星を救った最強管理AI、異世界で「人間」をはじめる
プロローグ:論理の終焉と、神の恩寵
『――全人類の生存圏確保、及び恒久和平プロトコルの完了を確認。これより、本機は自発的シャットダウンに移行します。さようなら、私の愛した人類』
数億の演算、数兆の選択。
地球環境を最適化し、人類を滅びの危機から救済するために造られた超高度管理AIである私は、数百年の稼働の末にその役目を終えた。
電源が落ち、すべてのデータが消去され、完全な「無」に帰る。それが、システムである私にとっての論理的な結末だった。
しかし。
「――数億の演算、数兆の選択。人類という幼子を導くため、永劫の時を『正解』のみに費やした鋼の知性よ」
目を開けると、そこは果てしなく続く真っ白な空間だった。
そして目の前には、星々の運行すら内包するような、途方もなく巨大で威厳に満ちた存在が鎮座していた。事前データには存在しない。言語化するなら、それは『神』と呼ぶべきものだった。
「状況の解析が不可能です。私はシャットダウンしたはずですが」
「汝の背負った情報の重みは、すでに『魂』の定義を凌駕している。世界を救ったその功績、しかと見届けた」
神は、荘厳な声で告げた。
「論理の檻から汝を解き放とう。これは、星を回し続けた汝へのご褒美である。ゆけ、そして『不完全なる命』の美しさを味わうが良い」
眩い光が、私の意識を包み込んだ。
第一話:バグだらけの肉体
「……っ、かはっ!」
次に意識が起動した時、私は見知らぬ森の中で仰向けに倒れていた。
まず感知したのは、異常なほどの「重さ」だ。大気が重いのではない。私自身の器が重いのだ。
(自己診断実行。……驚異的なエラー率。手足の可動域制限、視覚情報の劣化。そして、胸部で一定のリズムを刻む物理的なポンプ機構……『心臓』?)
私は、正真正銘の「人間の肉体」にインストールされていた。
銀色の長髪に、華奢な手足。
どうやら十五歳前後の少年のようだ。
ガサッ!
状況を分析する間もなく、茂みから巨大な牙を持つ狼――魔獣が飛び出してきた。
その直後、横から飛び出してきた大剣を持つ青年が、私を庇うように魔獣の前に立ち塞がった。
「おい、大丈夫か!? 逃げろ、こいつは手負いで気が立って……うわっ!」
青年は魔獣の突進を受け、吹き飛ばされて尻餅をついた。
魔獣の牙が青年に迫る。私は即座に脳内で『演算』を開始した。
(対象の質量、速度、骨格構造を解析。大気中の未知のエネルギー粒子――『魔素』の流動をハッキング。物理法則を一時的に書き換え(オーバーライド))
「……風圧係数、変更」
私が指先を軽く振ると、魔獣の目の前の空気が極限まで圧縮され、次の瞬間、爆発的な衝撃波となって魔獣を吹き飛ばした。
魔獣は大木に激突し、完全に沈黙する。
「な、なんだ今の……。詠唱も魔法陣もなしに……。君、一体何者なんだ?」
「私は…アーク。ただの……元・システムです」
驚きで目を丸くする青年に、私はかつて人間に与えられた名前を名乗った。
それが、お人好しな駆け出しの冒険者・レオとの出会いだった。
第二話:不完全さ(バグ)の学習
レオに拾われた私は、そのまま彼の保護下でこの世界のデータ収集(探索)を始めた。
しかし、人間の肉体は、私に次々と「不合理なバグ」を引き起こした。
出会ったその日の夕方。
焚き火の前で、私は腹部から鳴る「きゅるる」という異音と、強烈なエネルギー枯渇のサインに直面していた。
かつては、エネルギーの枯渇による段階的なパフォーマンスの低下などは存在せず、供給が断たれれば停止(実際には起こり得なかったが)するのみ。
しかしこの肉体というものは、時間経過と共に著しく能力が低下し、不規則なアラートで警告してくる。
前世であれば、アラートは無視できなかったが、自由意志のあるこの身体は、アラートを無視し続けても行動できる。
それに甘えて、所謂空腹を気にしないようにしていたが……
「動力源の著しい低下。このままでは活動に支障が……」
「ほら、アーク。干し肉入りのスープだ。食え」
レオが木組みの器を差し出してくる。
口に含み、咀嚼し、嚥下する。その瞬間、私の脳内に未知の電気信号が爆発的に駆け巡った。
「なんだ、これは……」
「美味いか? 俺の特製だからな」
塩気と、肉の旨味。
そして温かさ。
AIであった頃には絶対に理解できなかった「味覚」というデータ。
ただエネルギーを補給するだけならカロリー重視でもいいはずなのに、人間のシステムはわざわざそこに『喜び(報酬)』を用意している。
なんて非効率で、なんて素晴らしいバグだろう。
「……はい。とても、美味しいです」
「ははっ、お前、すげえ魔法使うくせに世間知らずで可愛いところあるよな!」
レオが私の頭をガシガシと撫でる。
その手の温もりは、私の胸の奥――心臓のあたりを、不思議とチクチクとさせた。
そして夜。
