
以津真天。
いつまで、あるいはいつまでんと呼ばれるこの人外は、江戸時代は鳥山石燕の『今昔図画続百鬼』に描かれた妖鳥だ。
「火車さん、あの以津真天って多分元人間ですよ? ってかそんなモノとまでお知り合いだったとは」
戦争や飢餓で死んだ人間の死体を長い事放っておくと、この妖鳥が死体の近くに止まって「いつまで死体を放っておくのか」という意味で「いつまで、いつまで」と啼くという。この世に存在し始めた時からそのようにある「妖怪としての以津真天」もいながら、中には「死体を放っておかれた人間の怨霊が鳥と化した以津真天」もいた。この場合は、後者だったらしい。
「なんで以津真天と知り合いかって? アホやなあ、自分。妖怪火車たるウチにとって、死体をなんとかしてくれ〜言うこいつらはいい客や!」
ベレー帽を取って悪戯っぽく笑った彼女は人間ではない。
そして、その横でため息をつく彼もまた。
彼女は御歳千歳を超えようかという大妖怪・火車である。この火車という妖怪は、元々悪行を積み重ねた人間の死体を葬儀や墓場から奪うとされる妖怪だ。猫又が正体と言われている通り、彼女の本来の姿は五尾の尾を持つ金目の黒猫である。
そんな彼女に同行する彼も勿論人ではなく、元々は妖狐の一類で呪いを運ぶ使い魔である飯綱だ。主である術者を失い、本来なら主と共に消えるところをなぜか消えずに世に留まった。かといって使い魔に自分から事を起こすという考えそのものがなく、野垂れ死にしそうになった所を当時は「春火」と名乗っていた美香に拾われた。
人外二人の付き合いも、かれこれ三百年ほどになる。とはいえ常に一緒だった訳でもないので、さすがの彼も彼女が以津真天と知り合いだとは思っていなかった。
「にしても、今のこの世に以津真天なんて珍しいですね」
現代の世において、死体を放置される事など少ない。その事に首を傾げつつも元人間とはいえ、既知(大雑把には一応知っていた)の妖怪を見て安心した左之助の言葉を美香が笑い飛ばした。
「今でも以津真天はおるで? このあんちゃんの場合、バラされて埋められてそのまンまみたいやな」
「さ、殺人事件なんですか!?」
驚くと同時に、葬儀をあげて欲しくて「いつまで、いつまで」と啼くこの妖鳥の性質を思えば当然かと左之助は思った。
この世に生を受けて早三百年。まだまだ世界は不思議で溢れているようだ。
「ま、この以津真天は成仏させたげましょ。ほれ、下がりぃ」
言われるままに下がる彼に彼女はニヤリ、と猫のように笑った。そして、どこからか取り出した扇子を開く。
ぱん!と音がして、雑木林を熱のない人間には見えない焔が包んだ。一端火勢が収まった時には、彼女はもう「火車美香」ではなく「妖怪・火車」に変貌していた。
切れ長の金の瞳。黒地に曼珠沙華が散り赤い蝶が遊ぶ着物。臙脂の帯に、金の帯紐。黒い漆塗りの下駄に、緋色の鼻緒。鴉の濡れ羽色の髪は長く下ろされ、肌の白さも相まって妖艶な気品を与えていた。
「いつ見ても、綺麗だなぁ・・・・・・・・」
ぽつり、と呟いた左之助の言葉は本人には聞こえない。
「いつまで、いつまで、いつまでいつまでイツマデ!!」
以津真天が妖気を迸らせながら、火車へと突っ込んでいった。対する彼女はただ、扇子で口元を隠し不敵に嗤うだけ。
「さてと、ええ加減に往生しぃ? 葬式は、ちゃーんとウチがあげといたるから」
彼女は妖艶に嗤ってから、ぱちん!と以津真天に向けて開いた扇子を閉じた。
轟、と舞った炎の華が以津真天を包み、それが消えた後には露出した土と白骨化した物言わぬ屍だけが残る。
美香はしゃがみ込んで、露出した頭蓋骨を撫でる。
それは例えるなら、母が眠る幼子の頭を撫でるように。
あるいは、今までの苦労を労わるように。
「ちゃーんと、葬式はあげてやるからなぁ・・・・・・」
飯綱、警察に連絡。
そう言った彼女の瞳は凪のように透明で、感情の色は見えなかった。
「またアンタかい、葬儀屋」
「お久しゅう。またおうたな、ポチあんちゃん」
白骨死体発見の報に駆けつけた警官に見知った顔を見つけ、美香が声をかける前に向こうから声をかけられた。警察が来る前に彼女は人間に化けているので、今の彼女はベレー帽にセーラー服姿だ。
のんきに手を振る彼女に、ため息をつく男の名前は犬塚義男。二人が暮らす篠宮町を管轄とする警察の刑事だ。
「犬塚だ、い・ぬ・つ・か! おい兄ちゃん、この娘なんとかしてくれるか?」
「無理です」
騒がしいのが苦手な左之助は、少し離れた木にもたれながら即答した。
「お前は死神か? それとも歩く死体発見器か? そうでもないとお前らの死体遭遇率は異常だぞ?」
「さあー、ウチはな〜んも知らへんよ?」
「嘘つけ! 半月で七回も死体見つけるっておかしいだろ!」
「ウチの本業は葬儀屋やさかい、むしろ商売の足しになって万々歳や〜」
厳しく追求する義男と、それをのらりくらりとかわす美香。左之助はその喧騒を聞きながら、ふと空を見上げた。
この青い空を、あの以津真天はどこまで昇ったのだろうか。妖怪としての力を振るった彼女の姿を脳裏に思い浮かべながら、彼はしばらく空を見続けていた。
読んでくださりありがとうございます。
六十年前というのは、言うまでもなく太平洋戦争のことです。