STORY 3
バーの仕事はキッチンよりもゆるりとしているが、笑顔を絶やさず、可笑しな客にも親切に接しないといけない。
もともと人付き合いが苦手な俺は、それはもう初日から佐伯に叱られた。
「笑顔」
常に俺の斜め後ろにいる佐伯の低い声が聞こえる。俺は意識し笑顔を湛えた。客も慣れた物らしく、後ろにいる佐伯に
「新人?」
等と声を掛けてくる。何時もは仏頂面の佐伯も、流石店長というだけあり優雅な笑顔で答えていた。
「はい、何も知らないもので、ご迷惑をお掛けするかと思いますがご容赦下さい」
その言葉に、女性客は頬を赤らめながら綺麗な笑顔を俺にまで向けてくれる。
「君、名前は?」
そう聞かれ、戸惑いながら視線を佐伯に送った。佐伯は無言のまま、諭すように顎を動かす。言え、という事らしい。
俺は女性客に視線を戻し、今できる最高の笑顔を湛え
「因幡と申します」
鼻に付く香水の匂いに、笑顔が引きつりそうになるけれどグッと我慢した。
「きゃー可愛い!」
黄色い声が上がり、思わず眉が引きつる。途端に背後に居た佐伯に突かれた。
「一杯どう?」
そう言われ困惑する。ここはホストクラブか?
「いえ、すみません。自分まだ未成年なので・・・」
引き攣る顔を堪えながら、申し訳なさそうな顔を作ると、再び黄色い声が上がった。
「そうなんだ。残念~」
まだまだ、きゃっきゃしている女性客に頭を下げ、その場を後にする。引き攣ってしまった頬を撫でながらバックヤードに向かうと、後ろにいた佐伯が小さく笑った。
不審に思いながら振り返ろうとすると、俺の頭部大きな手が添えらる。
「永久、顔が引き攣ってるぞ」
くつくつと笑いながらの言葉に、頬部の体温が急上昇したのがわかった。一瞬、この大きな、温かい手にもっと触れて欲しい、と思ってしまう。
そんな自分の反応に驚きと戸惑いを感じながら、しかし、やっぱり手を振り払う事ができなくて、俺は俯くしかなかった。
佐伯にテーピングしてもらった左手首が、違う痛みをもたらした。
初めてのホールでの仕事に心底疲れてしまった俺は、風呂に入る事も出来ずにベッドに倒れ込むと、そのまま意識を手放してしまったらしい。
繰り返しで設定されていたアラームが鳴り、重い瞼を開くともう陽はだいぶ上に上がっていた。
時計を確認すると、朝の10時30分を指している。ぎしぎしと音が鳴るのでは?と思う程身体が軋んだ。
昼の仕事がスタートするまで1時間30分ある。俺はゆっくりと起き上がりシャワーを浴びる為ベッドを後にした。
下着などを準備していると、玄関がノックされる。一瞬、佐伯?と思ったけれど、そんは筈はないのは十分承知していて、俺は静かに扉を開いた。
「因幡くん、起きてた?」
そこには昼間の店長、如月 瑞希がいた。ふわりと漂う綺麗な空気に何故だか癒される。俺は居住まいを正した。
「どうしたんですか?如月さん」
俺の問いに困ったような顔をする。ますます意味が分からなくて如月の顔を凝視した。
「・・・あの?」
「ちょっと出かけられる?」
俺の問いかけと如月の声はほぼ同時だった。
ん?・・・出かけられる・・・?何処に?!
とたんに如月はくすくすと笑い出した。どうやら、顔に出てしまったらしい。顔を引き締め、問いかけた。
「あの、何処に行けば?」
1時間30分しか時間がないからあまり遠くは勘弁して貰いたい。言外にそう含ませると、如月はやっぱり困った顔をした。その反応が何時もの彼らしくなくてこっちまで困惑する。
何時もの如月はふわりとした印象だけれど、てきぱきと仕事をこなし微笑みながらも注意もしっかりできる人だ。佐伯とは違うけれど、やっぱり店長を任されるだけの人だなぁと思うのだ。しかし、今は何でだか妙に言い淀む感じがある。
「・・・如月さん?」
とりあえず再度声を掛けてみると、あぁ、というような顔をし俺を見た。
「因幡くんも知ってるよね、うちの姉妹店がお台場にあるの」
勿論知っている。オーナーの千葉はものすごく金持ちらしく、似たような店を各地にオープンさせているらしい。
従業員もかなりのイケメンや美女を使っているらしくネットの世界では色々な意味で注目を浴びていた。
その一つがお台場にある。観光客や外人、サラリーマンなどが顧客にいる。
「はい。3号店ですよね?」
答えると、如月はそうこうを崩した。
「実は今日、あそこでオーナーのパーティーがあるんだ」
パーティー…?
それと俺がどう関係しているのか。
理解出来なくて、如月を見た。
「沢山の人が来るからあそこのスタッフだけじゃ、賄えないんだよねぇ」
ふわりと言いながら、もしかしてこの人はとんでもない事を言っているのでは?意味を悟り、俺は急いで口を開いた。
「いや、俺無理ですよ?!まだホールデビューしたの昨日ですし、俺なんか連れて行っても役にはたたないかと…」
俺の必死な抵抗にも、しかし如月は申し訳なさそうに笑うのみだった。
「僕も一応、そう言ったんだけどね、音羽は言い出したら聞かないから」
どうやら決定事項らしい。俺は小さく溜め息を付き、出掛ける支度にとりかかったのだった。
ヘルプへ向かうのは如月と俺、そうしてもう1人夜のバイトの柊 柾という、年は22歳のベテランが向かう事になった。
取り敢えずカバンに昨夜支給された衣服を詰め、Beach Sound の入口へ向かった。
外に出るとすでに柊が、その長身を屈めながら煙草をふかしている。俺はちょっと気後れしながらも挨拶をした。
「お〜、因幡っちか。大変だねぇ」
のんびりと言いながら手をヒラヒラとさせる。俺は曖昧に頷きながら柊の横に居場所を確保した。
特に会話をする事もなかった為、ジッとしていると視線を感じる。視線を上げると、柊が見詰めていた。
「あ、の…何か…?」
気まずいものを感じ、声を発する。柊はにっこりと笑い、よく解らない事を言った。
「いや〜、因幡っち綺麗な顔してるなぁ〜と思ってね。見惚れてた」
人の良さそうな笑顔。俺はやっぱり困惑しながら笑うしかなかった。
その背後から、不穏なオーラが漂う。ギクッとし恐る恐る背後を確認すると、眉間にシワを寄せた佐伯が立っていた。
「てんちょ〜だぁ〜」
柊ののんびりした声に、ぴくりと眉を動かした佐伯は徐に俺の頭を掴む。そうして低い声で一言言った。
「行くぞ」
地を這うような声に震え上がりそうになりながら歩き出す。横では何故だか柊が苦笑を浮かべていた。