第5話 休戦の夜、魔王は訪れる
ドキドキ。
私はベッドに腰掛けたまま、魔王を待っていた。
(私たち、もう結婚して一年も経ってたの……?)
魔王のことを考え始めると、彼にまつわる記憶が次々と浮かび上がってくる。
部族間の合意による――政略結婚。
このアトランティス島には、統一された魔族国家は存在しない。
多くの部族が、それぞれの領域で暮らしていた。
だが、人間との戦争が長引くにつれ、魔族たちの間で
「力を合わせ、連合を築くべきだ」という声が高まった。
そして、その会議の席で――
現在の魔王が、偶然私を目にし、一目惚れしたらしい。
……まあ、その気持ちはわかる。
アトランティス最高峰の山頂に住む、純血ヴァンパイア一族の美貌。
それが今の私には備わっているのだから。
もちろん厳密に言えば、
ゲーム『ラグランジュオンラインEX』のラスボスだったおかげで、
イラストに相当力が入っていたのも大きいけれど。
魔王の一族――ケルベス族。
そして私の一族――ヴァンパイア族。
魔族世界の二大勢力は、
この結婚によって同盟関係を結ぶことになった。
だが――
結婚生活は、決して順風満帆ではなかった。
結婚式の日。
人間軍による大規模な襲撃が起きた。
それ以来、魔王はほとんど前線に出たまま。
この一年、魔王城を空けることが多かったのだ。
つまり――
魔王不在の魔王城では、
私が実質的な支配者だった。
魔王が捕らえて送ってきた捕虜も、
すべて私の裁量で処理していた。
「だから、私が美少年を連れて遊んでいても、誰も何も言わなかったのかな……」
だけど――
そんな自由も、もう終わり。
つい最近、戦争は事実上の休戦状態に入った。
三十年戦争と呼ばれているけれど、
このアトランティス島で三十年間ずっと戦っていたわけではない。
短ければ一か月。
長くても三年ほど戦闘が続き、
その後は休戦。
そして、また戦争。
そんな繰り返しだった。
去年初め、人間軍は「冬季大攻勢」を開始。
魔王軍は戦略的後退を行い、
敵の攻勢が限界に達したところで反撃に転じた。
勢いを失った人間軍は撤退。
こうして人間側の歴史家が呼ぶ
第十七次人魔戦争は終結した。
今は、束の間の休戦。
氷のように脆い平和。
そしてこの時期――
魔族も人間も、
戦争中にできなかったことを始める。
つまり。
(いわゆる……ベビーブーム?)
「しっかりしなさい、私!」
私は頭を振った。
残された方法は一つ。
とにかく、子作りを回避する。
理由?
元の世界で、
大学に入学したばかりの私にとって――
夫とか。
子供とか。
そんな存在、到底受け入れられない。
精神が崩壊しそう。
正直、怖い。
(というか……この服ひどくない?)
さっき侍女たちが着替えさせていった服。
外側は、白く薄いマント。
これはまだいい。
問題は――中だ。
最初に目覚めたときの服より、
さらに薄く、透けている。
男の本能を刺激する服、といった感じ。
その上にわざわざマントを羽織らせたのは、
余計に魔王の興味を引くためだろう。
(もっと体を隠せる服ないかな……)
クローゼットを開けようとした、その時。
コンコン。
扉を叩く音。
――来た。
夫が。
私は慌ててベッドに戻った。
やがて扉が開き、
昨日見た赤髪の美男子が入ってきた。
澄んだ瞳。
他者の上に立つ者の風格。
よく見ると、どこか鋭い顔立ち。
それでも私の前では、
微笑もうとしている。
私は立ち上がった。
体が覚えている礼儀。
魔王妃として、
魔王を迎える挨拶。
(よかった……体が覚えてる)
自然に、軽く頭を下げていた。
「元気そうで安心した。体調はどうだ?」
「問題ありません」
勝手に口が動く。
「長い戦争から無事お戻りになり、何よりです」
戦争の話が出た瞬間。
魔王の表情が曇った。
「今回は退けたが……楽ではない。いつ終わるのか分からん戦争だ」
そう言って、
彼は私の頭に手を置いた。
「だからこそ、美しき我が妻よ」
魔王の瞳が光る。
「我々は強き魔族を生み、人間との戦争に勝たねばならぬ」
……嫌な予感。
その時、記憶が蘇った。
純血ヴァンパイア。
その能力。
相手の力を増幅し、子に受け継がせる力。
だから昔、魔族同士の戦争では
ヴァンパイアの女性が攫われることも多かった。
純血は希少。
そして私は――
その数少ない一人。
つまり最初から。
魔王の子を産むための存在。
それを思い出した瞬間。
私は立ち上がった。
(無理!)
子供を作るための道具なんて嫌。
「どうした?」
魔王が首を傾げる。
「この戦争……嫌です」
私は言った。
「人間と平和に暮らす方法はないのでしょうか?」
「平和?」
魔王の顔が凍りついた。
「人間との平和などあり得ぬ!」
声が低く響く。
「人間は弱き存在。強き魔族の奴隷となる運命だ」
ゲームで見た思想。
そのままだ。
「今まで負けていたのは部族が分裂していたからだ。だが今は違う。私の下に集まれば、人間の歴史は終わる」
私は黙るしかなかった。
「……すまない。興奮した」
魔王は私を抱き寄せた。
「城を守ってくれて感謝する」
「いえ……」
(ごめんなさい。前の私は美少年と遊んでました)
少しだけ罪悪感。
その時。
魔王の手が私の腰へ。
(来る!?)
私はさっと彼の手を取り、
「いいお酒を手に入れました」
瓶を掲げた。
「一緒に飲みませんか?」
深い青の酒瓶。
魔王城で最も強い酒。
「ほう。君と酒を飲むのは初めてだな」
(よし……)
計画通り。
私は魔法を使っていた。
威力増幅。
酒のアルコール作用を強化した。
目的は一つ。
魔王を酔わせて眠らせる。
古典的だけど。
確実。
「君が酒を持ってくるとは思わなかった」
上着を脱ぎかけた魔王が笑う。
「あなたが注いでくれる酒が飲みたい」
「はい」
私は笑顔で栓を抜こうとした。
……が。
抜けない。
(なんで!?)
まったく抜けない。
焦る私の手を――
魔王がそっと掴んだ。
「私がやろう」
彼はあっさり栓を抜いた。
ふわりと香りが広がる。
「ベルデュイ三十年物か」
「……そうなんですか?」
私は強ければ何でもよかった。
「ヴァンパイアが酒とは珍しいな」
その瞬間。
頭が――ぐらりと揺れた。
(え……?)
視界が回る。
香りだけで。
酔った。
「ヴァンパイアは酒を飲め……」
私は魔王の胸に倒れ込んだ。
最強の酒。
魔力で強化。
香りだけで酔った。
(やばい……)
魔王が私を抱き上げる。
ベッドへ。
体が動かない。
教訓。
男と二人きりで酒を飲むな。
でも気づくのは、
いつも遅い。
私はベッドに横たえられた。
魔王の息が近い。
(あれ?魔族って呼吸するんだ)
そんなことを考えてしまうほど、
意識は朦朧としていた。
魔王が酒を飲む。
(よし……それ飲んで寝て……)
でも。
魔王が私を起こした。
「君が用意した酒だ。共に飲もう」
唇が重なる。
そして――
彼の口から。
強化された酒が、
私の喉へ流れ込んだ。




