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第46話 崩れゆく命の天秤

魔王と私の寝室――スイートルーム。


目を覚ました時、隣に気配はなかった。

魔王はもう執務室へ向かったのだろう。


いつものことだ。

彼は必ず、私より早く目を覚ます。


「……よいしょ」


ゆっくりと上体を起こし、両腕を大きく伸ばす。


――呼吸の練習、またちゃんとやらなきゃ。


この城に来たばかりの頃。

エステルとして生き始めた、あの日。


“自分が呼吸をしていない”と気づいた時の衝撃は、今でも忘れられない。


だから私は、意識して呼吸する訓練を続けてきた。


けれど少し気を抜くだけで、すぐ元に戻ってしまう。


眠った後。

意識が途切れた瞬間。


この身体は当たり前のように、“呼吸しない存在”へ戻ってしまうのだ。


もともと呼吸の必要がない身体。

息を吸うという行為そのものが、どこか不自然だった。


「……ふぅ、はぁ……」


腕を上げ、ゆっくりと空気を取り込む。


本当は必要のない行為。


それでも――


“元の自分”を忘れないための、ささやかな抵抗だ。


「……うまく、できないな」


最近ずっと怠けていたせいだ。

忙しさを理由に、呼吸の練習をやめていた。


……まずはストレッチから。


「よっと」


脚がすっと天井へ伸びる。


まるで舞台の上の踊り子みたいだ。


身体が硬くて前屈すら苦手だった私が、

今は思い通りに手足を伸ばせる。


“無理をしない範囲”の基準が、もう別世界レベルだ。


そのまま、くるりと一回転。


軽い。

しなやか。

この身体は、どこまでも自由だ。


――さて。


エリンの様子でも見に行こうかな。


きっとまだ起きている。

また魔導書に夢中になっているはずだ。


図書館の膨大な蔵書を、片端から暗記しているのだから。


私は上着を羽織ろうとした。


その瞬間――


「……え?」


ぐらり、と視界が揺れた。


経験したことのない感覚に襲われ、

反射的にテーブルを掴んで倒れるのを防ぐ。


転んだら危ない。

もう、私一人の身体じゃない。


「なに……これ……?」


立っていられない。

頭がぐらぐらする。

身体が言うことを聞かない。


嫌な予感がした。


久しぶりにステータスウィンドウを開く。

私にしか見えない、半透明の表示。


――警告。


赤い文字が視界を埋め尽くす。


【状態異常:持続HP減少】

【HP:10分ごとに −1】


数値を見た瞬間、血の気が引いた。


HP残量、わずか20%。


気づかないうちに、八割も削られている。


このままでは――


死ぬ。


【原因:短期間の過剰エネルギー消費】

【基礎エネルギー不足による飢餓状態】


……過剰消費。


妊娠の影響。


なら、基礎エネルギーは?


血。


血を摂っていないから?


その瞬間、意思とは関係なく牙が伸びた。


身体が血を求めている。

飢えきった獣みたいに。


「……私、気づかなかった……」


ステータス確認を怠っていた。


“平気”だと思い込んでいた。


でも実際は――

かなり危険な飢餓状態。


「動いて……お願い……」


指一本、動かない。


このまま死ぬかもしれない。


私だけじゃない。


お腹の子どもたちも。


◆◆◆


「エリン様?」


護衛たちが顔を上げる。


本を読んでいる時は滅多に動かないエリンが、

突然、遠くを見つめていた。


「……弟たちが、助けてって言ってる」


「え?」


「母上に仕えていた人間侍女たちはどこ?」


「全員、別部署へ再配置されました」


エステルは過去を知る者たちを遠ざけていた。


「……なら仕方ない」


エリンの瞳が鋭く光る。


「お前たち。母上のために命を捧げられるか?」


「無論です」


本来なら見捨てられるはずだった命。

エステルに救われた者たち。


「なら、黙ってついて来い」


幼い子どもとは思えないほどの威圧感。


「人間侍女を見つけ次第、連行。拒否すれば制圧」


「了解」


◆◆◆


「……はぁ……」


起き上がれない。


その時、新たな表示が浮かんだ。


【特殊スキル:ブリーディング】

呼吸によって吸血に似た効果が発生

※液体の摂取が必要


「呼吸で……回復?」


【Breathing:0】

【Blood:0 / 100】


思い出す。


最近、呼吸をしていなかった。


「……やるしかない」


ゆっくり息を吸う。


苦しい。

それでも続ける。


「……吸っ……」


……成功した。


数値が上がっていく。


やがて100に到達。


【Breathing 100 → Blood 1】


少なすぎる……。


それでも――

身体に、ほんのわずかな力が戻る。


「水分……」


テーブルの茶を掴み、一気に飲み干す。


……焼け石に水だ。


「助け……呼ばなきゃ……」


立ち上がろうとした瞬間、腹部に激痛が走った。


【警告:胎児へのエネルギー供給を遮断しますか?】

YES / NO


私は迷わず「NO」を選んだ。


だが警告は消えない。


私が生きるか。

子どもを守るか。


選べない。


その時、表示が切り替わった。


【受給者の生命維持活動停止】

【1分後、全供給停止】


「違う……止めてない!」


震える手で腹を抱く。


激しく動いていた胎動が、徐々に弱まっていく。


――母を守るため。


子どもたちが、自分の意思で供給を止めたんだ。


――母親なのに、守られている。


(エステル)

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