STORY 1
それは大学生活初めての夏休みだった。
今まで勉強ばかりで遊びもバイトもしたことがなかった。
しかし、無事に3流の大学に進学し、さて、自分は何がしたいのか・・・と思いふいに“バイトをしてみよう”と思ったのだ。
夏休みをまるまるバイトに費やせば、もしかしたら、凡人の自分でも何か見つかるかもしれない。
そうしてバイトを始める事にしたのだった。
まさかそこで、自分の今後を左右する出会いがあるなんて、その時の俺、こと因幡 永久 (いなば とわ)は思いもしなかったのだった。
そこは繁華街の中にある飲食店。
夏休みの初日、今日から一月住み込みでアルバイトをする事になった場所だ。
昼間は喫茶店。
夜にはバーにそのすがたを変え営業するという。
特に何がしたい、という物がなかった俺は、未経験の地で、まして住み込みというのに興味を示しバイトの面接を受けたのだった。
経営者と昼夜の店長であるという3人の前での面接は結構緊張するもの。
経営者の、確か千葉といったか、その人は、きっちりとしたスーツに淡い色のサングラスをかけ、俺が書いた履歴書を見つめている。ちょっとした沈黙がながれそうして千葉は言った。
「君、本当に19歳?大学生?」
自分の姿が回りの人間にどのように映っているのか、嫌というほど知っていた俺はあからさまに嫌な顔をする。
色白で色素が薄く、身長は漸く165になった自分がどうみても中学生位にしか見えないのを良く知っている。
俺の反応に微苦笑を浮かべながら夜の店長であるという、佐伯は口を開いた。
「悪く思わないでくれ。この店は夜お酒も扱うから、高校生とかだと色々問題があるんだ」
人の良さそうな笑顔に俺は逆に申し訳なくなってきて下を向く。
「誕生日が4月なので間違いなく19です。…でも、免許とかないので証明しろ、と言われても無理ですが…」
告げた言葉に昼の店長の如月が笑顔を浮かべた。
「千葉さん、信じましょう。大丈夫ですよ、きっと」
柔和な笑顔になごまされる。その言葉に千葉は一つ息をつき、俺のほうを向いた。自然と背筋を伸ばす。
「お前がそう言うなら…」
渋々、といった感じだったが、俺の人生初のバイトはそのように決まったのだった。
地下に伸びる階段を前に俺は気合いを入れる為に大きく深呼吸をする。
店の名前は『Beach Sound』。オーナーである千葉 諒が、海好きで命名したらしい。
店内はカウンターがあり、フロアーに客席が20ほどあるだろうか。
落ち着いた色合いの壁紙で統一されたその空間は、妙に居心地が良い。
昼の店長、如月 瑞季がキョロキョロしている俺を出迎えてくれた。
「やあ、よく来たね、待ってたよ」
穏やかな笑顔で迎え入れてくれる。
「まずは君の住居スペースに行こうか?」
そう言うと、大きな俺のボストンバッグを持ち上げた。とても自然なその動きに、一瞬出遅れた俺は焦りながら如月に声を掛けた。
「あ、自分で持ちます・・・!」
焦りの含んだ俺の言葉に、如月は振り向き綺麗な笑顔を浮かべる。一瞬ドキリとしてしまう程綺麗な笑顔に驚いていた俺に如月は言った。
「因幡くんが持つと、荷物が妙に重そうに見えるから・・・」
そんな事を言い、歩きだしてしまう。
どういう意味だ?と思いながらも、遅れないように後を追った。
店の奥は以外にも広く、其処に鍵が掛けられる扉が一つ見える。如月は腰に付けていた鍵束から、1本抜くとそれを使い、扉を開いた。
其処にはごく普通の玄関間口が見える。壁にあるスイッチを押すと、淡い色の電気が点いた。
きょろきょろと周りを確認しながら、如月に招かれそのままその部屋の中に入る。
玄関の直ぐ横にちょっとした料理なら問題ない程度のキッチンがある。その先に、1人暮らしでは十分な大きさの冷蔵庫があり、その横に又扉があった。俺の荷物を床に置いた如月は、視線に気付いたかのように口を開く。
「あそこは、他の水回りがあるんだよ」
そう言い、ご丁寧にもその扉を開いてくれる。扉を開けた直ぐ右隣りに又しても、扉があり、どうやらそれがトイレらしい。その隣に洗濯機があり、一番奥に風呂場があった。
「因幡くん、こっち」
何時の間にか移動していた如月に呼ばれ、水回り場を後にした俺は、その後の光景に口をあんぐりとした。
キッチン等の部屋を仕切っていたスライド式の扉を開けていた如月の先に見えた光景に言葉もない。
「たまにうちの従業員が使ってただけだから、そんなに汚れてないと思うんだけど・・・」
汚れているとか、そう言う問題ではない。8畳ほどのスペースに、簡易型のベッドがあり、TVは勿論、右側にはキャスター付きの椅子がセットになったデスクがあった。
本当に自分がここに住んでもいいのだろうか、と不安になる程、色々ついていて、空間も広い。
「・・・あの、俺、本当にここに住まわせてもらっていいんですか・・・?」
不安げに聞くと、如月は相好を崩した。
「問題ないよ。ここはもともと千葉さんがこの店オープンした時に住んでいた場所なんだよ。今は別の場所にマンション買ったから、ここを使う事は無くなったんだよね。このまま、空部屋にしてしまうのも勿体ないって事で、因幡くんに白羽の矢がたったって訳。・・・だから気にしないで?」
そんな事を言い、如月は腕時計を確認した。
「おっと、もうこんな時間。因幡くん、クローゼットに制服入ってるからそれに着替えて、店の方に来てくれる?」
そう言うと歩きだした如月だったが、玄関を出ようとし振り返る。
「あぁ、そうだ、忘れてた。これ」
そう言うと、何かを投げてよこす。なんとかそれをキャッチすると、如月は再度笑顔を浮かべ
「じゃあ、後でね」
そう言うと玄関を後にした。
俺の手の中に無事にキャッチされたそれを確認すると、シルバーの鍵が光って見える。それをギュッと握り締め、クローゼットを開いたのだった。