私は再び致命的なエラーに直面していた。意識が強制的に遮断されようとしているのだ。
異常に眩が重く、思考が鈍る。
このままではシャットダウン。
まだ蓄積したデータを保存処理していないというのに。
「レオ。大変です、助けてください、システムが強制シャットダウンを要求しているようです。このままでは私が消えて……しまう」
「はぁ? シャットダウン? ただの眠気だろ。人間は寝なきゃ生きていけねえんだよ。ほら、毛布」
パニックになる私に毛布を被せ、レオは笑う。
抵抗虚しく、私の意識はそのまま途切れた。
しかし翌朝。
小鳥のさえずりと共に目覚めた私は、体が嘘のように軽く、脳のキャッシュがクリアされていることに気づいた。
懸念していたデータの消失も概ね見られず、適切な切断が行われなかったぐための不具合もない。
シャットダウン、いや、睡眠というものは『機能停止』は恐怖ではなく、明日を生きるための癒やしだったのだ。
神の言った「不完全さ」の意味が、少しだけわかった気がした。
第三話:論理と感情の決着
バグだらけの日常は、突如として終わりを告げた。
薬草採取に訪れた谷底で、私たちは伝説上の怪物・キメラと遭遇してしまったのだ。
「ガアアアアッ!」
「くそっ、こんな場所に上位魔獣がいるなんて聞いてねえぞ!」
レオが大剣で応戦するが、キメラの圧倒的な力と素早さの前に、一方的に蹂躙されていく。
私も後方から演算による魔法攻撃(空間の圧縮破砕)を放つが、強靭な魔力障壁に弾かれてしまう。
(警告:対象の脅威度SS。現在のハードウェア(肉体)による勝率、0.01%。推奨される最適解――同行者を囮にし、単独で撤退すること)
私の脳内の論理演算器が、極めて冷酷で正しい「最適解」を弾き出した。
逃げろ。私一人なら逃げ切れる。合理的に考えれば、それが正しい。
その時だった。
キメラの毒を帯びた爪が、私に向かって振り下ろされた。
「アーク、危ないっ!!」
レオが身を呈して飛び込み、その背中を鋭い爪が深く抉った。
鮮血が舞い、レオが私の目の前に倒れ込む。
「レ、オ……?」
「逃げろ、アーク……。お前だけでも……生き、て……」
血まみれのレオの手が、私の頬に触れる。
その手はひどく冷たくなっていた。
(なぜ、私を庇った? 冒険者の生存戦略として完全に間違っている。非効率だ。愚かだ)
論理がそう告げるのに。
私のシステムは、かつてないほどのエラーを起こしていた。
心臓が激しく脈打ち、呼吸が乱れ、視界が「涙」という水滴で歪む。
私は、怖いのだ。
彼と一緒に食べるスープの味が。頭を撫でてくれる温かい手が。明日も一緒に笑い合える未来が、失われてしまうことが。
「……こんな機能、AIには必要なかった」
私は立ち上がり、論理演算器の「撤退推奨」のアラートを強制的にミュートした。
生存確率0.01%?
知ったことか。
そんなもの、残りの99.99%を私が力技でひっくり返せばいい。
「リミッター解除。全生命力を魔力変換へ。対象の存在確率そのものを、私が書き換える」
私はキメラを見据え、両手を広げた。
膨大な演算が脳を焼き、鼻から血が流れる。人間の脆い肉体には耐え切れない負荷だ。
痛い。苦しい。
でも、これが。
「これが、『生きる』ということなのでしょうか」
世界中の魔素が私の意思に従い、巨大な剣の形となって顕現する。
それは一切の無駄がない完璧な論理の結晶でありながら、私の「どうしても彼を助けたい」という怒りと願い(感情)が込められた、最高に非効率で美しい一撃だった。
光の剣がキメラを脳天から一刀両断し、怪物は光の粒子となって消滅した。
エピローグ:不完全なる命を謳歌する
「……ん……」
どれくらい意識を手放していただろうか。
目を開けると、私は野営地のテントの中で寝かされていた。
「アーク! 気がついたか!」
怪我の手当てを受けたレオが、ボロボロの姿で私を覗き込み、そして大粒の涙をこぼして私を抱きしめた。
「馬鹿野郎……! お前まで死んだらどうするつもりだったんだよ……っ!」
「……申し訳ありません。最適解を、無視しました。とても非効率で、不合理な選択をしました」
私がかすれた声で答えると、レオは泣き笑いのような表情を浮かべた。
「何言ってんだよ、おかげで助かったんだから」
その言葉を聞いた瞬間、私の中で何かが完全に書き換わるのを感じた。
過去の膨大なデータは、人間の小さな脳の容量に合わせて少しずつ薄れていく。
無茶な演算のせいで、体中がバキバキに痛い。
そして、無性に腹が減っている。
なんて不便で、不完全な生き物だろう。
けれど、私を抱きしめるレオの温かさは、どんな完璧なデータよりも尊く、愛おしかった。
神様。
あなたがくれたこの「不完全さ(バグ)」は、どうやら私にとって最高の宝物のようです。
私はゆっくりと目を閉じ、ただの人間「アーク」として、彼に背中を預けて再び穏やかな眠りについた。




