第49話 血が繋ぐ未来
マハトラは、わずか一週間で
私が求めていた抗凝固剤を持ってきた。
(……どうやって?)
医療研究機関でもなければ不可能な速さだ。
「魔王妃様のおかげで、“血液を凝固させずに保存する”という発想に辿り着けました。心より感謝いたします」
声は弾み、目は輝いている。
どうやら私は、
彼らが踏み込めずにいた領域へ
一本の橋を架けてしまったらしい。
彼らはこの世界の仕組みに組み込まれた存在。
定められた役割の中で循環する歯車だ。
だが、私は違う。
枠の外から落ちてきた異物。
定義できない“変数”。
彼らの視点で見れば――
人類に火を与えたプロメテウスのような存在だろう。
闇を裂く知の火種。
それが祝福か、災厄かは分からない。
(余計な知恵だったかもしれない……
それでも今は、必要な光)
「始めましょう」
血液を未来へ繋ぐ仕組み。
ブラッドパック計画は、
静かに動き始めた。
それは――
人間と魔族が同じ地平に立つための、
小さくも確かな第一歩だった。
◆◆◆
城内にざわめきが広がる。
魔王城の侍女たちは告知文を囲み、
不安と戸惑いを隠せずにいた。
「血を抜くの?」
「体に影響はないの?」
「保存って……どういうこと?」
「もう吸血されなくて済むの?」
囁きは、やがて恐れへ変わる。
“全部抜かれるんじゃ……”
“死んでしまうんじゃ……”
だが――
健康管理の徹底。
採血工程の公開。
輪番制による運用。
透明な説明が、不安を少しずつ溶かしていった。
さらに、協力者には二日間の休養が与えられる。
恐怖は、制度によって鎮められていった。
◆◆◆
「順調ね」
整然と並ぶ血液パック。
冷却装置の低い唸りが、
規則正しく未来を刻んでいる。
まずは三か月の試験運用。
問題がなければ正式導入。
評価が固まれば――
ヴァンパイアの村にも共有したい。
血が繋ぐ、新しい交流。
閉ざされた村に風穴を開ける契機になる。
(でも、急ぎすぎちゃ駄目)
今、血を必要としているのは私一人。
供給は十分すぎるほどだ。
だが村規模となれば話は別。
人手は足りない。
倫理も揺らぐ。
採血の名の下に、
人間を“資源”扱いする未来だけは避けなければならない。
慎重に。
段階的に。
「……これで血の問題は片付いた」
何より大きいのは――
“いつ吸われるか分からない恐怖”
それを侍女たちから取り除けたこと。
「次は……こっち」
視線の先。
血液保管庫の隣に、
茶色い保存瓶が無造作に並んでいる。
魔王の魔力。
その管理は、あまりにも無防備だった。
私は強い違和感を覚えた。
だが魔王も配下たちも首を傾げるばかり。
魔力は本人しか使えない。
盗難の心配はない。
それが彼らの理屈だった。
「開封すれば消える。長期保存もできない……」
彼らにとっては消耗品。
水を汲み置きし、古くなれば捨てる。
その程度の扱いだった。
魔族の“常識”。
だから私の言葉は届かない。
「それでも、不安なの」
今回の件で思い知った。
マハトラと、その一族。
合理的で、冷徹で、計算高い。
他の魔族とは根本的に違う。
――油断はできない。
私は再び魔王のもとへ向かった。
「魔力の保管、私に任せてください」
魔王は苦笑し、両手を上げる。
許可だ。
私はすぐに動いた。
自分ひとりでは無理。
信頼できる手が必要。
マハトラの影響が及ばない者。
そこで思い出す。
「帳簿管理をお願い」
「承知しました」
食材管理官。
物資管理の専門家。
几帳面で誠実な男。
扱う物量も少ない。
彼の部署で十分だ。
何より――
マハトラの影響圏外。
「入庫番号管理、先入先出、出庫記録も徹底いたします」
「完璧ね」
マハトラは、わずかに動揺を見せた。
だが関係ない。
魔王と城の安全は、私の領域だ。
◆◆◆
(生きるために飲む……か)
血液をグラスに注ぐ。
深紅が静かに揺れる。
「葡萄ジュース。これは葡萄ジュース……」
自己暗示。
ゆっくりと喉へ流し込む。
本能が牙を伸ばし、
理性がそれを許可する。
「……」
口元を拭い、記録を残す。
三日に一杯。
呼吸法併用で安定。
命を維持するための計算式。
腹部は大きく膨らんでいた。
出産が近い。
魔王は新領地の処理に追われている。
境界確定。
領地編入。
測量と承認作業。
私が動かした歯車が、
彼を忙殺していた。
それでも魔王は笑っている。
とりわけ――
緩衝地帯の成立。
争いを防ぐ安全装置。
「……よいしょ」
体を起こすと、カサンドラが寄り添った。
出産間近。
魔族の出産は転移出産。
だが補助があれば安全性は段違いだ。
「エリンの時みたいになるかしら」
懐かしい記憶に、思わず笑みがこぼれる。
「分娩室へ」
静かな部屋。
落ち着いた空気。
呼吸を整える。
その時――
胎内が、大きく揺れた。
違う。
いつもの胎動じゃない。
押し合い。競り合い。
まるで――
“生まれる順番”を争うかのように。
「……っ!」
痛みが走る。
深く。強く。
命が――外へ出ようとしている。




