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第4話 敵を生かすという選択

「すまない。どうやら別の名と取り違えていたようだ」


私はそっと手を放した。

少年の首には、くっきりと私の指の跡が残っている。


「私は、人間との平和を望んでいるの」


「……平和?」


カリオンが眉をひそめる。


「そう。敵として争うのではなく、この大地に生きる同じ命として認め合う。そして交易や交流を通して、共に生きていくの」


「それが簡単にできるのなら……三十年戦争など起きていないはずです」


この子……。


見た目はまだ少年なのに、まったく物怖じしない。

受け答えもしっかりしている。


やはり勇者の資質ゆえだろうか。


勇者。


この世界で、すべての力と均衡を背負って生まれる存在。


(ここでこの子を殺したとしても……)


きっとまた、新たな勇者が現れる。


もしこの世界が“理”に従って動いているのなら、

勇者は必ず生まれる。


それが、この世界の理だから。


それなら――


私が知っている勇者が、そのまま生きていた方がいい。


「あなたは帰しなさい、カリオン」


その言葉に、カリオンの肩がぴくりと震えた。


どうやら、私の言葉を信じきれていないらしい。


「すでに捕らえられているあなたを、わざわざ騙す必要はないわ。私は……あなたにここで死んでほしくないの」


「……なぜですか?」


私は振り返り、彼をまっすぐ見つめた。


ああ――


その瞳は、吸い込まれそうなほど澄んでいた。


正直、できることならこのまま魔王城に置いて、

私の従者にしてしまいたいくらいだ。


けれど、それはできない。


「あなたは、いずれ大人物になる」


「……」


「その時が来たら。魔族と人間の終わらない戦争を終わらせるため、私の提案に協力してほしいの」


「もし断ったら?」


「この三十年間、血で血を洗う争いが続いてきた」


私は静かに言った。


「恨みは恨みを呼び、復讐はさらなる復讐を生む。そんな血の連鎖を……次の世代にまで残したくはないでしょう?」


カリオンは黙り込んだ。


「もちろん。あなたが戦う道を選ぶのなら、それはあなたの意思よ。尊重するわ」


「……」


「でも――」


私は微笑んだ。


「簡単な戦いにはならない」


私は知っている。


この世界の物語を。


勇者と帝国軍が、どんな選択を重ねるのか。

そのすべてを。


「その時、あなたが賢明な選択をしてくれることを願っている」


カリオンはしばらく私を見つめていた。


やがて、静かに口を開く。


「どうやって私を逃がすのですか?」


「……」


「いくら魔王妃とはいえ、ロイヤル騎士団の見習い騎士を解放するなど……重大な罪でしょう」


……そう。


私の記憶も、同じことを告げている。


極めて危険な行為。


それでも――


やるしかない。


「最後まで私を信じてくれるのなら」


私は彼を抱き寄せ、耳元で囁いた。


「あなたは、生きて故郷へ帰れる」


(本当に……これでいいの?)


まだこの世界の状況すら整理できていない私が、

とんでもない賭けに出ているのかもしれない。


それでも――


カリオンの正体を知った今、

結論は一つだった。


何としてでも、この子を帰す。


この島の五分の一は、すでに人間側の支配下にある。


魔王城の外まで出られれば、

そこへ逃げ込めばいい。


「さあ。これを飲んで」


最初に彼を眠らせた睡眠薬。

半分に割ったから、効き目は数時間ほどのはず。


カリオンは迷いなくそれを飲み込んだ。


***


「お、おおっ!? 王妃様!」


魔王城の裏門を守る門番が、私を見て驚いた。


まだ日が沈むまでには時間がある。


それなのに――


つばの広い白い帽子。

全身を覆う赤いドレス。


そんな姿で現れた私を見て、驚くのも無理はない。


「……それは?」


門番の視線が、ぼんやりとした表情のカリオンへ向けられる。


首輪をつけられ、私に引かれて歩いている。


「この子を森へ連れていくの」


「森へ?」


私はにっこりと微笑んだ。


「奥で血を吸おうと思って」


「え……?」


「一度、外で試してみたくなったの。死体もそのまま処理するつもりよ」


「で、ですが……」


すっと一歩前へ出る。

そして、冷たい視線で門番を見下ろした。


「私が誰か、分かっているの?」


「も、もちろんです! 魔王城の女主人、魔王妃エステル様でございます!」


「私を不快にさせて、あなたに何の得があるのかしら?」


「ひぃっ! も、申し訳ございません!」


門番はその場にひれ伏した。


私はカリオンの首輪を引く。


薬の効いた彼は、ゆっくり歩き出した。


私は小さく囁く。


「魔王様には内緒よ」


人間の美少年と外へ出たことを、

余計な口で広めるなという意味だ。


「は、はいっ!」


門番は必死に頷いた。


「気が利くのね」


「どうぞごゆっくりお楽しみください!」


どうやら――


私が屋外吸血の趣味に目覚めたと思っているらしい。


(よし……)


成功。


ついに、魔王城の外へ出られた。


そして森の中。


私はカリオンを抱き上げ、一気に駆け出す。


木々の間を駆け抜ける。


まるで鳥のように。


魔族の身体能力。


「……ん」


カリオンが目を覚ました。


私は大木の下へ降り立つ。


「気がついた?」


「……はい」


「少し待って」


私は空間収納魔法から服を取り出した。


「これを着て」


正直、彼の引き締まった体をもう少し眺めていたかったけれど。

逃げるには、今の服装では無理だ。


「それと、その前に」


私は言った。


「あなたの血が必要」


「……分かりました」


カリオンは迷わず首筋を差し出した。


私は牙を立てる。


ガブッ


「……ぁっ」


彼の甘い声が森に溶ける。


冷たい風が吹き抜ける古木の下。

私は勇者の血を吸った。


やがて口を離す。


「これで十分」


私は自分の牙を握り、無理やり引き抜いた。


バキッ


血が地面に飛び散る。


これで――


彼はここで死んだことになる。


「さあ。ここから先は、あなた次第」


カリオンは私を見つめた。


「あなた……本当に魔王妃なのですか?」


「ええ、そうよ」


「私はロイヤル騎士団の見習いです。あなた方魔族が最も警戒する騎士団の一員ですよ」


「そうね」


私は微笑んだ。


「それでも私は、もっと良い未来のために動いているの」


カリオンはしばらく黙り込んだ後、やがて言った。


「……あなたとは戦いたくない」


「残念だけれど」


私は肩をすくめる。


「私たちはまた会うわ」


十年後。


彼は勇者として覚醒し、

人間軍を率いて魔王城へ攻めてくる。


「その時は……」


私は言った。


「魔族の事情も、少しは理解してくれると嬉しい」


風が吹く。


銀色の髪が揺れた。


カリオンは深く頭を下げた。


「必ず恩を返します」


そして――


彼は人間の陣地へ向かって駆け出した。


私は腕を組む。


(さて……)


問題はこれから。


太陽は沈みかけている。


そして――今夜。


魔王が私の部屋へ来る。


目的は一つ。


子作り。


だって私は設定上、

五人の子を持つ魔王妃なのだから。


「これは消しておこう」


紙を燃やす。


証拠隠滅。


カリオンの記録は、もう魔王城には残っていない。


(運命は、確かに変わった)


本来なら彼は――


吸血され、死にかけて逃げ出し、

私を憎むはずだった。


けれど今日は違う。


この変化が――


未来をどう塗り替えるのか。


それは、まだ誰にも分からない

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