STORY 6
始発に佐伯と2人で飛び乗り、何とかBeach Soundまで辿りついた。
俺が部屋に入ろうとすると、呼び止められる。変な事を思ってしまった俺は、出来れば振り向きたくなかったけれどそうも言っていられない。
仕方なく返事と共に振り返ると、何かを投げて寄こす。慌ててキャッチすると、其れはビタミン飲料だった。
「今日は喫茶の方は休みになってる。取り敢えず其れ飲んでバーのオープンまでゆっくり休め」
そう言い置いてさっさとその場を後にした。
俺は佐伯の優しさに触れ、再び頬が熱くなるのを感じる。急いで入口のカギを開け、中に入った。
着替えるのも億劫でそのままベッドに倒れ込む。そのまま眠れるかと思ったけれど、突然痛めた左手首が痛みを訴えてくる。
そういえば、パーティーの時邪魔でテーピングを外してしまっていたのだ。
ズキズキと痛む腕に、しかしテーピングをするのも億劫でサポーターだけをし無理矢理眠りに着いたのだった。
なんとかバーの仕事をこなす。柊が何時ものように優しくサポートしてくれていたから、腕の痛みもあまり気にならなかった。
別の事に気をとられていたのもあるけれど、敢えてそれを考えないようにしていた。
忙しく動いていた俺に、突然佐伯が声を掛けてくる。
「永久、柾と10分休憩」
事務的に告げられて、何故だかがっかりする。
またあの大きな手に触れてもらいたかったのだ。そんな自分の浅ましい程の思いに愕然とする。
これはまさか…と思い当たる名称が形になる前に、柊に思考をストップさせられた。苛立ちと感謝、両方の複雑な思いを隠し柊に対峙する。
「因幡ちゃん、行くよ?」
彼の言葉に素直に従い、バックヤードを通り抜けた。休憩室のソファーに腰を降ろすと、昨日からの疲れが一気に襲来する。俺は柊が居るのもお構い無しに、盛大に溜め息を吐いた。
「大丈夫?あんま顔色良くないけど…」
柊の優しい言葉も、何故だか今は鬱陶しく思えてくる。
「あぁ、大丈夫です。それより、昨日は慧大丈夫でしたか?」
投げ遣りに聞いてみると、柊はそれはそれは申し訳なさそうな顔をした。
「因幡ちゃんにも迷惑掛けたね…。普段は良い子なんだけど、なんでか昨日はああなっちゃったんだよね」
良い子なのはあんたの前だけなのでは?と思うけれどそこは流石に言えなくて、別の気になる事を口にした。
「柊さんと慧って…、その…」
口にしようと思ったけれどデリカシーが無さすぎるのでは、と思い躊躇してしまう。一瞬、間があったけれど柊は幸せそうな笑顔を湛えた。
「あぁ、恥ずかしいけど、お付き合いしてるよ」
堂々と認められてしまうと返す言葉が見付からない。なんて自分は野暮なんだ、と思い羞恥で顔が赤くなってしまった。
「理解してもらおうとは思わないよ。だけど俺と慧は本気だから」
あぁ、失敗したと思った。決して冷やかしとかそんなんじゃなくて、ただ自分の憶測じゃなくて真実を知りたかったのだ。柊は笑顔を浮かべてはいるけれど、それが諦めの其れに見えたから、俺は急いで言葉を紡いだ。
「あ、あの、別に偏見とか、俺ないので…。ただちょっとびっくりしたと言うか…」
やっぱり、気のきいた言葉は出てこない。それでも、明らかに柊の顔色が変わったのが解った。
「ありがとう…。慧も喜ぶよ」
満面の笑顔だった。だから、なのか自然と言葉が飛び出してくる。
「もう1つ良いですか?」
疲れていたはずなのに、昨夜慧が発した言葉が気になり言葉を選びつつ聞いてみた。柊はなに?という風に首をかしげる。
「あの、…佐伯さんは本当に如月さんの事、その、好き、なんですか?」
俺の言葉に、一拍の間がありそうして柊は苦笑を浮かべた。
「ん〜…、俺も真相は知らない。でも、元々あの2人は学生時代からの友人であることは間違いないよ。それでとっても仲が良いから、短い間だったけどそんな噂があったのも事実ではあるね」
なかなかに歯切れの悪い物言い。
しかし、煙りのないところには火は立たないとも言うし…。
そんな事を思っていると、急に胸が締め付けられるような痛みが襲った。思わず胸を抑えると、柊の心配そうな声が聞こえる。急いで顔を上げ、笑顔を作った。
「なんでもないです。大丈夫」
なんとか、笑えているはずだ。
俺は、ペットボトルを掴んでいる手に力を込め、なんとかその痛みを凌いだのだった。
漸くバイトが終わり、俺はベッドに倒れ込む。
休憩が終わった後、なんとか胸の痛みが去ったと思ったのも束の間、佐伯に声を掛けられた時休憩時とは違う胸の痛みが襲った。それが昨夜感じた物と同じような気がして驚く。
更には、佐伯が他の人、と言っても客だけれども…その人に優しい笑顔を振りまいている所を見た時明らかにおぞましい感情が俺を支配した。
あの視線を独り占めしたい。しなやかに動く手で触れて欲しいと思ってしまった。
ベッドの中で盛大に溜息を吐く。
自分の気持ちが何なのか、ずっと考えていた。
初めは佐伯の事が苦手だった。横暴な態度も無性に腹が立ち、こんな所でやっていけるのかと心配になる程だった。
だけれど時間が経つにつれ、佐伯の仕事への信念が伺えて何時の間にか目で追うようになっていた。そうして尊敬できる対象へ変わって行く。
何気ない接触が、とっても心地良い物である事を知った時、自分の中に何かが生まれたのに気付いた。
それは多分、今まで体験した事のない物。
だから変化が起きた時、直ぐには解らなかったのだ。でも今は違う。
このもやもやした物、佐伯の言動、行動で痛みを変える胸の疼き…。
所謂これがきっと“恋”なのだ。
そう、認識してしまえばもう収まらない。
其れに比例するように左腕が痛み出す。
はちきれんばかりの想いが一気に噴き出してきそうで、俺は壊れそうだった。いっその事想いをぶつけてみようかとも思ったけれど、頭に如月の事が浮かんだ。
そうだ、佐伯は如月の事が好きなのだ。俺の想いなんて知ってしまったら、きっと気まずいに決まっている。何が何でも伝えるのは拙いだろうし、弱い俺の事だから、きっと壊れてしまう。
ぎゅっと目を瞑り、無かった事にしようと心に決めたのだった。